10 最速の世界
シャッターの前で腕を組んで立つジンの元へ、おおよそ計画通りの時間に、朝焼けに横顔を照らされるオリガが歩いてきた。
出で立ちは昨日と全く同じく、黒い革鎧と細身の直剣、いかついナイフである。
荷物は最小限に減らし、肩掛けの鞄に詰め込まれているようだ。
そしてその上に支部長室でも着ていた、フード付きの外套を羽織っている。
「それは?」
「回復薬ぐらい自腹を切るよ」
肩掛けの中身を聞かれ、乳白色の液体を湛え、コルクで蓋をされた試験管を何本か出して見せる。
好きにしろと言い捨て、シャッターにかけられた南京錠を外す。
「それで…移動手段は?」
その問いにはシャッターを上げるという行為でジンは答えた。
早朝の陽光に、シャッター前に置かれていたそれが照らし出される。
黒一色に塗装された金属のパーツは重厚な重みを持ち、艶を放つ。
極限まで技術を圧縮された機械の塊が見せる機能美に、オリガは目を奪われる。
「これは…オートモービル…?」
車体の前後に取り付けられた車輪がエンジンからの動力を大地に伝えて走る、乗り物。
アンヴィルでも所持者が居ないこともない。
製法は失われ、今や古代遺跡で稀に発見され、修復されたものがブルジョワ層に高値で取り引きされる。
確かに、馬よりも速く耐久力もある。
だが飼い葉では動かない。
「ガソリンは有るのか?」
オートモービルにはエンジンを回す燃料が必要となるが、精製が困難で希少であり、多くのオートモービル所持者は確保出来ていない。
とにかく維持に金がかかり、満足に動かせるのは王族か大富豪くらいのものである。
「問題ない、動く」
そろそろと押してオートモービルを道に運び出す。
食料その他は後輪の両サイドにかけられたケースに収納されている。
「剣はそのままで乗れるか?」
オリガの腰にある、邪魔になりそうな直剣を指差す。
「大丈夫だ、掛け直す」
「ならいい。町の外までは押して行くぞ」
人の少ない裏道を選んで門に向かい、冒険者のタグを見せて検問をパスした。
独特なカウルのせいか、オートモービルと分かったのは話した一人のガードだけだった。
◆
「乗る前に、これを着けろ」
そう言ってケースから取り出し、オリガへと手渡したのはゴーグルである。
「目に埃が入るからな」
「ありがとう」
自身もゴーグルを着けて、オートモービルに跨がる。
どこからか引っ張り出したコード付きのテープをを手首に巻き付け、計器類を再確認し、光の灯ったガラス製らしきタンクのパネルを数度叩く。
そこに表示されているものが目まぐるしく変化し、やがて落ち着いた。
動力の入ったサスペンションが車体を少し持ち上げる。
前方を目視で確認。
早朝ということもあって人影は皆無。
「乗れ」
「ああ……だが静かだな。ギルドナイトの総会で見たオートモービルはもっと騒がしかったぞ?」
「さぁな。俺もこれがどんな原理で動いてるかは知らん。貰い物だし、考古学者じゃないからな」
文字通り“無音”の黒いオートモービルの後席にオリガが座りジンの腰に手を回す。
直剣は背中に背負い直してある。
「忘れ物は無いな?」
「ああ」
「じゃあ、行くぞ」
ハンドルを捻りアクセルを開けば、人と馬車が土をならした地面を重厚なタイヤが踏み締める音だけを残してオートモービルが動き出す。
安全運転で街道を走るオートモービルにオリガはある意味驚いていた。
「…意外と遅いんだな」
だがその一言がジンの魂に着火した。
「…ほう……言ったな?」
愛車への挑発と受け取ったのか、悪戯心が芽生えたのかはジンの鉄仮面からは窺い知れない。
パネルに何か操作すると車体が前後に伸び、代わりに車高が下がった。
「な、何が……」
「首を傷めたくなければ全力で俺にしがみつけ」
「うん?」
その言葉に従ってオリガがジンの体に腕を回した瞬間、アクセルを開いた。
直後に起きたことはオリガは後にこう供述している。
首と腕に衝撃が走り、世界が後ろにすっ飛んでいった、と。
「あ゛あ゛!? あ゛、ああ゛、ああ゛あ"あああっっっ!!??」
なまじ前が見えない分、想像力を掻き立てられ、いつ何かに衝突するかと気が気でない。
「どうだぁっ! 馬より速いかぁっ!?」
「も、もう止めっ!?」
風の音が邪魔で、ジンは大声で後ろに呼び掛けるがオリガの悲鳴が聞き取れない。
「なんだ? 速さが足りないんだな?」
困ったやつめ、とアクセルをさらに開けるが、速度計は既に200キロを指している。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっ!!??」
鎧を着ている言えど、横倒しになるだけで粗びき肉になること請け合いである。
「これでどうだオリガ!?」
250キロ。
風景は流星のように流れていき、爆風が全身を殴打する。
オリガの黒髪もほぼ真横に流されている。
「あああああああああ――――――」
280キロ。
吹き付ける風の圧力で呼吸もままならない世界。
未舗装の地面から伝わる振動も激しく尻を押し上げる。
あれほど静かだったオートモービルも、わずかにだが、ブーンと低く唸っている。
しかし、持ち主だけあってジンは乗り慣れているのか、まだまだ余裕が見える。
「どうだオリガ! ええ? おい!?」
今はそれはオリガにとっては不幸でしかない。
この恐怖がまだまだ続くことを意味しているからだ。
早朝を突っ走る絶叫の強行軍が、いわゆるマトモな速度に戻ったのは、オリガの声が嗄れてからでその後数十分も続いたという。
◆
グロッキーなオリガのために、オートモービルを街道が森に入る前に止めたのは日が傾いてからだった。
オリガは青い顔で地面に座り、ジンは地図と依頼の資料を見比べて現在地の確認をしている。唇は真一文字だが、新世界を共有する仲間を手に入れた喜びか、こころなしか嬉しそうである。
「どうだ? 最速の世界の感想は」
「首が……痛い」
あの風圧に負けじと力比べをしたのだから当たり前である。
「痛みが分かるなら大丈夫だ。水だ」
腰のベルトから水筒を投げる。
「あ、ありがとう」
ぎこちない動きでそれをキャッチしたオリガが、一口飲んで返す。
「資料によれば古城は近い。森の外縁部に拠点を造って速やかに周辺の地形調査を始める」
アスベルらの拠点となっている砦は街道を防衛する――今や襲撃だが――ために道に近い位置にある。
このまま進むわけにはいかない。
「…分かった」
回復薬を飲み下し、幾分顔色もマシになったオリガが立ち上がる。
◆
周囲はとっぷりと闇に包まれ、小さな焚き火だけが仄かに二人を暖める。
オートモービルには、迷彩色の偽装網をかけて木々の枝を被せてある。
暗い今なら黒いオートモービルは闇に溶け、パッと見ただけなら、背丈の高い草むらにしか見えないだろう。
干し肉やジンが拾ってきた食べられる野草で、適度に軽い食事を採り、カロリーの補給は終わらせた。
じっくりと古城の裏までの道筋は調べてある。
「始めるぞ」
ナイフを抜いて、刃に歪みが無いかを確かめていたオリガが頷く。
焚き火に土をかけて煙を立てないように火を消した。
灯りも持たないジンの後に着いていく。
筆者は交通事故以来、車の正面に立つのが怖いです。




