第5話 言葉が通じた
結局、航平たちは馬を借りなかった。
航平自身に乗馬経験がないこともあるが、決め手になったのはワンス、エイト、テンスが近づいた時の反応だった。馬たちは耳を伏せ、鼻を鳴らし、3人から距離を取ろうとする。
原因が分からない以上、無理に乗る理由はない。
「歩く。俺たちは騎馬から少し離れる」
航平が身振りを交えて伝えると、ガルディオはしばらく3人と馬を見比べた後、頷いた。
隊列はほどなく動き始めた。
エルディアまでは街道沿いに約18km。航平たちは騎馬のすぐそばを避け、荷馬車の外側を歩く。数m離れていれば、馬も気にはするものの暴れるほどではなかった。
『まだ原因は分からないよ』
艦からファイヴの声が入る。
『匂い、音、体温、動き、未知反応。候補はいくらでもある。比較材料が足りない』
「なら保留だ。馬相手に実験する必要もない」
『賛成』
航平はそこで一度、馬の件を頭の端へ追いやった。
歩き始めてみると、軌道上からでは分からなかったものがいくつも見えてくる。
街道は荷馬車2台が余裕を持ってすれ違えるほど広く、両脇には排水溝まで掘られていた。深い轍には細かな石が入れられ、崩れやすい場所は木杭で補強されている。
「思ったより整ってるな」
航平の隣を歩いていたワンスが足元を見る。
「継続的に維持する仕組みがあるのでしょう」
「誰がやってるかは、聞けるようになってからだな」
『それなんだけど』
ナインが割り込んだ。
『そろそろ試していいかも』
「何を?」
『簡易翻訳。完全版じゃないけど』
航平は足を止めかけた。
「もういけるのか?」
『上空の観測機で拾った会話、商隊、騎兵、それから今までの指差し確認。話者も増えたし、状況との対応もかなり取れた。日常会話なら意味候補を絞れる』
「精度は?」
『普通の会話で8割前後。固有名詞、魔法関係、役職、宗教、慣用句は保証しない。怪しい部分は勝手に埋めず、原語のまま残す』
「十分だ。やろう」
『了解。現地語を受けたら日本語へ変換。こっちの発話は現地語へ音声合成する。遅延は0.4秒くらい』
西暦3000年代の翻訳技術としては、むしろ遅いくらいだ。
ただし、これは既知言語同士の翻訳ではない。辞書も文法書もないところから数時間で組み上げた即席の言語モデルだ。
航平は隣を歩いていたエルナへ向いた。
「試してみるか」
ヘルメット外部スピーカーの翻訳出力を有効にする。
エルナが不思議そうにこちらを見る。
「エルナ。これは何だ?」
航平は街道脇に立つ青白い石柱を指した。
一瞬遅れて、外部スピーカーから航平自身とは違う発音の言葉が流れる。
エルナの足が止まった。
「……今、私たちの言葉を?」
今度は航平の耳に、日本語として意味が届いた。
完璧に自然な声ではない。ところどころ妙な抑揚が混ざっている。それでも、意味ははっきり分かった。
航平は思わず笑った。
「通じたな」
「え?」
「いや、こっちの話だ。急に話せるようになったように見えるだろうが、この機械が言葉を変換してる」
腕部端末を指す。
エルナは端末と航平の顔を何度も見比べた。
「機械……キカイ」
「覚えてたのか」
「あなたが教えたから」
『よし』
ナインが小さく喜ぶ。
『意味対応も合ってる』
航平は石柱をもう一度指した。
「それで、これは?」
「セルファ。街道や村に置かれている警戒石です」
翻訳表示では《セルファ》だけが原語のまま残り、その後ろに《警戒石?》という候補が付いた。
「魔物が出ると赤くなる?」
「強い魔物や、多くの人が争っている時に赤くなります。近くのセルファへ知らせが伝わって、町の守備隊にも届きます」
「誰かが操作するんじゃないのか」
「大きな町では見張りの術士が動かすこともあります。でも街道のセルファは、自分で危険を見つけます」
航平は少し黙った。
『聞いた?』
「聞いてる」
ファイヴの声が弾んでいる。
『自動警戒設備だ』
「俺もそう聞こえた」
航平は石柱を見直した。
電源ケーブルもセンサーらしい部品も見えない。それでも危険を検知し、数km先へ情報を送る。
「どれくらい昔からある?」
エルナは考え込んだ。
「私が生まれるよりずっと前です。古い街道なら、100年以上前のものもあると思います」
