42 Regret
指定された地点もまた雪が降っていた。
滅びた町並みが見下ろせる小高い森から四人は作戦の内容を再確認した。
途中でフロストオーガの襲撃に遭ったが造作もなくこれを排除して観測拠点を確保した。
この近辺を含めて石造りの廃都はどうやらフロストオーガの巣窟となっているらしい。
「ったく、ホントにこんなとこに潜伏してんのか?」
フロストオーガの喉笛からナイフを抜いて血を拭いたアドラーが呻く。
「下水やら何やらで奥行きが深すぎて全体像の分析は地図にも載ってねえ。これぞ秘境って奴だ」
ハザウェイが地図を広げるが役に立ちそうになく、早々に仕舞い込んで煙草をふかしていた。
「城下にこれだけの市街があった国も、滅びる時はあっという間か。泣けるねえ」
廃都を冠する国がなんという名だったのかも定かではないのだ。
千年前か二千年前か、大昔に現れた魔人が殺戮を尽くして滅ぼしたというような民間レベルの伝承しか残っていなかった。
十万人は生活していたと推測される位に繁栄した優雅な町並みは風化と崩落で消えていき、大部分が雪に没している。
もとより歴史的建造物として見ているわけでもない。
この廃墟には帝国の密偵が潜んでいる可能性があるという価値しか今は残っていない。
「ハンターさん、今夜の獲物は見つけたか?」
「フロストオーガしか居ねえ。後は入ってみなきゃわかんねえ」
寝そべって廃都に目を凝らしていたウルザが燃え尽きていた吸い殻を吐き捨てて這い戻る。
「どうする?」
「コソッと入っちまおうや。あんだけ広けりゃ鉢合わせもするめえ」
木陰に紛れてフロストオーガを排除しながら廃都に侵入したが、しばらく歩いても痕跡はおろか、気配も見い出せない。
収穫は民家跡を漁っていたアドラーがかなり古い金貨を何枚か拾ったくらいのものだ。
不意に、遺跡の奥から風が吹いて先導役のウルザが足を止めた。
「どうした?」
「見つけた。どういうわけか一人だけ居やがる」
武器に手を添えたハザウェイが訊く。
風の中の微かな人間の匂いを猟犬並みのウルザの嗅覚は感じ取っていた。
「仲間は死んだんじゃないか?」
「それにしちゃあ血の匂いがしてねえ」
ペジテはウルの言った意味を少し考えて頷く。
「なるほど、確かにそれは変だな」
生き残りがいるということは戦ったにしても撃退したということだ。
死体の血は凍るが、生きている者の流す血は温かく匂いを漂わせる。
手傷を負わされて逃げたとするには戦いの匂いが全くない。
帝国の密偵を壊滅させる集団があっさり死に絶えたとも考えにくい。
これは不自然だ。
「いよいよ胡散臭くなってきやがった」
薄暗闇の中に寄り掛かるアドラーがまたぼやく。
「行けばわかる。気を抜くな」
トーンを落としたハザウェイの声が積もった雪に吸われる。
「ウル、ペジテ、俺、アドラーで行く」
これは最高レベルの警戒を敷くフォーメーションだ。
先頭に奇襲に対応出来る強さの者を配する意図がある。
ならばペジテが守りつつウルザが探って進むという手もあるが、ハザウェイはそれを絶対に選ばない。
ハザウェイは知る限りで最強の人間は誰かと訊かれたら、その一角としてペジテを推す。
しかし、最強の条件が剣技に限った話であればだ。
目潰し、小細工、何でもありなら自分でも相当な上位に食い込む自信がある。
だが、一位は揺るぎない。
ウルザが最も強く、タフな戦いをすると断言出来る。
天才的な戦闘のセンスで技を盗み、最近は剣技でもペジテに迫り、中でも特筆すべきは無手での格闘である。
類を見ない独特な術であらゆる力を受け流し、必殺の技のバリエーション豊かな格闘は舞のように華麗であり、峻烈。
あらゆる間合いに対応出来る恐ろしさがある。
神から学んだという与太話に信憑性が生まれるような、天賦の才を持っているのだ。
ハザウェイはこの場の誰よりウルザの力を高く評価していた。
「動いた奴はブッ殺せ」
鼻を頼りに迷わず進んでいく。
半ばで遭遇したフロストオーガは威嚇の雄叫びを上げる間もなく速やかに処理していった。
フロストオーガを殺害する音と小さな断末魔がリズムを刻む見敵必殺の静かなマーチは奥へと続く。
