手記の扉
──王宮特別警備隊本部・仮設私室。
サンは、リーンの私室に足を踏み入れていた。
簡素な机と椅子。壁には色褪せた地図と、使い込まれた武具が静かに掛けられている。
その中央に置かれた革張りの分厚い手記が、部屋の空気を支配していた。
「……これが、リーンさんの記録……」
サンは、そっと手記に指を伸ばした。
紙は幾重にも折り重なり、背表紙がわずかに歪むほど詰め込まれている。
見出しの付箋が『ア』から『ン』まで整然と並び、まるで辞典のようだった。
サンは、迷わず『サ』のページを開いた。
そこには、リーンの筆跡でこう記されていた――。
サイプス
友好的なモンスター。こいつには何度か命を救われた。
握手してお辞儀すると会話できるなんてことを知ったのは偶然だったが、おかげでこいつにお礼を言うこともできた。
困ったり悲しんだりしている所を見かければ、人間であれ、動物であれ、同じモンスターであっても、寄り添って笑顔にしたいという、ただただ優しいだけの存在。
殺すなんてこと絶対にあってはいけない。
こいつの―――。
「……殺すなんてこと……絶対にあってはいけない……こいつの……」
サンは、指先で文字をなぞりながら読み、最後の一文を読もうとした、その瞬間――。
「サン。ここにいたのか」
背後から声がして、サンははっとして顔を上げた。
「…………」
戸口には、端末を抱え、切れ長の目で見据えているケルヴィが立っていた。
「ちょ、ちょっと知りたいことがあってっ……」
サンは慌てて手記を閉じ、胸元に抱えた。
「……何を読んでいた?」
「えっと……リーンさんの……手記です。サイプスのことが、書いてあって……」
ケルヴィは、眉をわずかに動かし、手記に視線を落とした。
沈黙の一拍が、彼の思考を物語っていた。
「あの男の……?」
「はい。これ……」
サンは手記をそっと差し出す。
ケルヴィは受け取らず、ただ目を細めて言った。
「捜査は無用だと、隊長は言っていた筈だが?」
サンは、手記を胸に抱えながら、静かに言った。
「……で、でもっ。なんかリーンさんの言葉が気になって」
ケルヴィは、暫しの沈黙の後、サンの目を見て口を開く。
「モンスターは数日の間に王国へ移送され、処分されることが決まっている。あの男が言ったことが真実だったとして……それを知ってどうする?」
「そ、それは……」
サンは、手記を見つめた。さっき読もうとした最後の一文が、頭の中で引っかかっていた。
「あの男も同様だ。命令違反により、今度こそ処刑もありえる」
ケルヴィの言葉にサンは驚いた顔を上げる。
「そんなっ! 少し強引だけどっ……でも、リーンさんもちゃんと捜査に加わろうとしてただけなのに!」
サンの叫びを物ともせず、ケルヴィは冷たささえ感じさせる鋭い視線をサンへ向ける。
「隊長の制止を無視するのも“ちゃんとした”規定違反だ。モンスターをも差し置いて、国家規模の大罪人という判決も受けている。奴の方が……処刑は早いかもしれない」
「っ………」
“処刑”……その言葉が胸の奥に鎮座し、サンは息が詰まりながらも、窓の外へ視線を向ける。
穏やかな夕陽が赤々と王都の屋根を染めている。
「っつ…………!」
夕日に照らされた、サンの瞳―――そこには、微かに決意の色が灯っていた。




