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星刻の約定 ——Fragments of Laurant―  作者: にしみん
血涙のオブリガード(回想編・楽園への案内人)
28/42

粗末な人形たち 後編

この作品を手に取っていただき、ありがとうございます✨


戸惑いながらも少しずつ彼が成長していくお話です

 ————この国は狂っている。

 敵国の鼠に縄も付けずに放置する、というだけでも信じられない事だが、食事中の爆発事故に関しては正気を疑った。

 自分はすでに戦死していてここは天界だとか冥界だとか、そういう場所で見せられている夢なのでは——とすら思う。

 目と耳を疑うような朝食の後、俺は教育係を名乗るラバックに連れられるまま、医務室を訪れていた。


「……何故医務室に?」


 先程の爆発事故は確かに強烈であったが、幸いどこも怪我などしていない。当然ここに俺を連れてきたコイツも、目視で確認できるような怪我は見当たらないのだ。


「えっと、君…その」

「なんだ、はっきり言え」


 言い淀む目の前の青年に多少の苛立ちを覚えながらも、俺はラバックの返答を待った。

 彼は何度か頭を押さえながら、ぶつぶつと独り言のようなものを繰り返すばかりだ。


「いい加減にしろ。何のつもりだ!」

「わぁ!! ご、ごめんって! 大きな声出しちゃ駄目!」

「はぁ?」


 意味が分からん。なかなか口を割らないために声をかけたら、声が大きいと窘められた。大きいのはどっちの声だ。


「……コホン! ——君さ、帝国でその…あー…」

「麻薬のことか」

「……この話題、自分から話してもいいの?」

「別に。慣れてるし、さっきから話が進まない。さっさとしてくれ」

「う、うん」


 俺の返答が予想外だったのか、それとも苛立ちを隠せない俺の様子に恐れをなしたのか——恐らく後者であると俺は踏んでいるが——ともかく、ようやく話が進捗した。


「団長から言われてるんだ。その、麻薬の依存性が高いから……早く治療した方がいいって……」

「——治療だと?」


 俺は鼻で嗤った。笑止千万とは、正にこの瞬間を指すのだろう。


 麻薬——《エーデン》はそう簡単に治療できるものではない。強い依存性こそ、この麻薬の最大の特徴だからだ。

 名前の「エーデン」はそのまま『楽園』から取られているらしい。『楽園』に行けるくらい苦痛が消えて、万能感に包まれる。

 だが、その実態は脳と魂を削って快楽に変える、悪魔の処刑台。……と、巷では警告されているらしいが、俺たち帝国の兵からすれば『水』と同義だ。


 生まれた頃から投薬され続けており、すでにに身体に馴染んでいる。あまりに短時間に投薬を繰り返すと発狂し、最悪の場合は死に至るらしいが、俺が投薬されているのは『最新型』らしい。

 その最新型が何を示すかと言うと、端的に言ってしまえば『身体強化』である。

 腕力や握力といったものはもちろん、瞬発力、持久力も従来のエーデンより跳ね上がるのだから、使わない手はない。


 最新型は旧型に比べ、多少はコントロール可能らしく、過度な量を短時間に連続で投薬しなければ目立った支障はない。

 過酷な戦場を生き残る為には必要不可欠の物であり、これが投薬されている場合とそうでない場合は、生存率に直結するのだ。


「……俺も、あんまりよく知らないんだけどさ。辛いって聞くし——」

「黙れ」

「……レン」


 知ったような口を聞く人間だ。こんな恵まれた国で、のうのうと生きてきた人間に何が分かるというのか。生まれた時から差別され、生まれた時から搾取され、生まれた時から——


「……ごめん」


 その声は。


 あまりにもか細い、消え入りそうな声だった。


 ——まるで、こちらが悪者で、責められているかのような気分になる。


 気味が悪い。この国も、この青年も。

 そして何より、自分自身が。


「——俺、は」


 何か言葉をかけなければいけない、焦燥感にも似た感情に突き動かされる形で、声を絞り出した。

 ————その、刹那。


「あらぁん〜♡ お客様かしらん!?」

「————!?」

「あ……り、リリアン医務官だ……!」


 野太い声なのに、無理やり高い声を絞り出しているかのような、絶妙なトーンの叫びが医務室の奥から響いた。

 忘れかけていたが、ここは医務室だ。それなら主である人物が居ることは何も不思議ではないのだが。


 目の前のラバックは、まるで借りてきた猫のように縮こまっており、今朝会った時のような無駄に明るく快活な様子は微塵も見られない。


 ——待て。この国、ひいては国民性そのものがおかしいことから考えると、この後やって来る人物も十分に警戒すべき対象ではないのか!?


