過越し方を抱き、前途を拓く 後編
この作品を手に取っていただき、ありがとうございます✨
今回は複雑なお話で『??は、はぁ...?』となるかもしれません。私の拙い表現ではこれが限界でした!申し訳ございません…!
「——それはもはや、魔術の域を越えているのではないか!?」
《魔導具・礼装開発課》の統括長が驚愕の声を上げたことで、広大な会議室は一瞬にして大きな混乱に包まれる。
群情憤激とは、きっとこのことを示すのだ。
「まさかイルシオンの麻薬研究がここまで進んでいようとは……」
「死者を冒涜しているに等しい……自国の人間であろうと、このような扱いをするとは!!」
「やはり悪逆無道……このまま野放しにはできないのではないか……!?」
蜂の巣をつついたように、思い思いの言葉を掛け合う魔術師たち。
……気持ちは分かるけど、それくらいにした方がいいと思う。
普段、そこそこ失敗しちゃう私だって、このまま騒ぎ続ければ“彼”を怒らせることくらい理解できるのに。
——頭が固い人って、これだから嫌になっちゃうわ。
「はぁ……」
ほら、思った通り。
彼——十二勇士の一人《虚星の理法者》シリウス様は、不機嫌を微塵も隠そうとしない様子で重い溜め息を吐いた。
その全身から静かに漂う圧迫感と苛立ちが、場の空気をどこかピリつかせていく。
「——静まれ。気持ちは分かるがの、騒ぎ立てたところで状況は何も変わらんよ。今は情報を整理する時間じゃ」
シリウス様の心情を察したのかは定かじゃないけど……枢機卿——プトレマイオス・ロートレ・アモン様が放った静止の声により、揺れ動いていた会議室は再び静寂を取り戻した。
——さっすが、枢機卿様。The指導者って感じね。
「次の報告を聞こう」
放つ圧倒的な重圧からはかけ離れた、まだ幼さを残す少年の声が響く。
それと同時に静かに、かつ迅速に席を立ったのは、偵察部隊 隊長、ミカ・ファーレンガルド。
「報告します。イルシオン帝国との国境付近において——」
資料を手に持っているものの、その少年はまるで完全に暗記でもしているかのように、正確無比に直近の国境付近の様子を報告していく。
————事態は、私が思っている以上に危機的状況に陥っているのかも……。
私はそんな思考と共に、少年の淀みない報告に耳を傾けながら、手元に配布された資料へと目を通す。
会議が始まる前までは、もう少し心が軽かったような気がするのに。
——遡ること二十分前。
魔術師監理局・中央大会議室。
名前の示す通り、魔術師監理局の中で一番広い会議室。
軽く百人は収容してしまえるほど壮大で、左右の階段状に席が配置されており、中央へ近づくほど位の高い人間が座る仕組みになっている。
会議が始まる二十分前。私は「絶対遅刻をしない」と決めたお陰も相まって、余裕綽々といった様子で会議室の重厚な扉を潜った。
今日の会議の議題は幾つもある。
最近のイルシオン帝国の様子だとか、麻薬の流通だとか、他国の反応だとか。
帝国と王国は長年敵対しており、小さないざこざを繰り返している。
でもそれだけなら、騎士団を中心とした一部の重鎮たちでお堅い会議をすればいいだけのこと。
ならどうして、魔術師を中心とした会議が今日行われるのか?
決まっている。会議の議題が魔術絡みだから。
——でも、これって「魔術」と言っていいのかなぁ……
それが、私の胸の中に抱く率直な感想だった。
当初、我が《人工魔導研究課》に運び込まれたサンプル——死体ともいう——を見た時は、まさかこんな事態になっているなんて思いもしなかったのだ。
死体とは、読んで字の如く「死んだ体」のことを指す。
生物は死んだら動かなくなる。これは常識であり、世の理そのものであるはずなのに。
あの日見た死体は、確かに、自らの意志で———動いていた。
最初は《死体操作》や《降霊術》の類いだと信じて疑わなかった。
前線部隊が持ち込んだ敵の亡骸。人工魔導研究課に流れてくる時点で只の死体ではないことは明らかだったけれど。
それでも、身体の肉を裂き、張り巡らされた魔力回路を精密に調べる内にとある事実が発覚した。
背筋が凍って、呼吸を一瞬忘れてしまうくらいの衝撃だった。
結果だけ見るなら、死体操作の類いとなんら違いはない。だけど、その根本的な原理はまったくの別物だった。
——あれは、魔術などではない。
《魔法》——魔術という技術の領域を越えた『奇跡』に他ならない。
魔術とは、向き不向きや才能の差こそあれ、行使しようとすれば誰もが使える《技術》である。
では、魔法とは何を示すのか?
魔法は、誰もが行使できるようなものではない。
技術を越えた、一つの到達点。
魔道を極めた者のみが至れる【究極の頂】
凡人はおろか、どれほど優秀な魔術師であっても一生涯を通して至れないこともザラである。
天才である私でさえ、その頂は遥か彼方に霞んでいて、まだまだ届かないのだと痛感させられるくらいには。
そんな奇跡が、ある日私の前に転がってきたのだ。
——人間の亡骸という、ただの肉塊から。
解明しなければ、と思った。絶対に暴きたい、とも。
単純な好奇心と探求心で、胸が高鳴り踊ったのを覚えている。
なにより「奇跡」の本質を目の当たりにできるなんて、人生において一度あるかないかの機会だ。
——けど、すぐ後悔した。
こんなおぞましいものが、私が目指すべき到達点の一つだなんて、絶対に思いたくなかった。
懐中時計を取り出して時刻を確認し、まだ充分に時間があることを確かめたのと同時に見知った顔を見つけ、私は声をかける。
「あ、ミカ! 貴方も参加するの?」
呼びかけに応じ、黒髪の少年がゆっくりと振り返る。
もっとも、彼のことだから私が声をかける前に、すでに近づいていた気配へ気付いていたはずだ。
その証拠に、その姿勢は僅かに低く構えられている。
……すっごく癪ではあるけれど、騎士団の連中は私が視界に現れると姿勢を低くしたり、過剰に身構えたりすることが多い。
廊下ですれ違う時でさえ、全力で警戒されている。本当に失礼しちゃうわ!
