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夜鷹の夢  作者: 首藤環
一章
35/47

34 親愛なるあなたへ

 大きく欠けた月が弱々しく照らす街並みの上方、軒を連ねる商店街の屋根、棟に立つジンは朧気に夕闇に溶け込み、一人を除いて視覚に捉える者はいない。


「警告はした筈だが、《死爪》」


 灯りが届かぬ煙突の暗がりへ問い掛ければ、黒い長髪を流した細身の男がにわかに現れた。

 特筆すべきは美女もかくやというその美貌。

 些か冷たい性分に見えもするが、すっきりした目鼻立ちを見れば十人中十人が色男だと言うだろう。


 だが、優男と侮るなかれ。

 男は、名を死爪という。

 美しさに秘めたる棘の鋭さや、音に聞こえた無手の達人である。


「フン……」


 美貌をしかめ、反感を顕にして盛大に鼻を鳴らす。


「随分と邪魔してくれているな。連邦の犬め。殺したのはやはり貴様だったか。あのような雑魚でも死なれると困るのだが」


 シリアに襲い掛かろうとした結果、ジンの渡した道具に返り討ちに遭った末、何も語るまいと服毒して果てた先日の曲者。

 それは死爪の部下に当たる男だった。

 曲がりなりにも同盟で結ばれた二人だが、既に死者が出ている以上、言葉に含まれる刺々しさは隠しようもない。


「ならお前が抑えろ。台無しにしたいのか?」

「もう充分待った。こちらとて15年も掛けてきた。まさか、この場に及んで連邦は怖じ気づいたのではあるまいな?」


 死爪と呼ばれた男が足幅を広げ、両手を出して十指を真下に垂らす。

 緩く、柔らかい生地をした旅人の服の袖から出した手は皮手袋を填めているように、黒い。

 爪の先から墨に紫を足したに近い、なにかおぞましい雫が染み出して集まる。

 ジンへと向けられた殺気は針のように研ぎ澄まされている。

 殺意は出そうとも、無駄に撒き散らさず個人にのみ集約させられるあたり、死爪の実力のほどが窺える。

 町民に浴びせれば失禁してしまう殺気のプレッシャーを醸し、それでいて、死爪は極めて冷静だった。

 このままその二つ名の真価を徒に発揮すれば町は大惨事は免れない事を、死爪本人もジンも当然熟知している。


 これはあくまで、ジンの出方を見るブラフ。


「冗談が過ぎる」


 だがジンからすると無意味な心理戦に付き合ってやる義理もない。

 別段慌てもせず冷徹な一瞥をくれてやった。


「ぐぅッ!」

 

