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夜鷹の夢  作者: 首藤環
一章
34/47

33 胎動

 悠然と佇む〝塔〟を背に、出た時と何も変わらない雑多なアンヴィルに数日後帰還したジンは、通りの一角で《西風の息吹》と別れ、オリガと倉庫街のセーフハウスに戻ったのだった。


 オリガは馴染みの職人に剣の手入れを頼み、ジンはロッカーを開けて装備の点検と交換を終えて、ソファに腰を落ち着けた。

 それからしばらくコーヒーを飲みながら雑談していた。

 オリガが質問し、ジンが答える形式で小一時間ほど。

 ハザウェイとのエピソードや危険地帯で活動していた頃の話を主にせがんだ。

 そしていつしか話題は《西風の息吹》に移り変わった。


 うら若き子供達は偉大な先人の死に気勢を失っていたが、ジンからの挑戦状に応じようと、意気を取り戻し、また明日から依頼を探しに行くと発奮していた。


 彼等には多くの可能性がある。

 彼等の人生はまだまだ余白ばかりだ。

 何が起こるのかなど、誰にも分からない。

 だが、苦難を乗り越えた先にある彼等の成長は、必ずやマルコへの最高の手向けとなるだろう。


「誰しも目標を欲している、か」

「生きる事は、傷付くことだ。そしてその慰めを得る。それを繰り返して人生は続く。このくそったれな世界でな」


 目標を見失って戸惑うのは罪ではない。

 誰にでも別れは訪れ、新たな出会いがある。

 問題はそれを乗り越えられるかだ。

 それを悟っていてなお、過去に囚われたままの男は逃れ得ぬ不条理に悪態をつく。


「結局、俺もあいつらに血に濡れた光を見せただけだ」


 葛藤の気疲れを匂わせて天井を仰ぎ体を緩める。


「それでも、彼等の道が真っ暗なままよりはいい」

「…………そうかもな」


 続々と悲劇を巻き起こす社会構造を形どるに至った経緯とその一端に属する因縁を捨て置けない自分には到底打ち出せない、彼女らしいまっすぐな正論。

 それを邪険にするのも躊躇われた。


「ジンは全部が済んだなら、どこかで教師にでもなればいいと思うな」

「茶化すな」

「別に、茶化してなんかいない」


 飲み終ったカップなどを手早く片付けている彼女の流し目は、名案だと本気で思っていると訴える。


「普段からそこまで考えながら生きてる人はそうそう居ない。父さんだってあまり考えてない」

「……あの人は直感的に動くからな」


 やや消極的な同意をする。

 ハザウェイは知性や思考力は並外れて優れているのは周知の事実だが、道化である一面ばかりに目が行く。


「だろう? でもジンはそこまで器用じゃない。だから教師が向いてるよ」

「……器用でないことは認める」


 それはそうだが教師が向いてるかどうかは別物だと、言外に言う。

 生憎と、公的機関で基礎教育を受けた経験が皆無のジンには教師という生き物を知らない。

 無知である事象に難癖をつける愚か者にもなりなくはない。

 素直にとまでは行かずとも、白旗を揚げた。


「フフッ」


 ついに言い負かしてやったと凛々しい中にも無邪気さを内包してオリガは笑う。


 暗くなりかけた空気が幾分薄まったセーフハウスのドアがノックの後に開く。


「楽しそうだけど、歓談中?」


 オーバーに作った顔でやって来たのはユリアだった。


「貴女は?」


 タイを外しカジュアルなスーツ姿で登場した碧眼の美女に、初対面であるオリガはソファから立って尋ねる。


「初めまして。ユリアよ」


 そう言ってソファに深く座るジンの頭に寄り掛かる。

 元々乱れているジンの髪を掻き回して微笑んだ。


「一応ハザウェイと同期で、こいつの直接の上司をやってるわ」


 頭をこねくり回す手をジンは黙って払いのける。

 文句を言う様子は無い。

 だだの上司と部下にしては過剰なスキンシップをそう邪険にしていないあたりに、かなりの親密さを思わせる短いやりとりにオリガの目は丸くなる。


「これからよろしくね」


 ジンの髪から外した手でユリアは握手を求めた。

 どう見ても荒事に向いていないユリアも、ハザウェイやジンの上司であれば幾多の苦難を乗り越えた百戦錬磨の猛者。

 想像を絶する奥の手を持っていることだろう。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 ユリアのほっそりした白い指を握り返した。


