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砂漠に降る銀の月~花の刻印があるスルタンの妃は盗賊と出会う~  作者: 高瀬さくら


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49.猫と蛇

暴力的な表現があります、ご注意ください

「アンタと俺はよほど相性がいいらしいな。じゃなきゃ、こうも会わないだろう?」


 シャーラは壁を背にして、必死で後ずさる。否定も肯定もできない、ただ怖かった。


「なあ、四十番」

 

 目の前に迫り、ジャファルはシャーラを番号で呼んで、嘲るように笑う。

 目も口も苛立たしげに歪められている。


 どこかの空き地に連れてこられていた。

 近くには日干し煉瓦造りの半壊した建物があるだけ。作り途中ではない、放棄されたのだ。

 

 壁には黒いインクで、卑猥な言葉が描かれている。


 ――ここに来るまで、人の姿はなかった。

 なのに、地面には何かの肉のついた骨や、リンゴの芯、果物の皮の生ゴミが転がり、破れたサンダルやヴェールの切れ端が道端に落ちている。


 シャーラたちが近づくと、黒い塊が一斉にぶわりと膨らみ大量の蠅が飛び立つ。

 その下から動物の死骸が姿を現す。

 目を見開くシャーラの前で、すぐに黒い虫たちが覆いつくす。

 

 饐えたような臭いが立ち込めている。

 

 ラズールの言う、一人で足を踏み入れてはいけない場所、だった。


(こんなとこ、誰も来ない)


 ううん、いるのはまともな人じゃない。


「絞まれ」


 彼の一言で、喉に圧迫を感じる。シャーラは必死で喉を押える。


「ああ、無理に指つっこまねえほうがいいぜ、千切れるからな。実証済みだ」

「や……けほっ、ごほ」


 涙が湧いてくる。

 しゃがみこんで咳き込むと、ジャファルがシャーラの前髪を引っ張り、顔を上げさせてくる。


「安心しろ、少し苦しいだけだ。今は殺す気はねぇ」

 

 妙に優しげで宥めるような口調は怖くて、気持ちが悪い。

 彼の手がヴェールを外して、頭を撫でてくるから、嫌々と頭を振るのに、離そうとしてくれない。


「なあ、アンタにラズールが言ってない、いいことを話してやるよ」

 

 聞きたくない。

 けれど、耳元で言い聞かせられる。

 

 喉の拘束感は相変わらずで、息が苦しい。

 恐怖で呼吸が荒くなって、咳がこみ上げる。なのに遮られて、喉が引き攣る。


「俺のお気に入りの、アンタにプレゼントしたこれな。囚人用だ」


 涙目で顔をあげると、自慢げにジャファルは饒舌に語る。


「門から来た囚人の死体に、はめられてたんだ。言う事きかせるのにぴったりだろ」


 頭を撫でていた手が顎を掴んでくる。


「ちなみに、ラズールの武器も奴隷が持っていたやつさ。奴隷兵だったんだろ、足には鎖をはめられて、番号が肌に焼かれていたんだからな」


(番号……!?)


 シャーラは、その言葉に息を飲む。

 ジャファルの濁って黄ばんでいる白目、その目を見つめた。

 

 ジャファルはシャーラの腰の番号を見た、そのことを勿論覚えているだろう。


「なあ、最初ラズールは疑ってただろ、アンタを。門から来るのは、魔物とか死体とか、そんなんばかりだ。道具にしたって、真っ当なものじゃない」


 頭が真っ白になる。

 

 最初に目を覚ました時、シャーラはラズール達によって縛られていた。


「門から来るもの、俺らは正直思ってる。送り主はゴミを送ってるってな。ここは、あっちにとっちゃ、ゴミ捨て場なんだよ」


(私は……)


 私は……まともな、人間じゃないの……?


(……ラズール……)


 涙が溢れる。ぽたぽたと、干からびた土に雫が染み込まれていく。


 足元が崩れ去っていくような、心もとなさ。


「アンタも奴隷だったんだよ、四十番。じゃあ逃げてきたのか? いーや、それは違うね」


 ずっと恐れていたこと。自分が何者なのか、あまりにもジャファルの説明が納得できる。


「女と一緒にいた男が、死体で見つかっただろ。どんな死に様か知ってるか?」


 シャーラはもう、返事をすることができなかった。ただ、ジャファルの言葉に涙を流すだけ。


「全部、二十歳そこそこの若造だったらしい。それがよ、たった数ヶ月後に全員砂漠で死体が見つかった時は、な」


 楽しげに、当ててみろとばかりに間を取る、シャーラに頭が回るわけがない。


「真っ白い髪に、歯が抜け落ちて、よぼよぼの老人だったらしいぜ」

「……!」


 シャーラは目をぎゅっと閉じて、悲鳴を飲み込んだ。


「なあ、アンタは男を楽園へ連れて行くなんつって騙してんだろ。そして魔物のもとへ連れて行き生贄にする。用済みになりゃ、ポイだ。女の番号は十八番、二十六番、三十番と増えてきてる。そろそろアンタも仕事をする番だろ」

