第11話 魔法使いには、まだなれない
エルディア神殿は、航平が想像していたより忙しい場所だった。
石造りの正面棟には高い尖塔があり、玄関広間の奥には大きな神像まで見える。そこまでは航平の想像する神殿と大差ない。
だが、その手前が違った。
壁際では腕を吊った男を治療師が診察しており、別の一角では母親が熱を出した子供を抱いて順番を待っている。窓口には灯石を持った町人が並び、その隣では帳簿を広げた神官が商人と何かを相談していた。
祈りの場というより、病院と役所と魔法関係の公共施設を一つにまとめたような光景だった。
「もっと静かなところを想像してた」
航平が言うと、先を歩くハルヴェンが振り返った。
「祈るだけなら、これほど大きな建物はいりません」
「神殿の人間が言うと説得力があるな」
「病人を治し、魔道具を管理し、記録を残すのも神殿の仕事です。祈りはその合間にできます」
「うちの船でも、祈って直る故障は一つもなかった」
「船長。祈っている暇があればフォルドを呼びますので」
ワンスが横から口を挟む。
「ほらな」
「ただし、フォルドでも直せない場合は祈る時間くらいあるかもしれません」
「その段階になったら、たぶん俺も一緒に祈ってるよ」
ハルヴェンが笑った。
案内されたのは礼拝堂ではなく、神殿の奥にある小部屋だった。
中央に大きな机。壁には人体を模した図が掛けられ、体内を巡る何本もの線が描かれている。
机の上には結晶、金属板、小さな円盤。
昨日までなら魔法道具としか見えなかった品々にも、少しずつ用途の違いがあることが分かってきた。
航平たちは全員、密閉したバトルスーツのままだ。
建物へ入ったからといって防疫条件が変わったわけではない。
神殿側にも事前に説明してある。
「まず灯石を見ましょう」
ハルヴェンが言った。
航平が持参した2個の灯石は、密閉容器に入れてある。
新品と中古品。
地上へ持ち出す前に艦内で非破壊検査を終え、容器の外面も処理済みだ。
「容器から出さずに確認できるのか?」
「見るだけなら」
ハルヴェンは透明部分から中を覗く。
「こちらは、かなり減っていますね。まだ使えますが、このまま使えば数日ほどでしょう」
「見ただけで分かるのか?」
「慣れれば。光り方と、結晶内部の濁りで大体は」
『推定根拠を知りたいですね』
通信からファイヴの声が入る。
航平は小さく笑った。
「向こうは機械なしで答えを出したぞ」
『だからこそ興味があります』
「そう返すと思った」
ハルヴェンが机の端に置かれた金属台を指す。
中央に灯石をはめ込む窪みがあり、そこから細い線が放射状に伸びていた。
「本来なら、ここへ置いて補充します」
「直接魔力を入れるんじゃないのか?」
「できます。ただ、日用品を何十個も扱うなら道具を使った方が楽です。流れも安定しますから」
「魔法文明にも充電器があるわけだ」
「じゅうでんき?」
「似たものが、俺たちの世界にもある」
「では、補充するところを見ますか?」
航平は密閉容器を見る。
「こいつは今開けない方がいい。神殿にある別の灯石で実演してもらえる?」
「構いません」
防疫のために観察方法を変えた程度で、得られる情報は変わらない。
ハルヴェンが神殿備品の灯石を金属台へ置き、縁へ手を添えた。
淡い青光が線に沿って走る。
直後、航平のスーツが未知反応を検出した。
『観測しています』
ファイヴの声が低くなる。
ハルヴェン側から発生した反応が、金属台を経由して結晶へ集まっていく。
灯石内部の反応量も上昇していた。
「減ったものを外から戻せる。ここまでは間違いなさそうだな」
『流入量と灯石内部の増加量が一致しません』
「損失?」
『可能性があります。台にも反応が残っていますし、周辺へ散っている分もある。ただし、現在のセンサーが全量を捉えている保証もありません』
「まだ収支表は作れないか」
『はい』
しばらくして、ハルヴェンが手を離す。
「これで十分です」
「満杯じゃないのか?」
「古い灯石ですから。長く使うほど、少しずつ蓄えられる量が減ります」
『船長』
「聞こえてた」
『灯石内部に、新品とは異なる微細な構造差があります』
航平はハルヴェンを見る。
「こっちの機械でも、古いやつほど中身が変わってるらしい」
「そうなのですか?」
今度はハルヴェンが驚いた。
「私たちは、古くなれば蓄えにくくなると経験で知っているだけです。内部までは見えません」
「こっちは中を見られる。ただし、どの変化が原因なのかはまだ分からない」
「お互い半分ずつですね」
