朔風の帰還 ②
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説明口調な地の文や描写に加え視点がコロコロ変わります、ご容赦くださいませ。
規定の時刻より少し前、聖ラウラント王国が誇る《不落の巨龍》ロディ・グランベルク騎士団長が、朝礼の行われる広場へと姿を現した。
いつもであれば一人で堂々と歩く彼の隣には、細身の、しかし見事な風格を纏った薄い紫色の髪の青年が並び立っている。
その高潔で刃のように鋭い気配を放つ人物こそ、半年ぶりに帰還した副騎士団長――フリンズ・フォン・フェイレンであった。
(あいつが、副団長……)
レンは鋭い赤い瞳を動かし、前方を歩くフリンズの姿をじっと見つめた。
元傭兵としての鋭敏な野生の勘が、その男の内に秘められた尋常ならざる強さを察知する。
だがレンの放ったわずかな視線の揺らぎを、フリンズの冷たい夜空のような色の瞳は逃さなかった。
歩みを進めながら、フリンズの視線がまっすぐにレンを捉える。
「――――」
「――――」
火花が散るような視線の交錯は、数秒にも満たない刹那の出来事だった。
フリンズは一切の感情を排した無言のまま視線を外し、何事も無かったかのように前を向く。
(なんだあいつ……)
すれ違いざまの威圧感に、レンの心に刻まれた副団長の第一印象は「徹底的な無愛想」というものだった。
やがて朝礼の開始を告げる鐘の音が響き渡り、広場に集まった大勢の騎士たちが一斉に整列を開始する。
◇ ◇ ◇
偵察部隊の列に並んだヴァラキー姉妹は、いつものように最前列に陣取っていた。
ふと妹のシノアが、自分たちの隊長であるミカのすぐ後ろに、今まで見慣れない一人の少女が佇んでいることに気がついた。
シノンとシノアのヴァラキー姉妹がこの偵察部隊、ひいては聖ラウラント王国騎士団に加入してから、既に二ヶ月余りが経過している。
その二ヶ月間で一度も顔を合わせなかったということは、周囲の騎士や使用人たちが噂していた、あの遠征軍のメンバーに違いない。
偵察部隊に限らず、騎士団の整列において部隊の先頭に近ければ近いほど、その者の等級が高いか、あるいは長く修羅場を潜り抜けてきたベテランであることの証となる。
ゆえに、あの冷徹にして最強の一角であるミカのすぐ後ろという破格の位置を許されている以上、その少女は相当な地位と実力を兼ね備えているはずだった。
見た目の年齢は自分たちと、さほど変わらないように見える。
つまり騎士団に籍を置く年数ではなく、圧倒的な実力者であるが故にその場所に立っているのだ。
「お姉ちゃん、あれが偵察部隊の皆が言ってた《副隊長》かな?」
「多分ね……。それよりシノア、そろそろ始まるみたいよ」
姉のシノンが妹との小声の会話を短く終わらせ、前方に意識を戻す。
それと同時に、整列した騎士たちの最前線でロディ団長が朗々と声を張り上げた。
「皆、既に聞き及んでいるかと思うが、今朝、遠征軍が王都へ帰還した! 彼らの極北での功績は多大であり、我が聖ラウラントの誇りだ! 俺は、彼らの無事なる帰還を心より嬉しく思う!!」
ロディの熱い言葉に多くの騎士たちが深く頷き、広場のあちこちから盛大な拍手が巻き起こった。
レンからしてみれば、いつもの倍以上に膨れ上がった騎士の数と、見たこともない見慣れない顔ばかりの光景に圧倒されるばかりだ。
レンは周囲の熱気に釣られるようにして、とりあえず隣のラバックの真似をしながらパチパチと拍手を送る。
それからも、ロディ団長による熱の籠もった長い祝いの言葉が延々と続いた。
その一区切りがついたところで、隣に控えていたフリンズが静かに口を開いた。
「団長、お言葉は大変嬉しいのですが……そろそろ朝礼の規定時刻を過ぎております。式次第を」
