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夜鷹の夢  作者: 首藤環
一章
31/47

30 餓鬼は踊る

 大空に身一つで放り上げられた人間のなんと無力な事か。

 風に吹かれるリマイトに墜落以外の選択肢は与えられない。

 一呼吸もしない内に視界から消える。


「ここを動くな」


 誰もが身を凍らせる中、それを追って虚空へ飛び出した影が一つ。


「よせジン!」


 オリガの制止も虚しく指は空を切る。


 ジンは自由落下する瓦礫を蹴り、落下時間から予測されるリマイトの未来位置へ。


 居た。

 外壁をなぞるようにリマイトは墜落している。


 袖口に仕込まれたワイヤー付きナイフを投げる。

 鍔まで深々と刺さり、腰に隠されたリールが高速回転して収める鋼線を吐き出す。

 抵抗が加わり、ジンの落下速度が遅くなった。


 このままではリマイトには追いつけない。


 リマイトは目を閉じている。

 死を受け入れた顔だ。

 だが、そんな結末はジンは認めない。


 外壁を蹴り砕き、真下に加速する。

 爆発的な勢いでリマイトに飛びついて片腕で脇を抱えあげる。

 リールにブレーキが掛かり、逆回転が始まる。


「!?」


 まさか自分を追って来るとは予想だにしていなかったリマイトは目を剥く。


「黙ってろ。舌を噛む」


 片腕でワイヤーから釣り下がり、もう片腕はリマイトを支えながらに、絶妙なバランス感覚を発揮して壁に両足を着けて上を見る。


 真上から流星群の如く大小様々の瓦礫が降る。


 ワイヤーを巻き上げて昇る一方で、重力の楔から解き放たれたように軽々とした足捌きで無駄なくそれらを避けていく。

 外壁を蹴り、瓦礫を這うようにすり抜けた。


 降る中の一片がナイフを弾き飛ばした。

 ワイヤーが弛み、上昇力が急速に死んでいく。

 それでもジンにとっては危機足り得ない。


 手近な壁に空いた手を尖らせ突き立てる。

 鉄の槍より鋭い指先は鋼板を貫通して手掛かりとする。


 抱えたリマイトを背中側に動かした。


「掴まれ 」


 リマイトが何も言わずにしがみついたのを確認すると、ジンは反対の腕も同じようにする。


 空を覆うものはもはや何もない。


 片手で体重を持ち上げては次なる手掛かりを作り、足も掛ける。


 両手を離して足首の筋力で姿勢を維持してリマイトに落下防止のワイヤーを巻き付けたジンは、上へと邁進するのだった。


 吹きすさぶ寒風をものともせずに四肢を運ぶ。


 限界まで耐えていたのだろう、苦痛に顔を歪ませて音を上げたのはリマイトだった。


「すいません。頭が……すごく痛いです……」


 トレードマークの微笑みも失せて、冷や汗を真っ青な顔にかいている。


 急激な環境の変化や心拍数の乱高下に高山病が誘発したのだ。


「治せるか」

「ちょっと、難しいですねぇ……」


 正しくは抑えられていた症状が表面化したのだが、とにもかくにも治療が必要がある。

 感じ取れた体調の悪化と昇る速度を量る天秤の平衡を保つよう念頭に置いてはいたものの、悠長に昇っていては上に残した者が危ぶまれる。

 頭痛等、諸々の症状に悩まされた状態では発動に足る集中力は満たせず、移動と治療の両立は出来ない。

 となれば行動は限られる。


 金属の壁に腕を肘まで押し込む。

 内部の骨組みを握り力任せに引っ張れば、外壁は金切り声を上げて大口を開けていく。

 捲れた金属板を蹴って更に傷口を押し広げ、人一人が通れる程の穴を抉じ開けた。


 中は防御機構の砲台が並び、隙間を縫ってケーブル類が配された整備スペースになっていた。


 非常灯に照らされる通行用のキャットウォークにまたもや襟首で持ち上げたリマイトを座らせジンも腰を下ろす。


 足場の素晴らしさに嘆息しているリマイトに水筒を渡した。

 礼を言って口を着けたリマイトは水筒を置いて一息吸う。


「やってみます」


 杖を手放してしまったが、治癒魔法の発動にさしたる支障が無いように平然と魔法を使おうとしている。


 魔法使いのおおよそは発動に杖などの媒体を用いる。

 魔力を集中するイメージに必須ともいえる。

 もしイリスが杖を無くしたならば、発動は困難になるだろう。

 顔面を蒼白にして二人と殺せぬ火柱を作るだけに終わる。


 ところがリマイトは事も無げにやってのけようとしている。

 この事からかなりの力量の手練れだとわかる。


 治癒魔法の扱いはトップクラスに難しい。

 イリスのような火炎系統は、熱く燃え上がり、氷結系統の使い手は冷やし凍てつかせるように明確なイメージを抱き易い。


 だが治癒魔法は高度になるにつれ、視覚的な変化が乏しくなる。

 それを補うのは本人の才覚と経験だ。

 その二つを手に、救った人間より圧倒的に多い屍を踏み越えた者が辿り着く境地。


 胡座をかいて手を膝に乗せたリマイトの体から透明な揺らぎが立ち上る。


「ああ、唯一無二の主。忠実なる僕は血を流している。されど止めようとはしない。全てはあなたを讃えるが為。あなたの奇跡を信ずるが為。私はただ求める。我が身を満たしたまえ。我が心を蘇らせたまえ。なれば骨肉はもとより、この苦しみさえもあなたに捧げよう。三千世界の彼方より至高なる力の一端を顕せ、常世を見守る永久の癒し手よ!」