『欲しい』
「駄目だ」
『まだ何も言ってない』
「声で分かる」
エルナが首を傾げたため、航平は話を戻した。
「俺たちはこの辺りのことを何も知らない。エルディアへ行けば、この世界について教えてもらえるか?」
「この世界?」
翻訳が一瞬止まり、《世界/土地/国》と複数候補を表示する。
航平は質問を変えた。
「国、町、魔物、それから魔法について知りたい」
「魔法も知らないんですか?」
「ああ」
エルナの顔に、今までで一番はっきりとした驚きが浮かんだ。
「でも、あなたたちはあれほど強い魔導具を使っていたでしょう?」
「魔導具じゃない。あれも機械だ」
「キカイ……」
「俺たちのところでは、魔法を使わなくても似たことができる」
エルナは黙った。
隣を歩いていたガルディオまでこちらを見る。
「今の話、本当か?」
突然、日本語として聞こえた。
航平は男を見る。
「やっと話せるな、ガルディオ」
「さっきまでは単語もろくに通じなかったはずだ」
「こっちの仲間が言葉を解析した。まだ間違えることはあるらしいけどな」
ガルディオは意味が分からないという顔をした。
「言葉を……解析?」
「そこから説明すると長い」
「そうか」
納得はしていないだろう。
それでもガルディオは無理に聞こうとはせず、代わりにワンスたちへ視線を向けた。
「では、あの3人が何者なのかも聞けるわけだな」
来たか。
航平も馬の反応を忘れてはいなかった。
「俺の仲間だ。ワンス、エイト、テンス」
「それは名前だろう」
「そうだな」
航平は少し考えた。
ここで人間だと偽るつもりはない。かといって、人工知能や人工生命の概念から説明しても伝わらないだろう。
「俺たちの技術で作られた、人の形をした仲間だ」
ガルディオの歩調がわずかに落ちた。
エルナも3人を見る。
「……作られた?」
「生まれ方が俺たちとは違うってことだ。考えるし、話すし、自分で判断する」
ワンスが穏やかに頭を下げる。
「改めまして、ワンスと申します」
翻訳された声を聞いたエルナが目を見開いた。
「あなたも、その機械で言葉を?」
「はい。ナインという妹が翻訳を担当しております」
「妹?」
「私には9人の弟妹がおります」
エルナの視線が航平へ移った。
「この人たち、兄弟なの?」
「本人たちはそう思ってる。俺もそう扱ってる」
「本人たちは、ではなく兄弟です」
ワンスが訂正した。
「はいはい」
「重要な点ですので」
ガルディオが小さく笑った。
初めて見せた表情だった。
「変わった一行だな」
「よく言われる」
「お前たちの国では、それほど精巧な人形を作れるのか?」
「人形って言うとワンスが嫌な顔するぞ」
「顔には出しません」
「そういう意味じゃない」
会話が成立すると、距離の縮まり方がまるで違った。
ナインの翻訳は時折不自然な単語を残したが、聞き返せば修正できる程度だった。
その後、航平はエルディアが辺境交易の町であること、周辺には農村や鉱山があり、街道を通じていくつかの町と繋がっていることを知った。
ガルディオはエルディア外郭守備隊の隊長だった。
赤いセルファの警報を受け、巡回中の騎兵を集めて駆けつけたらしい。
「なるほど。だから門でも顔が利くわけか」
「まだ門にも着いていないがな」
「先に聞けて助かった」
「何がだ?」
「正体不明の武装集団を町へ連れていく奴が、ただの兵士だったら心配になる」
ガルディオが声を上げて笑った。
「それを本人に言うのか」
「言葉が通じるようになったからな」
エルナまで笑っている。
少なくとも、さっきまでより空気は軽くなった。
上り坂に差しかかったところで、最後尾の荷馬車が速度を落とした。
積み荷が多く、2頭のオルムが身体を前へ傾けている。
エイトが手を出そうとしたが、航平は止めた。
「待て。現地のやり方を見よう」
御者は困った様子もなく荷車を止め、車軸の脇に埋め込まれた金属板へ触れた。
青い線が走る。
左右の車輪に刻まれた模様が淡く光り、次の瞬間にはオルムの足取りが目に見えて軽くなった。
「今のは?」
もう聞ける。
航平は御者ではなくエルナに尋ねた。
「あれは軽荷の術式です。重い荷物を運ぶ馬車には珍しくありません」
「重量を軽くしてるのか?」
