43 Zone of secret
少年が目覚めれば暴れるのは目に見えている。
ウルザは少年の首を薄く斬り、採取した植物から絞り出した麻痺性の神経毒を含む汁をすり込んで眠らせた続けた。
意識を失った仮死状態でぐったりした少年は怪力のハザウェイですら重いと言わしめたが、ウルザは弱音の一つも言わずに背負った。
いつもならアドラーと口喧嘩の一つや二つは始まっているところが、少年を背負うウルザは極端に口数を減らし、ただ歩いた。
女々しさは消えたが今度は怒っているように刺々しい雰囲気で、話し掛けるのも憚られた。
幾つか山を越えた辺りで夜が始まった。
焚き火から少し離れて腰を下ろしたウルは隣に少年を寝かせて防寒も兼ねたマントを掛けてやった。
少年と対峙して以来、ウルザらしからぬ行動ばかりで三人は困惑していた。
「アイツ、マジでどうしちまったんだ?」
アドラーが焚き火の側で草を敷いて寝ていたハザウェイに囁きかける。
「知らん」
焼いた野兎の肉を頬張った口で適当な返事を返す。
ハザウェイはこの一件に関して現段階で口出しする気は失せていた。
身元が怪しいのはアドラーも同じだが、ウルザの過去や少年は謎が多すぎる。
こんな異常な少年を知っていたかのようにわざわざ最精鋭を指名した上層部も、不審なウルザも何もかもが胡散臭いとしか言いようがないが、下手に首を突っ込んで厄介を招くのは願い下げだ。
無関心を装うことを決め込んでいた。
調べるのはしばらく先、波風が鎮まってから。
「よせ、そっとしておくべきだ。時が来ればウルは教えてくれる」
ペジテは別の目線でアドラーの詮索を制止する。
裏の事情に疎い訳ではなく、この事態が何かしらの陰謀の一幕であろうがなかろうが、尋常でないウルの様子を気遣ってだ。
「ヘッ、大分先になりそうだ」
遠い目をしたウルにアドラーは怪訝な視線を泳がす。
「最後の一本くれてやる、さっさと寝ちまいな」
ハザウェイがおもむろにポケットをまさぐり、大事に取っておいた煙草のパッケージを投げた。
胸元に落ちた、クシャクシャに潰れた包装の中に一本だけ残っている。
思わぬ堯幸にアドラーが目を丸くする。
ハザウェイはしゃぶり尽くした兎の骨を吐き捨てて横になった。
「ありがてえ!」
ハザウェイが手を振ってあっちへ行けと促す。
ニコチンが不足してた所に貴重な煙草を融通されたとあれば、多少雑にあしらわれてもアドラーは気を悪くしたりしない。
早速焚き火で点火して紫煙をむさぼる。
それを吸い終わる頃にはハザウェイの狙い通りに好奇心も色褪せて睡魔に身を任せていた。
唯一起きているのは見張りに立つペジテのみ。
珍しく晴れた夜空の三日月の下で木にもたれて耳を澄ましていた。
彼は周囲の異変を探るのと並行してウルザの真意を読み解こうと思案する。
各国のプロパガンダに踊らされることなく、事実を直視して情勢を公正な眼で判断すれば、少年を引き取って育てるにしても猶予は少ない。
総勢数百万の帝国軍を相手に同盟国は徹底抗戦しているが、完全に押し止めるのは不可能だろう。
雪崩を板切れで堪えるようなもの。
戦線はいつか破られ、エメリア本土に戦火が届くのは時間の問題だ。
そうなれば自分達の安寧も終わる。
これまでより遥かに厳しい戦地に送られ、苛酷な戦闘を強いられる。
表立って称えられはしないものの輝かしい実績を残しているウルザは名指しで任務を与えられたように、エメリア全軍でも特殊な地位にいる。
相応に、敵に勝利する能力と生存の知識と状況の判断力だってあった。
うら若い工作員を顔色ひとつ変えず手に掛けてきた女は少年を保護すると言った。
なぜ今回に限って。
不毛としか思えない行為に何が潜む。
満天の星空は風の音すら吸い上げて、焚き火のはぜる音だけがやけにペジテの耳に残った。
移動を開始して六日目、山地は抜けて足元に積もる雪も薄くなっていた。
膝を埋めていた雪はくるぶしまで減り、道らしき物もうっすらとわかり始めた。
雑木林を出ると、辛うじて道と分かる平面の雪原に一両のオートモービルが停まっていた。
