騎士の剣 前編
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青年が彼らの暖かさに触れるお話です
——告解せよ、告解せよ、汝らの大罪を告解せよ。
それは、あたしたちの家。
緑豊かな森と静かな湖、色鮮やかな花々と温かな陽の光に満ちた楽園。
鳥の歌声が優しく響き渡る、穏やかで満ち足りた、安寧の大地——
——けれど
それは、あなたたちの悪意によって崩れ去る。
あまりにも簡単に、あまりにも呆気なく。
まるで用意された演劇を楽しむかのよう。
まるで、他愛のない遊戯の延長線のよう。
まず森に火が放たれた。次に家族が殺された。
愛すべき隣人も、友も、家族もみんな、みんな——
——そこに例外はない。
あなたたちは、自らの導き手にさえ手をかけた。
あなたたちと、あたしたちの繋ぎ手を。
輝かしい戴冠式は毒血に塗れ、積み上げてきた栄光と信頼は崩れ去り、
希望を示す賢者は消え——
知恵者は手を誤り、虫のように潰された。
美しい湖は毒に侵され、愛の証はあなたたちの私欲によって無に帰した。
——それでも、まだ終わらない。終わらない。
あたしたちの声は届かない、届かない、届かない——
その声は異国には届かず、そこには慈悲は無い。
自由を愛したあなたたち。愛を護ったあたしたち。
その栄光は、その輝きは、あなたたちの土地を照らし続けるでしょう。
沢山の犠牲を得て。永遠に、永久に、無窮に。
でも、どうか、どうか、これだけは忘れずに。
あなたたちが繁栄の一歩を進む度に、世界の根は劣化の一途を辿り——
あなたたちの思いも寄らない、小さな、小さな要因で。
——ほら、この通り。あっさりと、あっけなく。
——祈りを捧げる時さえ与えられず、深淵に堕ちるのです。
——怨嗟の声は、滅びの炎を招き
——滅びの炎は、声の主の悲しい願いを聞き入れて
——結局、誰も救われぬまま、暗い奈落へと堕ちていく。
——告解せよ、告解せよ、汝らの大罪を告解せよ。
◇ ◇ ◇
実りのあった安息日から一夜明けた《銀狼の館》
朝の宿舎には、どこかどんよりとした憂鬱な空気が漂っていた。
理由は考えるまでもない——安息日、つまり休みの明けというのはどうしても身体が重く、気だるげになるものなのである。
「おい、レン!早く起きろ!!遅刻したら連帯責任で外周を追加させられるぞ!!」
ラバック・アラベルの切羽詰まった大声に、俺の脳は無理矢理覚醒させられた。——いや、訂正しよう。
実際にはまだ半分程、強烈な眠気の中に沈んで寝惚けていたのである。
「…………眠い」
「言ってる場合か!!早くしろ!」
ラバックが見習い専用の騎士服を俺に向かって投げつけながら、焦りと怒号を上げる。
それが、今日一日のはじまりを告げる不格好な狼煙であった。
なんとか身支度を整えた俺は、ラバックと共に朝礼が行われる広大な騎士団の広場へと辿り着いた。
「はぁ……はぁ……ギ、ギリギリセーフ!!」
ラバックが息も絶え絶えといった様子で胸を押さえ、必死に息を整える。その隣で、俺も乱れた呼吸をどうにか整えていた。
朝の、しかも寝起き一発目からこんな全力疾走をするなんて、帝国にいた頃の生活ではとても考えられなかったことだ。
「おはようございます!ラバ先輩!レン先輩!」
そこに、まだ早い朝だというのに底抜けに明るく、元気が溢れんばかりの少女の声が澄み切った空気に響いた。
エルン・リヒター。
少女は、自分と同じ見習い騎士に支給される規律正しい騎士服をしっかりと着こなしていた。
「あ、レン先輩!ちゃんと一番上までボタン閉めてください!」
「別にいいだろ……」
「駄目ですよ!もしニーナ様に見つかったら……!」
「……ニーナ……?って誰だよ?」
どこかの場面で、ラバックがそんな名前を出していたような気がするが、未だ覚醒しきっていない頭ではすぐには思い出せない。
いや、もしかしたらそんな名前はろくに聞いた覚えがないからかもしれないが。
「首席メイドのニーナさんだよ……! 怒らせるとマジで怖いんだぞ! 泣かされた騎士は数知れず! 『王宮の裏の支配者』って言われてるんだからな!!」
「はぁ? 首席だかなんだか知らないが、ただのメイドだろ?」
「しっ! 声が大きいですレン先輩! どこで誰に聞かれているか分からないんですよ……!」
ラバックとエルンが、最早わざとらしく反応しているのではと疑いたくなるほどに、大げさに身を縮めて周囲を警戒し騒ぎ立てる。
その異様な殺気を察したのか、周りにいた先輩騎士たちも俺たちの会話から何か恐ろしいものを想像したのか、一様に顔を引きつらせて押し黙っていた。一体何だというのか。
「と、とにかく! いつ『恐怖!煉獄身だしなみチェック~告知なしVersion~』が来るか分からないんだ! 一刻も警戒を怠るなよ!!」
「戦場よりも固く気を引き締めていきましょう!」
「いや……絶対に戦場の方で気を引き締めるべきだろ……」
俺の至極当たり前なツッコミは、朝礼前の騎士団の雑多な話し声の中に虚しく消えていった。
定刻となり、朝礼の始まりを告げる重厚な鐘の音が広場に鳴り響いた。
それを合図に、広場に散らばっていた各部隊の面々が一斉に動き、整然と整列を開始する。
俺はラバックに言われるがまま、初日の朝礼の時と同じように、ラバックとエルンの所属する部隊の列へと加わった。
「——全員、揃っているな。では朝礼を始める」
前方の朝礼台にすっと立った男——聖ラウラント騎士団長、ロディ・グランベルクが快活で朗らかな声を響かせ、朝礼の開始を告げたことで、周囲の空気は瞬時に一層引き締められた。
初日の朝礼でも強く感じた事だが、この男——大陸最強と謳われる王国の騎士団を束ねるだけあって、放つカリスマ性が圧倒的に高い。
本来なら「帝国の鼠」であるはずの俺を騎士団に見習いとして入団させたのもこの男の決断であり、周囲の不満や文句を力強く抑え込んでいるのも、この男の器量と人格故なのかもしれない。
そんな思考を巡らせている間にも、各部隊からの業務連絡が次々と報告されていく時間が流れた。
日常的な見回り業務から、王都周辺の治安維持、衛兵と合同で行われる王宮警備、さらには魔獣や賊の討伐まで——
話を聞いているだけで「面倒だな」と感じてしまうほどに、細かい詳細に満ちている。
本来なら、少しでも王国の内部情勢や配置を記憶し、帝国に報告するべきだ——と、以前の俺なら機械的に考えていただろう。
だが、残念ながらと言うべきか。今の俺には、帝国の為に何かを成そうとはどうしても思えなくなっていた。
元々、俺自身に帝国への強い思い入れがあるわけでもなければ、愛国心などという感情があったわけでもない。
どちらかと言えばその逆だ。あの国の皇族どもは偉そうな面をしているだけでまともな政策の一つも出せない人間のクズばかりだし、帝国を取り巻く環境は最悪の極みだった。
それに——俺はこの国に、少なからず気を当てられている。
昨日の安息日での体験が、自分の中で決定打となったように思う。
帝国では安息日など滅多に与えられなかったし、もし休日があったとしても、あんな風に誰かと笑いながら遊び歩いたり、食事を分け合ったり——『楽しい』と思えるような感情を覚えることなど一度もなかった。
だから、きっと。俺は心の根底で、確かに思っていたのだ。
————この騎士団に所属するのも、悪くないのでは、——と。
「——以上が報告です!」
一人の騎士が報告の終了を告げると共に敬礼を交わし、部隊の列へと戻ったところで、どうやら長々と続いた各部隊の業務報告の時間は終わりを告げたらしい。
「報告は以上か? ——では、唱和を始める!!」
騎士団長の大地を揺らすような低い声が広場全体に響き渡ったかと思うと、周囲の全員が一斉に姿勢を正し、力強く声を揃えて唱和をし始めた。
初日の朝礼では周りに釣られるようにしてただ口をパクパクと動かしていただけだったが、実際、俺は『唱和』とやらを何一つ知らない。
しかし、そんな俺の戸惑いや心情など知る由もない周囲の騎士たちは、腹の底から声を張り上げ、高らかに唱和を紡いでいた。
「一、我らは王国の盾なり。女王陛下の慈悲を胸に、民の安らぎを死守すべし!!」
当然ながら、帝国には部隊全員でこのような共通の文言を唱和するという習慣など存在しない。
似たようなもので言えば、皇帝及び皇族を絶対的に賛美するという不快感と苛立ち極まりない儀式が存在するものの、今現在進行中の唱和とは込められた言葉の意味がまったく違うのだ。
「一、我らは騎士の誇りなり。剣を抜くは私欲にあらず、正義の執行と対話の為なり!!」
騎士の誇りだの、私欲にあらずといった言葉は実に王国らしい甘い印象を受けるが、『対話の為』という部分には疑問を抱かざるを得ない。
剣を抜くという武力行使が、何故「対話」になるのか。この場合の対話とは、剣を抜く前に行われるべき交渉や降伏勧告の事ではないのか。
俺の脳内はすでに聞き慣れない唱和の言葉と違和感で溢れかえっていたが、俺の疑問が解消される間もなく、唱和の言葉は容赦なく続いていく。
「一、我らは一蓮托生なり。仲間の合図には魂で応え、独断専行をもって列を乱すべからず!!」
正直に言えば、『綺麗な絵空事だろう』と心底思った。帝国云々の偏見ではない。
過酷な戦場において一蓮托生などあり得ないからだ。戦局や地形によっては容易に分断され、常に全員で共に行動出来る保証などどこにもない。
加えて『仲間の合図には魂で応え』というのも毛頭理解できない。ただの根拠のない精神論か?