「重さを消すわけではありません。車輪が地面に取られる力と、オルムが引く力を助ける……と習いました」
翻訳表示の一部に疑問符が並んだ。
エルナ自身も専門家ではないらしい。
『なるほど』
ファイヴが食いつく。
『現地側にも原理を正確に説明できる人と、使い方だけ知ってる人がいるわけだ』
「そりゃそうだろ。俺だって艦の主機を一から作れって言われたら無理だ」
「船長の場合、機関部へ触らせるとフォルドが怒りますので」
ワンスが付け加える。
「余計なこと言うな」
エルナが笑った。
「あなたは船長なのに、船を作れないんですか?」
「船長は船を作る仕事じゃない」
「では何を?」
「無茶を言う連中をまとめて、帰ってくる仕事だ」
ワンスが何か言いたそうな顔をしたが、珍しく黙っていた。
航平はその方が怖かった。
数時間後、エルディアの城壁が見えてきた。
高さ10m近い石壁が町を囲み、一定間隔に見張り塔が建っている。門前には荷馬車や旅人の列があり、出入りする者を兵士が確認していた。
「大きい町だな」
「辺境では大きい方です」
エルナが答える。
「王都はもっと?」
「比べものになりません」
「そいつは見てみたい」
ガルディオが横から航平を見る。
「その前に、エルディアでお前たちの身元をどう説明するか考えてくれ」
「空から来た、じゃ駄目か?」
「余計に面倒になる」
「だよな」
ガルディオは門へ向かうと、兵士に徽章を見せて事情を説明した。
翻訳できるようになった航平にも内容が分かる。
「街道で商隊を救った者たちだ。身元は私が預かる。武器を携行しているが、現状では敵意なしと判断している」
「隊長、どこの者です?」
「それを今から確認する」
「……分かりました」
ガルディオの権限で、少なくとも門前で追い返されることはなさそうだった。
航平はそこで、門の上に埋め込まれた大きな青い結晶へ気づいた。
老人が通ると淡く光り、子供も同じ反応を示す。オルムや、荷車を引く別の家畜が通った時にも結晶は光った。
「エルナ。あれは?」
「あれもセルファの一種です。ただ、街道のものとは違います」
「何を調べてる?」
「ネアを見ています」
翻訳が止まった。
《ネア:対応語なし》
「ネア?」
航平が聞き返す。
エルナは自分の胸へ手を当てた。
「私はネアです」
次に近くのオルムを指す。
「あの子もネア」
「生き物?」
「近いけど……同じじゃありません」
今度は街道脇に積まれていた、解体済みの獣肉を指した。
「あれは、もうネアではありません」
『面白い』
ファイヴが呟く。
「まだ決めつけるなよ」
『もちろん』
順番が来た。
航平が門をくぐる。
頭上の結晶が淡い青色に光った。
「俺はネアらしい」
「そうですね」
エルナが頷く。
次はワンスだった。
長兄が門の真下へ入る。
結晶は光らない。
門兵の顔が変わった。
ワンス自身も足を止め、頭上を見る。
「もう一度通ってみてくれ」
「承知しました」
戻ってから再び入る。
やはり光らない。
続いてエイトも通るが反応はなく、テンスも同じだった。
「船長、これ俺だけ故障とかじゃないよね?」
「3人同時なら、その可能性は低そうだ」
『結晶内部の反応自体はある』
ファイヴが解析結果を送ってくる。
『ただし航平や現地生物が通った時とは波形が違う。何を判定している装置なのか分からない以上、これ以上は言えない』
「それでいい」
門兵がワンスを指した。
「隊長。この者はネアではないのですか?」
「私に聞くな」
ガルディオも困った顔をしている。
エルナはワンスへ近づいた。
「あなたは……生きていないの?」
翻訳された問いが、航平の耳にも届く。
ワンスは少しだけ考えた。
それから、いつもの穏やかな表情で答える。
「その問いについては、私自身も大変興味がございます」
航平は思わずワンスを見る。
「お前、そこで研究者みたいになるのやめろ」
「重要な問題かと」
「町に入る前から話が重いんだよ」
エルナは意味を測りかねた様子だったが、少なくとも怯えてはいなかった。
門の結晶だけが、静かに青い光を失ったままワンスたちを見下ろしていた。
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