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夜鷹の夢  作者: 首藤環
一章
40/47

39 開幕

 黎明のアインツ。

 襤褸切れを被り、黒い瞳だけを覗かせた男が荒れた通りに足を踏み入れた。

 失意とやり場のない怒りを噛み殺す村人は、見覚えのない男に訊いた。

 こんな所に何の用かと。

 村人は涙を流していた。

 男は村人を見つめ、戻ってきたのだと答えた。

 男はそれだけ言って村を去った。

 村人は夢でも見たのだろうと、強奪に近い徴収に備えて作物の世話に戻った。


 そしてまた夜が来た。

 今日はいつもと違う事がひとつあった。

 兵士の中に騎士が居たことだ。

 帝国から派遣された騎士は兵士を統率する立場にあり、普段は砦で過ごしているため、滅多なことでは顔を見せない。

 それが布を被せた馬車を率いて村までいてのだ。

 一体何事かと、老いた村長は騎士に跪き平伏する。


「騎士様がこのような村に何のご用でしょうか?」


 青い瞳に侮蔑を浮かべた若き騎士は馬上から慇懃に言う。


「なに、大した事ではない。日々の無聊を慰める玩具が壊れてしまって、代わりを探しているのだ」


 馬車に掛けられた布が取り払われる。

 馬車には少女を閉じ込めた檻が載っていた。


「試し切りは娘の悲鳴が無くして興が乗らんのでな。探すのに難儀している。丁度よい者を知らんか?」


 村人は言葉を失った。

 騎士の残酷さに怒りとおぞましさを覚えて体を震わせる。


「使い飽きてから斬っているのだが、いかんせん脆くてな」


 一般的な細身の騎士剣を叩き溜め息をつく。

 村人の態度に微塵も興味を持たない騎士は、朗々と鬼畜の所行を明かす。


「どうした? 早く持って来い」


 ここまでの辱しめを受けても歯向かえない。

 歯向かえば村もろとも滅ぶ。

 砕けんばかりに歯を食い縛り、涙を飲んで承諾しなければならない。

 村長が腰を上げて村人に指示を始める。


「その必要はない」


 遠くから村長に声が掛けられた。

 村の広場に現れたのは襤褸切れをはためかせた男。


「何者だ?」


 眉をひそませて騎士が問う。

 男はそれを無視して村長に投げ掛ける。


「このままでいいのか。家畜同然に扱われ、尊厳も踏みにじられたままで死ぬまで使われていいのか」

「う、うう……」

「未来に、明日に希望など無い今日を繰り返すのか」


 わずかでも同意すれば、叛意ありと村は滅ぼされる。

 村人の命を預かる村長の口からは言えなかった。


「フハハッ、おかしな事を言う。こやつらはまごうことなき家畜。戦争に敗れたその日からな。こやつらにあるのは、我ら帝国人の富を産み出して死んでゆく、家畜としての日々だけよ。永劫に惨めに今日を生き続けるのだ」