ただ、『独断専行をもって列を乱すべからず』という一文だけはまだ理解できる。
上官の命令を完全に無視して勝手に動くなど、誰が見ても碌な結果を招かないことは火を見るより明らかだ。
戦場の素人でも知っている常識。独断専行が許される場合があるとすれば、それは戦況が極限状態であり、かつ本人の圧倒的な個の武力によって現状の敗色を強引に覆せる例外中の例外のみだろう。
「一、我らは常に警戒せり。如何なる厄災の前でも、即座に身を護る術を講ずべし!!」
——厄災? 確かに六年程前に、この聖ラウラント王国では《血嵐戦争》と呼ばれる未曾有の天変地異があったと聞く。
だが、厄災とは本来、巨大な自然災害や大規模な狂乱のような——もっと言えば人間の力ではどうにもならない天災のようなものではないのか?
仮にその天災を引き起こす原因があったとしても、それは身を護る姿勢をとったところでどうにか防げる代物ではない。
つまり彼らの言う厄災とは、何かまったく別の危機を指しているのだろうか——
「一、我らは誠実の徒なり。言葉に責任を持ち、己の行動に恥じることなきを誓う!!!」
——誠実の徒。己の行動に恥じることなきを誓う……?
俺は寸前のところで、鼻で嘲笑うのを耐え切ることに成功した。もし耐えきれずに嘲笑を漏らしていた場合、次の瞬間には俺の首と胴体が永別を告げていたに違いない。
それくらいの厳格さと圧威は、ほんの短い期間しか王国で過ごしていない俺であっても肌で十分に理解できた。
王国の騎士どもは、己を過剰なまでに神聖な聖騎士とでも思い込んでいるのだろうか? 馬鹿馬鹿しい! 理由がどうあれ、剣を振るって人を殺めている時点で聖なる存在でも何でもない。
この場合の「誠実の徒」や「己の行動に恥じることなきを誓う」というのは、結局のところ『己の振るう暴力を正当化する』という意味合いに過ぎないのではないか。
帝国も暴力をもって他国に戦争を仕掛けている以上、同じ穴の狢——いや、まだ理性に縛られている分、王国の方が多少の矜持があるのかもしれないが……
そもそも王国や帝国といった国の枠組みに限らず、力を少なからず持つ者が優位に立つのは当然なのだ。
わざわざ綺麗な言葉飾りにしなくても、それは世界の絶対的な理というもので——
————そこまで思考を深めた、その時だった。
前方の朝礼台の上に立つ騎士団長の鋭く澄んだ蒼い瞳と、確かに視線が交錯した気がした。
「——————」
それは、まるでこちらの内心の奥底までをも見透かし、検分するような視線だった。
怒りでも、嘲笑でも、憐れみでもない。ましてや新人を案じるような甘い優しさなど微塵もない。
無心で、ただ静かにこちらの魂を切り開き、解剖するような——恐ろしいほどの眼光。
背筋に冷や汗が伝うのを感じたその瞬間、隣からラバックに肘でつつかれた。
どうやら余計なことを考えず朝礼に集中しろ、という意味らしい。
「——では、規定通りに外周を行う。散開!!」
団長の力強い合図を皮肉にも切り札として、一斉に飛び出す集団があった。黒いケープを翻し、金属装備を極限まで削ぎ落とした俊敏な黒の集団——ミカが率いる偵察部隊だ。
それを皮切りに、次々と各部隊が規律正しく走り出していく。
「俺たちも行くぞ!!」
その威勢のいい声が上がったのは、俺の前方からだった。おそらくラバックやエルンが所属している第六小隊の隊長と思われる男だ。
彼はなぜか『キラリ』という効果音が幻聴で聴こえてきそうな爽やかな素振りで、白い歯を輝かせながら真っ先に駆け出していく。
その背中に続くように、隊員たちが次々と走り出していった。
「私たちも行きましょう!」
「うん! ——ほらレン、ボーっとしてないで行くぞ!!」
ラバックとエルンに両脇から半強制的に背中を押される形で、俺は外周三十周という、朝一番から心底削られる地獄のトレーニングへと拉致されるのだった。
◇ ◇ ◇
騎士団専用食堂での朝食の場。俺は温かなスープをスプーンですくい、口に運ぶ寸前で思わず動きを止めて聞き返していた。
「講義だと?」
「そうそう。本日、見習い騎士はプトレマイオス枢機卿様の『騎士道制度』の講義を受講せねばならないのですよ」
得意顔に、しかも何やら普段とは違う気取った口調で滔々と説明するラバック。
向かい側に座り、焼きたてのパンを小さく千切っていたエルンも、コクコクと小さく頷くことで同意を示していた。
「枢機卿自らが騎士道制度とやらを説くのか? 王国の枢機卿ってのはそんなに暇なのかよ」
「レン君、なんて事を言うんだ!! 枢機卿様は普段、国の最高幹部として非常にお忙しいお方で——」
「まぁ……この間も裏庭のテラス席でお茶を嗜んでおられたらしいですが……」
エルンのどこか遠い目をした諦めを含んだ声色で告げられた言葉に、俺は一つの確かな解答を見つけた。曰く——
「つまり徘徊と」
「こら! そうだけど、そうじゃない!」
「認めるなよ。この国、やっぱり上から下まで頭がおかしいぞ」
あっさりと徘徊事実を認めたラバック。枢機卿というのだから、王国における立場や地位も最上位の重鎮のはずだ。
本来なら口にしただけで不敬罪——がどれほど重い罪かは不明だが——で咎められてもおかしくない発言、しかし当の枢機卿とやらはだいぶ寛容なのか、それともただ単に他人に興味がない浮世離れした人物なのか——
「そういうことだから。俺は今日一日任務があるから付き添ってやれないけど、エルンの言うことをちゃんと聞いて頑張ってくれよ!」