 そんな俺の猜疑心を知るはずもない人物が、ついに目の前に姿を現した。

 清潔そうな白衣。その身長は百八十センチメートルを優に越えている。加えて、はち切れんばかりに鍛え上げられた肉体。先程の甘ったるい口調とはあまりにも不釣り合いで——


「でっ……か……」

「あらぁん……?」

「まずい!! レン! 謝って!!」

「はぁ? 何を——」


 笑顔ではある。同じ笑顔ではあるのだ。

 しかし、その奥の目が一切笑っていない。ガシッと、強すぎる力で右肩を掴まれた。ミシッ、と骨の位置をずらされたかのような疑似的な激痛まで伝わってくる。

 まさか、たった一言「でっ……か……」と呟いただけで、ここまで物理的な制裁を加えられるなど聞いていない。


「ぐ……は、離せっ!!」


 渾身の、火事場の馬鹿力でその巨体を弾き飛ばした——……訂正しよう。弾き飛ばしたと言ったが、実際はびくともしなかった。


 俺に拒絶された当の人物は、近くで見るとバッチリと化粧を施している。だが女ではない。

 明らかに男だ。真っ赤なルージュを唇に塗り、他にも顔にあれこれと塗りたくっている。

 化粧品については知識がないので詳しくは説明できないが、どう見ても『オカマ』というやつである。


「やぁねぇ……失礼しちゃうわ! あたしのデリケートなコンプレックスなのに♡」


「………………」


「あ、えと……リリアンさん、彼が件の……」


「ルーシャちゃんから聞いてるわよん♡ ……ロディちゃんもとんでもない子を拾ってきたわねぇ……」


 ルーシャというのは、先程の朝礼に現れた銀髪の女の事だろう。重鎮らしかったが、その女に対してかなり親しみ深い呼び方をしている。——もしや、この女もどきも国の重鎮なのか……。

 そんな思考で頭が埋め尽くされたが、よく考えれば姿格好からして医者だ。ラバックも医務官と呼んでいた。

 ——つまり……


「——レンちゃんと言ったかしら」


「……ちゃん?」 


「貴方、これエーデン投薬されているのに何故正気を保てているの? ……肉体的な耐性の問題……いえ、最新型の麻薬だからかしらね……」


 数十秒前のヒステリックな勢いは完全に消え失せ、真剣な眼差しで麻薬について考察し始めるリリアン。

 それよりも驚くべきことがあった。今のもしかしなくても、触診だったのか。


 ただ肩に触れただけだと思っていたが、その実、一瞬で俺の脈や筋肉、魔力の流れまで観察していたのかも知れない。

 特殊な医療魔術か、はたまた俺の預かり知らない技術か。見た目はともかく、この医務官が医師として「そこそこ優秀」であることは認めざるを得ない。


「レンちゃん。今は平気みたいだけど、いつか必ず限界が来るわ。依存性が高い麻薬を完全に抜くのは至難の業よ。これまで沢山の患者を診てきたけれど……ここまでの症例は初めてね……」