「……番、号?」


 ジャファルは驚きを目に浮かべて大げさに嘆く。


「なんだ、知らなかったのか? ラズールは言わなかったのか、知ってたのによぉ」

「他の人も、みんな、番号が……」

「記憶がないってのはいい方便だな。何も知りませんって言いながら、男を騙して身ぐるみ剥いで、命と若さと全部奪う、アンタ、スゲエよ」


 ジャファルが指を鳴らすと、首の拘束が緩む。シャーラは激しく咳き込んだ。


「ごほっ、ごほっ、こほっ。ちがっ、かほ」

「なに、苛めたかったわけじゃねえよ。俺の話わかってくれたか?」


 ジャファルが、シャーラの頭を押さえつける。耳元に言い聞かせる。


「アンタは、ラズールを殺そうとしている。だろ?」


「違うっ、違うわ」


 シャーラの否定は全然通じない、わかってもらえない。


「ラズールもとっくに気づいているさ。けどそれでもいいって、ついてく気なんだから、よっぽどアンタにイかれてる」


(ラズールが……)


 そうかもしれない。賢いラズールがジャファルと同じことに、気がつかないわけがない。


「そこでだ、アンタがラズールを殺そうとしてねえって、証明できる方法を教えてやる」

「……」

「アンタの出現を予言したやつは、ラズールと俺、両方にそのことを知らせた。アンタを手にするのは、伝説の国に行くのは俺でもよかったんだよ」


(……なに?)


 ジャファルがシャーラの腕を取り、立たせる。壁に押し付けて、首を手で押さえつける。


「言ったろ。俺とお前は相性がいいって」


 シャーラは嫌だ、と言った。つもりだった、けれど声が出なかった。


「今夜は、街に泊まるんだろ。月が天頂に登る頃、猫の鳴き声がしたら外に出てこい」


 ジャファルがシャーラの胸へと小袋を突き出して、身体を乱暴に突き飛ばし、道へと押しやる。シャーラはジャファルを一度振り向いて、唇を戦慄わななかせる。


(嫌だって、言わなきゃ。……嫌だって)


「そいつを香炉に入れれば、ラズールもしばらくオネンネさ。アンタは、煙を吸わないよう気をつけな」

「わたし、しない」


「じゃあ、ラズールを殺せばいい。魔物んとこ連れてって、アイツの全てを奪い尽くせ」

「それなら、あなたも危険でしょ――」

「俺はアンタに惚れてねえ。アンタの命を握ってるのは、俺だ。主人は俺だ」


 行けよ、とジャファルはシャーラを追い払う。シャーラは足を縺れさせながら、必死でその場から離れようと足を進めた。最初は、よろめきながら、それから駆け出す。


 通りかかるシャーラに驚き、蠅が飛び上がり動物の死体が曝け出される。


 それは、茶色の毛皮の――猫だった。


「いい旅路になりそうだ、なあ?」


 声が、視線が、いつまでも追いかけてくるようだった。






『なあ、シャーラ、違うって』


 あまりにも、ジャファルの言い分に納得する。腑に落ちてしまうのだ。


(名前が思い出せないのも……当然)


最初から自分には名前がないのだ。


(四十という数字は、奴隷としての番号。魔神に捧げられるはずの)


『ラズールに相談しろって。抱え込むなよ、馬鹿なことを考えるな』


(ファリド、ひとつ聞いてもいい?)


 ファリドに問いかけると、黙ってしまう。


(私、あなたの……奴隷だったの?)


『それは違う!!』


 ファリドの声も、全然頭に入らない。何も考えられない。何も、考えたくない。


「シャーラ!!」


 通りから駆けてくる姿――黒い髪、無造作に巻いた白いターヴァンの先が揺れる。青い瞳がシャーラをまっすぐに見てくる。


 シャーラは拳を握りしめた。


(ファリド。今のこと、絶対に、ラズールに言わないで)


『シャーラ、ラズールに言えよ、ジャファルの言う通りになんてなるな』

「シャーラ、どうした!? 何があった?」


 ラズールが、シャーラの腕を掴んで、胸に引き寄せる。一度離して、髪を整えて、頬を挟んで問いかける。


「猫の……」


声が震える、ラズールが訝しげな顔をする。


「猫が死んでいたの。それだけ」



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