 死爪が顔を歪め腕で体を庇って後方に跳躍する。


「何の仕込みもない餌がのこのこ歩いてきた? そんな美味い話があるか」

「……下された指令に嫌もない。我らはそういう生き物の筈だ」


 死爪には指令を遂行する義務がある。

 しかしそれと同時に現場を預かる監督者として、会議ばかりしている頭でっかちの分からず屋に詳細な現状を報告して指令の修正を求める権利も付与されている。


「万全を期せと言っている。不安要素は可能な限りは排除して情報を隠し抜く」


 冷淡な仮面を少しだけずらして忌々しげに獰猛な牙を剥く。


「…… さっさと皆殺しにしてやりたいのは俺達も同じだ。だが、認めたくないが奴等は強い。今は雌伏の時だ」


 その顔が現れたのは一瞬。

 瞬きを一回挟むより短い刹那に消える。

 それでも死爪は地獄に燃え盛る憎悪の炎をはっきりと見た。

 紛い物には創れない情動と悲哀であると培われた経験が囁く。

 死爪の中に渦巻く感情と同種の熱を鼻先に突き付けられて、つまらない対抗心やプライドはすっかり鳴りを潜め、ジンもまた志を同じにする者であると認めた。


 いつしか構えは解かれ、殺意も霧散していた。


「……帝国の都など、いずれ草木も生えない死の廃墟にしてやる。が、今は退いてやる」

「始まったら好きにしろ。今は俺達に任せてくれ」

「言質を取ったぞ?」


 死爪が艶やかに微笑む。


「フフ……武運を祈る。連邦の《夜鷹》よ」


 不気味な手に白い手袋を着けると、短い祝福を呟いて路地裏の暗がりへ飛び降りた。


「死爪まで出てきたか……」


 予想外の大物がこの町に潜伏していたが、一先ず現場レベルでの牽制はこれで済んだ形になる。

 上層部は今頃ユリアが歯止めをかけている。


 死爪は手当たり次第に敵を殺すような愚かな男ではない。

 多大なリスクに気付いた上で命令に従っていたに過ぎない。

 抗議を申し立てて待ったを掛けるだけならユリアが、既にやっている。

 ジンが遣わされたのは最悪のパターンである現場の暴走の可能性を消すために、死爪を牽制し抑えうる人員であるからだ。


 あれだけやった手前、余計な手出しもこれで収まるだろう。


 メインの案件を迅速に処理したジンは追加の雑用に意識を切り替えた。


「ザミーの奴を探しておくか……」 


 ユリアに頼まれていた件。


 作戦の一員としてこの町に入ったとある人間の捜索だ。

 実力は申し分無いどころか、もし戦えばジンですらまず勝てない強者なのだが、いかんせん自由奔放な性格で、何かにつけて行方を眩ませる。

 とはいえ、長い付き合いのジンには大まかな居場所は予想がつくのである程度の候補地を巡るだけで済むのだが。

 遠い地で別れて以来、久方振りの再会になる。



〝マジかよ〟


 果たして、件の人物はあっさりと見つかった。

 それも一軒目の酒場で。

 さしものジンも、まさか繁華街を歩き始めて三十秒と経たずに発見するのは想定外だった。


 テーブルをツマミと溢した酒で汚し尽くし、大声で笑ってジョッキを煽る、荒れて傷んだ赤い髪の女が通りから見え、なおかつその周囲の飲み比べで潰された酔客の呻きが聴こえた瞬間、当たり(ヒット)を確信した。

