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星刻の約定 ——Fragments of Laurant―  作者: にしみん
血涙のオブリガード(回想編・楽園への案内人)
32/42

騎士の剣 中編

この作品を手に取っていただき、ありがとうございます✨


青年が自身の欠落を自覚するお話です

 ——甘い、と心底思う。


 何に対してそう感じるのか? 決まっている。目の前の騎士を名乗る男たちだ。


 大陸最強を誇る王国の騎士団に所属しているだけあって、剣の振りや身体の動き自体は決して遅くはない。

 しかし甘い、どこまでも詰めが甘いのだ。


 例えば重心の無駄な動き、背中の隙、周囲への無防備な警戒。どれだけ剣技の型が優れていようとも、鍛え上げた筋力が俺を上回っていようとも——

 どこか真剣勝負の立ち合いのさなかでありながら、なりふり構わず相手の首を取ろうという泥臭い執念が感じられないのだ。

 常に仲間との連携ありきの動き。単独で過酷な戦場を生き抜いてきた経験が圧倒的に足りていない故だろう。


「————終わりか?」


 息を切らし、膝から崩れ落ちるように地面へついた男に対して、俺は静かに問うていた。

 どれだけ口で『お前など認められない』と強がりをこぼしても、実際こうして圧倒的な力を見せつけてやれば、嫌でも大人しくなる。


 ——力ほど、分かりやすく簡潔なものはない。


 強者に従い、弱者は従わせる。どれだけ文化や歴史、考え方が異なる国同士であっても、この単純な世界の真理だけは共通しているようだった。

 悔しそうに俺を鋭く見上げる男。

 だが、勝負に明確に敗北したからだろうか、先程までの怒りに満ちた威勢のいい表情ではなく、苦虫を噛み潰したように固く口を閉ざすばかりだった。


「……レン先輩」


 少し離れた安全な位置で事の成り行きをハラハラしながら見守っていたエルンが、おそるおそる俺の名前を呼んだ事で、俺は小さく息を吐いて木剣の構えを解いた。

 あと一人、呆然と残っていた男がいたが、もはや無駄だと——逆立ちしても勝てないと理解したのだろう。

 地面に座り込んだ同僚に肩を貸して立ち上がらせると、それ以上は何の言葉も発することなく悔しげに去っていった。


「……エルン、レポートは書けそうか?」

「え?」


 エルンは本当に心底分からない、といったぽかんとした表情を浮かべていた。

 俺はエルンに『強者とは何を示すか』という問いの答えを、目の前の実践をもって教えてやったつもりだったのだが……この様子では、彼女に意図が全く伝わっていないらしい。


「……まぁいい。それで、その鍛錬とやらは具体的に何をするんだ?」

「…………ええと、そうですね! 最初はあの魔道具の器具を使って——」


 俺の思考の切り替えが意外にも早かったせいだろうか、エルンは一瞬戸惑いこそ見せたものの、すぐに気を取り直して俺の疑問に答え始めた。

 周囲でコソコソと話し合っていた他の騎士たちも、エルンが器具の説明を本格的に始めた頃から、何事もなかったかのように自分たちの鍛錬へと戻っていった。


 その後は実に平和で、指示された見習い専用メニューとやらを行ったのだが……これが想像を絶するほどにきつかった。

 帝国の兵士時代の鍛錬の三倍——いや、厳密には物理的な負荷がもっと重たかった。何より驚いたのは、その過酷極まる鍛錬メニューを、俺より年下の少女であるエルンが意外にも余裕すら残した様子で淡々とやり遂げたことだった。


