17 男の讃歌
穏やかな昼下がり。
永い年月の人の行き来によって均された赤土の街道を、一陣の黒い風が疾走る。
三メートル近いその体がおよそ二百キロは軽くマークしている、驚異の速度で。
巨体が大気の壁を破る甲高い音を響かせ、滑るように走る背中に埋まる形で搭乗する人物が二人。
「カボチャの馬車の乗り心地はいかがですか、お姫様?」
「自分で言っておきながらなんだが、くすぐったいな」
「ケツが痺れたか?」
「尻の話じゃない」
この男をこんな性格に誰がしたのかを悩みながら背中を小突く。
「三度目だ。いい加減慣れてきたが、やっぱり怖いものは怖い」
「ショック療法というのがあるらしいが……」
「頼むからやめてくれ!」
振り落とされまいと、ジンの腰に必死でしがみついている腕に、オリガは再度活を入れる。
「このペースなら、現地までは三時間だ。日没には間に合う」
前輪から中部までを覆うカウルが生み出す整流効果で抑制された走行音は、速度が速度なため、特筆して静かとは言えないが喧しくもなく、会話を妨げる事はなかった。
「やれやれ、地上が恋しいよ」
微振動に長時間晒されてすっかり麻痺した尻をさする。
憂いの視線を落として瞬時に去り行く地面を眺める。
「すぐ近くにあるのに」
「詩人だな。心底嫌になったら飛び降りてくれ」
思いやるような言とは裏腹に、速度は上がっていく一方。
前方を注視しているジンの背中を恨めしげに睨み、ささやかな仕返しに胴を締め上げる腕に力を入れて嘆息する。
この男はどこまで本気で言っていのだろうかと。
「遠慮しとくよ。今夜の宿でハンバーグが出ないとも限らない。挽き肉を見たら食欲が失せてしまう」
「……なら、もう少しの辛抱だ」
地平線の彼方に聳えるは、人と魔の領域を隔てる山脈。
天を突く連なりが待ち受ける。
通常の山なら山頂付近は雪が積もり、白銀の世界を映し出すが、目指すルカ村の先の灰降り山脈は違う。
麓が白く、頂上が黒い。
雪ではなく、黒い灰が四季を問わず降り注ぎ、反転したコントラストを描く。
故に灰降り山脈。
「頑張るよ……」
「フム……その意気だ」
二人が跨がるオートモービルは平野を駆け抜ける。
だが、晴天下で降って湧くのが災いというものだ。
「……クソッ……掴まれ、飛ばすぞ」
悪態をついたジンが唐突にアクセルを開いた。
ジンの気配が鋭くなったと感じて反射的にコートを強く掴んだのが功を奏し、剥がれかけた体を引き戻した。
「うっ!? いきなり……」
「一足遅かったようだ」
「まさか……まだ何も見えてないじゃないか。またからかってるんだろう?」
オリガが指差す先には、山脈の麓に広がる広大な森林に根を張る巨大樹の、ほんの先端部しかない。
だが、ジンが間違えていない。
間違えるものか。
「事実だ。俺にはうっすらと黒煙が見えている。お前にも直に見える。そして空気に何百回と嗅いだ匂いが混ざっている」
民家と人が焼ける臭い。
死の臭いだ。
この先で、村が、燃えている。
「だが飛ばしすぎだ! 私達が死んでは元も子もないぞ!?」
路面は踏み均されてはいるが、整備などはされていない。
言わば広目の獣道だ。
小石ならゴロゴロ転がっている。
オリガがジンの肩越しにパネルを覗き込めば、メーターは疾うに三百を越していた。
前輪が小石に接触しただけでオートモービルは車体を跳ね上げ、二人仲良く投げ出される事だろう。
「問題ない」
また、小刻みにハンドルを操る。
そこでオリガははたと気付く。
何時間と暴走するオートモービルだが小石の一つでも踏んだだろうかと。
「全て避けて走っている」