「ハザウェイの娘さんにしてはマナーが良いわね。意外だわ」

 なにやら含みのある挨拶にオリガは眉をひそめる。


「そりゃあもう、気にくわない相手の手を握手でへし折ったり……っと、これ以上はあいつの名誉のために言うのは止めとくわ」


 聞く限りではまるで非道そのものな親の過去に渋面を作る。

 新たに降って湧いた容疑を後でこっそり問いただしてみようと密かに心に決めた。


「御託はいい。用件はこれだろう」


 ゴーレムから奪ったエネルギーセルを宙に投げた。

 滑らかな弧を描いてゆくそれは、ユリアの手元に飛び込む。


「休暇なのによくもまあ行く気になったわね?」

「ついでだ。それの用途に随分と脅かされた」

「これをどうするかなんて畑違いよ。博士は山でも吹っ飛ばしてやるって息巻いてたけど、どこまで本当かしらね」


 ユリアは手中のエネルギーセルを一頻り弄ぶと懐に仕舞った。

 代わりに手帳を出してページを捲る。


「次の任務は過去に脱走した元エージェントの捜索よ」

「エージェント? アスベルの時とは何か違うのですか?」


 耳慣れない単語にオリガは引っ掛かりを感じた。


「アスベルも優秀だけど、探せば代わりは居るわ。十万人以上の中からほんのひとつまみだけ選抜して、コードネームが付与された特異な人間。それがウチで言うエージェントの定義よ。例に出せばこいつとか。ま、貴女には龍殺しの冒険者みたいなもの、とでも言ったほうが分かりやすいかしら?」


 乾燥したジンの髪を撫でて額を抱く。


「龍殺しですか……」


 最強最悪にして魔物の食物連鎖の頂点に位置する。

 それが龍種。

 小型な種でさえ全長は十メートルに届き、総身は聖銀の武器でも極浅い引っ掻き傷を付けるのがやっと、まともに戦うにはまずもって最高峰の魔力を籠められた魔法銀の剣を要するという、恐るべき硬度の鱗に包まれ。

 飛び道具や魔法が及ばぬ高空を舞って瞬く間に山脈を越え、暴風を伴った体当たりは重装甲騎馬兵団を軽く蹴散らす。

 あまつさえおおよその龍は火炎を吹く。

 鉄をも溶かす獄炎はものの一息で、村を燻る廃墟に変える。

 ありきたりの兵士など何千何万と並べようと湿気たマッチ棒よりも役に立たず、灼熱の吐息に百人単位で纏めて皆殺しにされていく。

 古今の伝承、神話、詩に遺された恐怖は当時の恐慌ぶりをありありと伝える。


 先日のキメラとは脅威としての資質そのものに雲泥の差があり、比較するのも論外の桁違いな存在。

 圧縮された要塞が空から襲い掛かるに等しい。

 はるかな昔のこと。

 在りし日の帝国は万の剣と弓を揃えたが、四の都市を滅ぼした強大な黒龍の命には届かなかった。

 平原が血に沈むまで殺戮の限りを尽くしたその個体に傷を負わせたのは、ふらりと現れた所属も名も不確かな騎士。

 煌めく鎧に素顔も隠した騎士に片腕を切り落とされた黒龍は東方へ翔び去り、彼の騎士もそれを追って行方を眩ませたという。



 唯一の救いは繁殖力が極端に低く、神代の時代に大多数が討ち取られるか魔界に追いやられて以来、人界に現れる個体は生存競争に敗れた小物であることだけだ。

 一昔前には、単独で龍殺しを成し遂げた辺境の戦士が帝国の幹部に成り上がった事例もある。

 最近では天才剣士と目される若者が小型種の討伐に成功し、将軍の末席に取り立てられている。


 大軍に勝るものなしという定石を限定的にも覆してのける、超人的な個の武勇を誇る者。


 現在公式で龍殺しを確認されているのは四人のみ。

 およそ十億と言われる大陸の全人口の中の、僅かに四人だ。

 その魑魅魍魎と肩を並べると表した者に挑む。


 ジンが敗れる可能性もある。

 そうなった場合は当然その場に居合わせるオリガも殺されるだろう。


 武者震いを鎮めようと愛剣の柄頭を撫でようと手を腰にやったが、オリガの剣はゴーレムとの大立ち回りで傷んだため、メンテナンスに預けている最中。

 掌は空を擦った。


「矢とか剣とかの馬鹿みたいな真っ向勝負は絶対に通じない分、正攻法で勝てる見込みは薄いわね。しかもこの件の奴は完全に狂ってるからヤバいって訳よ」

「……恐ろしいですね」

「あら、そのヤバいやつとジンが同列に扱われてるのは気にしないのね」

「キメラの首を素手でねじ折ったり、高所から落ちた他人を助けに平然と身投げするジンが普通ではないようで逆に安心したよ……」

「……どの程度のレベルの処理をすればいい?」


 状況や対応如何では殺すが良いかという借問。

 ジンは組んだ腕を指で叩く。


「彼女、脱走したのよ。最終防衛戦でね。資料を読めば分かるけど、支離滅裂に錯乱してたとかなんとか。主観だらけの情報から一応まともそうな部分だけ寄せ集めてみても、時間経過で正気に返ってるとは考えにくいわね」