 毎朝城の外周三十周もこなしていれば嫌でも体力がつくのだとしても、やはり人としての限度というものがあるのではないか——

 そんな呆れと疑念の思考を抱きながら、俺はなんとかすべての鍛錬メニューとやらを終わらせた。

 正直、全身の体力が奪われてどっと疲れが出た。


 午前の講義で慣れない頭を使い、午後は肉体を徹底的に酷使する。体も精神も限界の悲鳴を上げている。

 当然ながら、正式な騎士たちは普段からこれ以上の鍛錬を日常的にこなしていることになるのだが、一体どんな神経や精神構造で行っているのだろうか。

 つくづく、この王国の国民性はおかしいと思う。

 この思考を心の中で繰り返すのにも、いい加減飽きてきたくらいには。


「お疲れ様でした! レン先輩! また明日も一緒に頑張りましょうね!!」

「お前は……なぜそんなに元気なんだ……」


 爽やかで明るい声で明日も当たり前のように過酷な鍛錬があることをナチュラルに報告され、俺は心底げんなりしていた。

 そこに、本日の警備任務か何かを終えたのであろう第六小隊の面々がやって来た。


「お疲れ。レン、エルン……物凄く疲れてるみたいだけど大丈夫か?」

「……問題ない」


 ラバックの気易い労いの言葉に適当な返事を返答したところで、本日の見習いとしての予定は完全に終了したようだった。

 騎士団専用の巨大な食堂で、全員で夕食を済ませる。

 午後に相当な体力を消費したからか、それとも料理単体が恐ろしく美味しいからだろうか、いつもの倍以上、飯が美味しく感じられた。


 相変わらず食堂全体は騒がしくて煩過ぎたが。


◇ ◇ ◇


 エルンとは、俺たちが身を寄せる宿舎《銀狼のアルゲントゥム・ルプス》へと続く道中で別れた。


 道中の彼女の話によると、騎士たちの宿舎は男女其々で計四つに分かれているらしい。

 『私の宿舎は《白隼の館》なんですよ!』とエルンはどこか誇らしげに語っていた。

 他にも《金熊の館》や《黒蛇の館》に《紅鷲の館》といったものが存在するらしい。


 すべてに共通しているのは、動物の名と色を冠している点である。

 そもそも、ただの宿舎にわざわざそんな洒落た名前を付ける必要性があるのだろうか? 普通に第一宿舎、第二宿舎でいいのではないか。

 覚えるのが面倒ではないのだろうか?俺自身は覚えるつもりなど毛頭ないのだが。


 ラバックと共に静かな森の小道を抜けた先に、美しいノルディックスタイル風の建物が姿を現した。

 重厚な扉を開けた先の広いロビーには、相変わらず静かに分厚い本を読んでいる寮官——ベルドゥーゴ・クラークが佇んでいた。


「ただいま、ベルドゥさん」

「……た、ただいま……」


 ラバックが明るく声をかけて挨拶したのに釣られる形で、俺も小さく帰宅の言葉をかけた。

 ベルドゥーゴは開いていた本からゆっくりと視線を上げ、こちらを見た。


「おかえり。ラバック、レン」


 短い返答の後、彼の視線は再び手元の本へと戻される。

 ラバックは特に気にした様子もなく——あれが彼にとっては日常的なやり取りらしい——自室へと向かって歩いていくので、俺もその後に続く。

 自室を目指して廊下を歩きながら、俺は内心少し驚いていた。

 まさかあの無口な寮官に、自分の名前までしっかり覚えられているとは思ってもみなかったのだ。


 元帝国の兵士という訳ありの人間だから注視して覚えていた、という可能性もあるが、この広い《銀狼の館》には相当な数の騎士や関係者が暮らしているはずだ。

 たまに廊下ですれ違う人間の中には、騎士服ではない私服や衣装を着ている者も多く、騎士以外の——例えば使用人見習いだとか魔術師の卵たちが暮らしているものと思われる。

 いくら俺の目立つ白髪と、気味の悪い紅い瞳が些か目立つからだと言っても、一見の新人の名前まで完璧に把握しているものだろうか——?


「レン、何ぼーっとしてるんだよ!」


 考え事をしているうちに、いつの間にか自室である302号室に到着していたらしい。

 鍵を開けたラバックが、俺がいつまで経っても部屋に入ろうとしないことに疑問を持って声をかけてきたところだった。


「あぁ、悪い」

「早く大浴場に行こうぜ。もう少ししたら混む時間なんだよ」


 ラバックの言葉に軽く頷き、俺は自室の扉を潜った。


 ——風呂から出たら、さっさとあの講義のレポートとやらを書き上げるか。


 面倒な仕事や課題は、先に終わらせるに限る。俺は入浴後の予定を頭の中で淡々と組み立てていた。


 毎回、大浴場に訪れる度に思うのだが、やはり広すぎる。

 どれだけの数の人間がこの巨大な宿舎《銀狼の館》で暮らしているかは不明だが、それを差し引いて考慮したとしても、あまりにも無駄に広すぎないだろうか。


 そして、ここに来る度に重ねて強く思うことがある。この広大な大浴場は——


「やぁーん♡ ロディちゃんってば! す♡ て♡ き♡!!!」


「ギャハハッ!! お、おま……! お前、似すぎだろ!!」


「語尾の独特な抑揚の付け方まで完璧じゃねぇか!!」


 ——とにかく、煩いのである。


 いま湯船の端で行われているふざけた行為は、あのオカマ医務官であるリリアンの物真似という、反吐が出るほど下らない遊びだ。

 あの恐ろしいオカマの真似をして腹を抱えて笑えるなど、彼らには精神的余裕があり余っているとしか思えない。

 ある意味、羨ましいとさえ感じてしまう。あのヘラクレスのような筋肉ゴリラの真の恐怖と威圧感を一度も肌で感じたことがないからこそ、ああやって呑気に遊んでいられるのだ。


「フリンズちゃん♡ 貴方も私のタイプ♡ 今夜一杯どぅお?」


「お断りします」


「うわ、言いそー!!」


「絶対言うぞ! なんなら滅茶苦茶冷めきった声と氷のような視線でな!!」


 くだらない物真似大会は大盛況なようで、湯気で煙る湯船の中でギャーギャーと大いに盛り上がっている。

 俺は同い年か歳が近いくらいの筈の騎士たちに対して、心底冷めきった視線を送っていた。見ているこちらが恥ずかしい。


 確かに、これを見れば午前の講義でプトレマイオス枢機卿が語っていた『精神の成熟』がいかに重要なものかが痛いほどよく分かる。

 目の前で騒ぐ彼らより何歳も歳下であるミカの方が、よっぽど大人で理知的だろう。


「……フリンズ副団長が留守で良かったね……万が一、あの人にこの会話が聞こえてたらただじゃ済まないよ」


「大浴場だぞ? 外まで聞こえるわけないだろ……お前はいちいち言うことが大袈裟なんだよ」


「いやいや……本当に冗談じゃないんだよ! フリンズ副団長は影が薄いから、いきなり背後に現れて『——ほう?』って囁かれるんだ! 背筋も凍れば心臓、そして体毛の一本まで氷漬けになるんだぞ!!」


「はぁ? それだけで? 副団長だかなんだか知らねぇが、たった一言でビビり過ぎだ。あとお前、ナチュラルに副団長の影が薄いって悪口吐いてるぞ」


 ラバックはハッ!とした顔をすると、本当に焦って周囲の湯気の中を左右確認しだした。馬鹿かコイツは。


「フリンズちゃんってば♡ でもそんな冷たいところもす♡て♡き♡」


「吐き気を催すので止めて下さい。貴方、男でしょう」 


「はぁ!???? 何ですってぇ!? 誰が筋肉ゴリラのきゅぴきゅぴ系オカマ野郎よ!!」


「それお前自身の本音だろ」


 どうやら、まだリリアンの物真似大会は終わっていなかったようだ。

 これをもしリリアン本人が直接耳にしたら、全身の骨が折れる程度では到底済まされないのではないか——


 俺たちは物真似大会の馬鹿騒ぎの会場から遠く離れた位置へ移動し、静かに湯船に入った。

 身体の芯まで染み渡る熱い湯は、今日一日で疲れきった肉体をじんわりと癒してくれる——


『あ、おい!! それはまずいって!!』

『止まらないぞ!! 水がぁぁぁ!!!』


「………………今度はなんだよ」

「あー……あの様子だと、また壊したのかな」

「また……?」


 何やら脱衣場の方向から、何かを盛大に壊してしまったのか阿鼻叫喚の焦った声が聞こえていた。


 しかし、そうしたトラブルはここでは日常茶飯事なのか、リリアン医務官の物真似集団も、湯船のど真ん中で豪快に平泳ぎをするという奇行を繰り返している見知らぬ男も、誰も気にした風もなく反応すらしないのである。