どんよりとした曇天が空を塞いだ暗い市街を抜け、城跡に至る。
もっとも、長い時間の経過で雄大な城郭は崩れ、ただの巨石の山にしか見えなくなっているが、地下の構造は天然の洞窟を利用しているようで、ほぼ完全な姿を保っていた。
宗教的な儀式に用いられていたらしい巨大な石柱の立ち並ぶ地下神殿が四人を出迎えた。
「かなり近い。かなり」
匂いはその奥にある大広間の空洞からしていた。
まだ生きた匂いがしている。
「ここにいる」
それぞれが武器を抜き、戦意が一段と研ぎ澄まされる。
アドラーの姿が闇に溶けるように消えていく。
これがアドラーの二つ名の由来でもある、エメリアでは能力とも呼ばれる魔法、透明化だ。
シンプルながら元から気配を殺すことに長けるアドラー程の実力者が使えば戦闘時に絶大な効果をもたらす。
この力でアドラーはあらゆる標的を抹殺してきた。
肩を叩く合図が後ろから送られ、阿吽の呼吸で大広間に雪崩れ込み、散開する。
「……」
柱の影を隈無く捜索していくが、フロストオーガの物とおぼしき骨が散乱しているだけで人影はない。
ウルザの鼻は敵をここにいると告げているのだが、匂いが籠りすぎて細かくは分からない。
警戒を解くべきか迷い始めたそんな時、洞窟の隙間から風が吹き、溜まった余分な匂いを吹き散らした。
匂いの大元が上にあることにウルザが気付くのと、それが直下のペジテに降ってくるのはほぼ同時だった。
「上だ!」
ぼろきれに手足が生えたようなシルエットの何かは石柱を蹴ってペジテに襲い掛かった。
「うおっ!」
地面を揺るがす強烈な飛び蹴り。
姿勢を崩したがペジテはそれを躱した。
「グ、ガアアアアアアア!!!」
人の形をした獣はそこへ畳み掛けるように大振りなテレフォンパンチを打つ。
ペジテはそれを剣先の数センチで触れてずらす神業をやってのける。
刃先で誘導された拳はペジテの肩を擦って石柱に向かい、命中部分を抉り取ってそのまま振り抜かれた。
「なにぃっ!?」
あり得ない威力にペジテが驚愕する。
突きも薙ぎも間に合わなかったが、刃先で拳を逸らすようにいなしたのが幸を奏した。
剣で受ければ砕かれ、体に受ければ骨を折ってどこかを千切られていだろう。
何の変鉄もない体躯に秘められた恐るべき膂力を見抜き、咄嗟にそう動けたペジテの直感と技術は流石と言わざるをえない。
しかし先程の一撃が掠めただけで外套がすっぱりと裂けた。
超一流の拳闘士は拳で肌を斬ると聞いた事があったが、それを遥かに上回るキレと重さだ。
急所に食らえば一撃で死ぬこともあるだろう。
怪物が上半身だけ傾け、絡まった髪の一房がはらりと落ちた。
姿を消したアドラーの援護だ。
問題は目に見えないそれを避けたということ。
「こいつっ、俺が見えてんのか!?」
怪物は腕を振り回してアドラーを殴り付ける。
「おぉあっ!」
アドラーはナイフを盾にして 後ろに跳ぶことで勢いを殺したが、腕の代わりにナイフが粉砕される。
透明化の範囲から外れたナイフの欠片が実体を取り戻す。
「アドラーが殺られた!」
ハザウェイがワイヤーを手繰り怪物を拘束する。
しかし怪物は中型キメラが引いても切れないワイヤーを纏めて千切ってしまった。
「勝手に殺すな!」
ワイヤーは切られたがペジテとアドラーが復帰し、四方を包囲する事には成功した。
「こいつは一体なんなんだ?」
「こんな変なのを帝国がわざわざ連れてくるとは思えねえ。これが任務の目標だっつーのも腑に落ちねえな」
包囲の輪はじりじりと狭められていき、逃げ場はない。
「何でもいいからこいつを殺すぞ!」
理屈はどうあれ意味がない透明化を解除してアドラーが現れる。
手には予備のナイフを握っている。
突然ウルザが武器の山刀を捨てた。
「てめえ、馬鹿か!」
武装解除を隙と見た怪物にはウルザに向かう。
だがそれは誤りだ。
ウルは死を纏った拳を鮮やかに躱してカウンターの掌底で顎を打ち抜いた。
常人なら気絶するか首を壊して死んでいた技を怪物はたたらを踏んで即座に反撃する。
暴風のようなフックで首を狙ったが、それもウルザは懐に潜って避け、強烈なボディーブローと前蹴りで逆にダメージを与える。