 朗々とそらんじるリマイトの髪が不可視の斥力に持ち上がる。

 頂点に達した魔力が体に染み入る。


 とてつもない疲労感が重くのし掛かるが、それとは別の充足感がはっきりと会心の成功を教える。


 息苦しさが嘘のように霧散していく。

 それに伴いリマイトの顔に生気が戻る。

 結果を口にするまでもない。

 掌を開閉して具合を確かめる。

 蝕む虚脱感は抜けつつある。


「……もう少し休めば大丈夫でしょう」  


 ジンは一部始終を凝視していた。


 やがて重い口を開く。


「その技術を得るまでに、何人を壊してきた」


 明らかに多数の人間を殺している。

 そしてその先の禁忌も犯したのだろう。


「ああ、やっぱり解ってしまいましたか?」


 過去に振り撒いた凶行の数々を暴かれた。

 安穏とした瞳の奥に秘められた異常性を知られたのにも等しい。


「あの子達には内緒にしてくださいね?」


 知られたくはなかった過去の深みに踏み入られた。

 さりとて、開き直ったように堂々と言ってのける。


 リマイトは足を投げ出したままで微笑む。

 多数の殺人を認めての穏やかさは不気味なことこの上無いが、ジンの判断基準はそこではない。


「気になっただけだ」


 初めて会った日から今日まで血の匂いは一切しなかった。

 血を浴びればどのような処理をしようが誤魔化しようのない微細な匂いをしばらくは発する。


 限り殺しの手管を心得ているとも思えないズブの素人が自分を脅かす手段は無い。

 妙な気を起こした瞬間に八つ裂きになる。


 しかしお互いにそんな未来は望んでおらず、静かな会話が続く。


「なぜ身代わりになった」


 イリスを庇ったのは間違いだとジンは言った。


 治癒魔法使いはパーティー全体の生存率に関わる。

 有能な治癒魔法使いは攻撃系統の魔法使いより重要度は高い。

 冷静な判断の持ち主のリマイトがその程度の損得勘定も出来ないとは考えにくい。

 特別な感情を抱いている可能性はもっと考えられない。


 そこだけが解せない。


 とすれば、腹に隠していた一物と愚かな選択に関わりがあるのだろうと当たりをつけた。


 堅実な道筋を造るには不確定要素は排除するか避けるのが鉄則。

 二の舞を防ぐ為に後ろ暗い経歴に踏み込むのだ。


「今日の貴方は随分と饒舌なので私も乗せられてしまいますねぇ」


 仄暗い眼差しではにかみ、居住まいを正す。


「あまり気分の良い話ではありませんが」


 前置きと咳払いをしてリマイトの独白は幕を開けた。 



 大陸統一戦争が帝国の勝利で終わって間もない頃、人々は各国政府が軍事目的の食糧の買い占めの影響に苦しんでいた。

 帝国は属領とした国々から接収した富や食糧を自国民にのみ振る舞った。

 属領を委任された貴族の極度の純潔主義の統治による圧政だった。


 戦禍は働き手を奪い、勝者は糧と富を奪った。


 貧困に喘ぐ人々は食糧でコントロールされ、反旗を翻す事のないようじわりじわりと弱らせた。


 なけなしの収穫を無慈悲に巻き上げ、僅かばかりの蓄えさえも根こそぎ持ち去った。


 必然、その過程で無数の餓死者を出した。


 食いっぱぐれた市民は奴隷か犯罪者に身を落とした。

 年少組の三人がそうであったように、戦後の大陸ではありふれた光景だ。


 リマイトはどこにでもいる何の取り柄も持たない農家の次男だった。

 ある時生まれ育った村は戦場となり、幸か不幸かリマイト一人が生き残った。

 同じ境遇には奴隷にされる者が多かった。


 だが、リマイトは奪う側に回る事を選んだ。

 若かりしリマイトは奴隷狩りから逃げ切り、近隣の生存者が結成した盗賊団に入ったのだった。


 戦いの才能は皆無だったが、知恵の働かせて雑務をこなした。