『だから止めろって言ったんだ! 中に水以外の物を入れたら異物混入と見なされて、中の水が強制排出される仕組みなんだぞ!!』


『だって! 風呂上がりにレモンピューレ入りの冷たい水が飲みたいって話しただろ!!?』


「——また《全自動水分補給機》を壊したんだな」


 ラバックが苦笑いを浮かべながら脱衣場の方を見つめ、関わりたくないのかそっと琥珀色の瞳を閉じると、静かに現実逃避を始めた。

 今すぐ湯船から上がらないのは、外で起きている水浸しの事件に巻き込まれたくないからだろう。その思考には大いに同感であった。


 俺もラバックと同様に静かに目を閉じ、現実逃避という名の瞑想でも始めようとした、その時——


『——何をしているんですか、貴方たちは?』

『あ……』

『ち、違うんです!! これはですね!!』


 どうやら《全自動水分補給機》とやらをあっけなく破壊したことが、何者かに即座にバレてしまったらしい。

 大量の水が脱衣場の床に散乱していると思われるので、どう足掻いても事件が即座に露見する未来しか存在しなかったのだが。


『言い訳は一切聞きたくありません。——……それで、どうして貴方はレモンピューレを持っているんですか?』


『いや、水にレモンピューレを混ぜたら美味しいかな……と思いまして』


『個人的な私情で皆が使う共通器具を破壊しないで下さい。どうしても飲みたいなら、自分でコップに注いで個人的に楽しんで下さい』


『はっ!! その手があったか!!』


『……ここまで来ると、ある意味での才能ですね。罰として、散らかった床をしっかり片付けてください。当然、機器の修理費は貴方の給料から天引きとします』


『そんな!? 慈悲を!! ご慈悲をぉぉぉ!!!』


『これが本当の自費ってか?』


『————チッ』


 呆れるほどくだらない駄洒落が脱衣場に炸裂したかと思えば、説教を垂れた人物の鋭い舌打ちが聞こえたのと同時に、男たちの情けない謝罪の声が虚しく響いていた。


『『す、すみません……』』


「大変だなぁ、寮長も……」


「年下の小僧に説教されるとか、恥ずかしくねぇのかな」


「彼らに『恥ずかしい』というまともな気持ちがあれば、最初からこんな事態になってないよ……」


 ラバックのすべてを諦めるような深い溜め息混じりの声は、脱衣場からの喧噪と、湯船の端でいまだに続いているリリアンの物真似の声に虚しく掻き消されていったのだった。


◇ ◇ ◇


 脱衣場の方がようやく大人しく静まり返ったのを確認した俺たちは、湯船から上がることにした。

 整頓された脱衣場は綺麗に掃除がされていたが、壊された《全自動水分補給機》とやらには、羊皮紙で大きく『使用禁止』と書かれて貼られていた。

 しかも、どこからともなくほのかに爽やかなレモンの香りが漂っている気がする。


 俺たちはその異様な光景には一切触れず、無言で大浴場を後にした。

 自室である302号室に戻り、俺は早速、午前の講義で出された課題であるレポートとやらを片付けることにした。

 机の上に真っ白なレポート用紙を広げ、自身の思考を羽ペンで淡々と記していく。


『強者とは何を示すか』——その答えを、ただひたすら淡々と、粛々と。


「あ、そうだレン。ちゃんと宿舎内の細かい規律事項についても目を通して確認しといてくれよ」


——力、権力、権限、武力。後は…………


「……俺はちゃんと言ったからな?」


 ラバックが横から何やら言っているが、今の俺の集中した耳には全く届かない。

 元より普段から文字を書くという習慣そのものがなかったため、頭の中にある言葉を文章にして組み立てる作業は、心底苦手なのだ。


 消灯時間となる頃には、なんとかレポートは完成していたので良しとする。

 我ながら中々様になっているのではないか——などと、密かな達成感と満足感に浸っていた。


「おやすみ、レン」

「あぁ」


 ラバックの静かな挨拶と共に壁の魔道灯が消され、部屋の周囲は一瞬にして真っ暗闇に包まれる。

 今日一日、慣れない講義で頭を使い、午後は体を限界まで酷使したせいもあり、意外にも早く深い眠気が訪れた。

 この国に来てからというもの、夜に眠りにつくスピードが以前より格段に早くなった気がする。


 平和すぎて気が抜けている証拠か、それとも——


 そんなまとまらない思考が、ゆっくりと闇の底へと沈んでいく。

 どこか心地の良い微睡み。俺はその温かな睡魔に素直に身を任せようとして——


 ——出来なかった。


 何故なら。

『あ~♪ 型ズレ♪ 型ズレ♪ 型ズレ~!!!(※型ズレ=剣の型が完全にズレている様) 型ズレが型キレ(※型キレ=型が美しく完成している様)に楯突くな~♪』


 静まり返った廊下のすぐ外から、俺のような素人目にもはっきりと分かるほど音階が凄惨にずれている、ふざけた歌声が響いてきたからだ。

 ずれているのはお前の歌の音階と、その腐った頭に他ならない。

 型ズレだの型キレだのが具体的に何を示しているのかは知らんが。


「……おい、ラバック」


「…………俺は今、完全に寝ています」


「本当に寝ている奴は喋らないだろ」


「これは高度な寝言です。俺は寝るの! もう寝てるの!!」


 ラバックは分厚いブランケットの類いを全身ですっぽりと被り、丸くなった。

 だが、廊下から聞こえる音痴な男のパレードはまだまだ終わらない。


『型ズレ~♪ 型ズレ~♪ 型キレを崇めろ♪ 崇拝しろ♪ パシりに使わせろ~♪』


 それにしても、反吐が出るほど酷い歌だ。

 歌詞の持つ意味もさっぱり分からないが、そもそも何だこの真夜中の奇行は。先程は大浴場で《全自動水分補給機》が破壊されたばかりだ。

 この宿舎に暮らす人間どもは、定期的に何らかの奇行を繰り返さなければ死んでしまう病にでもかかっているのだろうか——


『俺は強いぞ♪ 美しい♪ あ~型ズレ~♪ 型ズレ~♪ 型ズレが型キレに楯——』


『なるほど。それほどご自身の腕に絶対の自信がおありなら、僕が自らお相手をいたしましょう。——安心してください。リリアン医務官との密着添い寝治療という、特別手当付きですよ』