追い打ちでジャブをフェイントに使い、釣られて空いた首に拳の底で打つ。
拳から伝わる手応えや対峙した感触ででウルザは怪物を制圧出来ると確信した。
骨格や筋力は馬鹿げたものだが、打点をずらしてダメージを減らす等の武術のテクニックは感じられない。
これならば倒せるだろう。
遠目に見ても、ウルザの技術は怪物の身体能力を攻略している。
経験、センス、能力は起こりうる不確定な要素を凌駕していた。
「やめろウル!」
素手の間合いは近すぎ、手助け出来ずにいたペジテが剣を怪物に向ける。
「あたしにやらせてくれ」
「急にどうしたんだ! なぜ能力を使わない!?」
珍しく戦いで拘りを持ち出したウルザにペジテは困惑する。
ウルザが持っている能力を使えば一瞬で片がつく筈だった。
最近悩んでいる事に関係しているのかとペジテの思考が飛ぶ。
「邪魔すんな」
邪魔をすれば仲間といえど許さない。
言外にそう言っているのが聞こえる。
「ウォオオオオオオ!!」
雄叫びを広間にぶつけた怪物の飛び蹴りを見切り、顔に蹴りを合わせる。
着地した所で容赦なく後頭部を殴り踵を落とす。
バランスを崩していた怪物にどちらも完璧な当たりをした。
ところが怪物は効いた様子も見せずに中段の蹴りを返した。
それを肩口を踏み台にした宙返りで華麗に躱す。
しかし反対にウルザが着地を狙われる立場になった。
そこを鋭いアッパーで串刺しにしようと食らいついた怪物はまたしても当て損ねる。
なんとウルザは拳を踏んで下半身で勢いを吸収し、石畳の上を滑りながら無事に着地した。
まるで軽い羽を棍棒で叩こうとするが如し。
「やべえんじゃねえのか」
「まさか」
ハザウェイとアドラーは出口を塞げる位置で完全に観戦に興じていた。
ペジテはウルが怪我をしないか肝を冷やして見ているというのに。
「二人ともどうしてそう他人事なんだ」
「じゃあ割って入るか? 俺はやだね。死んじまう」
ハザウェイが肩をすくめる。
少なくともウルザが負けないという信頼を前提で観ている。
アドラーは多少痛い目を見ることを願ってもいるが、基本的に勝つと思って観ている。
それだけ技術的な開きがあった。
「まあそうカッカすんな。滅多に見られるもんじゃねえぞ」
焦るペジテをハザウェイは楽天的に宥める。
事実大陸でも一二を争うレベルの高い闘争にはペジテも手放しで称賛したい場面はある。
しかしこれはショーではなく、命の賭かった殺し合いの一部なのだ。
心配性な男は万が一に備えずにはいられない。
怪物の左ストレートをいなして軽妙なフットワークで背中に回り、裏拳で側頭部を打撃する。
三半規管が揺らされ、全身が強ばったのをウルは見逃さなかった。
神速の左右のコンビネーションでダメージを蓄積していく。
一撃一撃に即死級の破壊力を秘めた拳で連打されてようやく、怪物は体勢を乱した。
ウルザが強く踏み込んだ。
コンパクトな構えのまま懐に入り、心臓の位置に拳を重ねた。
繰り出されるはウルの技術の秘中の秘。
密着していながら全力の衝撃力を伝える極意。
ウルの足から拳にかけて、目視では分からない程小さく波打った。
衝撃は怪物の心臓を焦点として開放される。
強靭な骨格と筋繊維に保護された心臓が動作を狂わせた。
血流が乱れて酸素が遮断された脳が機能を急停止してしまうと、あれだけ打たれ強く不死身の肉体に思えた怪物はあっさりと倒れた。
「どんなトリックを使いやがった?」
「密着したまま全力パンチをブチ込むとかなんとか、よくわかんねえがすげえ奥義だそうだ」
ハザウェイが聞きかじりの蘊蓄を披露する。
「いいから拘束しよう」
今度こそ破られないように何重のもワイヤーで手足を縛り上げた。
これで一先ずは安全を手に入れた。
次は身元を探るべく、顔を見ようと転がそうとアドラーが手を掛ける。
「そんじゃ、お顔を拝見……重てえな」
しかしどうしてなかなか重く、転がらない。
「手ぇ、貸すぜ」
見かねたハザウェイが一緒になって引っ張る。
「何キロあんだよ……っとと」