「系統はどれだ」

「力場形成系、斥力操作よ。情報がどこまで頼りになるか分からないけど、当時でも人間を一発で木っ端微塵にしてたらしいわよ」

「超越者か?」

「いいえ。育成の段階で臨界点は超えられないと結論が出てるわ……」


 オリガには耳慣れない単語が並んでいるが、話の流れから熟練の魔法使いが敵だと理解した。


「探し出したとして、どうする?」

「そいつの様子次第だ。まともならアスベルのように迎える。交渉の余地が無ければ、殺す」


 やにわに立ち上がり、コートが仕舞われたのとは別の、施錠されたロッカーを開ける。


 開け放たれたロッカーの内面には、小型の刃物から〝塔〟でも使われた鉄針などがラックに無駄なく詰め込まれている。

 艶消し処理で輝きを鈍らせた凶器の数々を丁寧に点検していく。

 零れも傷もない圧縮された殺意達はその出番を静かに待っていた。


「目星は付いているか?」

「もちろん。潜伏場所も割れてる」


 ユリアはスクラップブックから何枚かの資料を抜き取りテーブルに置いた。


「それともうひとつ。あの受付の可愛い子の件。ウチ以外の人間が勝手に動いていたみたい。脳味噌ほじくってでも情報が欲しいそうだし、近日中に拉致されちゃうかも」

「まさか、シリアの事か?」


 覚えのある呼び名にオリガが反応した。


「そうよ。初耳だろうけど、あの子の警護も任務の一部なの」

「警護?」


 オリガの中で、ストーカーの問題とこの話が細い糸で繋がった。


「そ。水面下は色々と面倒な状況なのよ。まったくね」


 おかげで雑務が増えて仕方ないとユリアは自嘲気味に嘆いた。


「シリアが危ないのか?」

「その為にこいつが付いてるのよ。自画自賛になるけど、私とこいつの目を盗んで事を起こそうなんて、絶対に無理だから安心なさい」


 脳を弄るという物騒な話の矛先が顔馴染みに向いているとあれば内心穏やかではないが、即座に心配無用と太鼓判を押されれば黙るより他にない。


「ま、だから馬鹿な方々に警告するのが優先ね。逆に捕縛されて襤褸が出る前になんとかしないと」

「今夜中に俺が処理しておく」


 秘密を闇に隠すためならば、いかなる手段も厭わない。

 一時とはいえ、手を組んだ相手でも躊躇いはない。


「トチ狂った方にはどこまで制限が解かれる?」


 離反者の資料を雑に捲り一度だけ目を通すとあっさりと握り潰した。


「第三種装備と……レベル2までね。それがあなたの今の体調を加味した限界。最終防衛戦まで生き延びてただけあって手強い相手よ」


 ユリアは憂いを帯びた瞳にジンを映す。


「それでも、倒せるわよね?」

「……愚問だな」


 丸めた資料が突如としてジンの手の中で燃え上がる。

 コンクリートが打ちっぱなしの床にそれを投げ捨てた。


「俺を誰だと思ってる」


 ロッカーに手を伸ばし、無数の暗器が絡み付くベルトを全身に装着していく。

 灰色のシャツとカーゴに互いに干渉しない位置で留められたそれは、鈍い艶も相まって鷹の羽根の如く全身にまとわり付いた。

 ジンはその上に季節外れな漆黒のコートを羽織り、膝までを包み隠す。


「信じてるわよ。世界一の私の騎士様。どっちのタイミングも任せるわ」


 ユリアは恥ずかしげもなくそんな言葉を嘯いて妖艶に微笑む。


「じゃ、仕事もあるから帰るわよ。あ、そうそう。ザミエルを見付けたら程ほどにしとけって言ってやっといてね。また駄々こねて遊びに行っちゃったらしいから」

「そうか。分かった」

「じゃあね」


 言いたい事は言い終わったとでもいうようにジンの髪を一撫ですると、金糸の如く煌めく髪を颯爽と靡かせて出ていった。


「恋人なのか?」


 一見してぶっきらぼうに思えるジンだが、ある程度親しければ冗談も飛ばす事もオリガは分かってきていた。


 しかし本能的な癖なのか、ジンは体を触らせようとしない。

 それこそ、かなり気を許した相手かそれなりの状況に置かれなければ。

 オリガでも断りも入れずに触ろうとすればまず難色を示すだろう。

 それが頭をベタベタと触られてもさほど不快そうにしてなければ、浅からぬ関係、恋仲であるように見えてしまうのも無理はない。


 直接的なオリガの物言いに、ジンにしては珍しく答えあぐねた。


「……家族だ」


 オリガは責任感と覚悟の重みをジンから感じた。

 その狭間に、仄暗く凄惨で噎せ返る悲哀を滲ませた面付きを見てしまった。

 この男を駆り立てる感情。

 それは確かに、深い親愛だった。


「……家族」


 家族。

 何物にも代え難い存在。


 オリガも一度は失って、幸運に恵まれてもう一度得たもの。


 不死身、不屈を体現する力が、たった一人の女に対して振るわれている事を察した。


「俺はシリアの件を片付けてくる。お前は今日と明日を装備の更新に使え。剣はまだいいが防具はもっとマシな物を探しておけ」

「……そうするよ」


 オリガはジンの内面に踏み込み過ぎた気がして、いたたまれない殺風景なセーフハウスをすぐに出た。


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