「お前がいなくても何も問題ない。子供扱いするな」
「レン先輩、一緒に頑張りましょうね! プトレマイオス枢機卿様は講義中に寝ると恐ろしく叱られるので、絶対に注意しましょう!」
エルンの底抜けに明るく前向きな声を聞きながら、俺はようやく冷めかけたスープを一口、口に運んだ。
「あ、それと……講義の後はちゃんと『レポート』を提出しないといけないからな? 期限内にちゃんと提出しないと、枢機卿様が夢に出てきて基本法律を延々と詠唱させられるって噂だ」
「はぁ? 意味わかんねぇ。そんな都合良く夢に出てくるわけないだろ。レポートとやらを提出し忘れた奴の自業自得な被害妄想だ」
「そんなことないですよ! 実は全く同じ被害(?)を供述している先輩騎士が多数いらっしゃるんです!」
「あっそ」
だとしたら集団ヒステリーか、あるいは口裏を合わせて後輩を脅すための馬鹿話にしているだけだろう。
俺は脳内で即座にそう結論付けることにした。
「場所は第三講義室ね。九時からだけど、遅刻は厳禁だから少し前に席に着いてた方がいいよ」
「場所は私がご案内しますね!!」
「あぁ、頼む……」
異様にテンションが高いエルンに押し切られる形で頷いた俺は、この後行われるであろう小難しい講義に、早くも頭を痛め始めていた。
しかも講義後にレポートの提出まで課されるらしい。俺は生きていく上で必要最低限の読み書きこそできるが、特別な教養や学問を修めたわけではない。当然のことだが。
故に「騎士道制度」だの「法律」だの、ましてやその後のレポート――おそらく講義を聞いた上での感想や、制度についての自分なりの意見等――を論理的書かなければいけないのだろう。
言うまでもなく大の苦手だ。というより、これまでの人生でそんな机上の経験など一度もありはしない。
「講義はたっぷり二時間あるからな! 朝食後だからって絶対寝るなよ!!」
「二時間!? そんなに長いのか!?」
「寧ろ少ない方ですよ。マヌーチュフ教官の算術の講義なんて、長くて四時間ある時もありますから」
「は??? 四時間だと? ただの拷問だろ!」
「まあまあ、滅多にあることじゃないですし、ちゃんと途中に休憩がありますから」
マヌーチュフ教官とやらの算術講義が四時間におよぶという衝撃のカミングアウトをされた事で、俺はいきなり未知の不安を覚え始めていた。
どうせ三十分、長くて一時間程度だろうと高を括っていた騎士道制度の講義が、まさかその倍もあるなんて考えもしなかったのだ。
「筆記用具は私の予備をお貸ししますから安心してください! レン先輩は初回受講につき、教本は現地で支給されますので——」
最早エルンのこちらを気遣った丁寧な説明も、俺の右から左へとそのまま吹き抜けていった。
早朝からの外周三十周という運動の地獄を終えて、ようやく温かい朝食にありつけたと思いきや、次は難解な法律の講義が二時間。
これなら帝国で泥に塗れて受けていた過酷な戦闘訓練の方が、まだ精神的にマシに思えるレベルである。
しかも居眠りをかますと相当激しく叱られるらしい。夢の中にまで現れれて法律を講釈されるなんて不吉な真似は御免被りたい。
そもそもこの国は、平然と「夢に出てくる」という通常では考えられない怪奇現象的な表現を使う傾向がある。
そしてタチの悪いことに、それがすべて嘘というわけでもなさそうなのだ。
それはこの国の狂った国民性と不可解な空気感が証明している。
「はぁ……」
俺は重々しく深い溜め息を吐いた。騎士団に所属している以上、避けて通れない義務とはいえ荷が重すぎる。ただ剣を振るっていればいいというわけにはいかないのか。
「それと、レンは俺たちと同じ隊に所属が決まったから! レポートに名前を書く時とか、出先で名乗る時は『前線部隊 第六小隊所属、レンです!!』って言うんだぞ!」
「おい……初耳だぞそれ」
「あ、俺もこれ聞いたの外周が終わった直後だから」
「おい! この騎士団は組織として大丈夫なのか!? 朝礼の報告とかはあんなに厳格でまともだったろ!?」
「レン先輩、落ち着いてください! きっと以前から内々に決まっていたんですよ! 伝達がほんの少し遅れてしまっただけです!」
「無理矢理過ぎる解釈だろ!! そんな大事な所属の報告、普通後回しにするか!!?」
俺の至極当たり前な絶叫は、朝の活気に満ちた騒がしい食堂の熱気の中に溶けて消えていった。
今更だがこの食堂、あまりにも煩すぎるのだ。あちこちで肉の取り合いやおかわりの争奪戦が繰り広げられる喧騒の中で、俺の真っ当なツッコミと意見は綺麗に掻き消される。
——どこかから、呆れたような誰かの静かな溜め息が聞こえた気がした。
◇ ◇ ◇
笑顔のラバックと騎士団専用食堂の前で別れ、エルンに案内されるまま、まだ慣れない王宮内部の廊下を歩く。
とにかく広く、軍議室や会議室と思われる重厚な扉の部屋が複数存在し、廊下に飾られた調度品や絵画も日頃から丁寧に手入れされていることがよく分かる。
階段を上り、少し歩いた左側にある比較的広めの部屋の前で、エルンはぴたりと足を止めた。
部屋のプレートには『第三講義室』と記されている。
エルンは重厚な扉に手をかけてスッと滑り込むように入室したため、俺もその後に続いて足を踏み入れた。
「ここが第三講義室ですよ! 席は自由なので一緒に座りましょう!」
エルンはそう告げると、驚くことに真っ先に一番前の中央の席を選んで腰を下ろした。
……正気か?