「おっと、すまんすまん。では、全員、唱和から――」
フリンズに促された団長が、いつもの『唱和五箇条』を指示しようとする。
誰もが背筋を伸ばし、声を揃えようとしたその僅かな一瞬の静寂の隙間に、一人の騎士が緊張感なく、静かに愚痴を零してしまった。
「……長いわね……」
「えぇ……」
ほんのたった一言。
囁くような私語だった。しかし、完全に静まり返っていた広場には、その不運すぎる呟きがありありと響き渡ってしまった。
「――――――」
ヴァラキー姉妹の、いつもの癖で出た世間話にも似た一言により、辺りの空気は瞬時に凍りついた。
まるで魔術管理局のルーシャ局長が施す恐るべき講義の最中のような、肌を刺す冷気が広場全体を撫でていく予感すらさせる。
ラバックは最悪の事態を察して静かに目を閉じ、エルンは内心で(これは予知夢で見た……あの恐ろしい結末の……)と思考を激しく回転させて怯える。
「え、何? なんなの?」
この騎士団における『唱和中の私語』がどれほどの禁忌かを知らないシノアは、周囲のあまりの豹変ぶりに困惑するばかりだ。
一方、姉のシノンは今更ながらに事態の深刻さを実感し、顔を青ざめさせていた。時既に遅し、であるが。
「――貴女、見ない顔ですね。新人の方ですか?」
寸分の狂いもない正確な足取りで、ゆっくりとヴァラキー姉妹の前に立ったフリンズが、凍てつくような冷たい瞳を向けた。
その威圧感だけで、並の騎士なら呼吸を忘れるほどだ。
「え、私は――」
シノアが気圧されながらも言い訳をしようと口を開いた、まさにその瞬間。
ヴァラキー姉妹の視界を遮るようにして、静かに一人の少年がその身を滑り込ませた。
「彼女は七十二日前に偵察部隊に配属された、シノア・ヴァラキーです」
前に出たミカの堂々たる背中に、ヴァラキー姉妹は息を飲む。
事態の壮大さと副団長の冷徹さを知るベテラン騎士たちは、誰もが固唾を呑んでその光景を静かに見守っていた。
「君の部下ですか、ミカ。――君にしては指導が甘い。元殺人ギルドの暗殺者という報告は受けていましたが、手綱はしっかり握っていますか?」
「全ては僕の不徳と致すところです」
フリンズの容赦のない詰問に対し、ミカが静かに頭を下げて謝罪する。
その光景を見たヴァラキー姉妹の胸中には、自分たちの軽率さへの激しい怒りと、不甲斐なさが同時に湧き上がった。
「ちょっと待ってよ! ファーレンガルドは……!」
「私たちが私語をしたのが悪かったんでしょ? だったら私たちが謝るから――」
「チッ! あの馬鹿どもが……!」
前方で様子を見ていたクリスが静かに舌打ちをもらすと、ミカに続いて素早く前に出た。
「――あー……副団長。彼女たちはまだこの環境に慣れていないと言いますか……。要するに、俺の教育不足がすべての原因です」
普段はどんな時でも飄々とした態度を崩さないクリスハイト・オルティが、ミカと同様に大真面目な顔で頭を下げる。
その異様な光景に、レンは目を見開いて驚愕した。
あのクリスがこれほど必死に謝罪する姿など、見たことがなかったからだ。
「おい、ラバ――」
「静かに、レン。後でいくらでも説明するから、今は喋るな」
ラバックの、いつにない真剣で引き締まった声音に、レンはさすがに危機感を覚えて押し黙る。
隣のエルンに視線を向けると、彼女も青い顔で静かに頷いた。
「――シノア・ヴァラキー、シノン・ヴァラキー。君たちは、ここが如何なる場所であるかを真に理解しているのでしょうか」
「は? どういう意味よ?」
「騎士団でしょ? それくらい分かって――」
言い返そうとしたその時、シノアは、普段ならどんな修羅場でも余裕を崩さないはずのミカの額から、じっとりと冷や汗が滲み出ていることに初めて気がついた。
(あのファーレンガルドが……怯えているの……?)