特に新人騎士や見習いに至っては、離れた場所に私がいると分かっただけでゴロゴロと床を転がり始めたり、見事な受け身を取り始めたりする。
……団長は一体、新人たちに何を教えているのやら。意味が分からない!
「ベアトリクス様、ごきげんよう。——えぇ、僕は国境付近および王都周辺の偵察記録の報告がありますから、参加は必然ですね」
見事な一礼と共に淡々と告げるミカに、私は「相変わらずね」と返しておいた。
「しかし……急遽招集とは穏やかではありません」
「まぁね、それだけ事態の緊急性が高いからじゃない?」
「そうなのでしょうね。やむを得ない事態とはいえ、予定の調整が必要不可欠になりました。——そう思いますよね? アルハイサム様」
ミカが突如として呼んだ名は、定時退社の筋肉鬼——アルハイサム・レギュラリス。
どうやら、いつの間にか音もなく私の後ろに立っていたらしい。
流石の気配察知能力には脱帽するけれど、無言で背後に立つこの書記官も中々に恐怖を与えてくる。
「お疲れ様です。ミカ隊長、ベアトリクス嬢」
挨拶もそこそこに、アルハイサムは心底不機嫌そうな声色で語り始める。
「仕方がないとはいえ、この様子では定時に帰宅できるか怪しいものです」
「定時、定時って……そんなに早く家に帰って何してるのよ?」
「効率的なトレーニング、および趣味の読書です。他に何をすると?」
帰ってやることが単なる趣味なら、王宮の休憩室の一つでも借りればいい話なんじゃないの?
私が口に出すより早く、ミカが哀れむように苦笑する。
この少年、表情こそ柔らかく見えるけれど、実際は「緊急性の高い会議が入った時点で、定時退社など出来る訳が無いじゃないですか……諦めた方が楽になれますよ」なんて、少し毒気のある感情を裏で抱いているに違いない。
……それにしても、この【社畜中間管理職】は感覚が完全に麻痺しているのだ。
サービス残業は当たり前!上層部からの無茶振りに日々応えすぎていて、この程度の予定変更も涼しい顔で切り抜ける猛者。
——ああは絶対なりたくないわ。
「それにしても、何故この時間帯なのでしょうか……あの方が起床できるとは到底思えませんが……」
「私も同感ですね。かといって夜間に開催されても迷惑です。残業になってしまう」
アルハイサム書記官がその光景をイメージしたのか、不快そうに眉を顰め、眉間の皺をさらに深深く刻む。
ミカの言う“あの方”とは、《星導の審理者》の称号を持つ《魔工機械課》統括長——サーラ・カーティ様のこと。
確かにあの方は、見事な昼夜逆転生活を送っていると聞く。
夜は研究に没頭し、朝から夕方近くまで就寝するという徹底ぶり。
一見するとどの時間帯でも邪魔できないように思えるけれど、研究を直接邪魔される方が遥かに怒られるらしいので、昼間に起こされる方がまだダメージが少ないのだとか。
サーラ様は《十二勇士》であると同時に魔術師監理局に在籍しているため、今回の会議にも参加されるのだ。
もちろん、十二勇士としてではなく、一人の研究者として。
「本当に来るの? 絶対に会議の開始時刻が遅れると思うわよ」
その私の言葉を聞いた瞬間、アルハイサム書記官の眼光がちょっと引くくらいカッと見開かれた。怖すぎ。
「馬鹿なっ!!そのような事態あってはならない!! 定時で帰れないじゃないですか!!!」
「ちょ……落ち着きなさいよ!」
彼は定時退社を脅かされると、普段の冷静さを完全に失い、途端に取り乱してしまうみたいだ。
「アルハイサム様、ご安心を。この会議にはアルト様もご参加されます。あの方なら、サーラ様と共に現れるでしょう」
ミカの言葉には概ね同意すると同時に——調査小隊の隊長であり十二勇士の一人、アルト様も参加となると……いよいよ冷や汗が滲んでくるレベルの焦りがある。
おまけに魔術師が主導権を握る会議である以上、あのトラブルメーカー……シリウス様も参加するのは間違いない。
「よくよく考えたら十二勇士が三人!? ……この会議、本当にヤバイかも……」
私の発した不安な声に、ミカもアルハイサム書記官も深々と頷くことで同意を示すばかりだった。
世間話をしつつ、会議の開始を待つ間にも続々と魔術師や関係者が入室してくる。
五分、十分と時間が過ぎる間も、噂の十二勇士たちは一人として現れない。
「…………チッ」
「アルハイサム様、まだ希望を捨ててはいけません!」
「ちょっと遅刻しそう無いくらいで大袈裟ね……いいじゃない、数分くらい」
私の言葉を聞いた書記官が再び声を張り上げようとし、それをミカが慌てて制した。
その制止と同時に、見慣れた人物たちがやって来る。
魔術師監理局 局長——ルーシャ・ルナリス。次いで、騎士団長ロディ・グランベルクが続く。
魔術師と騎士団のトップが揃い踏みし、更にはプトレマイオス枢機卿までもが姿を見せた。
……それにもかかわらず、自由奔放な十二勇士たちは一人たりとも現れない。
定時退社を何より愛する筋肉鬼の怒りのボルテージは、止まることを知らずに爆発寸前まで上がり続けていた。
◇ ◇ ◇
会議開始の時刻は午後十三時。現在、午前十二時五十八分に達しようとしていた。
記録のために集まった書記官たちが座る席で、青筋を立てて筋肉鬼が立ち尽くす中、会議室には「遅刻者がいる」という雰囲気がほぼ確定し始めていた。
困惑しつつも、相手が十二勇士ということもあって、誰も表立って口には出せない様子だ。
手元の懐中時計のカチ、カチ……という小さな秒針の音が、やけに大きく響き渡る。
騎士団からも何人か隊長格が招集されており、その集団がまとまって座る席で、ミカは静かに目を閉じて沈黙を守っている。
十三時まで、あと数十秒。
誰もが遅刻を確信した、まさにその刹那。
中央にある、空席となっていた三つの座席の空間が、ゆらりと歪んだ。
幻覚の類いではない。文字通り空間がぐにゃりと押し広げられ、こじ開けられたのだ。
同時に、自身の魔力回路が直接引き絞られるような、重く、そして痺れるような圧迫感が駆け抜けた。
誰もが驚愕と衝撃に目を剥く中、空間の裂け目から影が落ちてくる。
《空間転移》間違いなく高位魔術の応用。
魔法の一歩手前と言ったところだが——実質、魔法の領域に足を突っ込んでいる規格外の業だ。
そもそも、空間を跳び超えて移動・転移するためには、綿密で膨大な事前準備が必要不可欠となる。
一般的には『アンカー』を用いた手法だ。
魔道具や特定の建造物である門を設置し、A地点とB地点を魔力で接続して転移する。
もしくは、あらかじめ目的地の空間座標を魔力回路に記憶させ、その定められた地点にのみ転移するか。
どちらにせよ、事前の施術なしに空間転移など発動できるはずがない。
だが、いま目の前で起きた現象は、そんな常識すら疑うレベルの代物!!
