44 Awake beast
薄く雪の残る裾野を石屏で切り取ったような小規模な軍事基地。
エメリア西部の辺境の果て。
それが現在のウルザ達の居留地だ。
基地には国境警備に当たる部隊が駐留しているばかりで重要な拠点でもなく、施設もコンクリートでした平屋の家屋のみ。
指折りの精鋭が寝泊まりするには些か質素過ぎる監視所の一角にウルザ達の部屋がある。
任務の特殊性から内容は伏せられてただの偵察部隊として来ているが、全員が将校であるため個室が与えられている。
将校だけの隊であったり、貴重な大型オートモービルに乗って吹雪の中へ出たりと、怪しいのは言うまでもない。
だが、公安部に容疑を掛けられる愚を犯してまで探ろうとする物好きはいない。
触らぬ神に祟りなしと、一般の兵士から避けられていた。
誰も近寄らないお陰で、おおっぴらにしたくない話が出来る。
採光窓も無く、荷物を押し込んだ手回り品と寝具だけの殺風景な寒い部屋に、ウルザは今だけは感謝した。
シャワーを浴びて血だらけの服からカーゴパンツと黒い防寒ジャケットに着替えたウルザはバッグの上に腰を下ろす。
ヒステリックな声と身振り手振りで主張する若い金髪の女を煙草の煙越しに睨み付けて。
ベッドの上は猿轡を噛まされて眠らされている少年が使っていた。
「あなたっていつもそう。何も考えないで動いて! 私が気付かないとでも!?」
泣き黒子のある目尻を赤らませて叫ぶ。
男を蕩かす美貌に怒気を孕ませ、グレーのハーフジップセーターを押し上げる大きな胸の下で腕を組んだ。
ウルザと実の姉妹のように育ったこのユリアという女は、度々身勝手な行動に悩まされてきたが、今回の件は度を超している。
ハザウェイをトップとした班を管理、指揮する立場であるユリアは今度ばかりは強い叱責を加える事を決めていた。
エメリア軍の極秘部隊の一員の権限に許されるものではない。
エメリア内外に不透明な任務を遂行する性質上、不仲である公安部派閥に漏れれば部隊全員が懲罰か処刑あるのみ。
部隊の責任を預かる者としては見過ごし難い。
無論それも承知の上でやっているウルザは煙草を噛み潰して眉を歪ませる。
「うるせえな、もう決めたんだよ。こいつは家に連れていく」
「呆れた。親になったこともない、親も知らない女に子供が育てられる?」
とうとう食い千切ったフィルターを吐き捨てて立ち、ユリアの胸元を掴む。
憎悪を燃やした形相でユリアの目を見据えた。
「それでもだ」
「この子、ほとんど人間じゃないのよ。私達よりも、ずっと……」
幼い頃から共にいるユリアは、ウルザの心情に痛いほど共感している。
しかし、獣に心を与えられるかと問われたら、否と答える。
間近で調べた少年の体の中身はそれほどに人間とかけ離れてしまっているのだ。
姿形が人であっても、体が怪物では救えない。
ユリアの手元には慈悲の死を贈る選択肢だけしかない。
「人間だよ。心臓がブリキじゃ、人じゃねえってのか?」
「人間だからよ」
ユリアが吼える。
ウルザに額をぶつけ、大の男が立ち竦む眼光を真っ向から睨み返す。
「勝手ばかり言わないで!」
ウルザと比べたら貧弱な腕で襟を掴んで声を荒げる。
「猛獣の毛皮を着せられて、牙と爪を詰め込まれた子供をまだ苦しめたいの!? 生かす方が残酷ってもんでしょう!?」
「それでも人間として生きる道はあるんだ。それに賭ける」
例えその希望が儚く脆い幻であっても、追わなくては永遠に手には入らない。
「駄目だったらその時は、あたしの手でケリを着ける」
あどけない素顔で眠る少年に、哀しい末路に至るとも、恐れずに進むに値する希望を夢見た。
硬い決意。
こうなったら絶対に曲げも折れもしない。
「ああぁ、もう!!」
ユリアはウルザのポケットから煙草をひったくり、自前のマッチで火を着ける。
タバコなど吸わないが、今日ばかりは何かしなくてはやっていられない。
それこそ、肺に目一杯有害な煙を溜め込んでやけくその憂さ晴らしをしたくなるほどに。