大の男二人がかりで横転はしたが、勢い余ったアドラーが掴んでいたぼろ布を破いてしまった。
ぼろきれの中には拘束服を着せられた、いやそれより注目を浴びたのは、伸びて乱れた黒髪でまだあどけなさの残る少年の顔があった事だ。
少年の頬には涙の後がうっすらとあった。
「どうなってる……子供じゃないか?」
猛威を振るっていた獣の正体がこんな子供だとは予想外だった。
唯一闇を見通せる目を持つウルザ以外の三人は呆気にとられる。
「知ってたって面だな。だから手加減したのか?」
アドラーは露骨に不満と不信感を出すが、それも当たり前だ。
背中を任せている仲間が敵に手心を加えるような軟弱者では命が足りない。
「……」
ウルザは少年の見下ろすばかりで答える様子もない。
「厄ネタの匂いがプンプンしてんな。さあて、どうすっか」
気もそぞろなウルザに聴かせるためにハザウェイは勿体ぶってから提案を始める。
「楽なのは意識が戻る前に殺しちまうことだな。そうすりゃあ、俺らはよくわからん野生的な奴に襲われたから殺したって報告だけで──」
「ハザウェイ!」
終わりまで言う前にウルザが抗議の視線を上げる。
「とまあ、選択肢その一にウルは反対らしい」
ハザウェイが二本の指を立てて次の可能性を示す。
「ならその二だ。色々面倒になるが連れ帰る。つっても、捕虜として連れてったら解剖されるのがオチだろうし、コッソリだ。俺らは口裏合わせてどっかで匿うって寸法になるな」
「僕はそれでいい。戦いの中でならまだしも、こんな子供を手にかけるのは信条に反するし、放置もしたくない」
真っ先に襲われたペジテは穏やかであるも厳しい表情で同意した。
人一人を隠すとなると、並大抵の細工では済まなくなるのを承知で彼は了承したのである。
しかし面白くないのはアドラーだ。
「ケッ、さっさと殺しちまうべきだろうが。優しいこった。どうせ多数決で俺の負けだから俺はどっちでも構わねえよ」
生かしておくには危険過ぎると、殺すことをあくまで主張したが、こういう意見が割れた時は多数決で決めると取り決めをしている。
今回はウルザに分がある。
それに従うという姿勢は一応見せるのだった。
「けど一つ答えろ。今までガキみてえなチビだって殺してきたろうが! なら今回の体たらくは何だ!?」
だが納得したかは別問題だ。
納得出来なければ今後の行動は信頼関係にヒビが入ったまま続けるようになってしまう。
だからそのヒビを補えるだけの理由を聞かせろと、アドラーが声を荒げて石柱を叩く。
今までにも少年に近い若さの工作員を無慈悲に殺してきた女が、まさか子供一人に情けを掛ける馬鹿だとは思っていなかった。
一時の気の迷いだとしても度しがたい。
アドラーの怒りは失望に近かった。
「………………頼む」
「……!」
三人は目を疑った。
あの強気で強情なウルザが今にも泣き出しそうな顔で消え入るような声で懇願していたのだ。
ウルザの幼少期には謎が多い。
軍人の名門に養子に入ってからの情報しか様々な伝を持つハザウェイも知らなかった。
そもそもウルザという名前ですらその時から名乗っているだけの偽名に近い。
語らない過去に、養子になる前に耐えがたい苦痛を味わっていたとしてもありえる話だ。
だから、その頃の何かが琴線に触れたのだとしたら、知る術もない。
「~~っ分かったよ!! だからそんな面すんじゃねえ!」
アドラーがライバル視するに値するウルザは、こんな女々しい感傷を露にする存在ではなかった。
反りが合わないで揉めることも多々あったが、ただひたすらに帝国兵を駆り立てる冷酷なハンターであることや、その純然たる強さには嫉妬や、敬意すらも密かに併せ持っていたのだ。
それがこんな顔をしている。
見たくなかったウルザの弱さを見まいとアドラーは拳を顔に押し付けて背を向けた。
「……もう日が暮れる頃だ。今日はここで夜を越すぞ」
ハザウェイの指示で夜営の準備が始まる。
大陸北部の冬は冷え込むが、屋根壁があるだけで凍死の危険は大幅に減らせる。
心理的には避けたかったが、背に腹は代えられない。
どうしようもなく悪くなってしまった空気が蔓延する大広間で夜営をするのだった。