 ウエスタン・ドアを押して店に入って声を掛ける。


「よう。元気か、ザミー」


 女は口に含んでいた酒を床に転がる男に向けて吹き出した。


「ジーン!!」


 振り返るが早いか、ブーツで椅子を蹴り飛ばして立ち上がった彼女が店内を走る。


 その顔は無惨に焼け爛れ、右目を残してはだけた胸元まで重度の火傷の傷跡が走っていた。

 無造作に伸びた髪が覆う左目がどうなっているかなど、火を見るより明らかだ。


 豪快にジンの胸に飛び付き腕を廻す。

 背中でドラムロールを奏でる平手。

 ジンの顔を遮る前髪の下から瞳が覗き込む。


「ひっさしぶりだなー!」


 酒臭い吐息で喜色満面の彼女には底抜けの明るさだけがあった。


 懐かしい声と匂いと温もり。

 大勢の仲間が散っていった中、今もこの親愛なる友は変わらずにいる。

 その事実が乾いてひび割れたジンの心に染み込んでいく。


「ああ……元気そうで何よりだ」


 ジーンと間延びした呼び方も記憶と変わらぬ親友、ザミエルを気付けば無意識に抱き返していた。


「そういやあ、ジーンがここに来てるって誰か言ってた気がすんなー」


 誰かとは、勿論ユリアである。


「まあ、良いから座れよ。飲もうぜ!!」


 ザミエルは身を離して火傷だらけの手でジンの腕を取ると席に誘う。


「オヤジィ! 酒ェ! あと肉ゥ!!」


 もう面積一杯のテーブルに無理矢理追加の食器を載せて、

ジョッキを対面のジンに握らせた。


「カンパーイ!!」

「乾杯」


 もう待ちきれないとジョッキを打ち合わせたザミエルが叫ぶ。

 ジンもザミエルも一息でジョッキを空にして次の盃を掴む。

 ツマミもそこそこにジョッキを傾けるザミエルが次々に繰り出す追加注文にウェイトレスが厨房とテーブルの間を駆けずり回る。

 それが落ち着くのは二人揃っての一気飲みが十回を超えた辺りになった。


 二人の話題は自然に仕事の内容へと振られた。


「仕事はどうだ? つっても、こっちの仕事は大体知ってんだろ?」

「まあな」


 この親愛なる火傷女が出来る仕事など、何かを壊すことだけであるのは十年来のジンには常識も同じ。

 それ以外はてんで無能なのである。


「今ちょっと馬鹿にしたろ」

「した」


 ザミエルがジョッキを全力で投げたが、ジンは顔面目掛けて飛んできたそれを易々と捕らえて一口飲んだ。


「テメッあたしの酒を……まあいいや。で、そっちは?」


 まんまと酒を盗られたことと、今のがテーブルにあった最後の一杯であったことを理解して、ウェイトレスに新しい酒を頼む。


「捜索と調査、時々ガキどもの子守りだな」

「ゲプッ……ガキの子守りって?」


 任務の合間は自己鍛練ばかりでほぼ無趣味なジンが、自発的に何かをするのは珍しい。

 しかもそれが子供の相手というのだ。

 ウェイトレスが運んできた度数の高い酒の瓶をラッパ飲みしたザミエルは、早速面白そうなネタに食いついた。


「五人の冒険者だ。まだへっぽこだが筋と運は良い」

「へぇー、ジーンが誉めるなんてな。面白そうじゃん。どんな奴等?」


 ザミエルが身を乗り出して話の先を求める。


「アホ剣士とチビッ子火炎魔法使いと小娘リーダーの幼馴染みトリオの年少組」


 一口煽り、それだけならまだ普通なんだが、と続ける。


「勘違い極東フリーク女とアル中聖職者の年長組が特に面白い」

「クヒャヒャヒャッ! すぐ死にそうな感じじゃねえか!」


 口にくわえていたサラミを飛ばして笑う。


「いやいや、それが思ったよりやる奴等でな。結構タフだぞ。あの人が目を掛けているだけはある」


 至って真面目な風に《西風の息吹》を語る口にザミエルの手から瓶を取って宛がう。


「ハザウェイのオッサンが絡んでんのか?」

「ああ。年長組は頭一つ抜けてる。肝も据わってる。そこそこの修羅場も抜けてきてるらしい」

「そりゃあ、わざわざ探してきただけはある」

「この間探し物ついでに〝塔〟に登ってみたんだが、ヤバい場面はアル中が落っこちた後だけだった」

「落っこちたって?」

「足場が崩れてな。さっきのチビッ子を庇って落ちた」

「なんつーか馬鹿だけどペド野郎の鑑だな」

「まあな。そのアル中が色々と面白いのは間違いない」


 言いえて妙な表現を肴にまた一口飲む。


「ニンジャ馬鹿も同世代じゃかなり出来る方だな。好奇心が強すぎるのはいただけないが。一応はあの人が育てたオリガという剣士をお目付け役にしてはいたが、雑魚の群れに手間取ってた間にもちょっと死なせそうだったな」


 クレアがこの場に居合わせていれば、あれがちょっととは、危険度の物差しはどうなっているのだと声を大にしている。

 あのゴーレムの放つ光に何度絶望したかを考慮すれば当たり前である。


「ふーん、ジーンは一対一(サシ)以外苦手だしな」

「お前みたいにどいつが来ても一撃とはいかん」

「そのオリガってのは?」

「砂漠の少数民族の生き残りだ。剣の方もそこそこ、根性は見所がある」

「そいつぁすげえな」

「あいつは天才型だ。まだまだ強くなる」


 自他共に認める凡才であるジンは、出会い頭の奇襲からキメラ、ゴーレムと戦いぶりを見るたびに成長しているオリガに期待を寄せている。

 危難を越えて飛躍的に成長するオリガを見ているのがどこか楽しくもある。


「もう抱いたのか?」

「ブフッ」


 今度はジンが酒を吹き出す番だった。


「ダッヒャッヒャッ!! なんだよジーン、図星かぁ?」


 ザミエルがテーブルを連打して腹を抱える。

 目尻には笑い涙まで浮かんでいる。


「まだケツの青い子供だ。趣味じゃない」

「だってお前メチャクチャ手がはええーーほがっ!」


 口元を拭うジンをさらにからかおうとするザミエルの額に、ジョッキが命中する。


「うるせえ」

「クヒャクヒャ!」


 額を擦って酒を飲むザミエルは青天井にご機嫌だった。


「オヤジィ! 酒が足りねぇぞ! もっと持ってこいよォ!」

「まだ飲むのかよ姉ちゃん!?」


 スキンヘッドでやたらと筋肉質な店主が厨房から顔を出して、酒の大瓶をテーブルに置いていった。

 試しにジンが匂いを嗅ぐと、火が着くレベルのアルコール濃度のそれである。


「程ほどにな」

「うんめえええ!!」


 ジョッキに注いでがぶ飲みしていくザミエルは親切心からの忠告など聴いちゃいない。

 恐らくはグラスで味わって飲むべき酒をジョッキで飲んでいる。

 急性アルコール中毒で死なないのが甚だ不思議であった。


 