「……前の席に座るのか?」
「? だって前の席の方が、枢機卿様のお声がバッチリ聞こえますよ?」
俺の不純で汚い思考など知る由もないエルン。どうやら根が真面目なこの少女騎士は、最前線でしっかり受講するつもりらしい。
俺は一番後ろの目立たない席で、嵐が過ぎ去るのを静かに待とうという魂胆だったというのに。
しかし、エルンのひたむきな気遣いと優しさを無下にして、一人後ろの席にぽつんと座るのも気が引け、俺は腹を括ってエルンのすぐ隣の席に腰を下ろした。
第三講義室には既に俺たち以外にも見習い騎士と思わしき若者たちが幾人か着席しており、背筋を伸ばして教本らしき分厚い本を開き、真剣な眼差しで目を通しているらしかった。
「はい、レン先輩!」
エルンは自身の持ち歩いていたペンケースから、俺に向かってペンと、白い小さな立方体の物体を手渡してきた。どこかで見たことがあるような気がするが——
「……ペンと……これは?」
「それは《抹消石》ですよ! 消したい文字の上に擦ってみて下さい。なんと! 書いた文字が綺麗に消えます!」
「……それって消——」
「おっと、レン先輩!! それ以上は世界の理を崩壊させるので絶対に駄目です!!!」
「お、おう……」
エルンが物凄い剣幕で俺の言葉を強引に阻止したことで、俺も自分が何を言おうとしていたのかすっかり忘れてしまった。
そんな妙な会話をしている間にも、続々と教本と筆記用具を手にした見習い騎士たちが第三講義室へと入室してきた。
講義室の壁に立て掛けられた立派な置時計の針は、間もなく九時を指そうとしている。
そして——
カツン、カツンと静かな靴音と共に、新たな入室者が第三講義室の扉を潜り抜けて現れた。
豊かに蓄えられた白い髭に、重鎮と思わせるには十分過ぎる程の佇まい。
だが、身に纏っているのは堅苦しい重装の礼服などではなく、気品溢れる竜胆色の仕立ての良いローブだ。
胸元には王国の最高権威と知恵の象徴である『聖樹と天秤』の紋章が、輝く金糸で繊細に刺繍されており、落ち着いた装いの中にも一目で高位の聖者とわかる格式の高さを漂わせている。
見た目こそ七十代半ばほどの老人に思えるが、腰は少しも曲がっておらず、むしろ若々しさすら感じる凛とした立ち姿だった。
少し長めの白髪は後ろで綺麗に一つに束ねられている。その老人はゆっくりとした、だが確かな足取りで中央の講義台の前を目指して歩いていた。
俺はその人物から、果てしなく長い年月を生きてきた者特有の、底知れない不思議な感覚を覚えていた。
この世界には人間以外にも長命種をはじめとする様々な種族が存在しているらしい。見た目だけでは判別できない種族も多々あるようだ。
もしかしたら、この老人はただの人間ではない
——遥か永遠を生きる別の種族なのかもしれない。
そんな思考を巡らせている間に、その人物は目の前の講義台にすっと立っていた。
ふと、吸い込まれそうなほど珍しい澄んだ金の瞳と、しっかりと視線が合う——
「おはよう、諸君。定刻には少々早いようじゃが、始めさせて貰うとするかの」
意外にも、その声色はどこまでも穏やかで優しかった。枢機卿という最高権力者というからには、もっと厳しく、冷酷な印象がどこかにあると思い込んでいたのだ。
「——あぁ、忘れるところじゃった。お主にはこの教本を渡しておらんかったの」
目の前の枢機卿が、講義台から身を乗り出して俺に直接一冊の教本を手渡してくれた。
黒い革張りの表紙のそこそこ分厚く、しかし手になじみ持ちやすい教本。重厳な法律の教本故に表紙が黒いのかもしれない。
「お主とは初めて顔を合わせるの。わしはプトレマイオス・ロートレ・アモンという。この国の枢機卿の座に就いておる。以後よろしく頼む」
そんな言葉と共に、なんと一国の最高幹部であるはずの老人が、見習いの俺に向かって深く一礼をして見せたのだ。
俺はあまりの衝撃に暫く動くことができなかった。
以前会った王族新聞を名乗る公女といい、この枢機卿といい、上の立場にいる人間が下の者に対して軽はずみに頭を下げすぎではないだろうか。
だが、このまま礼を無視することだけは絶対に許されないと、俺の生存本能が激しく告げていた。
俺は弾かれたように身体を動かし、同じように——いや、それ以上に深く深く頭を下げた。
「お、俺は前線部隊、第六小隊所属……レン……です」
慣れない敬語を無理に使ったせいか、声が些か裏返り震えていた。
何となく顔が熱くなり気恥ずかしい気持ちになったが、俺を嘲笑するような声は目の前の枢機卿からも、周囲の真面目な騎士たちからも一切聞こえてはこない。
「そうか、ではレン——この時間が、お主にとって実りある学びの場となることを祈っておるよ」
彼は温かい眼差しでそう言葉を残すと、本格的に講義を始める為に今一度周囲の見習い騎士たち全体へと視線を合わせた。
——なるほど、確かにこれは「枢機卿」という名に相応しい。
絶対的指導者というのは、きっと彼のことを言うのだろう。
圧倒的な威厳もあるが、それ以上に包み込むような親しみやすさもある。
しかもその親しみやすさが、彼の持つ高貴な威厳を少しも損なわせていないのだ。
それ故に周囲の見習い騎士たちは、誰一人として気を緩めることなく、枢機卿の一言一句聞き逃さんと言わんばかりの真剣な表情でペンを握りしめている。
「では騎士の定義——【三位一体の誓い】から語るとしようかの。教本、五ページを開くのじゃ——」
俺はこの講義が始まる直前まで、ただただ面倒で憂鬱さを感じていた筈だった。
なぜかは自分でもよく分からなかったが、この講義にはきっと、俺のこれからの人生において確かな意味を持つ何かがある——そう強く感じ始めていたのだった。
プトレマイオス枢機卿の声は、老齢——実際はそうではないのかもしれないが——とは思えないほどどこまでも良く通り、凛と澄んだ響きを持っていた。
「よいか。我が国の騎士とは、単なる『剣の使い手』ではない。騎士道制度とは、この王国の【平和を維持するための法】そのものなのじゃ」
俺は手元の教本に記されていた難解な文字列を、貪るように齧りつくように目で追いかけていた。
小難しい表現や専門用語は、プトレマイオスと名乗った枢機卿が噛み砕いて丁寧に解説してくれるという、思いのほか親切な講義仕様である。
プトレマイオスは講義で使用する魔道具らしい、空中へ浮かび上がるホログラム板のような光の板へスラスラと文字を書き始めた。
文字を書いたと表現したが、実際は専用の世界樹の枝を模した万年筆のような道具で空を滑るように撫でただけだ。
一瞬、古代の秘文字——おそらく『神聖語』と思われる複雑な文字列が浮かび上がったかと思えば、次の瞬間には俺にも馴染み深い現代語へと一瞬で変換される。
王国の魔術技術が他国を圧倒していることは知識として知っていたが、講義の現場でこれ程までの精度で見せつけられるとは思ってもいなかった。
「【武の誠】とは—— 相手を殺すためではなく、理不尽な暴力から弱き者を守るための力じゃ」
光の板に記された三つの文字列。その一つを指し示しながら、プトレマイオスは朗々と語る。
——相手を殺すためではなく……守るための力。
俺はそんなもの綺麗事だ、甘い絵空事だろうと、今朝の朝礼での唱和を聞いた時にもそう思った。
今もそう簡単に理解できるわけがないし、理解するつもりもない。
しかし、目の前の枢機卿の声色も表情も真剣そのもので、鼻で笑うなんて真似ができる筈もないし、内心ですらそんな不敬な思考を抱くことすらできなかった。
我ながら毒気が抜けて流されやすくなったものだと思う。
俺の感覚がおかしいのか、それともこの枢機卿の発する言葉と表情がそうさせるのか。
「次に【礼の和】—— 敵であっても敬意を払い、対話の余地を残すこと。守るべき民を脅かす存在であろうとも、頭ごなしに否定してはならん。常に——とはいかんじゃろうが、状況が許す限り相手の意思を問うことも必要な時があろう」
——敵であっても敬意を払うだと!?
俺はあまりの衝撃に駆られ、思わずほんの少し座っていた椅子を後ろへ動かしてしまった。
静謐な空間であるため、軋むような小さな音でも講義室中に響いてしまう。幸いにも、俺を咎める声も訝しむ視線も向けられなかったようだった。
「(レン先輩、どうしたんですか……?)」
「(いや……少し驚いただけだ)」
隣のエルンが心配に満ちた小声で声をかけてくれるが、俺はそれどころではなく、枢機卿の言った言葉の意味にただただ絶句していた。
敵対した時点で対話など発生しない。正確には対話であって対話ではない。
お互いの殺意や意思を一方的にぶつけ合うような——あるいは降伏を迫ったりといった殺伐とした言葉しか交わされないのが戦場ではないのか。
帝国とは根本から全く違う教えに、俺は困惑を通り越して言い知れぬ恐怖すら感じていた。
敬意などは自分より目上の人間、上官だとか王族や皇族、百歩譲って心から尊敬する人物に向けられる感情であって、自分たちの命を脅かす敵に向けられるものでは決してない筈だ。
だが、当然のように隣のエルンや周囲の見習い騎士たちは深く頷いている。
ここではそれが当たり前で、俺だけがこの空間における異物なのではないかという冷や汗の出るような心情に駆られていく——
「【信の楔】—— 王国と国民に対し、自らの命をかけて誓いを守る責任。お主たちも身に染みて感じている事じゃな。お主たちの上官たちはどんな状況でも国民と国のためを想い、行動しておる筈じゃ。そして国民もまた、お主たちを——」
——もう限界だった。王国と国民に自らの命をかける誓いだと?