仮にこの会議室の空間座標が記録されていたのなら、設置されたアンカーの魔力反応で誰もが事前に気付くはずだ。
だけど、そのような反応は一切確認されていなかった。
つまり——
「おっと、ギリギリセーフみたいだな?」
「良かった。……サラ、もう少しで遅刻するところだったよ?」
「うっ……仕方ないじゃない! 眠気には勝てないの!」
何の事前準備も、設置もなしに、その場で即座に転移を完了させてみせたのだ。
————うっそでしょ!!!? そんな……! あり得ないわよ!??
「僕は随分前から起こしたけどね」
「ボクも起こした。でも起きなかったからサラが悪い」
「あ゙ー! もう! 分かったわよ! 悪かったわね!」
「間に合ったのはシリウスのお陰だね」
「うむ、くるしゅーない」
「遅刻しなかったのはシリウスのお陰だけど、すっごく腹立たしいわ……!」
魔法一歩手前の魔術行使を目の当たりにして脳の処理が追いつかない……!!
そんな私の気持ちを知るはずもない当人たちは、それがいつもの移動手段なのか——常識外れの空間転移に関してまったく言及する様子もなく口論を続けている。
軽口もそこそこに席に着いた三人は、軽く手を挙げて挨拶——彼らとしては遅刻の詫びのつもりらしい——を済ませると、何事もなかったかのように着席した。
どうやら真の意味でギリギリセーフだったらしい。
アルハイサム書記官が爆発していないのが、何よりの証拠だ。
……それにしても、こんな離れ業とチートレベルの強引な駆け込み、普通じゃあり得ないのだけど!?
「では、定刻となったので、始めさせてもらうとするかの」
特に気にした様子も見せない枢機卿様が会議の開始を告げたことで、シリウス様の常識外れな空間転移に唖然としていた者も、恐怖で魂が抜けかかっていた者も、一瞬で気を引き締めた。
「急遽集まってもらったのは、他でもない。帝国が開発・研究・運用している麻薬について、緊急性が非常に高い事案が発生した故じゃ」
言葉のトーンこそ穏やかではあったが、いつも温厚な枢機卿の表情はどこまでも重く、険しい。
会議室全体に張り詰めたような緊張が走るのは、必然だった。
「まず始めに、《人工魔導研究課》の解析結果から報告を頼めるかの」
その鋭い視線が私へ向けられた瞬間、私は背筋をこれでもか! というほどピンと伸ばし、素早く席を立った。
「はい! 報告します」
私はあの日、検体の解剖と研究で得た異様な知見を、包み隠さず報告した。
曰く——
麻薬を過剰投与され続けた人間は、従来の身体的な衰弱・破壊と同時進行で、その魔力回路に決定的な変異を起こし始めるということ。
それこそが——
「麻薬を基盤に、故人の魂を【複製】するという点です」
「「「「「——————————」」」」」
静寂が会議室を支配する。
あのルーシャ様でさえ、一瞬その瞳を小さく見開いた。
本来、人が死亡した際その魂は肉体を離れ、天界に招かれると言われている。(罪人は冥界行きという伝承等も存在するが、詳細は割愛する)
この絶対の理において、命を失った死体からは魂が抜け落ちており、内側は完全に空っぽだ。
当然意志など存在せず、身体機能が停止している以上、自発的に動くことなどあり得ない。
死体操作や降霊術の類いは、あくまで『術者が魔力という糸で端末である死体を操作している』に過ぎず、実際に意志を持って動かしているのは術者本人だ。
——死体は自ら動かない。そこに『魂』がないからだ。
だが……もしも、そこに複製された魂が存在するのだとしたら?
一度失われた魂の情報を、麻薬を基盤に無から『複製』できるとしたら——?