〝やれやれだ〟


 一時間後、大瓶のほとんどを一人で飲んだ結果、酔い潰れたザミエルを背負ってセーフハウスへ歩いていた。

 肩に乗った酒臭い寝顔を見ると昔を思い出される。


「んにゃ……」


 真っ赤な顔で寝言を言っているザミエルがジンの首に抱きついて頬を寄せる。


「ジーン、落ち込んでるとこなんて……見たくねえぜ……あたしらが居るだろ……」


 心臓が震えた。

 狸寝入りを疑って鼻を摘まんだり、顔を平手で触ってみたが、反応はない。

 完全に寝ている。

 第一にザミエルにそんな小器用な真似は出来ない。

 気を病んでる事をユリアから聞いていたザミエルは、彼女なりに気を使っていたのだと悟る。

 最近の話題ばかりだったのもその一種だろう。


 こみ上げる感情が何かを言い表すのは難しく、首筋に当たる、火傷でざらついた指と頬を一撫でした。


〝俺は弱い男だ〟


 セーフハウスに着いて真っ先に寝苦しそうにしていたザミエルの服を脱がせてベッドに寝かせてやった。


 万を超える人間を殺しているとは思えないあどけない寝顔をひとしきり眺め、万が一死爪が暴れた場合に備えていた装備類を外して冷たいシャワーを浴びた。


 心なしか軽くなった身をソファに投げ出して上を見る。


「……ウル、俺がちゃんと立てる日は来るか?」


 窓から見えた月は、答えなかった。




「起きろよ」


 太陽も上がり始め、すっかり明るくなっても一向に目覚める気配のないザミエルを揺らす。

 四時間前に起床していたジンはきっちりと日課のトレーニングを終わらせ、サンドイッチをコーヒーで流し込む食事も済ませている。


「んが?」


 一糸纏わぬ姿のザミエルがシーツの皺の間から身を起こした。


「そろそろ帰らないと、もっと説教が延びるぞ」


 未だ寝ぼけ眼のザミエルは頭を掻きながら大あくびを一つ。

 そしてこめかみを押さえて悶絶する。


「頭がクソいてえ」

「水でも被ってシャッキリしとけ」

「あー」


 苦虫を噛み潰している顔でステップを降りたザミエルは壁際のシャワーへ直行して蛇口を開けた。

 勢いよく出る水をうなじで受け止めてしばらく排水溝を眺めていた。


 冷たい水に脳が冷却されていく内に思考も回り始める。


「ここは?」

「俺の今の拠点だ。潰れたお前を背負ってきた」

「あー、そうか」


 会話が呼び水となり、酒に飲まれた辺りまでの記憶が蘇る。


「ジーンが脱がしてくれたのか?」

「ああ。寝苦しそうだった」

「サンキュー。豚の丸焼きになる夢を見てた」


 水を止めると頭を振って髪の水気を大雑把に飛ばすザミエルの肩にタオルが投げられる。


「食欲はあるか?」

「流石に今はねえよ」


 寝汗のべたつきを洗い流した体を拭いていくザミエルを背に、ジンは湯気の立つコーヒーをテーブルに置いた。


「これを飲んだら帰れよ?」

「そうすっか」


 ザミエルが肩にタオルを掛けてソファに腰を落とす。

 行儀もへったくれもなくカップを鷲掴みにして熱いコーヒーを口に運ぶ。


 喉を鳴らして飲み終わったザミエルに、脱がせておいた服を渡す。


「全てが終わったら、全てを終わらせたら、もっと美味い酒を飲みに行こう」

「ああ、いいぜ」

「それまで、死ぬなよ」

「クフ、クヒャヒャ! ヒーヒャヒャヒャ!! あたしは世界最強のザミエル様だぜ? 誰にも倒せねえよ!!」


 一拍置いてザミエルが全身をひきつらせて笑い転げる。


「そうだ」


 ザミエルが一部の例外を除いて最も無敵に近い存在であることなど知っている。

 無駄になるのだろうが言うべきだと思った。


「ザミー」

「んだよ」

「ありがとう」


 ジンは胸に湧いた気持ちをそのまま言葉にした。


「……!」


 返す言葉が喉に詰まったザミエルは、肉の色が浮いた頬を僅かに赤らめる。


「るせえ! ジーンも死んだらブッ殺すぞ!!」


 照れ隠しに言葉を荒げ、雑に服を着ると頭を振って髪を襟から出した。

 ブーツに足を突っ込み爪先で床を蹴る。


 あっという間に支度を整えたザミエルが倉庫を出た。


 と思われたのも一瞬。

 ザミエルが開けっ放しのドアから顔を出した。


「……またな」


 不敵でワイルドな笑顔を浮かべた親友は、再会を願う言葉を残して居るべき場所へと去った。



ヒロ……イン……?

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