そんなことがこの世にある筈がない。誰だっていつだって、我が身可愛さで優先して行動している筈だ。
仮にそういった犠牲的な行動が少なからずあったとしても、それは状況が比較的切羽詰まっていないとか、そういう自己満足の——
「——意見があれば聞こう」
俺の荒れる内心を見抜いた訳ではないだろうが、枢機卿の穏やかなどこか静かに俺の気持ちを肯定し、促すような声の響きがあった。
いつもなら俺は何も言わず、無駄な波風を立てずに沈黙を貫き通すところだが。
「……命をかける意味がない……と、思います」
「れ、レン先輩!!?」
エルンがガタンという激しい音と共に椅子を蹴って立ち上がる。周囲の騎士たちからも『…………嘘だろ』『信じられない……』といった動揺の声が漏れ聞こえ始める。
講義室全体が軽いパニックに陥った雰囲気を感じ取った枢機卿は、静かに小さく手を挙げた。
その短い一瞬の所作だけで、一瞬にしてピタリとざわめきが収まった。流石の統率力だと変な感心を覚える。
「お主は、何故そう思うのじゃ?」
「……誰だって死にたくはない……筈だ。王国と国民のために命をかけるなんて、そんな人間が本当に存在するとは思えない。それはただの『自殺志願者』のようなものじゃないのか」
俺の吐き捨てた言葉の後は、重く、重い沈黙が講義室内を支配した。息を呑む者がいれば、顔面蒼白になって絶句する者もいる。
帝国と王国の教えは違うだろうと思ってはいたが、ここまで相容れないものだとは思っていなかった。
これでは本当に『他人のために死ぬ』と言い出す人間だって、あながちこの国にはいるのかもしれないとさえ思えてくる。
「あぁ……三女神よ……」
後方の席の一人の騎士が、何事かうわ言のように胸の前で手を組み祈りを捧げ始めた。
やはりこの国の人間は精神異常者が多いらしい。
俺の言葉が余程衝撃的だったにしろ、神に祈りを捧げたところで一体何になるというのか? 神がわざわざ一人の人間の疑問に救いをもたらすとでもいうのか。
王国は三女神を信仰の礎にしていると聞くが、もし仮にその信仰が何かしらの形で失われる事になれば、この国は殉教者で埋め尽くされるのではないだろうか。
「——お主は、まだ見つかっておらぬのだろう」
静寂を破り、枢機卿の朗らかな声が届いた。
その声には怒りなど一切含まれていない。さりとて無遠慮な憐れみも、上から目線の優しさもなかった。
その声と、真っ直ぐな眼差しに——
朝礼の場であの男に向けられた検分するような、解剖するような視線を思いだし、既視感を覚えていた。
「何を——見つけていない、と?」
枢機卿の神秘的な金の瞳が、迷いなく真っ直ぐ俺へ向けられる。
「——《護るべきもの》じゃよ」
今度はどこまでも優しく、我が子を諭すような暖かな声だった。
「レン。お主は他者と剣を交える際、何を感じておるかの?」
「何も。ただ、殺す相手に向ける感情も、向けられる感情もありはしない」
俺は偽りのない素直な自身の日常的な心情を伝えたが、それを聞いた枢機卿は困ったように優しく苦笑するだけだった。
「ふむ。ではエルン」
「は、はい!」
俺にこれ以上尋ねても議論の余地なしと考えたのか、あるいは模範的な正解を知る者に答えさせようという魂胆か。
枢機卿が次に指名したのは、隣で俺の極論に絶句していたエルンだった。エルンは名前を呼ばれたことで、ハッと意識を取り戻したようだった。
「お主はどう思う」
「私は——騎士の剣は、単に相手を沈めるための道具ではなく、『相手の意志を受け止め、自らの正義を問う』ための対話の手段だと考えています。故に、剣を交える際は『相手』を一番身近に感じます。人を知るには、剣で語り合うのが一番嘘偽りなく相手を深く理解できますから」
——人を知るために、剣で語り合う。
何を言っているのか毛頭理解できない——というより、俺の冷め切った脳がその論理の受け入れを完全に拒んでいた。
剣を交えるというのは命を懸けた戦闘か、さもなければ力試しか訓練の一環だろう。
個人を知りたいと思うのなら、面と向かって落ち着いて話し合えばいいのではないか。
「然り。我が国では剣を交えることを『対校』ではなく『交流』と呼ぶこともある。剣を交えるのは戦いや自己の力を証明するためだけに非ず。まぁ、今すぐ理解しろとは言わんよ。世界には数多の国がある故、考え方も人それぞれじゃ」
ホッホッホッと愉快そうに深く笑う枢機卿。先程まで至極真面目な思想の会話を繰り広げていた筈なのに、次の瞬間には朗らかに笑っている。
枢機卿があまりにも愉快そうに笑うので、周囲の見習い騎士たちも釣られて和やかに笑い始める始末だ。
——やはり、この国はおかしい。
俺はもはや何度目とも分からない呆れ混じりの思考を、頭の中で巡らせていた。
その後、講義は制度の役割——【抑止力としての名誉】という次の議題へと移った。
開くように指示された教本に記されていた細かな文字列。
しかし、俺の薄い記憶と照らし合わせても、ここに記されている法律の文面には明確な相違があった。
——『騎士の任命は原則十六歳より――』
続く文面をまともに読み進める前に、俺は酷く混乱していた。
——いやいや、ならあの偵察部隊の……確か、ミカとかいう子どもは?
それに偵察部隊には他にも子どものような見た目の奴がいたはずだ。
あいつらは見た目が幼いだけで、実年齢は全員十六を越えているのだろうか?
俺が一人で思考を巡らせていると、意外にもその答えはすぐに講義台の枢機卿の言葉から語られた。
「——なぜ十六歳以上という厳しい年齢制限があるか。それは、力が『心』を追い越してはならんからじゃ。一部の特例騎士——お主たちにとって一番馴染み深い特例はミカかの? 彼らのような特例はその精神がすでに十分成熟しきっていると認められたからに他ならん。騎士という肩書きは、法を執行する権利と同時に、『誰よりも法に縛られる義務』を負う。名誉とは、己を律する鎖のことじゃ」
つまり、あの見た目はどう見ても子どもの騎士はすでに精神が成熟しており、己の行動に全責任を持てるが故に、基準の年齢を満たしていないにも関わらず『正式な騎士』として認められているということなのか。
「(そんなのありか? どう見ても子どもだろ?)」
「(ミカ様の事ですか? あの方は十歳の頃からすでに騎士団に所属されていたとか)」
「(…………十歳……!? それ、本当なのか……?)」
「(本当みたいです。びっくりですよね! 正式な騎士としての任命は十四歳で……今の私の年齢の頃にはすでに正式な騎士だったなんて……流石ですねぇ!)」
「(いや、どう考えてもおかしいだろ!?)」
俺の至極真っ当なヒソヒソ声のツッコミに対し、エルンは恍惚とした尊敬の表情を浮かべていた。
明らかに制度としておかしい。あの子ども、中身は化け物じゃないのか!!