正気とは思えない長時間の大暴走を可能にする集中力と動体視力、そして反応速度。
人の領域を超えている。
「ハハ……」
差し迫る状況を前に自分でも不謹慎だとは思ったが、最早、乾いた笑いしか出ない。
そうこうしている間に地平線から黒煙を上げる集落が出現し、オリガの視界にも入った。
「装備を点検しろ。突発的な交戦を想定するんだ」
「分かった」
身動きをとるには窮屈な座席で無茶を言うが、やるしかない。
オリガの思考も戦闘に向けて瞬時に切り替わる。
身軽の範疇で、直剣と最低限の医療品が腰のポーチに収まっていることを確かめる。
大怪我に備えて嵩張る物品も後輪脇のケースにあるが、鈍重になっては意味がない。
転ばぬ先の杖を持っていては、人は走れないのだから。
木材を組み合わせた柵に囲まれたルカ村からは、火の手が上がっていた。
「そんな……村には調査のギルドナイトが滞在しているはずなのに……!」
「そいつの手に余る事態が起きたって事だ……」
ルカ村は巨大樹の樹海の北西端に隣接した、人口百人弱の集落だ。
一回り大きい村長の家と広場を中心に、同心円状になっている。
人の脚や、上半身が消失した亡骸が四方に散乱して血溜まりが出来ている。
人ではここまで凄惨な現場を作り出せないだろう。
まるで村を大皿に見立てたように、老婆が、青年が、少女が、食い散らかされていた。
「……酷い……」
暴虐なる衝動に無力な村人の営みは破壊されていた。
村長の家が、半壊して燃えている。
夕食の支度に使っていた火が、崩れた燃え移った民家が何棟かある。
「索敵と同時に生存者の捜索に当たる」
急制動をかけて横滑りさせながらオートモービルを停め、二人は飛び降りる。
オリガは外套を脱ぎ捨て、直剣を抜く。
「暫く周囲の警戒を頼む」
片目を閉じ、まだ凝固していない血で濡れた地面に耳を浸け、聞く。
キメラは逃げたか……。
〝……一……六……九……十四…………二十七……一人、死にかけてるか……〟
「こっちだ。来い」
ガバリと身を起こすと薄汚れたコートをはためかせて民家の間の細道へ突き進む。
「ああ!」
オリガもそれに続く。
路地を幾つか抜けると、ルカ村の南部に建てられた穀物貯蔵庫に出た。
そこには死体は一つも無かった。
だが、そこかしこに死闘の跡が有り、貯蔵庫の扉を塞ぐようにして、血みどろの男がもたれ掛かっていた。
「マ、マルコッ!!」
あまりの衝撃に直剣を落とした。
それが誰か、オリガはよく知っていた。
「ああ……そんな……!」
片腕を肩口から毟られ、腹に風穴を開けて止めどなく血を流して尚、彼は立ち切っ先を向け霞む目を開いていた。
意識など飛んでいる。
ジンが抱き起こして思い出したように呼吸を再開した。
だが既に虫の息といった有り様だ。
キメラに襲撃され、逃げ惑う村の子供達を誘導して貯蔵庫に匿い、絶望的な救援を待ち、耐えた。
マルコ・デイビス。A5ランクにしてギルドナイト。
ルーキー時代のオリガに手解きを加え、一時期はパーティーを組んでいたこともある。
直接的な戦闘は苦手とする彼だったが、優れた追跡力やギルドへの貢献を評価されAランクへの昇格を認められた有能な人物だ。
彼が事前調査の任を帯びて先行したギルドナイトだった。
いつもギルドで駐在し、時に若手の冒険者を温かく見守り、時にハザウェイの乱行を笑い、ギルドを十年以上に渡り陰から支えた男が今、朽ちようとしていた。
「マルコ、マルコ!!」
オリガは弱まる鼓動に涙を堪えて胸を揺する。
ヒューヒューと潰れた肺で息を吸い、燃え尽きかけた命の火が再び灯る。
「……その声は……お嬢か……早かったなぁ……子、供達……は……」