『……ッ!?』


 ——どうやら、この館でまともな理性を持つ人間が、この見事な奇行を力づくで止めたらしい。


「寮長……ミカ様も本当に大変だなぁ……」

「お前、寝てたんじゃないのか」

「Zzz・・・・」


 ラバックは再び素早くブランケットを全身に被り直した。つくづく都合のいい男だ。

 しかし、今のラバックの寝言交じりの発言から判明した事だが、あの偵察部隊のミカは、この無法地帯のような宿舎の寮長も兼任しているらしい。


 真夜中に奇行を繰り返す、頭のネジが何本も吹き飛んだ単細胞の狂った連中が集まる宿舎の総責任者を任されているとは——同情を禁じ得ないほどに、流石に可哀想だと思う。

 同時に、こうした複雑怪奇な現象が起きるのはこの宿舎だけではないのかもしれないと思うと、ゾッとした。


『ヒッ!!許してくださいミカ様!! なんでもします!! 靴でも廊下でもなんでも舐めますから!! どうかあの筋肉きゅぴきゅぴ系ゴリラのところだけはご勘弁を!!』


『なんでもすると仰るのなら、僕の貴重な睡眠時間を今すぐ返してください』


 ————本当に憐れだ。ここまで来ると、最早この宿舎自体が呪われているとしか思えない。


 その後、ズルズルと廊下で何か重いものを引きずるような物々しい音が響き渡った。

 まさかとは思うが、彼があの哀れな音痴野郎の足を掴んで引きずっていった音では——

 そこまで考えたところで、せっかく訪れていた心地よい眠気は綺麗さっぱり跡形もなく消え去っていた。できることなら、俺の睡眠時間も返してほしい。


 隣のベッドのラバックは、すっかり夢の中へ戻ったらしく、静かに規則正しい寝息を立てていた。

 人間、環境に慣れるとここまで図々しく到達できるらしい。別に誇らしいことでも何でもないのだが。


 しばらく余計な思考を放棄し、再び睡魔が訪れてくれるのをじっと待ってみたが、残念ながら頭は冴え渡ったままだ。

 数分前まではあれほど全身が強烈な疲れを訴えていたというのに、だ。


 ————仕方ない。頭を冷やし、眠気が戻るように外の冷たい空気でも吸いにいくか。


 俺はそこまで考えて——廊下に繋がる部屋の扉の前でふと立ち止まった。

 まさかとは思うが、今うっかり廊下に出た瞬間に、また新たな怪奇現象や面倒な事件に巻き込まれはしないだろうか——


 俺はくるりと踵を返した。もちろん、大人しくベッドに戻るつもりはない。

 一度ここまで頭が冴え渡ってしまうと、なかなか眠れないのは昔からの体質だ。


 俺は部屋の端、伝書鳩が大人しく休んでいる籠の近くにある木枠の窓を静かに開け、夜の庭へと出ることにした。

 幸いここは一階なので、地面までの高さは殆どない。

 清冽な月明かりが静かに照らし出す夜の庭へと、俺は軽やかに身を躍らせた。


 ◇ ◇ ◇


 夜の庭は、適度に手入れされているようだった。見たこともない幻想的な花々が青白い月明かりに照らされ、美しく輝いている。

 なんとなく、その静かに佇む花を見つめていた。

 一体何という名前の花なのだろうか——などと、自分らしくもない柄にもない考えがふと頭に浮かんでいた。


「そいつは《ロウユリ》だ。残念ながら花が美しく咲く時期には、根元の葉がことごとく枯れて無くなっちまうけどな」


「————!!?」


 ——気配が、全くしなかった。


 俺は即座に緊張を走らせ、声のした方向を素早く振り返った。

 しかし、人の姿は見当たらない。では一体何処に潜んでいるのか。

 近くには身を隠せるような大きな岩影などはもちろん何も——


 ——大木。


 月明かりの届かない影の中に、聳え立つ一本の太い大木があることにようやく気付いた。


「——誰だ、お前」


「相手の名前を聞き出す前に、まず自分から名乗るのが最低限の礼儀だぜ。新人さん」


 大木の幹にゆったりと身体を預けていた人物が、どこか飄々とした軽い声色で告げる。

 少年の声だった。明らかに俺より年下で、年齢的な印象はミカと同じくらいだと直感する。


 僅かに差し込む月明かりによって、その少年が深い紺色の髪をしていることが分かった。

 ほんの少し長めの髪は後ろで短く結われており、まるで夜目の利く猫を思わせる瞳は、澄みわたった綺麗な翡翠色をしていた。


「——悪いな。生憎と高貴な御方の礼儀とやらは知らないんだ」


 正直、俺は驚きと共に微かな焦りさえ感じていた。俺は元より直感や他者からの視線に鋭い方だと自負している。

 いくら夜間で視界が不明瞭だったとはいえ、相手の気配を指先ひとつ分すら感じ取れないというのは——初めてではないだろうか。


 敵、ではないだろう。身に纏っているのは明らかに聖ラウラントの騎士を示す制服だ。

 ただし金属類の装飾を限りなく省いた軽装の装備に、暗色の黒いケープを羽織っている。


 そこまで確認したところで、その特殊な装備の類いが見覚えのあるものだと脳の理解が追いついた。

 あの偵察部隊の装備品だ。毎朝の外周訓練において、いの一番に走りだし、どの部隊よりも遥かに早く周回を終わらせている——ミカが隊長として率いる偵察部隊の——


 俺の思考の察知を感じ取ったのか、少年は意外にも愛想の良い親しげな表情で薄っすらと微笑みかけながら名乗った。騎士としての一礼を添えて。


「偵察部隊所属、クリスハイト・オルティだ。よろしく、帝国からのお客人」


 声色からも、その表情からも敵意のようなものは一切感じられない。