「——ちなみに、お主らもよく知る騎士団長は当時十三歳で騎士任命という経歴の持ち主じゃ。……まぁ当時はここまで厳しく年齢制限が設けられておらんかったんじゃが……そういう意味ではミカは法律が見直されてから史上最年少という見方もできんことは——」
「(法律ガバガバ過ぎじゃねぇか!! 騎士団長の見た目からして十数年前の話だろ?)」
「(……? あ、レン先輩はご存じないんですね)」
クスクスと何がおかしいのか、口元を抑えて笑うエルン。決して俺を馬鹿にした様子ではないが——なんだか妙な胸騒ぎがする。
あの騎士団長は、見た目をどう高く見積もっても二十五歳以上には見えない。
あの若い男がこの狂気的な騎士団のトップとは些か信じがたいが、一度完膚なきまでに叩きのめされた苦い経験も相まって、その圧倒的な実力だけは疑うことができないのも事実だった。
「(レン先輩。団長の見た目に騙されちゃ駄目ですよ? あの方は百歳を軽々と越えてらっしゃいます。つまり……十三歳の騎士任命は百年前のお話なんです。だからミカ様が現代の騎士任命を受けた最年少騎士というのもあながち間違っては——あ、でもシルフィーネ様やクリス様もほぼ同時期だとか……)」
「(待て! 待ってくれ!! どうなってるんだこの国は! そんなポンポン子ども騎士を量産していいのか!?)」
「(……レン先輩、あの方たちは外見の年齢はともかく、精神や誇りはそこらの大人よりも遥かに成熟されていると思いますよ?)」
「……………………」
——そこまで言われて、俺は騎士団専用食堂や宿舎《銀狼の館》での、正式な任命を受けているはずの周りの先輩騎士たちのあの騒がしい面々を思い出した。
「(……そうか、ラバックはまともな部類だったのか……)」
「(レン先輩! ラバ先輩に対してとっても失礼ですよ!)」
空耳だと信じたいが、王宮のどこかでラバックの盛大なくしゃみの音が聞こえた気がした。
……うん、きっと気のせいだ。幻聴に違いない。
その後も、法律や騎士道精神の歴史に基づく講義が粛々と続いた。
正直に言えば、帝国で生きてきた俺にとっても十分に理解できる合理的な内容も含まれていた。
例えば、『連帯責任の真意』についてだ。戦場において、一人の独走は部隊全体を容易に滅ぼし、一人の裏切りは時に国すら滅ぼす。
帝国において裏切りなど日常茶飯事であったため、いちいち国が滅びるとまではいかずとも、一人の独断専行、身勝手な特攻、あるいは作戦無視が決定的な任務失敗を意味することは嫌というほど理解できる。
そういう意味合いにおいて、『連帯責任』というシステムは無能な個を牽制し、組織全体を統括する上で極めて効率的な制度といえる。
今朝ラバックが死にそうな顔で言っていた『遅刻をしたら連帯責任で外周を追加させられる』と言っていたのも、この組織統制の真意とやらが厳格に機能しているせいだろうと思われた。
「——以上を以て、本日の講義は終了とする。長い時間ご苦労じゃったの」
枢機卿が穏やかに講義の終了を告げたその完璧なタイミングで、狙い澄ましたかのように王宮の鐘の音が美しく鳴り響いた。
「レポートの提出期限じゃが、金曜日の午後までとする。お題は——そうじゃな……」
金曜日の午後。今日は水曜日なので、猶予は実質三日しかないことになる。
俺は心の中で、頼むから書くのが難しい難解な議題だけは止めてくれと三女神にすら祈る思いで願った。
そもそも、己の感じた言葉を文字にして書き表すということ自体、俺は心底苦手なのだ。加えて王国の複雑な法律には大して詳しくもない。
「『強者とは何を示すか』じゃ。己自身でじっくり考えるのも良し、他者の意見を聞き入れるのも良し——ただし、最後は必ず己自身の言葉で記すこと。忘れんようにな」
枢機卿は静かに語り終えると、優しく一礼して第三講義室を後にした。
講義が正式に終了した事で張り詰めていた緊張感が一気に薄れ、大きな欠伸をする者や、友人と思わしき隣の席の者同士で講義の内容について熱く語り合う様子があちこちで見られた。
——強者とは何を示すか。
もっと小難しい法律の解釈のような議題が出されると思っていたため、俺としては少し拍子抜けした。そんなもの、答えなど既に自分の中で完成している。
強者とは、文字通り強い者のことだ。圧倒的な個の武力が備わっていればなおのこと良いが、もっと言うなら上の立場に立つ強大な権力や、大きな決定権を持った人間がいい。
上へと上り詰めるにはいつだって実力が物を言うのだから、この考えが絶対に正しい筈だ。
なんなら今夜のうちにサッと書き上げて、翌朝一番に提出してしまえばいい。そうすれば、これ以上小難しいことなど考えなくて済むのだから。
俺は心底安堵し、開いていた真っ黒な教本をパタンと閉じた。
「うーん……『強者とは何を示すか』ですか……」
「そんなに難しく考えることか?」
未だに教本を閉じることもできず、ペンを咥えて悩んでいるエルンに俺は視線を移した。
生真面目なこの少女は、枢機卿の発した言葉の真意をどこまでも深く汲み取ろうと必死な様子らしい。
「レン先輩は、もう答えを見つけたんですか!?」
「まぁ……答えというか、考えるまでもないだろ?」
俺が至極当然、と当たり前のようにすんなり答えたからか、エルンは目を丸くして驚きの表情を崩せないでいた。
「……すごいですね。やはり場数を踏んでこられた経験の差なんでしょうか……」
確かにエルンは立場上、俺と同じ見習い騎士ではあるが、泥に塗れた戦場の修羅場を潜ってきた経験ということであれば、俺の方が遥かに経験値が高いのは明白だろう。
強者とは、力あってこそ。何を示すかと問われれば、最初から決まっている。
——力だ。圧倒的な力。権力、権限、武力。
それ以外に一体何を示すというのか?