「全員無事だ」
ジンがマルコをそっと横たえ、貯蔵庫を開くと子供達が啜り泣いて震えている。
「十二人……いるか……?」
「ああ、いる」
「……よかった…………ゲホッ……」
「マルコ!?」
大量の血を吐き、血溜まりがまた少し広がった。
元は亜麻色をしていた彼の長髪も赤黒く変色している。
オリガは跪いてポーチを漁り、ガーゼや止血帯でマルコに応急措置を施す。
「喋るな! すぐに治療するから……っ」
「よせ……」
「血が、こんなに……止まれ! 止まれ!! 止まれぇ!!!」
釈迦力になってガーゼで腹の傷口を押さえるが、その努力を嘲笑うように、無情にも血は流れる。
吐き出された血に混じるは肺の細胞。
必死の延命も虚しく彼は死にゆく。
「やめるんだ……」
彼は掠れた声でそれを止めた。
「まだだ! 諦めるな!!」
「もう……いい……もういいんだ……」
彼は悟っているのだ。
自分の命が尽きかけていることを。
喉元の動脈から鼓動に押し出される鮮血の噴水も、圧力が弱まっていく。
「オートモービルに戻れば、効果の高いものだって……」
涙を瞳いっぱいに溜め、マルコに背を向けたオリガの肩を抱いてジンは諭す。
「無駄だ……内臓の損傷が多い」
マルコの腹腔は、引き裂かれ、空っぽだった。
血の海をまさぐれば、零れた臓物の破片が散らばっている。
「そうだっ……ジンのなら……」
「俺のを使えばこの男の体力が持たない……余計に苦しむだけだ」
一婁の希望をジンは否定する。
この消耗ぶりでは臓器が再生するまでとても持たない。
そんな怪我人にあの劇薬を使おうものなら、傷を癒すために体はその血肉の分解と再生を繰り返す。
待っているのは細胞が死滅するまで続く最悪の拷問だ。
遺言も録に言わせてはやれないだろう。
この苦しみから一刻も早く解放してはやりたい。
が、彼にはまだ仕事が残っている。介錯してはやれない。
そして彼の目はまだ生きている。
死を迎える覚悟を決め、その上でまだ何かをする気でいる目だ。
「だが……!」
「助かるよ……兄さん……お嬢は……落ち着けって……」
「こんな時に落ち着いてられるか! 」
「イタタ……カハハッ」
大声が傷に響いたのか、顔をしかめてマルコは苦笑する。
「……冒険者が死ぬなんて……よくある事だろ……それより、近くに来てくれないか……実は……もうほとんど見えてなくてな……」
血の色が抜けて亡霊のように青白い手をオリガへ伸ばす。
「ここにいる! 私はここにいるぞマルコ!」
その手を掴まえて、オリガは涙で濡らした頬でする。
「もっと……近くに……」
「ああ!」
血で赤く彩られた唇に、オリガは耳を寄せる。
「……兄さんも……来てくれ……」
「……わかった」
マルコは唯一動く親指でオリガの顔を撫でる。
「あんなヒヨッ子が……良い女になったもんだ……」
「死ぬな、マルコ……」
「無理な相談だぜ……それに、今なら悪くない。仕事に満足して……美人に最期を看取られるなんて、そうない。気掛かりな後輩も、良い仲間が見つかったようだしな……」
ポタポタと涙を落とすオリガの額に、血の気が消えて白くなった唇をそっと当てた。
彼の命の音が次第に小さくなる。
「……そろそろお別れだ……」
マルコの手は血で滑り、オリガから離れた。
「兄さん……後を頼んでいいか……」
「あんたは命を賭して職務を全うした偉大な男だ。その生き様と魂を確かに見届けた……安心して逝ってくれ」
マルコは嬉しそうに一笑する。
「嬉しいこと言ってくれるなぁ……未練もねぇや……」
首から力が失われ、糸が途切れた操り人形の如く脱力した。
〝……これが死か〟