雪に紛れる白の塗料で染められた中型のトラックだ。
滑りやすい雪面を走るためにタイヤにはチェーンも巻いてある。
「ヒュー、ドンピシャだ」
事前に示された時刻の合流地点で帰りの足が待っていた。
タイミングもハザウェイの計算通り。
「たりめーだ。俺を誰だと思ってる」
運転席から降りてきたドライバーはニット帽を被った恰幅のいい男。
手には酒瓶を握っている。
中身が減っていることから、どうやら待っている間に飲酒していたらしい。
「飲んで体を暖めな」
「ありがとう」
投げられた瓶をキャッチしたペジテがすぐに一口煽り、アドラーに回す。
高濃度のアルコールが消化器の粘膜を刺激しながら全身を暖めていく。
「助かるぜアル。カードの負けはチャラにしてやるよ」
待機時間のポーカーで散々カモにしているハザウェイは心にもない事を嘯く。
「るせえ。さっさと乗りな」
雪道を飲酒運転しようなどと危険もいいところだが、ぶっきらぼうなアル──アルベルト──の運転技術は非常に高い。
それを買われてこの実験部隊の専属ドライバーに任命されているわけだ。
自分のスキットルに口をつけてきつい酒を一気に飲み下したアルベルトの目に、ウルザが荷台に載せようとしてマントに隠れた背中から一度下ろされた少年の姿が映る。
「おいちょっと待て。ソイツは何だ? 乗せるのはお前ら四人としか聞いてねえぞ」
予定外はトラブルの種になる。
更なる追求をしようとウルザに迫るアルベルトの前にハザウェイが入る。
「まあ落ち着けって。これには事情があってだな、基地に連れてくって事になっちまったんだ。だからな、ここはひとつコッソリよ」
任務で関わる人間がいる以上、こうなることはハザウェイも予想していた。
「答えになってねえ。それはなんだって言ってんだよ」
作戦にない行動をとるのは、エメリアにおいてリスキーだ。
「最近の公安の締め付けがやべえのに、計画外の動きを嗅ぎ付けられたらどうなるかわかってんのか?」
他国より圧倒的に進んだ軍事機密や先進技術を持つエメリアは漏洩を防ぐべく、軍に独立した捜査組織の公安部を置いている。
政府上層部の肝煎りで設立された公安部には強い権力があり、どこに密偵がいるのやも知れず、機密情報を漏らそうとする人間を洗い出す国家の番犬だ。
対象はエメリア軍将校ですら例外でなく、一度逮捕されれば行き先は処刑台か極寒の監獄だけというのがもっぱらの噂だった。
そんな過激な公安部の知る所となれば嫌疑は同じ部隊内の人間全てに掛けられ、運んだアルベルトは共犯者扱いの取り調べが待っている。
「俺は家族がいる、ご免だ。そこに置いてけ」
眠った子供を見殺しにするのは気が引けるが危ない橋は渡りたくない。
拒むのも当然だった。
首都で待つ妻子がいる身のアルベルトには危険は冒せない。
腕を組んで厳めしい顔できっぱりと断られてしまったが、ハザウェイには勝算がある。
「そう言うなって。たまには良いことをしようじゃねえか」
ハザウェイがアルベルトの肩に手を置いて口を寄せる。
「……お前が軍の物資をちょろまかしてんのも黙ってやってんだからよ」
小声で囁かれた内容に、アルベルトの顔がさっと青ざめる。
「この野郎……!」
「さあな?」
ハザウェイは白々しくとぼける。
「勘違いすんな。俺は別に責めてねえよ。美人のかみさんと三歳の息子が腹空かせねえように頑張ってる父親の鑑だ」
この戦争を商機とみた豪商による食料の買い占めで物価は上がり、市民の暮らしは苦しくなりつつある。
アルベルトは家で待つ家族の為に、危険と知りながらも書類に細工して数を誤魔化した食料を密かに送っている。
あまりおおっぴらにしては怪しまれる故に、量的には微々たるものでも、ハザウェイがほんの少しでも口を滑らせて公安部に知られればアルベルトは破滅する。
アルベルトは戦慄した。
不正が露呈する事とハザウェイの情報網、そのどちらにも。
「良い父親なんだから、もう一個格好いいとこ見せてくれよ。見ても聞いてもねえ事にしてくれりゃそれでいいだけの話だ。簡単だろ?」