無茶な吸い方をしたせいで当然の如く派手に噎せてしまう。
「ゲホッ!」
苦み走った味と煙の匂いに顔をしかめる。
盛大に噎せかえったが、気分はマシになった。
吸いかけの煙草をウルザの口に押し込む。
「んぐっ──」
「……今回だけよ」
根負けしたユリアは髪を掻き乱して溜め息を大きく漏らす。
少年の隣に腰を下ろして荒れた黒髪に手櫛を通すと枯れ葉の欠片や小粒の石が転がり出てくる。
「髪と眼の色は一緒だけど、こんな大きな子供が隠し子で通じるかしら?」
「なんとかならぁ」
ウルザはあっけらかんとして白い息を吐く。
思い詰めた割りには無計画な相棒に、ユリアは激しく顔を歪ませる。
「期待した私が馬鹿だったわ」
肩を落としてそう言い捨てた。
代わりの人員に任務を引き継ぎ、いざエメリア領内に戻ってみても、麻袋に押し込んだ少年が見つかるような気配は全く無かった。
グレース・エメリアを縦横無尽に行き交っている蒸気を吹く配管を潜り、遺跡を利用した地下司令部の広大なガレージの一角に積まれたコンテナの死角に大型オートモービルを停めた。
何も言わずとも全員が飛び降りて全方向に視線を張り巡らせた。
こちらに来るような人影は見当たらず、高く重なった木箱の向こうにも足音はしない。
「上手くいったろ?」
ウルザが静かに荷台に上がる。
「油断は禁物だ。僕らでさえ知らない強力な感知能力者が居ないとも限らない」
ペジテが人目を気にして周りを見回す。
一部の人間にしか知らされない静かな場所だが、それでも用心に越したことはない。
今やっている事は上層部への裏切りと取られても仕方のない命令違反だ。
「クソ真面目な意見をどーも。足持ってくれよ」
音を立てないようにウルザとペジテは、やたらと重い少年を持ち上げて荷台からゆっくり下ろす。
「重そうだな。手を貸そうか?」
不意に掛かった声に全員がピタリと止まる。
見上げれば、何もない空中に白い髭を蓄えた老齢の男が立っている。
不味い所見られてしまった。
その自覚があっても誰も狼狽えたりなどしない。
心臓すら平時と変わらぬ速さで脈打つままだ。
「おいユリア、風邪引いてんのか? 顔色が冴えないぞ」
不可視の指がユリアの頬を撫でて髪を払う。
蛇に睨まれた蛙のように動けない。
最悪中の最悪を想定したウルザが麻袋を置いて袖にナイフを忍ばせる。
騒ぐなら排除する。
氷のように冷たい意思で人知れず殺意を急速に膨らませた。
生憎と、この老人を殺せる自信は全くといって無い。
この場の全員が一斉に奇襲したとしてもかすり傷も負わせられないだろう。
エメリア連邦の戦闘に従事する人間にあえて序列を付ければ、この老人は間違いなく他を大きく引き離して一位である。
つまり戦っても玉砕するだけの相手だ。
そんな愚を冒すのを許容するよりもよっぽど効率的な方法をハザウェイは心得ている。
「じい様のお手を煩わせる程じゃねえよ。年寄りは労っとけって言うだろ?」
それとなくウルザの前に移動したハザウェイが両手で男を止める。
「教えろよ、一緒に娼館に通った仲だろ?」
「頼むぜ。今は駄目だ」
トーンを落とした声で諌める。
これ以上話が広まるのは不味い。
ハザウェイの交友関係で口封じが通じない数少ない一人が相手では、ひたすら下手に出るしかない。
せめてもの幸運は男が話の分かる人間だったことだ。
「ったく、年寄りはイタズラものけ者か。今度奢れよ?」
ハザウェイは絶対に譲らないと判断したのか、白髪頭を掻くとそれ以上は追及しなかった。
「……他の奴には気を付けな」
手を振っておざなりな忠告を残し、男は宙を歩いて去った。
「見られちまったぞ!」
アルベルトが抑えた声音で慌てる。
「ハハッ、ちょっとヤバかったな!」
「どこがちょっとだアホ! もうちょいで仲良くブツ切りか人間花火にされるとこだったろ!」
あっけらかんとするハザウェイに器用に小声でアルベルトが糾弾する。
「気まぐれおじいちゃんで良かったぜ」
アドラーが肩を竦めておどける。