 中でも材料に乏しい状況でも全員に行き渡る食事を作る手腕は仲間内でも高く評価された。


 盗賊団は追い剥ぎから誘拐まで様々な悪徳を働いた。


 信頼を勝ち取ったリマイトはやがて拐った人間の管理も任される。


 捕らえてから奴隷商に売る時まで、死なせないようたった一人で世話をしていた。


 貧しくなっていく人々を襲っても実入りは減る一方で、手数を増やした結果、騎士団に目を付けられた盗賊団は各地を転々とした。


 逃亡生活を余儀なくされる日々に活力を与えたのはリマイトだった。


 生きる場所は他に無い彼は、やっと手に入れた居場所を守ろうとした。

 強奪した質の悪い回復薬を器用な外科的治療で補い傷付いた仲間を治した。

 仲間は感謝した。

 寒い夜には肉の入ったスープを作り、陽気な夏の日には肉の串焼きを配った。

 仲間は美味い美味いと褒め称えた。


 またある日は、引きずり倒した、いたいけな少女を代わる代わる犯す仲間を横目に、奴隷商に売り渡すまでの算段を考えた。


 売る前に討伐隊が迫り、余計な荷物になる少女はリマイトが自らの手で処分した。


 残酷な決断は胸の奥を刺激したが、仲間の命と自らの居場所を守れるならば比べるべくもない。


 盗賊団はまた新天地へ旅立った。


 悪行を重ねる度に仲間が正気を失っていくのは分かっていた。

 それでも、魔物から逃げ、騎士団から逃げ、苦楽を共にした仲間は家族同然で大切だった。


 どんな時でも満足に食べさせるようにリマイトは気を配った。


 終戦の混迷期を舞台にした狂騒劇は唐突に終わりを告げる。


 冒険者の大男が根城にしていた洞窟を訪れた。


 大男は強かった。

 途方もなく強かった。 

 盗賊団に単独で正面から挑み、斬りかかる仲間を次々と倒していった。

 射掛けた矢を素手で掴みとり誰かの首に刺し、距離があればナイフを投げて眉間を貫いた。

 素人目にも全てに無駄が無い洗練された動作だった。

 大男が殲滅していく様は魔法のように鮮やかに思えた。


 大男は逃げる間も与えず殺し続けた。

 後方で待機していたリマイトは一人、また一人と死んでいく様子に終焉を悟った。


 リマイトはその場を離れ、自分にだけ特別に割り当てられた洞穴に行った。

 大した奥行きもない小さい洞穴だ。

 中には調理場と捕虜を繋ぐ檻がある。


 檻には何人かの少年少女がいた。

 リマイトは彼等を解放してやった。


 今となっては食わせる仲間はどこにも居なくなってしまったのだ。

 捕らえておく必要性もなくなった。


 足腰の立つ者は逃げるに任せ、立とうとしなかった少女を背負った。


 木組みの粗雑な檻から出ると大男が剣を構えていた。


 渡しにいく手間が省けたとリマイトは調理場の腐った血で汚れていない地面に少女を下ろして一撫でした。


 大男は激しく葛藤した。


 大男はリマイトを追って知った。

 調理場の奥の窪みに散らばる人骨の山を見てこれまでに盗賊団が食いつないできた身の毛もよだつ方法を。


 仲間の胃を満たそうと、人知れず食材へと加工していた調理場のすえた匂いに激昂してリマイトを殺すのは容易い。


 だが、大男は首を撥ね飛ばす寸前で剣を止めた。


 薄皮一枚を斬られようとも、リマイトは狂気に囚われてはいなかった。


 貧困さえなければ、帝国の所業さえなければ、普通に暮らしていた若者だった。

 盗賊に身をやつしていなかったならば。


 リマイトは穏やかに微笑んだ。

 やっと終われる。

 やっと逝ける。


 それなのにいつまでも途絶えない意識を大男に向けた。

 大男は剣を退いていた。


 殺せとリマイトは言った。

 大男は拒んで剣を納めた。