 ——それなのに、俺の本能が、根拠のない全身の警鐘が告げている。


 ——この少年は、決定的に危険だ、と。


「……お前は見習いじゃないのか」


 見た目通りの年齢なら、確実に正式な騎士任命の年齢制限を突破していない筈だ。

 だが目の前の少年——クリスハイトは、呆れたように肩を竦める形で答えた。つまり、彼もまたミカと同じような特例の例外であるらしい。


「証拠」


 短い一言と共に、クリスハイトがわずかに身体を傾ける。

 そうすることで、ケープで隠れていた胸元の位置に正式な騎士が身に付ける光沢ある章が、月明かりを反射して輝いた。

 俺の記憶が正しければ、ラバックの身に付けている紋章の形とは少しばかり違っているような気がする。

 もしかしたら所属する部隊によってデザインが細かく異なっているのだろうか?

  紋章の形などいちいち気にして見たこともなかった俺には、正確な分別などつくはずもなかった。


「——何の用だ」


「別に? 俺は単独での長距離遠征任務を無事に終えて、今さっき帰還したところだ。——オタクこそ、こんな夜更けに何やってるわけ?」


 探るような鋭い視線が容赦なく降り注ぎ、俺の頭の中の警鐘は激しく鳴り続ける一方だった。

 別段、何か咎められるような悪事をしたわけではないので、素直に本当のことを話すことにする。


「俺は——眠れないから息抜きに外へ出ただけだ」

「ふぅーん?」


 クリスハイトは懐から取り出した高価そうな細工の付いた懐中時計を一瞥すると、どこか含みのある声色で呟いた。


 —— 一体、何が目的なのか。


 俺がどう動くべきか深く思考を巡らせている間も、クリスハイトはこちらを品定めするようにじっと観察する視線を向けてくる。


「用がないなら部屋に戻ってもいいか」


 ——正直に言えば、居心地がすこぶる悪い。


 まるで、珍しい実験動物として観察されているような気分だ。

 クリスハイトは俺を引き止めるつもりもないようで、軽く苦笑すると、片手をヒラヒラと振ってみせた。


「あぁ、悪いな。引き止めちまって——明日も朝から早いだろうし、ゆっくり休んでくれ」


 俺はその言葉の裏に何か深い含みを感じたものの、目の前にいる少年騎士の本意など分かる筈もなく、身を翻して来た時と同じように一階の窓へと向かう。


 ——そして、再び背後からの声。


「——おっと、忘れもんだ。大事なレポートだろ?」


 そう言うと、俺のすぐ目の前の草むらにヒラリと落ちてきたのは、消灯時間前に俺が自室の机で必死に文章にしたためたレポートだった。

 明日の午前、講義を開いたプトレマイオス枢機卿に提出する予定の代物だ。

 なぜそれがここにあるのか、という強い疑問がまず脳裏を過り、俺は素早く後方の大木の幹へと視線を向けた。


「なぜお前がこれを持っている」


「おいおい……人を泥棒みたいに疑うなよ。俺は風で飛んできた大事なレポートを、親切に持ち主に返しただけだろ?」


 肩を竦めながら、それらしい理由を口にしているクリスハイト。

 確かに机は窓際に配置されているので、突風や強い夜風が吹けば軽い用紙は窓の外へ飛び出し、それをたまたま通りかかった誰かが拾う——という可能性は十分に考えられる。


 だが——


「……このレポート。なぜ俺の物だと分かった? 俺は一度も名乗っていないぞ」


 レポートの端には、ラバックから言われた通りに自分の所属部隊の名前だけが記されている。お世辞にも綺麗とは言えない無骨な文字で。

 今も俺は自分の名前を名乗っていないのにも関わらず、クリスハイトと名乗った少年は『お前の忘れ物』だと確かに発言した。

俺のレポートだと最初から完全に断定した言い方であったのだ。


「——へぇ。少しは脳味噌詰まってるんだ」

「心外だな、口の聞き方には気を付けろ」


 少し脅かすつもりで声色を厳しく低くしたが、この少年は気にした様子など全くないようだった。

 それどころか、こちらの警戒する反応を楽しんでいる様子さえ見せている。


「——なるほどね。これは中々だな」


 掴み所のない不気味な子どもだ。今までに接したことのないタイプの人間に対し、俺の焦りと警戒心は増すばかりだった。


「……何が言いたい」

「————ま、いっか。いずれ嫌でも痛感するだろうし」


 それだけを静かに告げると、次の瞬間、音もなく周囲から彼の気配が消え去った。


「――――!?」


 文字通り、一瞬で姿が消えたのだ。そして、どこか遠くの頭上からクリスハイトの声が聞こえた。

 急に現れた時と同じように、気配を完全に遮断して。流石は偵察部隊に所属するだけはある。


「——さっさと部屋に戻って寝ろよ。うちの寮長は、夜更かしには厳しいぜ?」


 夜が更に深く更けたことにより、月明かりの届く位置が少しずつ変化していく。

 ようやく明るく照らし出された大木の幹には、もう誰もいなかった。


◇ ◇ ◇


 ————ねぇ、■■■。

 ————なぁに、レン。


 女は、まるで歌でも口ずさむように優しく答えた。

 いつもそうだ。彼女はいつだって、こんな風に柔らかく俺に話しかけるのだ。


 ————その本には、何が書いてあるの?


 女はふっと目を細めて笑う。一体何がそんなに嬉しいのか当時の俺にはさっぱり分からなかったが、それでも当時の俺は、彼女が微笑んでくれるただそれだけで、無条件に嬉しかった筈だ。


 ————知りたい? なら、貸してあげようか?