術者による遠隔操作を一切必要とせず、死体そのものが自身の擬似的な魂によって自律行動を開始する。
加えて、身体はすでに感覚を失い死に絶えているため、常人とは比較にならない高い耐久性を持ち合わせることになる。
肉体を十全な運動が不可能なほど細切れに砕くか、完全に蒸発させてしまわない限り、その死体はどこまでも動き続けるのだ。
——何度でも、何度でも、何度でも。
もちろん、その複製された魂は本物の魂とは到底呼べない代物だ。
元の魂を雑に模倣した、お粗末な劣化コピーに過ぎない。会話すら成立しないほど知能指数は著しく低下している。
それでも、自発的に動き、自我なき殺意を持って生きている人間や敵対者へ襲いかかり続ける。
それはもはや、『動く死体』という従来の魔術的な見解を遥かに超えた存在。
禁忌の領域で生み出された、異形の生命体と呼べるほどのもの。
「《人工魔導研究課》は、この自律型死体群を兵器に準じる危険存在と判断。呼称名を——」
『ヴァーミン』
それこそが、元の魂を身勝手に複製され、死してなお泥の如く酷使され尊厳を奪われた者たち——王国と人間社会に惨禍をもたらす、害虫にして災厄そのものの名であった。
◇ ◇ ◇
かくして、《魔導具・礼装開発課》の統括長が驚愕の声を上げ、ミカが正確無比に偵察結果を報告する場面へと至るのである。
二十分前はアルハイサム書記官の定時退社がどうとか、十二勇士の方々が遅刻する、だとかを呑気に話していた時の空気は、当然ながら跡形もなく消え失せている。
事実、『魂の複製』は明らかに《魔法》の領域に達していた。
本来の《死体操作》や《降霊術》は、死体という肉体を術者が魔力を用いて強引に操作するものだ。
死体を端末としてリンクさせる以上、一人の術者が動かせる数には自ずと限界が生じる。
端末が多くなればなるほど過剰な魔力を消費するし、何より精細に操作できる数にも限度がある。
だけど……魂を複製した場合は話が根底から変わる。
複製された魂によって自律行動が可能である以上、術者による遠隔操作や魔力供給が一切不要になるのだ。
加えて、麻薬による過剰な身体強化がもたらす圧倒的な耐久力と筋力。
おまけと言わんばかりに肉体内部の魔力回路は正常に動作しており、術者本人の魔力を一滴たりとも使用しない。
強いて欠点を挙げるとすれば、知能指数が著しく低下しているために複雑で細かい軍事指示が出せないことと、特殊な麻薬を過剰投与し続けなければならないことだが——
帝国ではすでに麻薬を用いた戦闘部隊が運用の主流となっているため、彼らにとっては痛くも痒くもない。何の欠点にもなり得ないのだ。
「約二ヶ月前から、国境付近において多数の戦闘特化型部隊を確認。その大多数が麻薬を過剰に投与された者たちでした」
「なんと言うことか……帝国は殺戮兵器の軍勢でも造るつもりか……!!」
「元より、自国の人間の命であっても非道な実験を繰り返し、果ては使い捨て同然の道具扱いするような……狂った皇帝が治める国ですぞ」
「ともかく、このまま帝国の悪逆無道な行いを許し、静観すべきではありません!」
各課の統括長たちが帝国の非道に強い嫌悪感を露わにする一方で、魔術師たちを束ねる局長は一言も言葉を発せず、一律に固く沈黙を守っている。
「会話が辛うじて成立する者を数名捉え、尋問した結果、麻薬を開発した者と思われる名を聞き出すことに成功しました」
淡々と告げてはいるけれど、あの偵察部隊隊長の言う『尋問』なんて、実質『拷問』と大差ないはずだ。
やり方はさておき、麻薬開発者という極上の情報を引き出してみせたのは大きい。
——さっすがミカ! やるじゃない!
私は内心で、この優秀すぎる少年騎士へ惜しみない称賛を送った。
「……して! その開発者とは一体誰なのだ!?」
《戦術魔術課》の統括長が耐えきれずに慌てて問いただし、ミカがその問いに答えようと口を開かけた
——その時。
「その者の件は、局長殿の方がよほど詳しく語ってくれるだろうよ」
氷のように静かな声が、会議室の頭上から不意に落ちた。
質問を投げかけた統括長も、今まさに答えようとしたミカも、一部の重鎮を除いた会議室の全員が一斉にその声の主——シリウス様へ視線を向ける。
当然、私も。
「シリウス様……そ、それはどういう……?」
「言葉通りの意味だ。局長殿の方がよく知っている。なにせ『旧知の仲』だからな」
声のトーンだけを聞けばどこか楽しげな印象すら受けるのに、少年の鮮烈な葵色の双眸は、対象を容赦なく暴き立て解剖するような鋭利な眼光で局長——ルーシャ様を射抜いていた。
「……シリウス、その件は」
「黙ってろ、爺。すでに実害が出ている。このまま放置って訳にもいかねぇ。——あんたはどう思う?」
枢機卿様がまるでルーシャ様を庇うように制止の声を上げるが、シリウス様は短い舌打ち一つでそれを一掃した。
相手が王国の絶対的な指導者であっても、煌めく銀色の髪を揺らす規格外の天才魔術師は、一切退く気がないらしい。
刺のある言葉ではあったが、静かな、そして重い問いかけがルーシャ様へ投げかけられる。
局長は一度深く息を吐き出すと、逃げることなくまっすぐにシリウス様の鋭い視線を受け止めた。
「貴方の言う通りだわ。このまま何もしない手はありません」
「だとよ、爺。……それで? 現段階で、ろくな対策も講じていない局長殿には、一体どんな手があるっていうんだ?」
——さすが十二勇士、言うことがいちいち派手でヒヤヒヤするわ。
相手は王国の全魔術師を束ねる魔術師監理局 局長だ。
あそこまでルーシャ様に面と向かって砕けた——ううん、挑発紛いの軽い不遜な言葉を投げかけられる人物なんて、この国にも片手で数えるほどしか存在しない。
「『ヴァーミン化』を抑える抑制剤なら、すでに作製に成功しているわ」
「抑制剤じゃ何の意味もねぇっての。『魂の複製』に対する具体的な根本対策になり得ねぇよ」
ルーシャ様の迷いのない回答に対しても、シリウス様は容赦なくバッサリと切り捨てるように吐き捨てる。
その整った顔貌には、誰の目から見ても明らかな苛立ちが固く浮かんでいた。
先程まで慌てた様子で問い詰めていた統括長も周囲の人間も、誰もが『触らぬ神に祟りなし』と言わんばかりの表情で、完全に息を潜めて沈黙を貫いている。
——書記官連中だけは、相変わらず無表情で淡々とペンを走らせているけれど……っていうか、あいつらやっぱりどこか頭がおかしいわ。
「では、貴方には何か確実な対策があるというの?」
「手っ取り早いのは、帝国もろとも叩き潰して研究成果を完全に無に帰した後、開発者を始末することだ」
「……現実的ではないわね。あの子が貴方たち《十二勇士》を警戒していないとも思えない」
「あの子」という、たったその一言だけで察してしまった。
明らかに親しみを込めた声色だったし、その人物の思考回路を知り尽くしている者の言い方だ。
「手っ取り早い、って言ったろ? 時間は多少かかるが、要は『魂の複製』そのものを阻害すればいいだけの話だ」
「簡単に言ってくれるわね」
「そう難しくもない。複製っていうからには、コピー元となる情報が存在しないと複製なんて当然不可能だ。——なら、その元の情報を正常に読み取れなくしてやればいい。複製の過程で『速読』という手間を挟んでるんだから」
つまり……コピー元である魂(情報)をスキャンできないよう、何らかの強力な阻害やノイズのようなものを術式に施すということだ。
——いやいやいや、ムリムリムリ!!! それって結局、魂そのものに直接干渉するってことでしょ!? 『魂の複製』が魔法なんだから、それに割り込む『魂への干渉』だって当然魔法の領域じゃない!! 魔法使いがゴロゴロ転がってないっての!!
