変節 Ⅰ
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塗り替えられる約束と乱戦の幕開けです
——誰だ。
——お前は誰だ。
声が聞こえる。
同じ声だ。俺と同じ声なのだ。
頭が割れるように痛む。
つい最近まで、このような不調などなかったはずなのに。
——役目を果たせ。
嘔吐感が喉を突く。
明確に身体の不調を感じ始めたのは、演習二日目の午後だった。
——殺せ。
己ではない誰か。
それは絶対的な命令文となり、耳の奥にへばりついて離れようとしない。
——人間を、殺せ!!!
あまりにも煩く、邪魔だ。
俺はついに耐えかねて、聞こえてくる声に反論を試みた。
——煩い、黙れ。俺は騎士になると決めた。約束もある。
——約束……? 約束だって?
急激に、先ほどまでの勢いが衰えていく。
——……約束だ。待たせている奴がいる。
本心だった。
一人の騎士の吐露を耳にして思ったのだ。
同じように、俺も——
——果たすべき約束はそれじゃない。
次に聞こえた声は、もっと幼く感じられた。
ふと、目の前に一人の子どもが立っていることに気付く。
コバルトブルーの瞳に、黒い髪。
——お前は人形だ。彼女の為に動く、人形。
その姿を直視した瞬間に理解してしまう。
コイツは俺だ、と。
幼少期の記憶などはっきりと覚えてはいない。
目の前の子どもの髪は白くないし、瞳も紅く染まってはいない。
麻薬を過剰に摂取した者は髪も目も変貌を遂げる。
だが、目の前の俺には麻薬のもたらす異形の特徴がない。
それでも。
——お前は、誰だ。
——俺はお前だよ。
ポタポタと、ナニカが滴り落ちる音が響く。
音につられる形で、視線を下へと落とす。
血だ。赤い血液と——
死体。人間の。
これまで俺が殺めてきた人間の死体が転がっている。
——いい加減、つまらねぇ騎士ごっこは止めろ。
その声と同時に、転がっていた死体の一つが動き出す。
首から下が存在しない死体の目玉が、勢いよくこちらへ向いた。
——人形らしく、働けよ。
まるで、今までの罪を責め立てるように。
——それがミリアの願いなんだから。
ミリア。
その名前が耳に届いた瞬間。
——あ……あ゙あ゙あ゙!
塞いでいた、塞がれていた記憶の蓋が開いた。
開いてしまった。もう止まらない。
まるで泥のように、暴れだした感情は収まりを見せない。
夜の帳が降りる度に、その手を血で染めた記憶。
朝の雲雀が鳴く度に、殺めた首を捧げた記憶。
人間を殺す度に褒められるのが嬉しかった。
人形の証明を行う度に頭を撫でられるのが好きだった。
——どうせ人間になれないんだから。
子どもの俺が、含みを持たせて呟く。
その間も、幼い日の愛おしい記憶は濁流となって押し寄せてくる。
もう、手遅れだった。
——ミリアが好きなのは人形だ。
「——人、形じゃ……ないと」
——愛してくれない。
「愛してくれない」
なら殺さなければ。
彼女の望むままに、殺さなければ。
あの夜、王国との国境線へ赴く前、確かに交わした言葉があったはずだ。
彼女との最後の記憶、最後の会話。
最新の願い
思い出せ
思い出せ
思い出せ
——ねぇ、レン。
——何?
——あたし、欲しいものがあるの。
——何が欲しいの?