「で、どうよ?」
コンテナに背中を預けて通路を見張るハザウェイがにやけた。
「実はちょっと楽しかった」
仏頂面を維持していたペジテが少年のように悪戯っぽく笑う。
「イカれてやがる……」
揃いも揃った胆の太さにアルベルトが呆れる。
アルベルトもアルベルトとて覚悟を決めて手を貸しているが、楽しむような余裕などない。
「今更気づいたの?」
ユリアはすでに諦めている。
選び抜かれた精鋭の強心臓は国への背信行為で発揮されていた。
荷台から下ろした少年を緩衝材の詰まった木箱に押し込み、一同は素知らぬ顔で通路に向かった。
不安定な電灯の明かりの中で成果報告などの雑務を片付けて休暇が与えられると、ウルザはすぐさま熱いシャワーを浴びて汗を流し、漆黒の二輪オートモービルをガレージから引っ張り出して首都を飛び出した。
セメントと石板で舗装された道路を高速で西へと駆ける。
後部座席の荷物には新たに麻袋が加わっていた。
うっすらと雪の積もる街道を順調に走るオートモービルは毎時八十キロの高速を維持して、二日後にウルザの隠れ家に着いた。
広大な森と山に囲まれたログハウス。
直属の上司のハザウェイとユリアしか知らないここが、全てを縛られるエメリアの戦闘員ウルザが自由でいられる唯一の地だ。
森林を切り拓いた広場に忽然と建つログハウスにオートモービルを停め、風雪で固められたドアを蹴破る。
しばらく留守にしていた家はやや埃が溜まっていて掃除を必要としているが、野盗が根城にしているような異変はない。
手始めに暖炉に火を入れて空気を暖め、オートモービルに雑に載せた麻袋入りの少年を居間に放り出す。
麻袋から裸の少年を出してワイヤーを用いて腕を後ろで拘束する。
そうしてから全身につけていた大小様々な刀剣から暗器を外してソファーで一服した。
干し肉と缶詰めでささやかに夕食をとりながら、明日は狩りをして食料の確保をしようかと算段を着けているころに、少年は目覚めた。
使っている毒物は常人なら後三日は目覚めない強烈な物だったが、少年がそれだけ規格外だということなのだろう。
「よお、おはようさん」
少年は周囲を見回すと一も二もなくウルザに飛びかかり、あっさりと受け流されて本棚に突っ込んだ。
殺す意思のみがインプットされた機械のような少年にもウルザは冷静でいる。
「おうおう、元気あんなぁ」
少なくとも一週間は飲まず食わずの少年だが、挙動に陰りは見られない。
即座に跳ね起きて反撃の体勢に移る少年の首に手を掛けて足を払い、もう一度転がすと脚で腕の関節を絡めて極めた。
塊のまま暖炉の火で炙っていた干し肉を火かき棒で刺して少年の口許に置く。
「腹減ってんだろ? 食えよ」
少年は低く唸って暴れ、ウルザを払いのけようとするが、見越していたウルザは少年の四肢をあらぬ方向に折り曲げて主要な関節をことごとく脱臼させる。
凄絶な激痛が走っているはずが、苦悶の声も出さなず犬歯を剥いて隙あらばウルザの喉笛を食い破ろうとしている。
「そんなカリカリすんなって」
ウルザとて会話もままならない相手と初めから上手くいくなどと思っていない。
少年の腹の虫が騒ぐ。
「やっぱ腹減ってんじゃねえか。出ていくから落ち着いて食えよ」
外に出て、雪景色の中で煙草を二本三本と吹かして明後日を眺める。
なんとなく木から垂れ下がった長い氷柱をもぎ取り、ボリボリとかじってみたりして時間を潰す。
見計らってログハウスのドアにほど近い、軒下のウッドデッキに腰を下ろすような振りをする。
露骨に無警戒を装ったそれをわざわざ見せる相手は一人しかいない。
開け放たれたドアから弾丸のように飛び出した少年がウルザの頭蓋を叩き割ろうと拳を振るが、彼女はそれを見抜いていた。
真後ろから来る拳を首だけでかわして手を絡め、座ったままで易々と少年を放り投げた。
少年は雪の上に頭から落ち、勢いのままに転がって木に衝突した。
それでも堪えたようには見えず、外されていた筈の手足で即座に立ち上がりウルザを睨み付ける。