私は心の中で絶叫した。
『相手が魔法を使っているなら、こっちも魔法で対抗すればいい』という無茶苦茶な横暴ぶり。
魔法なんて常識を越えた『奇跡』なのだ。そんな簡単に——
……そこまで思考を走らせた瞬間。私の頭の中で、何かが閃めいて——消えた。
「……フン、なるほどね」
シリウス様の言葉に、右隣で肘をついていたサーラ様が納得したように鼻を鳴らした。
左隣ではアルト様が答えに辿り着いたのか、静かに頷いている。
この短時間にどうやったら『あぁ、なるほど』といった表情になれるのか……やはり《十二勇士》は規格外の変態(褒め言葉)集団だわ。
「——分からん。俺にも分かるように説明してくれないか?」
ロディ騎士団長が呆れた様子で声を上げる。
その言葉は、この会議室にいるほとんど全員が抱いた疑問を代弁したものだった。
意外にもシリウス様は素直に応じた。
「いいか、『魂の複製・干渉』は魔法だ。だが『麻薬を基盤に故人の魂を複製する』以上、ヴァーミン化の元凶は魂そのものじゃなく『魔力回路』だ」
————あ!! そうだわ! そうじゃない!
どうして言われるまで分からなかったのか。さっき閃きそうになったのはこれに違いないわ!!
麻薬を過剰投与され続けた人間は、従来の身体的な衰弱・破壊と同時進行で、その魔力回路に決定的な変異を起こし始める。
数分前に私が報告した言葉だ。なのにシリウス様に言われるまで気付かないとは、完全な盲点だった。
麻薬が物理的に影響を与えるのは『魂』ではなく『魔力回路』
魔力回路という中継点を通る以上、私たちが直接的に『魂』へ干渉する必要はないのだ。
……でも、阻害術式を魔力回路に施すにしても魔力回路を通して行っているから、結局魔法になるんじゃない?
私は新たな疑問を抱いたが、その疑問はすぐに解決されることになる。
「《魂の複製》は魔法であると共に『禁忌』何より、魔力回路を通した複製など不可能じゃ。何故なら——」
枢機卿様が私の内心を読み解いたようなタイミングで語り始める。
おおよそ、他の魔術師たちが抱いた疑問に律義に答えてくれようとしているのだろうが——
「魔力回路とは『人の体内に宿る魔力を巡らせ、術式へと変換・出力するための生体回路』じゃ。生体回路を通じて魂を複製するのは些か複雑でな。構造や回路の本数を考えれば、複製など現実的ではない」
——やば……急激に話が難しくなってきたわ。
落ち着いて整理しよう。
魂の複製や干渉は『魔法』
そして、帝国は麻薬を通して魂の複製を行っている……ここまでは理解できる。
けれど、麻薬を通している以上、魂の複製もまた魔力回路に干渉していると言えるのでは?
つまり、ノイズや阻害といった対策も魔力回路に干渉する以上、やはり『魔法』の域に達しているんじゃ——
「爺、言い方が回りくどい。要は『魔力回路を通した複製』は魂だけじゃなく、『魔力回路そのものも同時に複製してしまう』ということだ」
……つまり!
帝国は「魔力回路までコピーされるとパンクする」から、回路をスルーして魂だけを直接肉体に叩き込む魔法を行使している。
だけど、いくら魂だけを複製しても、それが肉体を動かすための接続ポートは結局『魔力回路』なのだ。
魂そのものに干渉するのは《魔法》の領域で無理でも、接続ポートである『魔力回路』にノイズを流して受信拒否を起こさせるだけなら——
「直接の魂への干渉は《魔法》だが、魔力回路への干渉は《魔術》の範囲内だ」
——なるほど、それなら理解しやすいわ!