約束があったはずだ。
騎士に——違う、人形に……。
「一人が■■なら、二人の■■に■■■■やってもいい」
——王国、その中枢を統べる。
「■■いな、お■」
——枢機卿の首。
——ミリアが欲しいなら、取ってくるよ。
——本当? ありがとう、レン。……約束よ。
約束、やくそく、ヤクソク。
「そうだ、約束だ」
この手で枢機卿の首をミリアに。
彼女の愛する人形として。
「殺さないと」
俺は再起動のため、息を深く吸い込んだ。
——目の前に、あの子どもは既にいなかった。
◇ ◇ ◇
「次はお前だ。全力で来い!」
「はい!」
演習最終日。
騎士団長自らが立ち会うこの訓練は、学ぶというより最終試験と称した方がしっくりくる。
無謀にも騎士団長へ力任せに突撃した者が、あっけなく吹き飛ばされた。
それでもあの男は「今のは良い剣だった!」と破顔するだけで、脱落者を出すことはなかった。
次々と立ち合いが進み、エルン、ラバックと続き——
そして俺の番になった。
「……次はお前だ、レン」
「………………」
——ここでこの男を殺したら、帝国が優位に立つだろうか?
蒼い双眸が俺を射貫いていた。
あの眼光には見覚えがある。
国境線で初めて刃を交えた際の眼差しだ。
ここで仕掛けるべきか。
「何してるんだよレン! 早く行かないと……」
ラバックに背中を押される形で、俺は踏み出した。
そのまま騎士団長の元へと歩み寄る。
間合いが詰まるにつれ、原因不明の冷や汗が背筋を滑り落ちていくのを覚えた。
「——————」
枢機卿の首を取るのは容易ではない。王国の騎士であっても、相いまみえる機会は稀だ。
だが——騎士団長であればどうか?
国の重鎮であれば、枢機卿との接触も叶うはずだ。
——この男を人質に取れば、枢機卿の首を取るのも不可能ではないのかもしれない。
俺は事前に用意した毒針の感触を確かめる。
極細の毒針。袖口に秘めたまま、男へ距離を詰めていく。
一瞬だ。一瞬で決める。
あの男は化け物だ。鍔迫り合いはもちろん、力比べに持ち込まれたら勝ち目はない。
この状況下での撤退は、ほぼ不可能。
失敗は「死」以外の何物でもなかった。
「レン」
「……今行きます」
俺が躊躇していることに痺れを切らしたのか、騎士団長が声を張る。
腰の鉄剣へ手を伸ばす。
—— 一気に間合いを詰め、男の柄を握る手に毒針を刺す!!
かすり傷であっても数秒で筋肉を麻痺させる、高性能の毒針だ。材料さえあれば調合も難しくない。
そして幸運なことに、材料である毒草はいつの間にか岩影に置かれていた。
どう考えてもミリアからの支援だ。
毒は成人男性であっても二秒と保つまい。
地を蹴る。
思いのほか身体は軽く、思考は驚くほど冴え渡っている。
吐き気も頭痛も、余計な雑念を払う必要すら届かない。
全てはミリアの為に。
これほど何も考えずに済むのは、いつ以来だろうか。
ここ最近は、無駄な思案ばかり——
「それがお前の答えか、レン」
——……? この男は何を口にしている?
刃が交錯する間際に投げかけられた言葉の意味を汲み取れぬまま、俺は一心不乱に鉄剣を振りかぶった。
全力の上段斬り。
過剰に力を込め過ぎたせいか、僅かに掌が痺れを帯びる。
それでも、毒針を打ち込む動作に支障はなかった。
「………………レン」
確実にその針は、男の手の甲へと突き刺さっていた。
針の先から滲み出た蛍光色の毒液が侵食していく様が、何よりの証左だ。
——あとはこの男を拘束し、掛け合いに持ち込むだけだ。
交渉の相手は誰になるだろうか。
騎馬部隊を率いる男か? それとも生真面目そうな眼鏡の男か。
折衝に長けていそうな物資管理の女かもしれない。
あるいは、まともだと評される遊撃部隊の女か。
—— 一礼の有無で銃弾を撒き散らすような子どもでないことだけは確かだろうが。
「人と話す時は相手の目を見ろ。——常識だぞ」
「——? なっ……」
「まるで余計な思考だ」と吐き捨てるかのように。
重い、爆発するような衝撃が俺を捉えた。
——次の呼吸を吐き出す瞬間になって初めて。
俺は騎士団長の手によって殴り飛ばされたのだと理解した。
だとしても立ち上がらない理由にはなり得ない。
俺は重い身体に鞭打って、何とか立ち上がった。
周囲から向けられる視線に思考を散らす暇はない。
次の一手を、すぐに打たなければ。
——生存の路はない。
「派手に飛ばされたなぁ……おーい! レン、大丈夫か?」
どこかお気楽な青年の声が耳に届く。
——煩い、余計なノイズだ。
「全員! 戦闘態勢!!」
騎士団長の低く、重厚な声が響いたのは——
俺が抱いた確信とほぼ同時だった。
「は……?」
「な、何だ……? また訓練——」
ガサガサと。
カタカタと。
複数の足音が地面を揺らす。
その音は真っ直ぐにこの場へと向かってきていた。
続いて聞こえるのは金切り声。
呻き声にも聞こえるそれは、明らかに求めている。
——何を?