◇ ◇ ◇
昼食には少々早い時間だったが、正午を過ぎて食堂が混み合う前に食事を済ませようということになり、俺はエルンと共に静かな騎士団専用食堂を訪れていた。
朝のような戦争さながらの喧騒はすっかり鳴りを潜め、広大な食堂にはちらほらと人が座っている程度だった。
配膳係から温かい食事を受け取った俺とエルンは、空いている適当な席に並んで腰を下ろした。
自然と会話の話題は、先程まで受講していた講義の内容へと偏っていった。
「それにしてもびっくりしました……レン先輩、あんな公共の場所で、あんな発言をしちゃ駄目ですよ!」
「あんなこと?」
エルンの澄んだヘーゼルの瞳が、真っ直ぐに俺へと向けられている。
怒っている——というよりは、新人の俺の身を本気で案じている、といった暖かな雰囲気を感じる。
エルンの言う『あんなこと』とは、十中八九、俺が講義の途中で枢機卿に対して言い放ったあの発言のことだろう。
「プトレマイオス様はとっても寛大な御方ですし、周囲も見習い騎士ばかりだったから何も大事にならなかったですけど……もしあそこにどこかの部隊隊長の方々がいらっしゃったら、大問題になっていましたよ!!」
「そんな大袈裟な……」
エルンは身を乗り出さんばかりの勢気で身振り手振りを交えて語るが、『意見があれば聞こう』と言ったのは枢機卿の方だ。
俺は促されるまま、自分の率直で素直な意見を言ったまでのこと。
「もう……とにかく、隊長の方々にはくれぐれもお気をつけくださいね!」
「隊長って……そんなにビビる程の恐ろしい相手なのか?」
隊長、と言われて一番始めに俺の脳裏に思い浮かんだのは、あの黒髪の小柄な少年だ。厳密には、あの子どもくらいしかまともに部隊隊長としての面識や関わりがないせいでもある。
「必ずしも恐縮するような相手だとは限りませんけど……とにかく癖のある個性的な方々ばかりですから……」
眉をハの字にして困り顔で肩を落とすエルンに、俺は今しがた抱いた素朴な疑問をぶつけてみることにした。
「じゃあ、あの……ミカとかいう子供も、やっぱり癖がある騎士なのか?」
「ミカ様ですか? ……そうですねぇ、本当にお怒りになられた時はとても怖いらしいですが……そもそもあの方が本気で怒られたお姿を見たのは、私も一度か二度くらいしかないです。普段は誰にでもとてもお優しくて頼もしい方ですよ!」
どうやらエルンは、ミカに対して強い信頼と敬愛の念を抱いているらしい。
多少の憧れ的なフィルターがかかっている気もするが、あながち間違いではないのかもしれない。
あの少年の見た目の割には言動が極めてしっかりしているし、何より偵察部隊の隊長という重職に就いているのだから、確固たる実力があるのだ。
何より、あの細身な身体からは想像もつかない凄まじい怪力の持ち主だったし、あれこそまさに俺の言う『強者』そのものだろう。
「……ミカ様にお話を聞いてみるのもありでしょうか……あ、でもお忙しいでしょうか……」
ぶつぶつと独り言のように何やら呟き始めるエルン。どうやら彼女にとって、この講義のレポート課題は余程ハードルが高く不安なようだ。
俺はそんなエルンの真面目すぎる様子を、他人事のようにボーッと他人事として見つめるばかりだったのだが。
◇ ◇ ◇
午後は修練場での実技鍛錬があるという事で、俺はエルンに案内されるまま、重厚な鉄で作られた巨大な修練場の門を潜った。
——流石は、大陸最強を誇る聖ラウラント騎士団の修練場と言わざるを得ない。
俺は心の中で、短い歓声さえ上げた。とにかく敷地自体が圧倒的に広大なのもあるが、場内には見たこともない様々な鍛錬用器具らしきものが整然と配置されていた。
複雑な魔力を帯びた魔道具らしいそれは、個の戦闘力を鍛える鍛錬にまさに打ってつけのようだった。
このような高度な器具や施設を使って日々泥に塗れて訓練や鍛錬を行っているからこそ、王国の騎士団は大陸最強という名を手に入れたのかもしれない——
「よし! ではまず怪我をしないようにストレッチから——」
エルンが気合いを入れるようにして準備運動に移ろうとした、まさにその時だった。
「おい、新人」
聞いただけで分かる。明らかにこちらを低く敵視している不躾な声だった。
声をかけてきたのは、揃いの装備を身に纏った三人組の騎士。わざわざ「新人」と呼びかけてくるくらいなのだから、奴らは当然見習いなどではないのだろう。
「は、はい!」
呼び掛けられたと判断したエルンが、弾かれたように咄嗟に振り返るが、声をかけた本人はつまらなそうに小さく頭を振った。
エルンではないとしたら、呼びかけた相手は俺以外には考えられない。
「……何か用か?」
「……チッ、なんでこんな奴が……」
「新人。確か、レンと言ったか。団長がお前を戦場から直々に拾ってきたようだが——俺はお前の実力を未だに確認できていない」
——なるほど。実に分かりやすい。
俺は内心、むしろ歓喜すらしていた。ここまでシンプルで分かりやすい歪みは、この甘い王国に来てから数える程度しかなかったからだ。
——力の証明。
確かに講義や安息日の経験を経て、力以外にも目を向けるべき事柄があるのは知識として理解した。しかし、手っ取り早いのは圧倒的な力によって明確な上下関係を理解させることだ。
この状況は俺にとって実に都合がいい。なんならレポートの答えに悩んでいるエルンに、目の前で教えてやることだって出来るのだ。『強者とは何を示すか』と。
「はっきり言ってくれ。回りくどい前置きや言い回しは面倒なだけだ」
「——ならはっきり言わせて貰う。俺は帝国の兵士をこの誇り高き騎士団に置いておくのは断じて認められん!」
「だったらどうする?」
その言葉が決定打であった。とうとう怒りを抑えきれなくなった一人の騎士がこちらを激しく睨み付けると同時に、腰の真剣——ではなく、脇のラックに置かれていた訓練用の頑丈な木剣を手に取った。
「実力を見せてくれ。でなければ納得できそうにない」
「検品か。構わない」
「レン先輩!!」
以前食堂で似たような絡み方をされたが、あの時の男よりは幾分か理性が残っているらしかった。
男は一本の木剣を俺に向かって放ってきた。俺はそれを片手で受け取り、軽く振って重心を確かめる。
——どうやら、何の変哲もない普通の木剣らしい。
何か仕掛けや細工でもしているのかと一瞬疑ったが、どうやらこの男は真正面から真剣勝負をするつもりらしい。
王国の騎士らしい清廉潔白振りである。
エルンが心配そうにこちらを伺っているが、俺は視線だけで『問題ない』と伝えようとして————
「…………っ!?」
酷い、本当に脳が割れるような酷い頭痛に突如として苛まれた。
それと同時に、強烈な倦怠感が重りとなって全身を縛り付けるように包み込んでいく。
「れ、レン先輩……!? 顔色が——」
——あぁ、これは経験がある。
副作用だ。ここ最近、久しく感じていなかったせいで、脳が危険信号と判断するのが遅れてしまったのだ。
思えば王国に来てから、帝国で日常的に投薬されていたあの魔薬——《エーデン》を一度も投薬していない。
あのオカマの医務官——リリアンが言っていた通り、ついに俺の身体の限界が来たのか——
「……おい、降伏するなら今のうちに——」
——降伏? だと……?
周囲の喧噪や声援が、遠くの波音のように遠ざかっていく。
相変わらず頭は割れるように痛いし、激しい倦怠感は増すばかりだ。
なんなら強烈な吐き気だってこみ上げてくるし、思考力も急速に落ちて————
————ねぇ、殺してくれる?
————なにを、だれを……?