 ————知ってるだろ? 俺は、文字が読めないんだって。


 俺が文字の読み書きなど満足にできないことくらい知っているだろうに、彼女はいつだって意悪くからかうように問いかけてくるのだ。


 ————じゃあ、あたしが代わりに読んであげようか?


 ————■■■が、読んでくれるの?

 ————えぇ、いいわよ。でもね。

 ————うん?

 ————決して、楽しいお話ではないわよ。


 彼女が静かに読み聞かせるその物語は

 曰く————

 

 むかしむかし、あるところに■■たちのおうちがありました。


 ■■たちはたのしく、くらしていました。


 みんな、なかよしでした。みんなおたがいがだいすきでした。


 こわいものはありませんでした。つらいものもありませんでした。


 じかんがたって■■たちがやってきました。


 ■■たちは■■たちとなかよくなりました。


 たすけあいました。あいしあいました。


 だけれど、あるひ。


 ■■たちは■■たちをころしました。

 つかまえた■■たちをかいたいしました。

 

 はねをもぎとりました。あしをつぶしました。


 いたいよ、くるしいよ、さけんでも、やめてくれません。


 こんどはひであぶってみよう。

 こんどはみずにしずめてみよう。

 こんどは、こんどは、こんどは————


 ■■たちのだいじなひとみをえぐりだしました。


 ■■たちはよろこびました。


 すごいぞ、すごいぞ。これがあれば、らくができるぞ。


 それからずっと、ながいあいだ、くるしみがつづきました。


 だれかのこえが、ほろびのほのおにとどきました。


 ほろびのほのおは、こえのあるじのねがいを、かなえました。


 ■■たちはほろびました。


 だけれど、ほろびのほのおは、かなしみました。


 だいじな■■がいなくなってしまった。

 たいせつな■■がしんでしまった。


 だから、だから、


 じぶんのいのちとひきかえに、


 とりかえっこをしました。


 けれど、けれど、とりかえられた■■はかなしみました。


 けっきょく、だれも、すくわれず。


 くらい、くらい、ならくに、おちていきました。


◇ ◇ ◇


 ————長い夢を見ていたようだ。


 眩しい朝日が目を焼くような感覚があった。次いで鳥の鳴く音が耳に届いたのと同時に、ゆっくりと瞼を開けた。

 朝だ。どうやらあの後、俺はいつの間にか眠ってしまっていたらしい。


 そう自覚したのと同時に、部屋に備え付けられた洗面所からジャバーッと勢いよく水音が聞こえた。

 隣のベッドは既に空で、ブランケットの類いは綺麗に畳まれていた。

 ラバックは意外にも朝が早いらしい。


「あ、起きた!おはようレン!」

「……おはよ」


 この朝の挨拶も、この王国に来てから何度繰り返しただろう。

 かつて荒んだ傭兵暮らしをしており、朝の挨拶など日常的ではなかった俺からすれば慣れない行為だったものが、いつの間にか自然と口に出るようになっていた。

 やはり人間の慣れとは恐ろしいものである。


 顔を洗い、身支度を整えて朝礼が行われる広場へ向かう。

 昨日派手に——と言っていいか不明だが騎士を吹っ飛ばしたというのに、特にお咎めはないらしい。

 やがて騎士団長がやって来て、各部隊や役職からの報告が行われていく。

 日常的な業務の連絡から、王女の我が儘なおねだりまで内容は様々だ。


「それで……『ファム・ファタール~父親の愛人に転生してしまった~』なる愛憎劇について——」


「却下」


「で、ですがメアリ殿下が『家庭を一度壊した父親に復讐する娘、でもかつての優しい父親を思い出して苦悩するシーンに』」


「だから却下」


 騎士団長の有無を言わさない冷徹な声に、そんなトンデモ報告を押し付けられてさせられた憐れで可哀想な騎士は、どこか救いを得たようにピシッと敬礼した。


 ……どういうことだ。誰も突っ込まないのか? やはりこの国の人間はおかry


 その時、なんとなしげに偵察部隊が整列する場所に目線を向ける。そこには昨日まで姿を見なかった騎士がいた。


 ——クリスハイト・オルティである。


 彼は隊長であるミカのすぐ後ろに凛とした立ち姿で並んでいた。こちらの視線には気付いているはずだが、全く反応は示さない。


「他に報告がある者はいるか? まともなやつで頼むぞ。間違ってもリリアンからの飲みの誘い(二人きり)だとか、ベアトリクスが禁書庫に侵入したとか、そういう類いの報告は求めてないからな!!」