全身が末端から冷えていき、照明が絞られるように視野が暗く、深みに沈んでいく。
〝未練は無いが……〟
抗い難い死の引力に地の底へ引かれていく。
もう意識は戻らないことを本能が告げている
。
〝何かしてやれる事は無いか……? 〟
「待ってくれマルコ!」
「やめろ……もう死んでる」
尚もすがるオリガをジンは引っ張り上げ、マルコの血で夕陽よりも紅く染まった体を抱擁する。
「離してくれ!」
理不尽という濁流に飲まれ溺れるように腕の中でもがく。
彼をこのままにしては行けない。
こんな無惨な最期の姿で放置しては行けなかった。
せめて、亡骸を整えてやるだけでも……。
功労者の遺体を吹きさらしにしていくなど、不憫でならない。
いよいよ取り乱して亡骸をまさぐるオリガにジンは鬼相を向けた。
「いい加減にしろ!!」
怒声一喝、ジンに頬を張られて尻餅をつく。
しかしジンは胸ぐらを掴み上げて強制的に立たせる。
「誰かの死がそんなに珍しいか!?」
人はいつか死ぬ。
それは人が人である限り、逃れられぬ宿命だ。
それを認めず眼を背けるのは逃げでしかない。
逃げても、逃げても、その先には何も無い。
どこまで逃げても事実は必ず追い付く。
追いつかれた時、突き詰めれば究極的を人は二択を迫られる。
事実を認めて前に歩くか、それを拒んで死を望むか。
二つに一つ。
「こいつが死んだのは単に力不足だった。それだけだ! お前もギルドナイトなら、一々感傷に浸る前に義務を果たせ!!」
そんな事は言われなくともオリガはわかっている。
ただ、親しい人間の死に感情が押さえられなかった。
「くっ……」
声を殺して落涙する。
どうしようもない死もあると知っていても、無力を恨まずにはいられない。
「仇は討つ。絶対にッ!!」
悔しさと怒り原動力に悲しみを圧し殺して歯軋りを鳴らし地を踏みしめる。
キメラの討伐を、マルコへの手向けとするために。
彼女とてただの小娘ではなく、一握りのA2に名を連ねる猛者の一人。乱れた精神を律する術は持っている。
悲しみを対象への怒りに変換する不完全なものだが、人間である限り正常なものだろう。
死に対して完全なる無感動でいられる者は最早人間ではない。
「済まない……手間をかけさせた」
「……痕跡が風化する前にキメラを追う」
足を樹海へ向けた二人は背で何かが地面を叩くような微細な音を聞き取った。
しかし敢えて振り向かない。
音は規則的なリズムと法則を持って何度か叩かれる。
「……っ!」
オリガは唇が切れるほど噛み、振り向きたい自分を抑えつける。
ここで振り向けば彼を蔑ろにすることになるからと必死に。
彼は最期の最期まで、敵と、己と戦い抜いた。
「……あんた……」
原始的な通信方法で送られた末期の言葉は、研ぎ澄まされた二人の心にしっかりと届いた。
「あんた……大した男だ……本当にな」
全ての役目を終えた男へ、心の中で最大の賛辞と敬意を送り、ジンは足を速めた。
目元に雫を光らすオリガも、怒りとは別の気持ちを抱きジンを追って走り出す。
彼は今度こそ、真に永遠の安らぎを得る。
貯蔵庫から出た子供達に囲まれたマルコの死に顔は、とても満ち足りていた。
やべえよ……やべえよ……
夜鷹のスピンオフが2個出来そうで書き貯めしてたら半年放置とか……
今後の展開に大きく関わるのでわざとジンの心情を書かないでいます。
普段何を考えているのかは、第二部にジンの生い立ちを書く予定なので、それ以降に。
次回は11月の頭に投稿予定。
キメラをボッコボコにします。
乞うご期待。
感想かレビューを書いて貰えたらスピードアップしそうです。