魔力回路は『生体回路』だ。優秀な魔術師ほど回路の構造や本数が多いのもそうだが、一般的な人間であってもそれなりに複雑な構造をしている。
魔力回路まで一緒に複製しようとすれば莫大な情報量となり、複製するための手間と時間が跳ね上がってしまう。
帝国がやりたい『魂の複製』という魔法は、あくまで『魂の情報』だけを複製できればいいのだ。
魔力回路という経路を通してしまうと、複製する必要のない魔力回路までまるごとコピーされてしまう。
よって、魔力回路を通した魂の複製は実質不可能なはずで、大量の《ヴァーミン》を量産したいなら尚更現実的ではないのだ。
「手間と時間の問題で不可能だと?」
さすが騎士団長、ただの筋肉魔人軍団の親玉ではない。こういった難解な魔術関連の知識にも理解が早いのは、彼が聡明である証拠だ。
「それもあるけれど、魔力回路ごと魂の複製を行うと、脳内および肉体が耐えられないんだよ。繰り返すようだけど、魔力回路は『生体回路』だ。複製してしまったら自己同一性の崩壊を招きかねない」
アルト様の補足でさらに理解が深まった。
騎士団長も同様のようで、「自分が二人いるみたいなもんか。それは末恐ろしいな」と納得の言葉をこぼした。
「二つの回路が互いに主導権を握ろうとして、脳内で過酷な奪い合いになるわ。激しい幻聴、幻覚、過呼吸、脳のオーバーヒートによる死——死体とはいえ、行動できなきゃ本来の兵器運用ができないでしょ。本末転倒なわけ。だから彼らは魔力回路を通さず……つまり回路を完全に無視して直接、魂だけを複製しているのよ」
涼しい顔をして難解な情報をまとめ上げたアルト様とサーラ様には感服するけれど、何より——
『直接の魂への干渉は《魔法》だが、魔力回路への干渉は《魔術》の範囲内だ』というシリウス様の台詞。
——普通に『魔法』に片足突っ込んでるけどね!!
私は声に出さずにツッコミを入れた。
確かに直接的な魂への干渉と比べれば、魔力回路への干渉——『ノイズや阻害』を入れる行為は現実的だ。
けれど、生体回路そのものを外部から弄るなんて、高難易度というレベルを遥かに超越している。
それも、戦場の大多数に一括で干渉できるような方法が本当にあるというのだろうか?
「魔力回路に干渉……ね」
「それくらいはやってもらうぞ。かつての同胞だろ?」
シリウス様は容赦なく、その極めて難解で恐ろしい行為——魔法一歩手前の魔術的干渉を命じたのも同然だった。
「——分かったわ。少し時間をいただけるかしら?」
「仕方ねぇから期間は設けないでやる。ただ、早いことに越したことはねぇ。じゃなきゃ——」
次の瞬間。
さっきの空間転移の時に感じた『自身の魔力回路が直接引き絞られるような、重く痺れる圧迫感』なんて比じゃないほどの——
息を呑むほどの恐ろしい重圧が、会議室全体を叩き潰すように響き渡った。
私の両隣に座っていた同僚たちが思わず頭を抱え、苦痛に顔を歪ませるほどだ。
私は必死に耐えつつ、倒れかけた同僚の肩をなんとか支え直した。
「アンタの昔の同胞、ミリア・エインズワースは——ボクが殺す。肉塊の一片も残さず八つ裂きにしてやるから、そのつもりでな」
ミリア・エインズワース。
それこそが、麻薬という悪魔の処刑台を作り出した、諸悪の根源の名であった。
◇ ◇ ◇
「エインズワース……? 聞いたことがない名前だが……」
《魔理・属性解析課》の統括長が呟いた言葉に、会議室にいる大半の者が同意するように深く頷き合った。
麻薬の開発者というのだから、帝国ではさぞ高名な人間なのだろうか……?
けれど、私の中で一つだけ強く引っ掛かることがある。シリウス様は確かに『かつての同胞』と語ったのだ。
それが単なる知り合いという意味なのか、それとも——《長命種》であるルーシャ様と同じく、悠久の時を生き続けている存在なのかは定かではない。
——でも、いま確実に分かるのは、とんでもなく規格外の怪物だってことよ。
《魔法》を自在に行使できるというだけで、私たち魔術師とは天と地ほどの圧倒的な差がある。
住んでいる世界が違うと言ってもいいくらい。
そんな恐ろしい存在が、明確な殺意と敵意を持ってこの王国に牙を剥いている。
確かに帝国とは長年敵対関係にあり、王国の堅牢な国境線を何年かけても突破できず、歯がゆい思いをしているとはいえ……
「お前たちは『何故ここまでするのか?』と疑問に思っているだろ」
断定的。
それは問いかけですらなく、知的な彩りを湛えた葵色の双眸は、私たちが喉から手が出るほど知りたがっている好奇心の空洞をそのまま見透かしているようだった。
「シリウス様は御存知なのですか……!? であるなら、理由を!理由を教えてください!!」
一人の魔術師が矢継ぎ早に身を乗り出した。
本来なら無礼を咎められてもおかしくないし、この王国随一といっても差し支えないトラブルメーカーなら舌打ちと共に雷槍の一発でも落としかねない場面だ。
でも今日は、いつもの不快そうな舌打ちは聞こえてこなかった。
代わりに、どこか歪に愉しそうな——相手が自分の領域に興味を持ったことが心底嬉しい、とでも言いたげな笑みが浮かんでいた。
背筋をゾワリと駆け抜ける、冷たく、暗く、重く——
「知りたいか?」
——熱くて、冷たくて、何よりも恐ろしい感覚。
「はい! 私たちは王国のために——」
激しい怒りと、耳を劈くような泣き叫ぶ声。
「そうか。なら」
————許さない
「せいぜい、呪い殺されないように、な」
——許さない
——許さない!!
——許さない!!!
——あなたたちを、許さない。
聞こえてくる。
何が?