 もっと早く終われていたなら、罪をうず高く重ねる事もなかった。

 だからこそ、罪悪感を感じたまま死ぬなど許さない。

 狂気とのせめぎあいを制した正気が大陸に溢れる悲劇を減らす一助となり、死者の手向けと為せ。

 楽に死ねると思うな。

 命有る限り償い続けろと大男は言った。


 大男は戸惑うリマイトと子供たちを纏めて抱えあげて洞窟から出ると不思議な質感の筒を何ヵ所かに置いて離れた。


 大地を揺るがす爆炎と轟音が起こると、洞窟が口を開けていた斜面ごと崩れて跡形もなくなっていた。


 リマイトは燻る火の粉を見上げた先に、この世を去った者達の幻影を視た。


 仲間の笑顔。

 首を掻き斬って殺し、はらわたを取り出して肉に変えた子供の恐怖の表情。


 踵を返した彼は全ての思い出と悲劇の記憶を胸の奥深くに閉じこめた。


 木陰に隠れていた知らない少女が姿を現した。

 日焼け色の肌をしていた黒髪の少女は大男の脚にしがみついた。

 大男は子連れだった。

 引き取った孤児だという。

 誘拐した子らを親元に返す旅に大男と一緒に出た。


 短い旅を終わらせたリマイトは大男にあることを二つ願い出て、それは承諾された。


 リマイトが大男に連れられて向かったのはとある遺跡。

 入り口に列が並ぶ遺跡は、イリスが魔力の適合を行ったのと同じく、深奥には魔力が満ちるという古代のダンジョン。


 その地の名を口にしたリマイトの心を大男は汲み取った。

 命を賭しての贖罪を大男は引き留めなかった。


 半日後にダンジョンを出たリマイトは近場の宿の納屋に転がり込むと、その夜から五日六晩、泣き喚いて肌を掻きむしり、生き地獄を味わった。

 常人ならばとうに息絶える苦痛を彼は精神力のみで克服した。


 朝日の下に這い出し、半死半生の死に体ではにかむリマイトを見て大男は決心した。


 大男は高ランカー冒険者のあらゆるコネクションと権力を利用して教会と交渉した。


 治癒魔法を継承させて欲しいというのが二つ目の願いだった。

 それも出来る限り高位の治癒師から。


 大男は最終的に、治癒師を出し惜しみ独占する教会に、譲歩と莫大な寄進でそれなりの地位の聖職者を引きずり出した。


 後日、体力を取り戻したリマイトは治癒魔法を継承した。


 譲歩の内容は教会の一員となることで、とはいえ名ばかりの自由な身分だった。


 晴れて治癒魔法使いと成ったリマイトはかねてよりの疑問を、なぜ自分にこれだけ手を貸すのかを大男に訊いた。


 大男は酒盃を傾けて答える。


 大人のツケを次の世代に残したくはない。

 誰もが笑って暮らせる泰平の世界を築きたい。

 楽しい人生を送らせてやりたい。


 普通は馬鹿げた夢を臆面もなく言い放つ大男を酔客の戯れ言と一笑に付すところだが、不思議と実現してしまいそうな説得力を感じたリマイトは賛同した。


 気を良くした大男はその晩リマイトに夜遊びの手解きした。


 明くる日、大男はリマイトを冒険者のギルドへ連れていった。

 登録の応対した女性職員は慌てた。

 教会に属しながら冒険者になった治癒魔法使いは前例がない。


 各所との摩擦を大男は金と身分で乗り越えた。


 自分の顔に免じて許せと大男が置いたプレートは黒く、S5ランクの字があった。


 リマイトはそのプレートを読んで初めて大男の名を知った。


 ハザウェイ・ロンドベル。

 後にS2まで駈け上がり、冒険者ギルドアンヴィル支部の支部長に就任する男だった。


 その後リマイトはハザウェイとその連れ子と別れ、若いパーティーに力を貸して歩く流浪の旅に出る。


 全ては十年以上前の話だ。

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