どこかで、おんなの、こえが、きこえる
————決まってるじゃない
きんのかみ、あかいめ、うたうような、こえ——
————人間
————いいよ
「…………——な——!!」
「——ぱ——い!! れ——!! ……先輩!! レン先輩ってば!!!」
「……————え、るん?」
「良かった!! 大丈夫ですか!? 顔が真っ青です!! すぐに医務室に——」
「いむ、しつ……医務室……? なぜ?」
「え、だって……!」
エルンの叫び声が直接脳内に響いたような衝撃的な感覚を最後に、先程まで俺の意識を支配していた筈の激しい頭痛や倦怠感の類いは、嘘のように綺麗になくなっていた。
そして、ふと見下ろすと目の前の地面に男が一人、力なく倒れていることに気付く。
どうやら死んではいないらしい。ただ気を失って倒れているだけだ。
「……コイツ、勝負が始まる前から何やってるんだ……?」
「え……!? だ、だってレン先輩が——」
「俺? 俺が……何を」
そこまで言いかけて、周囲に集まっていた騎士たちの異様な視線が一斉に俺へと突き刺さっていることに気づいた。
次いで、ヒソヒソとした囁き声が聞こえてくる。
「おい、見たか……今の?」
「あぁ、団長が目を付けただけあるな……」
「…………そうか」
俺はようやく事態を理解した。どうやらの記憶が飛んでいる一瞬の間に、俺が相手を気絶させてしまっていたらしい。
あの魔薬の副作用の最中に起こった出来事だ。ふと、『……殺さなくてよかった』という、なんとも呑気で他人事な感想を胸の中で抱いてしまった。
だが、気絶した騎士の仲間と思わしき残りの二人たちは、この結果に納得がいっていないようだった。
「……次は、次は俺だ!」
「いいけど」
——何度やっても、結果は変わらないだろう。
『強者とは、圧倒的な力を持つ者を示す』のだから
◇ ◇ ◇
「やっぱり! とっても速いですね! 流石は騎士団長閣下自らが戦場から直接拾ってきた方なだけありますよ!!」
感嘆と興奮が入り混じった若々しい少女の声が、修練場の二階——今しがた下で立ち合いをしていたレンたちからはちょうど死角となる見学席の位置から響いた。
愛用の魔道カメラを構え、カシャカシャと軽快なシャッター音を何度も鳴らしているのは、王族記者でもあるローラ・ラウラント・ヴィッツ。
彼女は腰掛けた椅子から乗り出さんばかりの勢いで身を浮かさせ、真下の凄惨な立ち合いの様子を鋭く観察していた。
「そうですね。踏み込みと一撃の速度だけは認めましょう。しかし——」
僕は階下で木剣を構え直すレンの様子を、静かに確認する。
彼の急激な顔色の変化と重心のわずかなブレから予測するに、間違いなくあの禁断の魔薬——《エーデン》の凄惨な副作用だ。
昨夜、彼が自室で深く眠っている間に、魔術管理局長であるルーシャ様から直々に託された特別な鎮静剤を注射しておいたお陰で、今回は発狂といった大事に至らずに済んだのだろう。
だがそれにしても、従来の魔薬に比べて副作用の発現スピードが異常なまでに速い。
もちろん本来なら精神が完全に狂乱し、最悪の場合は廃人化して死亡してもおかしくないほど、彼は凄まじい量の魔薬を投薬され続けてきたはずなのだ。
それにもかかわらず理性を保っているのは、彼自身の肉体が特殊なのか——それとも彼に投薬された魔薬そのものが特異な調合による特別製なのか。
ともかく、彼が普通の人間と比べて極めて特異な体質の持ち主であることは、すでに客観的に証明されているも同然であった。
万が一、彼が以前の深夜のように完全に正気を失って狂乱するようなら、手荒な真似をしてでも即座に力づくで止めようと考えていただけに、彼が周囲と言葉を交わし、比較的冷静な思考を保っている様子を見て、僕は内心深く安堵していた。
「しかし……? 何かお気付きになられたのですか、ミカ様は?」
「…………」
僕は、この女王陛下と同じく天真爛漫な性格を持つ王族の公女に対し、僕自身の思惑や思考を安易に漏らしてしまってもいいものかどうかを深く考えていた。
一見すると後先を考えていないお転婆な行動派に見えて、その実、非常に聡い御方ではあるので、公にして問題ない情報とそうでない機密情報の区別くらいは確実につくだろうが——
「ミーカー様! お願いですから教えてください! そうやって黙っておられると、余計に気になって夜も眠れなくなってしまいます!!」
「……そうですね」
このまま騒がれて周囲にめいわ……ではなく、王族に対して失礼にあたると考え直し、僕は自身の眼で感じ取った真実を言葉にして伝えることにした。
「彼は——【殺す】ことにのみ、異常なまでに長けている。これが実戦の戦場、ひいては本気の真剣勝負であったなら、今の一撃で相手の騎士の首は落ち、死んでいたでしょうね」
「そ、そうですか……。それはまた、凄まじく恐ろしいことですね……!」
ちっとも恐ろしいなどと感じていないような能天気に弾んだ声色だが、いちいち突っ込んでも話が進まないので、僕はあえて反応せずに会話を続ける。
「確かに、団長が彼の圧倒的なセンスを見抜き、『このまま戦場で死なせるには勿体無い』と仰った言葉の意味もよく理解できます」
「んー? なんだか随分と含みのある言い方ですね?」
ローラ様は美しく澄んだ碧い瞳で、僕の顔を覗き込むようにじっと見つめてきた。明らかに記者特有の好奇心に満ちあふれた眼差しだ。
このままここで『これ以上はお話しできません』と突っぱねる選択をした場合、後から根掘り葉掘り調べられてもっと面倒な事態になり、僕自身の仕事が爆発的に増える。
ただでさえ、副隊長のシルフィは北国への長期遠征で不在。クリスも単独での極秘遠征で不在のため、偵察部隊の書類仕事が僕一人の肩に重く重くのしかかっているのだ――クリスに事務作業の類いは期待していないが――これ以上無駄な仕事を増やしたくないというのが、僕の偽らざる本音だった。
「確かに【殺す】ための技術自体は、騎士であっても時に必要不可欠です。言葉による対話を状況が許さない極限の戦局においては、一切の躊躇なく相手の首を落とさねばならない瞬間もありますから」
僕の静かな言葉を聞いて、彼女の瞳からさっと好奇心の色が引いていった。
これがただのゴシップではなく、騎士の命に関わる真剣な対話なのだと正しく理解したのだろう。やはり、察しの良い聡いお方だ。
あまり血生臭い過酷な会話を王族の公女に聞かせるわけにもいかない。そろそろこの辺りで話を打ち切り、引き上げるべきだろう。
僕が会話を止め、視線をローラ様から再び真下の修練場へと戻した。
しかし意外にも、彼女はこの会話をさらに続けるらしく、真剣な面持ちで声がかかった。
「……それで、その続きは? ミカ様は他に何かに気付いておられるのでしょう? レンさんの持っている……本質のようなものに」
どうやらこの熱血記者は、本気で彼の本質が気になるらしい。
手にしていた魔道カメラはゆっくりと下ろされており、どうやらこの会話や得た情報を元に、面白おかしく新聞の記事にするつもりはないようだ。
ならば、僕の率直な見解を話しても構わないと判断した。
「彼は——【殺す】以外の剣を知らないのでしょう。それでは、聖ラウラントの騎士足り得ない。遅かれ早かれ、この騎士団ではやっていけなくなります。もっと言うなら——」
「……言うなら?」
僕は監視対象である彼——レンの無機質な佇まいを観察しながら、静かに言葉を告げる。
「彼は、人として……【殺す】以外の能力が決定的に欠落している。剣を振る技術そのものは確かにあります。ですが、剣での立ち合いにおける本当の真意——つまり、互いの魂を衝突させ【高め合う】という、基本の剣の精神すら持っていない」
——騎士の剣とは、対話である。
僕個人としては、口による直接の会話よりも剣を交えて語り合った方が相手の本音を知れるし、相手の癖や裏にある真の心情をありありと感じ取ることができる。
これに関しては人それぞれ感じ方は様々だろうが。
「彼は他人と会話すること——つまり『相手を理解しようと試みること』そのものを最初から否定しています。【殺す】ための剣しか知らないのであれば——」
僕の言葉の途中で、ローラ様が息を呑む気配を感じた。確認するまでもない。
やはり彼女を怖がらせてしまったようだった。
——恐らく、僕自身久しく感じていなかった強い怒りを、僕は今覚えているのだ。
僕が修得している流派《ヴァルンクラッド流》は、日常的に感情を抑制し、無の境界を保つ必要がある。
故に、滅多にこのような激情を外界に出してはいけないのだ。
深く呼吸を整え、次いで腰に差した愛剣の柄にそっと触れる。
この精神統一の方法は、かつて団長から直々に叩き込まれたものだ。
そして——次に、心の中で祈る。ただし、この祈りは三女神に捧げるものではない。
——『祈りが届く限り、風は応えてくれる』
かつて、単独で魔神を討ち取った《朔風騎士》の言葉通り、どこからか爽やかな一筋の風が吹き抜け、僕の頬を優しく撫でた気がした。
まったくどんな不思議な術かは知らないが、どれほど離れた北国の地にいようとも、彼女の風はこうして僕の元へ届くらしい。
「ミカ様……あの」
「——失礼。どこまでお話ししましたか」
「レンさんが……【殺す】剣しか知らない、と仰ったところまでです……」
「……そうでしたね」
——彼が、その決定的な欠落を自ら埋めることができなければ。
「きっと、彼に安寧の未来は訪れないのでしょう」
僕の静かな声に深く同意するように、再び僕の頬を優しい風が撫でていく感覚が、確かにそこにあった。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
こんな戯れ言に付き合っていただき、大変恐縮です。
これからも彼らの活躍を見守っていただけたら嬉しいです!
あなたにも風の導きが有らんことを
にしみん