「そのくらいがちょうどいい。最初から片方だけ全部知ってたら、話すことがなくなる」
ファイヴから反論は来なかった。
代わりに記録要求がいくつも表示された。
航平は見なかったことにした。
「灯石への補充は、誰でもできるのか?」
「少量なら。ですが慣れていない人が無理をすると、ひどく消耗します。工房や商店で大量に扱う場合、専任者を雇うことが多いですね」
「補充だけで商売になるわけか」
「もちろんです」
魔法は奇跡である前に、生活技術でもある。
使えば減り、道具は劣化し、補充には技術と人手が必要になる。
航平には、その方がよほど理解しやすかった。
「次は俺の適性だったな」
「はい」
ハルヴェンが机から6枚の結晶板を取り出した。
形は似ているが、内部に刻まれた線がそれぞれ違う。
「6種類あるってことは、魔法も6種類?」
「いいえ」
ハルヴェンはすぐ否定した。
「これは神殿が基礎的な反応を見るために使う6つの検査具です。術の分類が6つしかない、という意味ではありません」
「危なかった。初日に世界の魔法体系を6個で片づけるところだった」
「実際はもっと面倒ですよ」
「安心した」
「なぜです?」
「簡単すぎる説明は、大抵あとで高くつく」
ハルヴェンは少し考えてから頷いた。
「それは魔法でも同じですね」
検査具の一つを台へ固定する。
「密閉した装備は、そのままで構いません。昨日の《生脈》鑑定が通っているので、まず非接触で試します」
「助かる」
「この板へ、手を近づけてください。触れる必要はありません」
航平はグローブを外さず、結晶板の5cmほど上へ右手をかざした。
何も起こらない。
数秒待つ。
変化なし。
「ずいぶん奥ゆかしい才能らしい」
「まだ何もさせていません」
「先に言ってくれ。危うく才能の葬式を出すところだった」
エルナが横で笑った。
ハルヴェンは隣の小さな結晶へ自分の指を置いた。
「私の魔力で、ごく弱く誘導します。あなたの身体へ直接触れることはありません」
「頼む」
結晶板の内部へ淡い赤光が走る。
その瞬間。
航平の右腕に、奇妙な感覚が生まれた。
熱ではない。
痺れでもない。
皮膚より内側を、ごく細い何かがゆっくり動いたような感触。
「今のは分かった」
「痛みは?」
「ない。変な感じがしただけだ」
結晶板にも、ごく弱い光が現れている。
『未知反応を検出』
ファイヴも同時に告げた。
「スーツ越しでも通るんだな」
『少なくとも、この現象は完全には遮断されていません』
「また面倒なデータが増えた」
『喜ばしいことです』
「研究者にだけな」
残る5枚も同じ手順で調べる。
強弱はあった。
ほとんど見えないもの。
少し長く残るもの。
だが、完全な無反応はない。
検査が終わると、航平は6枚を眺めた。
「で。天才魔法使い誕生の知らせは?」
「ありません」
「少しくらい間を置け。夢を見る時間がないだろ」
ハルヴェンの口元が緩む。
「少なくとも、この基礎検査では特別強い反応はありません。複数の系統に弱く反応していますが、それ自体も極端に珍しいものではない」
「普通か」
「その言葉が嫌そうですね」
「珍獣になるのは困るが、普通と言われると少し惜しい。人間は面倒だな」
エルナが笑っている。
「でも、妙なところがあります」
ハルヴェンの声が変わった。
航平も表情を戻す。
「聞こう」
ハルヴェンは昨日使った《生脈》鑑定用の円盤を取り出し、航平の腕へ近づけた。
青い結晶が淡く光る。
「通常、魔力を自分で動かそうとすると、《生脈》にも先に変化が出ます。訓練を受けていない人でも、ごく弱くは」
「俺は?」
「ほとんど変わっていません。外から誘導すれば検査具は反応するのに、あなた自身が力を動かす経路がまだうまく働いていないように見えます」
「燃料は入ってるが、操縦方法を知らない?」
「燃料が何を指すのかにもよりますが、近いかもしれません」
『興味深いです』
ファイヴが言った。
「その台詞、今日は何回目だ」
『回数を数える必要がありますか?』
「いや。聞かなかったことにする」
航平は腕を見る。
もちろん、密閉スーツの表面しか見えない。
「ファイヴ。昨日からの反応値は?」
『急激な変化はありません。ただし、到着後の記録を並べると緩やかな差があります』
「増えてるか?」
『そう見えるデータはあります。しかし周囲の未知反応濃度、測定位置、装備条件を完全には分離できていません』
「なら保留だな」
『はい』
航平はハルヴェンにも説明する。
「俺たちの観測でも、この世界へ来てから身体周辺の反応が変化してる可能性はある。ただ、それが身体の変化なのか、周囲の環境を拾ってるだけなのかは分からない」