「ちょっと、ファーレンガルド、あなた――」
クリスが最悪の展開を予期して息を飲む気配が伝わると同時に、フリンズの細い指先が、容赦なく腰の剣の柄へとかけられる。
そのあまりの緊迫感に、ロディ団長が制止の声をかけるのすら、ほんの数秒遅れるほどの圧倒的な速度。
だがその瞬間――張り詰めた氷の世界を溶かすような、落ち着いた、けれどどこか明るい声音が広場に響き渡った。
決して張り上げられた大きな声ではない。
そのあまりにも耳によく馴染むその声の主は、ミカのすぐ後ろに立っていた少女だった。
「……何か、君にも意見が? ――シルフィーネ・エレネスト」
フリンズが動きを止め、冷たい視線をその少女――透き通るような金色の髪を揺らし、美しい空を思わせる瞳をした少女へと向ける。
「フリンズ副団長殿。規律を重んじるお気持ちは非常によく分かりますが、今はそんなことよりも、即座に受け身を取る必要があるようですよ。――ほら」
シルフィーネが楽しげに指を指した、まさにその瞬間。
「――あぁ、総員! 今すぐ受け身を取れ!! ベアトリクスだ!!」
ロディ団長の絶叫が響き渡ると同時に、フリンズが纏っていた冷たい空気を木端微塵に打ち砕くかのように、騎士団の巨大な扉が凄まじい勢いで蹴り開けられた。
「「「うわぁぁぁぁ!!!! こんな日に!!!?」」」
副団長の恐怖から一転、王国の歩く天災の襲来に、広場は一瞬にして大絶叫の渦へと叩き落とされるのだった。
大気を揺るがすような勢いで広場の重厚な扉が開かれ、そこから現れたのは、鮮やかな朱赤の法衣を翻した王国の歩く天災――ベアトリクスであった。
「遠征軍が帰ってきたんですって!? お祝いに来たわよ!!」
開口一番、嵐のような大声を響かせた彼女に対し、最前線に立つ《不落の巨龍》が即座に吠え返す。
「来るな! 帰れ!!」
ロディ団長が放ったのは、凱旋の祝いに対する感謝とはあまりにも真逆の、魂からの拒絶の叫びであった。
その怒号が響き渡る間にも、百戦錬磨の騎士たちは誰一人として取り乱すことなく、流れるような動作で続々と地面へ身を沈め、規定の「受け身」を取り始めていく。
レンもまた、騎士団に加入してからすっかり身体に染み付いてしまった半自動的な受け身体勢を、無意識のうちに素早く完成させていた。
「嫌だわ。失礼しちゃう! 呼んだのはそっちなのに~!!今ならお祝いムードだからって、少しくらい羽目を外してもいいじゃない!」
不満げに唇を尖らせるベアトリクス。
だが、その背後にすっと音もなく回り込んだフリンズが、凍てつくような正論の刃を突きつけた。
「何のことですか、ベアトリクス嬢。そもそも妖術師の身でありながら、我が騎士団に用件がある際は、しかるべき事前のアポイントメントが必要です。例外として除外されるのは、国家の有事と緊急を要する任務の際だけですが」
一分の隙もないフリンズの生真面目な正論に、ベアトリクスはあからさまに嫌悪感を剥き出しにし、「うわー、出たわ堅物」という表情を顔いっぱいに浮かべた。
その緊迫した押し問答の隙を突き、ヴァラキー姉妹はミカとクリスに背中を押されるようにして、フリンズの立つ位置から大きく距離を取った安全圏で見事な受け身を完了させていた。
「あの……ファーレンガルド……」
震える声でシノアが気まずそうに声をかけるが、その言葉を遮るようにミカの淡白な声音が降ってきた。
「話は後でいくらでも聞きますから。今は静かに、一切口を開かないことをお勧めします」
「よーするに、余計なことを言うな。死にたくなきゃ黙ってろってことだよ」
冷徹に徹するミカの横で、明確な怒りを含んだクリスが低く舌打ち混じりに補足する。
普段の飄々とした軽薄さを完全に消し去った先輩たちの態度に、ヴァラキー姉妹はただ小さく頷くことしかできなかった。
二人が、先ほどフリンズの追及を寸前で逸らしてくれた金髪の少女――シルフィーネ・エレネストへすがるように視線を向けると、その視線に気づいたシルフィーネは、まるで悪戯が成功した子供のような純粋で無邪気な笑みを浮かべ、自身の唇に綺麗な指先を一本立てて見せた。
――しー、と
「もー! なんなのよぉ……全員してシケた顔しちゃって。いいわ、どうせ夜には盛大な遠征軍凱旋パーティがあるんでしょ? その時に盛大に混ぜてもらうから!」
「……その話は今するな(主に予算的な意味で頭が痛いんだ)」
ロディが顳顬を押さえて苦渋の呻きを漏らすのを見届けると、ベアトリクスは珍しく爆発事故をただの一度も起こすことなく、嵐のように広場から去っていった。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
こんな戯れ言に付き合っていただき、大変恐縮です。
これからも彼らの活躍を見守っていただけたら嬉しいです!
あなたにも風の導きが有らんことを
にしみん