 それが不滅の摂理であると、騎士は不敵に笑う。


「それを変えに来た」

「フン、囀ずるではないか狂人」


 騎士が片手で合図を送ると手勢が半円状に広がる。


「ハリネズミにしろ」


 槍を構えた一隊が突撃する。

 しかし二歩も進まない内にもんどりうって転がろ、起き上がる気配もない。

 隊伍を組んだ五人の兵士は、兜からかすかに見える眉間へ正確にナイフが叩き込まれ、絶命していた。

 兵士の間に緊張が走り、酔いは一気に醒める。

 かつて冒険者をしていた頃に味わった恐怖。

 耐えかねて冒険者を辞めた最大の理由、化物が放つ殺気。

 ただし、経験とは比較にならない巨大なそれ。

 兵士が足をすくませて列が揺らぐ。


「怯むな。囲んで殺せ」

「う、うおおお!!」


 兜を目深に被って怯えを隠し、槍衾を成して駆ける。

 血が染みた地面を踏み鳴らして一斉に槍を伸ばす。

 だがそれでは遅すぎた。


「かっ……!?」


 兵士の喉から詰まった息が出る。

 薄汚れた布を宙に置き去りに飛び出した、瞳も髪もコートも黒い、黒ずくめの男が穂先の内に侵入していた。

 長い柄と密集隊形が仇となり対処が出来ない。

 もっとも、この間合いに入られたのだ。

 兵士の命はもう終わっている。

 兵士の首が五個同時にごろりと落ちて死体が血の噴水を吹き上げた。


「なんなんじゃ……」


 村長の困惑を余所に、黒ずくめの男、ジンは死体の襟首を掴む。


「弓!」


 流石に異様さを感じた騎士は後方に控えていた兵士に指示を出す。

 弓を持っていた兵士が並んで矢をつがえる。

 槍や剣と違い、弓は数を揃えれば面の攻撃となりえる。

 個人戦に強く動きが速い相手には矢を多く放って仕留めるに限る。

 帝国の本土で軍学を学んだ騎士はそれをよく理解していた。


「射て!」


 号令と共に斉射された矢、その中にジンは足を進めた。

 ジンの右手が動き、全身に散らばる矢から、頭部に迫るものだけを易々と掴み取った。

 残りの矢は胸か腹に当たったが、コートに弾かれる。


「何ぃ?」


 定石がことごとく破られた騎士に焦りが生まれた。


「なんなんだよ、あのバケモンは!」


 焦りは兵士の間に動揺となって広がっていく。

 掴んだ矢を投げ返す。

 矢は強弓で放たれたような速さで弓兵の額に突き刺さった。

 それと同時に矢が刺さっていなかった兵の頭が相次いで爆ぜる。


「ひぃい!?」


 兵士は隊形を崩して後退る。

 ジンが何かをした様子もなしに殺されていく仲間に、戦意は完全に萎えていた。


「勝手に下がるな、愚図共が!」

「ギャアッ!?」


 騎士が馬上から一人を切り捨てるが、崩壊は止まらない。

 前衛が全滅したのを見て、兵士は総崩れとなった。

 背を向けて散り散りになって走り出した。

 通りを逃げる者は頭を砕かれたが、運良く路地に逃げ込めた者は、狼藉を働いている最中の仲間を呼び集める。


「奇術師風情が……よくも」


 部下を蹴散らされた騎士は青筋を立てて激昂していた。

 帝国騎士は総じてプライドが高い。

 厳しい過程を潜り抜け、選抜されて騎士に任命された彼等には、常人とは違うという実力を伴った自負があるゆえに。


「騎士に勝てる訳が無い……」


 帝国の騎士に向けられる視線は二種に大別される。

 羨望と畏怖。

 以前、離れた村で蜂起した若者が居り、腕っぷしに自信が有る者を集めて、少人数で移動していた騎士を襲ったのだが、騎士に指一本触れることも叶わず皆殺しにされた話は未だに村人の記憶に新しい。

 帝国騎士は強い。

 猛練習の賜物である剣は並の冒険者では見切ることも叶わない。

 騎士が剣を抜いては最早これまでと、村人は諦める。


「我が剣技、冥土の土産にするがいい!」


 全身に金属鎧を着込んでいるとは思えないほどの速さで踏み込み、剣を垂直に降り下ろした。

 洗練された剣術に基づいた無駄の無い剣筋は、美しく、速く振り抜かれる。


「お前の剣技がどうした」


 中心線で二分割になる予定が、ジンは健在だった。


「貴様、何をした!」


 間髪入れず逆袈裟に斬り上げるが、それもまたジンはすり抜けた。


「お前の剣を逸らしただけだ」

「ふざけるなぁ!!」


 鋭い突きをジンの喉へ繰り出すが、剣が空中でピタリと止まった。

 剣を止めていたのは、刃先を指二本で摘まむだけのジンの指だった。


「お前は弱すぎる」


 摘まんだ剣を裏拳が叩き折った。

 ジンにとってはゆっくりと、村人にも見えるように。

 騎士の象徴である剣が半ばから折れ、破片が道を跳ねて甲高い音を立てる。


「ば、馬鹿な……」


 短くなった剣を見て騎士は呆然とする。

 細身と言っても、鍛え上げた鋼の剣を素手で折るとは信じがたい光景だった。

 騎士の剣を指で捕らえ、あまつさえ素手で折るなど、村人にも現実が飲み込めないでいた。


「おおおぉっ!」


 それでも折れた剣で立ち向かった騎士は流石と言うべきか。

 悲しいかな、切っ先を摘まむ事に比べれば払いのける事など容易い。

 左の掌底で外へ弾き、騎士の両腕の数ヶ所に優しく触れる。


「ぐあっ!?」


 ただそれきりで騎士が剣を取り落とした。

 騎士の腕は肩口からだらりと垂れ下がり動かない。

 関節があらぬ方へねじ曲がり、完膚なきまでに破壊されていた。

 帝国は無敵であり、その意の代行者たる騎士もまた負けてはならない。

 本国から遠く離れた僻地に送られ、燻っていた騎士に不意に蘇ったにエリートとしての矜持が、かろうじて膝を着かせなかった。


「嘗めるなぁっ!」


 冷や汗を浮かべる顔を優雅さの欠片もなく歪めて前蹴りを出した。

 それも半身になったジンの胸を掠めるに留まる。

 手加減した手刀が膝に刺さる。

 皿を砕き逆方向へ曲げる。


「ぎっ!!」


 支えを失った騎士はついに倒れる。

 追い打ちに残る脚も踏み砕く。


「ひっ……!」


 四肢を潰された騎士は、泥にまみれて汚れた姿でもがいてジンを睨み返す。

 屈曲した騎士道は敗けを認めようとはしなかった。

 ジンは無様に転がる騎士を無慈悲な黒い瞳で見下ろした。


「私が負けるなどーー」


 金髪を乱して吠える騎士の横っ面をジンは蹴飛ばした。

 騎士の顎は外れ、意識までも失われる。

 ジンは血の一滴も流さずに無力化した騎士から離れ、蜘蛛の子を散らすように逃げた兵士の後を追った。


 あと一話でやっと、第一章が終わります。

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