牙の向く先ー10
──夜の宿舎前の道。
月明かりが石畳を照らす中、リーンは宿舎へ戻る途中、ふと前方に人影が見え立ち止まった。
「……サン?」
少し先に、サンがこちらを向いて立っている。
「………」
だが、リーンは一瞬、声をかけるのをためらった。
目が、赤い。 泣きはらしたのが、誰の目にも明らかだった。
(……どうしたんだ、あいつ)
目的地の中間に居るため、結局合流してしまう。
(しょうがないか……)
リーンは少し気まずそうに歩み寄りながら、声をかけようとした。
「おい、サン――」
その瞬間。
「うわあああああああああん!!」
サンが突然、リーンに飛び込んできた。
「はあ!? なにっ!? ちょ、ちょっと待て、なんで!? なにこれっ!?」
リーンは完全にパニック。 サンは胸元に顔を埋めて、えんえんと泣き続ける。
「うううう……だって……だってぇ……!」
「いや、だってじゃねえ! 説明してくれ!」
しばらくして、ようやく落ち着いたサンは、鼻をすすりながら、ぽつりと口を開いた。
「ごめん、なさい。……リル隊長との話、盗み聞きしてしまって……。 ナイトファングのお母さんの話……聞いてたら……もう、涙止まらなくて……」
リーンは呆れたようにため息をつく。
「……次があれば、その時は人知れず泣き明かしてくれ。……飛び込まれるのは、心臓に悪い」
サンは照れくさそうに笑いながら、袖で目元を拭いた。
「ほんと、ごめんなさい。善処します」
「……ああ。頼む」
二人は並んで歩き出す。
「え……?」
そして、宿舎の前まで来たところで、リーンはふと足を止めた。
「……うそ、だろ」
部屋の前。 膝を抱えて座っている巨体――グラン=ミュリルがいた。
決して小さくならず、でかいまま。でも、顔は膝に付き、肩が震えている。
「……あいつも泣いてる……? ていうか、あいつも盗み聞きしてた?……嘘だろ……?」
リーンの声に気づいたミュリルが、顔を上げる。
目は真っ赤。鼻も真っ赤。涙も鼻水も、もう顔から出るもの全部出ている。
そして――立ち上がった。でかいっ―――。
「う、うわっ! おい、来るなよ!? フリじゃないからなっ!?」
ミュリルが走り出す。
「うわああああああん!!」
「う、嘘だろっ!? おまっ、サンと同じことする気か!? 死ぬぞ、俺っ!!」
リーンは逃げようとするが、巨体のミュリルに抱きつかれ、完全に包まれる。
「ぐぅえっ……! お、重い……! 巨人に……感情物理でっ……来られる、と……死ぬっ……!」
サンは後ろで笑いながら、そっと言った。
「……ミュリルも仲間なんだから、ちゃんと受け止めてあげなきゃ、ね?」
リーンはミュリルに抱きつかれたまま、月を見上げた。
「……殺されると、なれば……話は……別だ……」
昔に大型の魔物と戦った際に、肋骨が何本かいった時と同じ痛さを感じながらも、リーンは、ミュリルが落ち着くまでされるがままで夜空を見上げるのだった。
──夜更けの宿舎。
廊下の灯りは控えめで、空気は静かに落ち着いていた。
リーンは、左わき腹を押さえながら、くつろぎスペースの扉を開ける。
「……やっと、帰って、これた……」
その瞬間、部屋の奥から聞こえてきたのは――。
「……ズビッ……ズビビッ……」
やたらと鼻をかむ音。
「は……?」
リーンは眉をひそめて声をかける。
「……ケルヴィ?」
ソファに座っていたケルヴィが、ティッシュを片手に振り返る。
目元は赤く、鼻はほんのり光っている。
「……ああ、リーンか」
「……お前まで、泣いてたのか……?」
リーンの言葉にケルヴィは、涼しい顔を装って千切ったティッシュを鼻に詰める。
「泣いてない。埃が、僕の鼻の奥を突いたんだ……」
「埃……? 毎日、掃除のおばさん入ってる筈だが……?」
ケルヴィは咳払いして誤魔化すように、丸めたティッシュをゴミ箱へ捨てる。
「ぅぅ……つつっ……はぁ……」
リーンはソファの端に腰を下ろしながら、左わき腹を押さえて呻いた。
「あぁー……先に言っとくが……お前だけは抱きついてくるなよ。もうすでに、サンとミュリルで肋骨が何本かいっている。俺のライフはゼロだ」
ケルヴィは目を細めて、リーンを一瞥すると静かに言った。
「……馬鹿なことをいう。世界が魔王だらけになろうと、お前に抱き付くことはない。……苦肉で魔王に抱き付く」
リーンはしばらく黙っていたが、やがて小さく言う。
「いや、魔王にも抱き付くなよ……」
リーンの言葉を無視してケルヴィは鼻にティッシュを詰めたその顔で、そっと窓の外へ視線を向ける。
今宵、月はまだ高く、静かに村を照らしていた。
──深夜の宿舎。
リーンはようやくベッドに腰を下ろし、ふぅと息を吐いた。
左わき腹がじんじん痛む。サンとミュリルの“感情物理”の余波は、まだ残っている。
「……やっと寝れる……」
隣の部屋では、一足先に部屋に戻ったケルヴィがすで寝ている。
なので、今、共有のくつろぎスペースには静寂が訪れていた。
──コン、コン。
くつろぎスペースの扉がノックされ、何者かが静寂を破る。
「……は?」
リーンは眉をひそめた。
「誰だ……こんな時間に……」
リーンはぶつぶつ言いながら、左わき腹を押さえて立ち上がると、ゆっくりと肋骨に響かないような小さな歩幅で歩み、部屋を出て共有スペースを通り、扉の前へと向かう。
「あー……わかってる。すぐ行くっ……」
向ってる途中でも控えめでありながらもノックの音は響き、少し苛立ちながらもリーンは歩を進め、扉の前へとたどり着くと、ゆっくりとノブを回した。
「……何をやっている。お前……」
扉の向こうにいたのは、リルだった。
月明かりに照らされたその顔は、少しだけ照れくさそうで、少しだけ不安げだった。
「……私も、したほうがいいかなって……」
リーンはしばらく無言でリルを見つめた。
「……いや、よくない。無理」
素早く扉を閉めた。
「俺なにかしたか……なんで、揃ってタックルを仕掛けてくる……」
リーンはベッドに戻る前に、そっとケルヴィの部屋へ行き、ケルヴィのスリッパを手に取ると冷凍庫へ入れた。
次の日、『冷凍スリッパの怪異』として、長い間語られることとなる、未解決怪事件となったのは言うまでもない。