 念を押すように大声で釘を刺した騎士団長に、周囲の騎士たちが揃って無言で胸に手を当てて十字を切るという、何かに怯えるような光景が広がる。


 俺はそれをなんとも言えない冷めた気持ちで見つめていた。


 そこで一人の騎士がすっと手を挙げた。


「報告します。昨夜、重大な規律違反者を確認しました」


 昨夜、深夜の庭で会話した時とはまるで違い、朗々とした真面目な声色で語られる言葉に、広場の空気が一気に引き締められていく。

 やっとまともで騎士らしい報告が来たと、団長は嬉しさ半分、しかし規律違反者という新たな問題行為に対してなんとも言えない複雑な表情をしていた。


「《銀狼の館》の者が消灯時間を過ぎた時間帯——正確には午前一時四十二分に裏庭を徘徊していた見習い騎士がいます」


 クリスハイトから淡々と語られたその言葉に、いち早く反応したのは団長でもなければエルンでもなかった。

 バッ!という激しい音と共に、ラバックが血走った目で俺の両肩を掴んだのだ。

 それも、かなりの馬鹿力で。正直言ってちょっと痛いかもしれない。


「レン!!! お、お、お前——なんてことを!!」


「煩い……耳元で叫ぶな。……確かに外に出たが、少しだけだ。空気を吸う程度で——」


「ぐぁぁぁぁにゃぁぁあ!!!」


「お前頭大丈夫か?」


 いきなり奇声を上げ始めるラバックに、俺は引くのを通り越して本気でドン引きしていた。 

 何が規律違反者なのだろうか? 外に出ただけで規律違反など理解不能だ。そもそも宿舎の庭である。


「れ、レン先輩……! 任務や有事の際を除き、夜間十二時以降の外出は原則禁止なんですよ……!!」


「はぁ? 外出って……宿舎の庭だぞ? 敷地内だろ」


「何言ってる!! 外(の空)気に触れてるだろ!!」


「そうですよ!! 外気(がいき)に触れてます!! ……まさかあの予知夢は……この事だったなんて……!!」


「こじつけが酷ぇ!! あとくだらない駄洒落は止めろ!!」


 あり得ない言いがかりと無茶苦茶な理由で規律違反者認定されかけるが、俺はそもそもそんな細かい規律など聞いた覚えがない。


「知らん!! 俺は一言も聞いていないぞ!!」


「いや言ったからな!? 俺は昨日『ちゃんと宿舎内の細かい規律事項についても目を通して確認しといてくれよ』って言いました!!」


「知らん!! 聞いてない!!」


「言いました!!」


 ラバックと子供のような押し問答が続くこと数十秒。エルンは頭を抱えて『予知夢が……』とブツブツ呟いており、周囲の騎士や第六部隊の面々も顔面蒼白になっている。


「——静粛に。言った、聞いてない、の話をしても無駄です。——団長、如何されますか?」


 ミカの静かな声が響いたことにより、騒がしかった空気は再び冷たく重く塗り替えられていく。

 判断を迫られた騎士団長は、はぁ……と重い溜め息をこぼした。


「——規律違反、ではあるが。今回のみ多目に見よう」


「なーにぃ!!? そんなのありかよ!!」


「俺の時はしっかり罰せられたぞ!! 依怙贔屓だ!!」


「お前は宿舎に火気類を持ち込んだ上に『パッと開いた打ち上げ花火~♪俺の恋も花火のように開いて消えた~♪』とかいうツッコミに困る鼻歌を歌いながら爆発させたからだろ……まだ燃えた跡が残ってるんだぞ」


 一部の不満を募らせた騎士たちから大ブーイングが上がるが、団長は腰に吊られている漆黒の《魔剣エリシオン》の柄を軽く叩いた。

 ズシッと重い圧が伝わり、それだけで周囲はシーンと静まり返る。


 コイツら騒いだり、黙ったり忙しい奴らだな……全員情緒不安定なのか?


「俺は多目に見よう、とは言ったが規律違反者を許す、とは言っていない。話はしっかり聞け、阿呆」


「「「…………はい」」」


 団長は再度深い、本当に深い溜め息を吐くと、前方に向き直った。


「今回の処罰はクリスハイト・オルティに一任する」


「「「「「丸投げしたー!!!!」」」」」


「丸投げではない!! 断じて! 『面倒だな……扱いに困るギリギリのラインだし……』などとは考えてない!!」


 騎士団長の開き直りに近い大音量の言い訳が、朝礼広場全体に響き渡った瞬間であった。


◇ ◇ ◇ 


 基本外周の訓練が終了した後、本来なら待ちに待った待ち遠しい朝食の時間である筈なのだが、俺一人だけはお預けを喰らっていた。

 昨夜、規律違反(ただ宿舎の敷地内を歩いただけ)認定を受けていた為だ。


「……それで、俺は何をすればいいんだ?」


「そうだなぁ……とりあえず、唱和五箇条の清書だな。三十枚。明日の朝まで」


「………………は?」


「なんだよ、不満か? なら五十枚でもいいんだが」


 明らかに多すぎるし、文字を書く習慣がなかった俺にとって明日の朝までに書き上げるなんて到底不可能だ。

 どう考えても端から完遂できない無理難題な課題を与えているとしか思えない。


「あのさ、レン君? 君が唱和五箇条の意味を理解してないからこう言ってるわけ」


「……だとしても、もう少し現実的な——」


「お前さ、本当に騎士になるつもりある?」


 冷たい、突き放すような——あるいは、物事の根本的な真理に触れるような鋭い問いかけだった。


 ——騎士になるつもりはあるか。


 この聖ラウラント騎士団に所属してもいいとは思い始めている。だが、これは本当に『騎士になる』という意味になるのだろうか。

 俺が中々答えを出せないで黙っていると、クリスハイトは透き通った翡翠色の瞳を真っ直ぐに向けてきた。

 不意を突かれ、反射的にその強い視線を受け止める形になってしまう。


「レポートな、確認したけど、あれじゃ駄目だ。あれは答えじゃないよ」


「……何?」


『強者とは何を示すか』——そんなものは最初から決まっている。力と——


「——お前の答えは前提に過ぎないんだよ。強者が力を持ってるのは当たり前だろ。その力をどう行使するか、何を考えるかという問いかけだ。お前は何も理解していない」


 バッサリと断定するような厳しい言葉だ。しかし、俺にも今まで生きてきた矜持があり、譲れなかった。

 何を示すかと問われれば、圧倒的な『力』という答えが出るのは明白だ。


「……人の数だけ答えがあるんじゃないのか?」


「否定はしねぇよ? だがお前のは『前提』であって『答え』じゃない。————奢り高ぶった奴の考えだ。他者を軽視し、謙虚さの欠片もない」


「————俺は結果を出してる」


 事実、俺は先日修練場で吹っかけてこられた売られた喧嘩に乗って、相手の騎士を容赦なく叩きのめしている。

 他者より強いという結果を確かに証明しているのだ。戦場での実戦経験値だって、目の前の小さな子供よりは遥かに多いのだから。


「あれを結果を出してるとは言わない。——ミカの言う通りだな。お前は決定的に欠落がある。埋めなきゃ本当に終わりだ」


 欠落、欠落だと——?