長期間栄養も補給せず、関節を自分で入れ直したばかりでこのタフネス。
さしものウルザも少年の規格外の肉体に肌の粟立ちを抑えきれない。
だが、敗北には程遠い。
構えも作らず煙草に火をつけ、手招く。
「どうした? 来ないのか?」
少年は言葉の意味は知らずとも、ウルザの手招きは直感で理解出来た。
なぜ誰かの面影を感じる存在がいるのか、考えても果てがない。
だから目の前の物を壊して食料を得る、それだけだ。
今までのように考える必要なんてない。
そう結論づけた少年は、派手に雪を散らして駆け、吶喊する。
「まずは、逆立ちしても絶対に勝てねえって教えてやるよ」
体を僅かにずらして芯を外し、威力を半減させた少年の拳を片手で受け流す。
受け流した反動で回転した体のエネルギーをもう片手に集め、掌で少年のうなじを打つ。
想定外の方向からの衝撃で少年は体勢を乱してたたらを踏む。
確実なる死からバランスを崩す程度まで使い手次第で変化する威力をウルザは自在に操り、この技を授けた師をして天才と言わしめた。
少年の膨大なパワーを調節して跳ね返すことなど、造作もない。
この技の理屈は円運動で成り立っている。
理解を体で理解出来れば誰でもやれるが、円の半径と速度が不規則に入り乱れる実戦では難易度は跳ね上がる。
ただし、ウルザの目からは少年のようにパワーとスピードばかりで大降りの攻撃など、児戯にも等しい。
少年の裏拳を払い落とし、横回転を背骨と肩甲骨で縦回転に変換して少年の額を軽く押して転ばせる。
「あめーよ」
片手の腕力だけで起き上がり放った回し蹴りは、鋭い破裂音と衝撃波を撒き散らしてウルザの脇腹を狙うが、それすらも軽やかな跳躍で飛び越えてしまい当たらない。
次の蹴りを出そうとするが、脚を入れ替える場所にはウルザが既に踏み込んでいる。
こうして攻撃の起点から潰されていく。
気がつけばウルザは手すら使わずに攻撃を捌ききっていた。
肩で突きと蹴りを受け流し、エネルギーを変換した体軸をぶつけるだけで少年を弾き飛ばす。
攻防の中で二本目の煙草に差し替える余裕すら見せつける。
「おまえにゃあたしを殺せねえよ」
終わりにしようかと見計らい始めたウルザから少年が離れる。
少年も埒が明かない事を悟り、別の手段に切り替えることに決定したのだ。
雪に膝下まで埋まりながらもみの木に取り付き、太い幹を連続で殴りつける。
「いきなり何やってんだ、おめえ……」
しかし、木の太さが半分になりそれに抱き付いて軋ませた時、木屑を飛ばして削った意味不明な行為の目的が見えた。
少年は高さ二十メートルはある木をへし折ると、非常識なパワーで棍棒のように振り回したのだ。
これならログハウス前の空間をほとんど攻撃出来るが、そんな異次元な思いつきを実行するとは思いもよらなかった。
あまりの馬鹿馬鹿しさにウルザも吹き出した。
「プッ、ククク……ダッハハハハハハ!! バカじゃねえの!? こんなバカ初めて見たわ!!」
身悶えしながら目尻に浮かべた涙を拭うウルザに大振りで木の幹を横殴りに振り抜く。
ウルザの体が枝の中に消える。
捉えたという手応えはあった。
しかし、潰した感覚とは違った。
現に雪に血の色が付いておらず、死体もない。
「どこ見てんだ?」
振り抜いた木の上にウルザはいた。
ウルザは猫を上回る柔軟さで幹に垂直に降り立ち、慣性の弱まりとともに上面へ歩いて移動していたのだ。
間合いが変わった事に気付いた少年が木を捨てて拳を握るまで僅か一秒以内。
「おせえ」
流れるように降り立ったウルザの拳は既に胸から心臓を真っ直ぐに捉えていた。
踏み締められる凍った大地。
全細胞が躍動し、律動する筋肉は拳の先端に衝撃を滑らかに運ぶ。
微動だにせず、それでいて足元の雪が舞い上がる程に強烈な体重移動のエネルギーは少年の体内に侵入した。
筋肉と骨格を波打たせた衝撃が心臓を揉み、血流が逆巻いて脳への血は足りず。
これで受けるのは二度目の攻撃で、少年の意識は暗転した。