「……血だ」
「レン! 何してる! 早く構えろ! 敵襲だ! すぐに——」
「レン先輩! 早く移動を! う、動く死体がそこまで!!」
殺さなければならない。
この青年も、この少女も。
足元に転がっていた鉄剣を拾い上げる。その間も動く死体——《ヴァーミン》の大群が血を求めて肉薄してくる。
死体を直視しても、奴らが俺へ敵対行動を取る気配はない。
どうやら上手く命令系統が機能しているらしい。
そして先頭にいた四十代前後と見られる男の死体が、未だに警戒を促す少女を標的に定めた。
「……! ひっ……!」
剣を握る手は震えている。
あれではまともに迎え撃てまい。
一番近くにいる青年が援護に回ろうとするものの、些か距離が開きすぎている。
——まずは、一人。
この憐れな少女の血を以て、混乱渦巻く乱戦に持ち込もう。
事が上手く運べば、このまま人質を取って枢機卿の良心をかき乱す。
そうでなくとも撤退は容易だ。
「エルン!! 斬れ! 早くッ!!」
「あ——」
少女のヘーゼルの瞳が大きく見開かれる。
それは死への恐怖か、はたまた動けない自分への疑念故か。
薄汚れた鋭い爪が少女の首を掻き切ろうと迫る。
——その、刹那。
「ぐあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ッ!!」
俺の耳に届いたのは、少女の絶望に満ちた断末魔などではなかった。
代わりに視界の端で舞ったのは、今まさに少女へ迫っていたはずの死体の鋭い爪だった。
——この少年を覚えている。
「エルン、そのまま三歩下がって下さい」
「……ぁ、み、ミカさ——」
「エルン! こっちだ! 下がろう!!」
黒いケープに、中性的な顔立ち。
黒髪に栗色の瞳。
——ミカ・ファーレンガルド。
少年騎士は続く死体を即座に始末し、周囲に迫っていた死体の群れを一気に削ぎ落とした。
「団長、報告します。敵の数は推定五百以上。二陣、三陣を考慮すると千を越えるでしょう」
少年はどこか余裕すら感じさせる所作と共に、淡々と語る。
——先ほどまで、死体の群れ以外に気配など感じなかったはずだ。
俺は胸の内で焦りを覚えていた。
死体の数は圧倒的で、少年が姿を見せたことを忌々しく感じても、動揺するような要因は何処にもない。
なのに。
「チッ、予想以上に数が多いな。新人を先に下がらせろ。前線は俺が保持する」
「団長お一人で? ……恐れながら——」
「心配するな、二人だ」
俺は二人の応酬をただ耳にしていた。
すべては情報収集の為だ。できる限り記憶し、敵の情報を持ち帰る。
「——レン、お前……?」
「……………………」
その前に、やることがあった。
目の前の敵を、殺さなければ。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
こんな戯れ言に付き合っていただき、大変恐縮です。
これからも彼らの活躍を見守っていただけたら嬉しいです!
あなたにも風の導きが有らんことを
にしみん