「慎重ですね」
「宇宙で『たぶん大丈夫』を積み重ねると、そのうち棺桶を積むことになる」
ハルヴェンは少し表情を改める。
「経験がおありで?」
「棺桶を増やさずに済んだ経験なら何度か」
航平が軽く答えると、ハルヴェンはそれ以上聞かなかった。
「魔法を学ぶこと自体は可能だと思います」
「使えるようになる?」
「訓練次第です。まずは、自分の《生脈》を感じるところからでしょう」
「剣も銃も、最初から上手く扱える奴はいない。そこまで都合よくなくて安心したよ」
「あなたは、便利な力が簡単に手に入る方が嬉しいのでは?」
「簡単に手に入った武器ほど、簡単に事故を起こす」
「では神殿で基礎だけ学んでください。町中で勝手に練習するのは禁止です」
「俺が市場で火を出したら?」
「私がローディン執政官へ説明させられます」
「それはまずいな。自分の名誉より、あんたの勤務評定を守ろう」
「お願いします」
そこで扉が叩かれた。
若い神官が入ってきて、ハルヴェンへ小さな革張りの帳面を渡す。
短く言葉を交わしたあと、ハルヴェンの目が少し変わった。
「何かあった?」
エルナが尋ねる。
「《古き門》についてです」
航平の意識が切り替わる。
「許可が出た?」
「いえ。領主側と神殿上部の判断はまだです。これは別件です」
ハルヴェンが帳面を開く。
紙は黄ばみ、文字も一部かすれている。
「ローディン執政官から照会を受けたので、保管記録を調べてもらっていました」
「何か見つかった?」
「およそ90年前の調査記録です」
ハルヴェンが数行を指で追う。
「当時も《古き門》はほとんど動かなかった。しかし調査中、一度だけ門の内側が強く発光し、周辺の魔力反応が急激に乱れたとあります」
「人は?」
「死亡者はいません。その場にいた者も、一度は異常なしと判断されています」
「一度は?」
「数時間後、同行していた兵士の1人が強い倦怠感を訴えた」
ハルヴェンが次の行を見る。
「診察した神官は、《生脈の巡りが平時と異なる》と書いています」
航平は黙って聞く。
「それだけ?」
「もう一つあります。ただ、古い表現なので解釈に幅があります」
「構わない。分からないなら分からないまま教えてくれ」
「兵士の身体の近くに、本来なら周囲へ散るはずの魔力反応が長く残っていた。翌日には弱まり、3日後にはほぼ消えた、と」
通信が静かになった。
数秒後、ファイヴが口を開く。
『記録の測定方法が分からない以上、船長の現象と同一とは判断できません』
「分かってる」
『ただし比較対象としては価値があります』
「そこも同意だ」
ハルヴェンを見る。
「その兵士、その後は?」
「少なくとも、この帳面には後遺症の記録はありません」
「門を通ったわけじゃない?」
「記載を見る限り、誰も通っていません。門自体が開いたのかどうかも不明です」
「消えた人間がいたとか、知らない物が出てきたとかも?」
「この記録にはありません」
そこは重要だった。
古い噂と、実際の調査記録は分ける必要がある。
「この帳面を見せてもらうことは?」
「持ち出しは禁止されています」
「そこは予想してた」
「ですが、神殿内での閲覧と写しの作成なら、私の権限で認められます」
「十分だ。話の分かる神殿で助かる」
「《古き門》へ行く許可まで出したわけではありませんよ」
「安心してくれ。せっかく貯めた信用を、異世界に来て数日で全部使うほど若くない」
ワンスが隣から口を挟む。
「船長の過去の行動実績を考慮すると、その発言の信頼度には検討の余地があります」
「味方が一番厳しいな」
「安全管理です」
「便利な言葉を覚えたもんだ」
ハルヴェンが笑いを堪えている。
航平は古い帳面へ視線を戻した。
これで帰還への道が見つかったわけではない。
90年前の兵士に起きた異常と、自分の身体周辺で観測されている反応が同じだという証拠もない。
《古き門》が転移に関係している保証すらない。
それでも、調べる価値のある記録が一つ増えた。
「ファイヴ」
『はい』
「古文書担当も仕事に追加だ」
『喜んで』
「少しは嫌がれ。船長として仕事を増やした罪悪感が持てない」
『では形式上、遺憾の意を表明します』
「もういい」
航平は笑った。
未知の現象に、急いで名前をつける必要はない。
帰る方法を探すなら、まず事実を一つずつ積む。
神殿には、その事実が90年分眠っているらしい。
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