脅迫めいた交渉に、逃げ場は塞がれていると悟ったアルベルトは一瞬だけ悩んだ末にハザウェイの手を弾いた。
「……分かった。俺はなんも見てねえし聞いてねえ。早く載せろ」
こうなったら毒を食らわば皿まで。
こうも上手くハザウェイの弱みも握って共犯者になるほうがマシな気にさせられては腹が立つが、実際に協力するしかない。
運転席に乗り込んで乱暴にドアを閉めるとキーを回してエンジンをかける。
「どうよ、このスマートなネゴシエーションは?」
ハザウェイが腕を広げて自慢気に笑う。
「過程はともかくね……」
いつもはウルザが答えるが、今回は少年を載せるのを手伝っているペジテが代わりに苦笑いする。
「だろ?」
気分を良くしたハザウェイは全員が荷台の幌の中に入ったのを確認して助手席に乗り込んだ。
イグニッションボタンを殴ると、冷えた鋼鉄の心臓に熱が入った。
牛馬とは比較にならない強力なトルクで回転するタイヤは、車体の重量を摩擦力に加えてしっかりと雪を噛んで発進する。
素人目にはどこが道なのかもおぼろ気な雪の上を、アルベルトは見えているかのごとくすいすいと操作して加速していった。
ウルザは少年を荷台に展開された木製の縦長な席に寝かし、積んであった汚い毛布を掛けてやった。
そして少年の首の傷に眠りの毒を吸わせると髪に触れながら目を閉じる。
いち早く乗っていたアドラーはウルザの対面の席で寝転がり、もう寝息を立てていた。
二人とも何かあれば即座に起きるが、ペジテは用心して剣を持ったまま幌から外を覗く。
エンジンが少々うるさい事を除けば幌で寒風を防いだ荷台は大いに快適に思える。
不躾に振動する荷台の長椅子さえ、疲れた体には心地よい揺りかごに感じられた。
穏やかな雪景色の山嶺から唐突に突き出す、古代遺跡の扉にペジテは目を奪われる。
二度と帰らぬ人を待つ錆びた合金の門はアンバランスで美しく、そして哀しい。
「で、何があった?」
運転席ではアルベルトがハンドルに右手を乗せてオートモービルを走らせていた。
スキットルを片手に不機嫌そうに口を曲げている。
彼はまだ予定変更に納得していなかった。
せめて事情のひとつも知りたくなったのも無理はない。
「……そりゃ俺が言いてぇよ」
ダッシュボードに額を押し付けたハザウェイがため息を吐く。
「お上は怪しいし、作戦地域に行けばあのガキンチョが待ち伏せしてやがる。しかもあのガキ、フロストオーガを素手で殺して食ってたみてえだぞ。ありゃあ人間じゃねえ」
「は? あんな小僧が?」
しかめっ面でトラックを走らせるアルベルトのハンドルを握る手が揺れる。
流石に冗談を言う空気ではない。
「ジョークならどんだけ良かったか……」
隠していた煙草にマッチで火を着けて深々と吸い込んでもハザウェイの顔色が改善されることはない。
「おまけにウルが連れ帰ると抜かしやがった。理由は言わねえ癖によぉ……」
結露で曇った窓に吐く煙に長いため息が混ざる。
「お前の愚痴は新鮮だ。初めて聞いた」
弱音を吐くハザウェイは珍しかった。
いつも飄々としている男が苦労している光景を見せるのは初めてかも知れなかった。
「お前だから言えるんだよ。俺は隊長だ、下に言ったら部下は誰に言える?」
鬱憤を溜め込まれ暴走されて困るのは指揮官である自分。
詰まる所は指揮しやすいよう普段通りのパフォーマンスをしてもらう為にガス抜きをしておくのだ。
上官が下に苛立ちをぶつけては下に溜まっていく一方ではいずれ破綻してしまう。
「思ったよりちゃんと隊長やってんだな、ご立派なこった」
そういう意味でも部下ではないアルベルトは貴重な仲間の一人だ。
わざわざ辺境にまで出張った公安部の目も光る中で、密告の恐れも無しに忌憚なく不満やストレスを吐き出せる対等な相手が、この戦場にはあまりに少ない。
「あのガキはどうする? 基地に着く前で下ろすか?」
ワイパーが駆動してフロントガラスの雪をリズミカルに掻き分ける。
「それで頼む」
ハザウェイは二本目の煙草に火を着けてたっぷりと吸い込んだ。




