花の意味―9
──洞窟の入り口。
クローは馬車の荷台から飛び降りると、すぐに鼻を鳴らして地面の匂いを嗅いだ。
血の匂い。魔物の匂い。そして、リルの匂い―――安心する匂い。
「くぅん……!」
小さな体を揺らしながら、クローは洞窟の奥へと駆け出す。
岩壁の間をすり抜け、リルが葬った賊の死体を避けながら、足を止めることなく進む。
暗い洞窟の奥。
光のない空間を、リルの残した痕跡だけを頼りに走る。
やがて、視界が開けた。
ぽっかりと空いた天井から、陽光が差し込んでいた。
広い空間の中央には、白い花が咲き乱れている。
その前で、仲間たちが立ち尽くしていた。
ミュリルが息を呑み、サンが手を口元に当て、ケルヴィは端末を下ろして目を細めている。
リーンは中央付近で剣を下ろし、ただ静かに立っていた。
クローは彼らの間をすり抜ける。
誰も止めなかった。
誰も声をかけなかった。
そして、リルの隣へ。
イェルガの前へ。
──霧の森を抜けた先。
陽光が差し込む花畑。
かつてリルが幼い頃、誰にも言わず通っていた場所。
その中心に、白い毛並みの巨体が横たわっていた。
「……イェルガ……!」
リルが駆け寄る。
クローもすぐに後を追い、イェルガの傍らに寄り添う。
イェルガは、深い傷を負っていた。
呼吸は浅く、瞳はかすかに揺れている。
だが、その瞳に宿るのは――怒りでも苦しみでもなく、ただ静かな優しさだった。
クローがそっと毛づくろいを始める。
イェルガは指先だけを動かし、クローの頭を撫でる。
そして、泣き崩れるリルの頬に、指先を伸ばし――涙を、そっと拭った。
「……どうして……どうしてこんな……」
リルは震える声で呟く。
「逝っちゃダメ……お願い……!」
彼女は通信端末を取り出し、救護班を呼ぼうとする。
「まだ間に合う……まだ……!」
その手を、リーンが静かに止める。
「リル」
「離して……助けなきゃ……!」
「リル、聞いてくれ」
リーンの声は、静かで、でも確かだった。
「魔物の最期に迷いを持たせたら、その個体は“ディスアストラ”状態になる。感情が暴走し、理性を失い、最後の誇りすら壊れてしまう」
リルは言葉を失う。
「このイェルガは、最後まで守り切った。誰にも知られず、誰にも誤解されながら、それでも花を守り続けた。その誇りを、壊しちゃいけない」
イェルガの瞳が、リルを見つめる。
その瞳には、静かな“ありがとう”が宿っていた。
リルは、震える手をイェルガの胸元に置いた。
その鼓動は、もう微かだった。
「……ごめんね……私、何もできなかった……」
イェルガは、最後の力で、指先を動かす。
リルの手に触れ、指先に微かな力を残して――静かに、息を引き取った。
風が、花畑を優しく揺らす。
花々が、まるで見送るように、静かに揺れていた。
リーンは帽子を取り、胸に当てる。
「君は、誰よりも勇敢で、誰よりも優しく……立派だった……」
リルは涙を流しながら、クローを抱きしめた。
クローはくぅんと鳴き、イェルガの胸元に顔を寄せる。
その夜、花畑には誰もいなかった。
ただ、月光だけが、静かにイェルガの眠る場所を照らしていた。
まるで、誰にも邪魔されないように――その静けさと、そこに眠る記憶を守るように。