絶望と怨念に満ちた——呪いの声が。
私たちを蔑む声。激昂の声。呪詛の声。
視界の端から世界がどこか遠くへ置き去りにされ、幻覚が——目の前の光景が、実際に肉体を蝕み始める。
「うっ……!? な、なんだこれ——」
「く、くるし——っ!!」
それは、真に迫る死者の怨嗟そのものだった。
まず誰かが床に崩れた。次に誰かが嘔吐した。
まず森に火が放たれた。次に家族が殺された。
会議室という現実と、目の前に吹き荒れる地獄の光景は本来離反した別物であるはずなのに、まるで鏡合わせのように、当時の凄惨な記憶を追体験させるかのように、刻一刻と侵触していく。
愛すべき隣人も、友も、家族も……みんな、みんな——
気の合う同僚も、後輩も、上官も……みんな、みんな——
——そこに例外はない。
ある者は自らの胸を強くかき抱いていた。
まるで激痛と過呼吸に喘ぐように。
ある者は頭を抱え込んで叫んでいた。
まるで頭骨を直接揺さぶる呪いの言葉から逃れようとするように。
そして……私自身も。
——許さない、殺してやる、奪ってやる!
——許さない、殺してやる、奪ってやる!!
——許さない、殺してやる、奪ってやる!!!
——なに、これ……!? 直接、脳髄に叩きつけられるような……!!
まるで猛火に焼かれているかのように、全身の皮膚と肉が熱い。
さっきまで会議室の椅子に座っていたはずで、当然ながら私の身体が本当に燃えているわけがないのに。
やがて濃煙が肺胞を埋め尽くしたかのように、酸素が届かなくなっていく。
——苦しい
——息が、できない
視界が白く霞み、誰かの叫び声が雑音混じりに、途切れ途切れに鼓膜を叩く。
——幼い少女のような、同時に少年のような、歪な声。
——どうして奪ったの?
——返して、返して!!
わからない。何を返してほしいのか。
いよいよ、思考すらも掠れて、纏まらなくなってきた。
——どうしてワタシたちをコロシタノ?
——アンなに、大好き、ダッタノニ
——アイシテ、イタノニ
あつい、いたい、くるしい、たすけて、たす、け——
——ユルサナイ! ユルサナイ! ユルサナイ!
おね、がい……おねがい、だから、たすけて……!
——タスケテ?
ひとつ、おおきな、かげが、めのまえに、あらわれる。
——きっと、たすけて、くれ——
——ワタシタチハ、モット、モット……
——イタカッタ!! クルシカッタ!! オマエタチハ、タスケテクレナカッタノニ!!!!!
かげが、わたしを、わたしたちを、まるごと、のみこもうと。
——せまる
——せまる
——せまる
——シネ! シネ! シネ!
——シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ
「やり過ぎよ、シリウス」
「罪の所在を知る権利はあるだろ?」
「だとしても限度があるでしょうに……アルト、元に戻して」
「いいよ」
◇ ◇ ◇
まるで時が戻ったかのように。
私は、さっきまでと変わらず会議室の机に座っていた。
直前まで全身を灼いていた熱さや激痛、頭を叩き割るような怨嗟の声は、跡形もなく消え去っている。
—— 一体何が……? それに、さっきの恐ろしい光景は……?
記憶は確かに残っていた。
今も脳裏に焼き付いて離れないほど、鮮明な呪いの風景として残されている。
それなのに、会議室の光景は何一つ変わっておらず、誰かが激しく嘔吐したはずの床にもその痕跡さえ綺麗さっぱり消え失せていた。
「……!! い、今のは——」
「私はたしかに、猛火に巻かれて……!」
「し、しかし怪我ひとつない……どうなっているんだ!?」
周囲の魔術師たちは混乱状態を通り越して、軽いパニックさえ起こしている。
涼しい顔を保っているのは十二勇士の三人、騎士団長、枢機卿様、そして局長だけだ。
チラリとミカのいる席を盗み見る。
普段は隙を見せることのない彼だがさすがに顔色が酷く悪い。
それでも崩れず立ち続けているあたり、さすがと言わざるを得なかった。
アルハイサム書記官も顔は青白く、呼吸を荒く乱している。
それでも魔術師でもない彼が、これほどの強烈な呪い——怨嗟の声に耐え抜いてみせたのだから、その驚異的な精神性の高さが窺える。
「今のが、お前たちの知りたかった理由だ」
真剣な声だった。愉しげでも、かといって哀れむような優しさでも断じてない。
「これはボクらの犯した罪だ。世代が変わろうと、己が犯した罪でなかろうと……お前たちが《魔術師》を名乗る以上、知る権利がある」
——罪。魔術師の、私たちの罪。
「許しを乞え、とは言わない。罪を背負って生きろ、なんて論外だ。——だが」
誰もが固唾を呑んで耳を傾けていた。
誰一人として抗議の声を上げる者はおらず、ただ静寂の中に、幼さの残る少年の声だけが静かに響き渡る。
「お前たちは『知るべきだった』んだ。お前たちが、ボクたちが、日々当たり前のように行使する術式には、血に濡れた過去がある。他者を踏みにじり、奪い取り、それでも——」
誰かが息を呑んだ微かな音すらも、《虚星の理法者》の放つ粛々とした声に掻き消されていく。
「生存競争を勝ち抜いてきた証だ。先人たちの力そのものだ。好奇心に支配され、罪を積み重ねた末に——手に入れた叡智だ。……誇ってもいい」
その言葉は圧倒的な威厳に満ち、どこまでも誇り高かった。
けれど同時に、泥を啜り、過ちを繰り返しながら足掻いてきた
——人間の姿だった。
「ただ、忘れるな。その罪を忘れるな」
——あぁ、そうだ。
あの光景がかつての先人たちの犯した過ちであり、その知識と力がこの身に宿っている以上、絶対に忘れてはならない。
——あの膨大な犠牲と慟哭の声があってこそ、今の私たちが存在するのだと。
広い会議室に集まった魔術師たちは深く深く頷き、そして魔術師ではない者たちも同様に、重い同意を示した。
「——ねぇ、いい感じに締めてるけど普通にやり過ぎよ!? せめて一言くらい声をかけてからやりなさいよ!」
サーラ様がシリウス様の肩を軽く肘で小突いたのを皮切りに、張り詰めていた——重い覚悟で満たされていた会議室の空気が、急激に慌ただしく崩れ去った。
「ボクは『知りたいか』って事前に尋ねたけど?」
「あのねぇ! それだけで済むわけないでしょ!? 《妖精の瞳》で見せる幻覚は膨大な呪いの集合体なの! それを唐突に叩き込んでおいて……冗談じゃないわ!!」
相手が十二勇士だから誰も直接口を挟めないが、サーラ様の言い分に会議室の半数以上の人間は首が千切れそうなほど深く同意しているはずだ。
もちろん心の中で。かくいう私もだ。
——だっていきなり過ぎるでしょ! 魔力防御を施す隙すら与えてくれなかったじゃない!!