 何が欠けているというのか。この場合、日常生活における勉学や教養の話ではないことくらいは理解出来る。

 だが、力——つまり戦闘技術や剣という意味であるなら、俺に欠落など——あるはずがない。


「お前は他者の心情を考えない人間だ」


「——当然だろう。最初から力を持っている人間はいちいち考えるかもしれないが……例えばお前の部隊の隊長なんかいい例だ」


「——お前、あいつが努力をしていないとでも言うつもりか?」


 おそらく、それが彼の逆鱗に触れた原因だった。

 しかし、俺は確かに本気で思っていたのだ。あの黒髪の華奢な少年は恵まれた『力ある強者』で、更に言えば『最初から強者として生まれた存在』なのだ————と。


「分からないだろう。最初から与えられた人間と、与えられなかった人間の——」


 俺の言葉が言い終わらない内に、カランという乾いた金属音が地面に響いた。

 周囲に他人の気配は感じない。ここにいるのは俺とクリスハイトのみだ。

 足元の草むらには、冷たく、そして鈍く光る一振りの訓練用模擬剣が転がっていた。拾え、ということらしい。


「騎士の剣とは対話を意味する。言葉で通じないなら剣で教えてやる。お前もそっちの方が分かりやすいだろ?」


「——いいだろう」


 ——どう考えても、こんな経験値が圧倒的に不足している子供に俺が遅れを取るとは到底思えなかった。

 せめて怪我をさせないよう、軽い手加減で済ませてやれるように気遣ってやるか——などという慢心した考えすら頭に浮かんでいたのだ。


「この銀貨が落ちたら開始の合図とする。それでいいか?」


「構わない」


 仮に相手が開始の合図でどんな小細工を仕掛けてこようと、俺が確実に勝つだろう。


 ——だから、俺は見ていた。

 ——目の前の相手ではなく、彼の手から離れた銀貨を。


 コインが地面に落ちる高音。次いで、力強く地面を蹴る音。ここまでは完璧に反応して————


「——————は?」


 自分でも驚くほど素っ頓狂な声が出た。

 すぐ目の前に——正確には、俺の首元に寸分違わず突きつけられた鋭い剣先があったからだ。


「ご自慢の剣も形無しだな。——今のお前には何もない」


 ————つまり


 ————俺には


 ————価値がない……と言うのか——?


 価値がなければ処理されるだけだというのに。

 俺はその突きつけられた残酷な事実が受け入れられず、ただただ唖然とした。


◇ ◇ ◇


 「——少々、早急であったのでは?」


 静かな声に、俺は頭を振った。遅かれ早かれこうなるのは確定だった。

 なら早めに心を折って、その後の立ち直りのための時間を与えた方がいい。


「そう思うなら割り込めばよかっただろ。ずっと見てたんだからさ」


「僕は彼の監視役であって、護衛役ではありません」


 淡々と言うように告げる幼なじみの姿に安堵して、俺は柄にもなく激昂していたのだとようやく気付いた。

 《ヴァルンクラッド流》の使い手が、強い感情を表に出すのはよくない。どうやら俺もまだまだ未熟らしかった。


「そうかよ」


 俺は照れくささを誤魔化すようにして、足元に落ちていた訓練用模擬剣を拾い上げる。

 完全に心を折って立ち去った相手は、既にこの場にはいない。

 他者の矜持を徹底的に潰すというのは、いつになっても慣れる気がしなかった。


「僕のために怒ってくれたのでしょう?」

「——なんだよ、悪いか?」

「いいえ」


 短い返答だった。普通なら『嬉しい』とか『ありがとう』とか——そうでなくても、もっとそれらしい感謝の回答があるものではないのか。


「ただ、やはり君は優しい、と思っただけです」

「………なんでそうなるの?」


 本当にミカの言葉の真意が分からず、すぐに聞き返した。しかし彼は答えるつもりがないのか、ただ柔らかく笑っているだけだ。

 たまにコイツはこんな風に笑う癖がある。一体誰に似たのか。


「——誰かの成長のために『悪』になれる君は、間違いなく優しいでしょう?」


「俺は悪とか善とかいう感情や理論でやったわけじゃない」


「それも含めて、ですよ」


 なんとなくむず痒い気持ちだった。

 褒められてはいる気がするが、その理由がイマイチ納得できないので、素直に喜べない、というのが今の正しい感情かもしれない。


「——お前にしては、随分気にかけてるようだったし」

「そうですか?」

「そうだよ」


 なんでもなさそうに首を傾げるミカは、いつもの偵察部隊隊長としての冷徹な仮面を外していた。

 目の前にいるのは、ただのミカ・ファーレンガルドだった。


「僕はそんなに気の利いた人間ではありませんよ。君もよく知っているでしょう」


「そうか? お前ほど努力して、他者のために動ける人間を俺は知らないぞ」


 その言葉にまた嬉しそうに笑うから、やはり俺はどんな顔をすればいいか分からなくなってしまった。

 きっと普段抑制している激昂を表に出したせいだ。あれは本当によくない。


「——僕は、私情で騎士になった人間ですよ。最初は国や家のことなんて、これっぽっちも考えてませんでした」


「でもそれも他者のためだ——《護りたいもの》のためだろ?」 


「——はい。あの頃は彼女に追いつくので精一杯で。周りのことを考える余裕がありませんでしたから」


 昔を懐かしむような。

 未熟だった頃の己の過去を恥じるような——

 けれど、彼の澄んだ栗色の瞳の中に『後悔』の感情なんて少しもなかった。


「あいつは、いっつも先走るからな。どうせ今も先頭切って剣を振ってるだろ」


「違いないでしょうね。——彼女はそういう方ですから」


 ————やっぱり、好きなんだろうなぁ。


 つくづくそう思う。けれど俺が面と向かって指摘したところで『そうですか?』という澄ました答えが返ってくるだけだ。


「彼は今、探している途中なのでしょう」


「————見つけられるかは本人次第だけどな」


 その言葉に、俺の相棒はまた静かに微笑むだけだった。

最後までお付き合いいただきありがとうございました!

こんな戯れ言に付き合っていただき、大変恐縮です。

これからも彼らの活躍を見守っていただけたら嬉しいです!


あなたにも風の導きが有らんことを

にしみん

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