「リミッターはちゃんとかけてた」
「その前に魔力防御させるのが前提でしょ!! 魔術師じゃない子なんて泡吹いて倒れたのよ!?」
「まあまあ……サラ。それも元通りにしたよ。彼らの健康状態に支障はない」
「あのねぇ! 体は元通りでも記憶はガッツリ残るわけ! いくらアンタの《瞬戻》でもね!」
「まぁね。《ホラーゼ》の権能も肝心なところで役に立たないよね」
「まだお前のはマシだろ。ボクの権能なんて使いどころに困る代物だし」
「反省しなさい!! この馬鹿!! 少しは周りの人間の都合を見なさいよ!!」
サーラ様のヒステリックな絶叫が会議室を支配する。
置いてけぼりにされた私たちは、ただ唖然として十二勇士たちの身内揉めを見守るしかなかった。
この光景を見ていると、サーラ様はヤバい集団の中でも相当まともな常識人なのでは……?という不敬な感想すら抱いてしまう。
サーラ様が激昂し、アルト様が天然混じりの正論(?)を返し、シリウス様が『ボクは悪くない』と責任逃れスレスレの口答えを返す——そんな不毛で不条理なやり取りが、実に五分以上も繰り広げられることとなった。
◇ ◇ ◇
「ミリア、またその本?」
少年が問いかける。右手には血に濡れた短剣が握られ、左手には人間の首だけを掴んで。
「お帰りなさい、レン」
きらきらと輝く金の髪、吸い込まれそうな紅い瞳の女性は、歌うような声で問いかけに応じるが、少年の質問への答えはない。
「……見て、今日は三人も殺したんだ!」
——まるで、子どもが親に素晴らしい試験の結果を報告するかのように。
——まるで、幼い狼が親に狩りの獲物を見せつけるかのように。
「あら、凄いわ。今日も上手く斬れたのね」
彼女は愛おしそうに嗤う。
少年の報告が心底嬉しかったのか、彼女は少年の黒髪を優しく撫でた。
——優しく、優しく。
母親が愛息を慈しむように。
姉が弟を微笑ましく褒めるように。
それが少年にとって「唯一の生きる意味」だと、彼女はすべて理解した上でやっていたのだろうか。
「ねぇ、ミリア! 俺もっと殺すから! ミリアの役に立つから!」
「とっても嬉しいわ。……でもね、レン」
「うん?」
平然と殺人を犯していると知らなければ——誰が見ても純粋無垢な、年相応の少年の姿。
彼女は紅い瞳を、ほんの少し細めて告げる。
「もっと強くならなきゃ駄目なの。人間は末恐ろしい粗悪品だから」
少年が一瞬押し黙った後、首を傾げた。
彼女の言葉の意図が、幼い彼には理解できなかったのだ。
「でも、俺も人間だよ……俺も……そあくひん、なの?」
「ふふっ……」
あまりにも可憐に、嬉しそうに微笑むものだから。
少年は一瞬呆気にとられて。
それでも、「彼女の言葉を聞き逃すまい」と、左手で掴んでいた人間の——絶望に歪んだ首を、もはや興味を失った手つきで冷たい床に投げ捨てた。
ゴトン、と。
転がった首が、僅かに残った血液を散らしながら静まり返る。
「貴方は違うわ、レン」
「そうなの?」
人間ではないと言われたも同然なのに、少年は嬉しそうに目を輝かせた。
コバルトブルーの双眸が純粋な好奇心に彩られる。
「貴方は、私の人形だもの」
——可愛い、可愛い、私の人形。
その言葉だけで、少年は満たされた。
言葉の真意も、意図も、何も考える必要はなかった。
ただ目の前の彼女が望むままに。
その為だけに、明日も、明後日も、その次も——
夜の帳が降りる度に、その手を血で染める。
朝の雲雀が鳴く度に、殺めた首を捧げる。
「じゃあ、俺もっと頑張るね」
「ありがとう、レン。……あ、そうだわ。貴方に贈り物があるの」
彼女は積み上がった書類の山や怪しげな研究器具の奥から、ひとつの物体を取り出した。
紅い液体で満たされたナニカ。
血のように赤いのに、どこか透き通っていて神秘的でさえある。
その不気味な液体は、注射器の中で妖しく揺らめいていた。
「それは何?」
「貴方が強くなるために必要なものよ」
彼女がまた愛おしそうに笑うから。
少年は思考をすべて放棄して、返り血の染み込んだ隊服の袖を静かに捲り上げた。
「賢い子」
落とされた言葉はそれだけ。
少年は痛みに慣れきっているのか、感覚が麻痺しているのか——あるいは、それが大好きな彼女の為だから。
——その『贈り物』を、何の疑いもなく受け入れた。
遠い過去。欠落した記憶。血に濡れた人形の日常。
——けれど、そこには確かに存在していた
——愛が
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
こんな戯れ言に付き合っていただき、大変恐縮です。
これからも彼らの活躍を見守っていただけたら嬉しいです!
あなたにも風の導きが有らんことを
にしみん