「抜く……? 何のために」


 思考よりも先に、そんな反発の言葉が口を衝いて出ていた。


「決まっているじゃない。治療のためよ」


「何が目的だ? 俺を生かしても大した情報は持っていないぞ。全部、あの地下牢獄で吐いたからな」


 思い出したくもないが、地下牢獄での尋問――いや、凄惨極まる拷問に、俺は多少なりとも耐えたものの、結局のところ全てを白状してしまったのだ。

 情報を吐いた以上、俺は『裏切り者』で確定だ。帝国に帰ったところで、惨殺される未来しか残されていない。


 もし、生き残れる可能性がまだどこかにあるのだとしたら。


「あら……あたしを殺す? それとも、もっと上の人間を殺すつもりかしら?」

「…………」


 思考を完璧に読まれている。顔に出したつもりは一切ない。それでも目の前の不気味な医務官は、あっさりと俺の脳裏の殺意を読んで見せた。

 これが積み重ねてきた人生経験の差なのか、あるいは別の要因によるものか。


「とにかく、貴方はロディちゃんが連れてきた騎士団の『身内』よ。そして、私の患者であることは間違いないわ」


「だから、それに何のメリットが——」


「リリアンさん! 今すぐちゃんと診てやってよ! 朝からずっと顔色悪いんだ。食欲はあるみたいだけど……」


 勝手なことを言うな、と抗議の声を出すより早く、先程とは比にもならない怪力で腕を掴まれた。即座に腕を振り払おうと抵抗するが、岩のようにびくともしない。


「に♡が♡さ♡な♡い♡わ♡よ♡」

「おぇ……!!」

「——レン、強く生きろ。終わったらちゃんと迎えに行くからな……」


 悲壮感を漂わせながらも、胸元で憎たらしいほど綺麗な十字を切ったラバックは、一度も振り向くことなく廊下を全力疾走で逃げていった。


 何故か、無性に裏切られた気分だ。帝国では裏切りなど日常茶飯事とはいえ、こんな下らないやり取りで、こんな胸の焼けるような思いをするのは間違いなく初めてであった。


「……チッ! あの野郎……!!」

「ほら! 患者はこっち!!」


 目前に迫る化粧の濃い顔。赤々と塗られたルージュが視界いっぱいに映り込んだ時、脳内の生存警報がけたたましく鳴り響いた。


「近づくなッ!! 気持ち悪い!!」


「やだ! 失礼しちゃうわねぇ♡ これは、お仕置きとしてリリアン特製のお注射が必要かしらぁん♡」


「ぐわぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 凄まじい断末魔の悲鳴が、王宮の長い廊下に轟いた。

 渾身の大声なのだから誰かしらに聞こえているはずなのに、当然のように助けの手は来ない。

 彼らもまた、去り際のラバックのように胸元で静かに十字でも切っているのかもしれない。


 ――もしくは、帝国の鼠一匹、どうなっても知ったことではないという判断によるものかもしれないが。


 ◇ ◇ ◇


 リリアンによる、思い出すのも憚られるような凄絶な触診と治療から解放されたのは、午後をとうに回った頃だった。


「……れ、レン……生きてる?」

「お前……にげ……」


 ————俺は今、何と言おうとした?


「ご、ごめんって、レン! でも俺も鍛錬とか、ほら、任務があってさぁ……!」


 何やら必死に言い訳を捲し立てるラバックだが、その言葉は今の俺の耳には届かない。

 それよりも今、俺は何を思い、何を感じて、何と言おうとしたのか。


(―――逃げやがって、と?)


 あり得ない。信じたくない。俺は、なぜそんなことを思った?

 人間が危険な状況から離脱しようとするのは何も不思議ではない。

 ただの生存本能だ。先程の場合、リリアンという底知れない恐怖から逃亡したに過ぎない。それに対して『逃げやがって』という怒りを向けるのは、冷静に考えてみればおかしいのだ。


 帝国では裏切りなど日常茶飯事。背中合わせで戦っていたとしても、自分が不利だ、危険だ、と判断したなら同胞を平然と捨てて逃げる。それは生存戦略として何も間違ってはいない。


 ——なのに。


 なぜ俺は今、仲間だと思い込んで『裏切られて悲しい』などと、柄にもない感傷を抱いてしまったのか。


「おーい! レン。ごめんって! 悪かったからさあ!!」


 俺が無言で考え込んでいるのを、子供みたいに拗ねているとでも思ったのか、ラバックは真面目な顔をして謝罪してきた。


「別に、怒っている訳じゃない」

「そっか! よかったぁ!」


 ここまで切り替えが早いと、逆に羨ましくすらある。きっと、人生において大した悩みがない人間なのだろう。

 こんな恵まれた環境で育ち、毎日温かな食事にありつける。周りには信頼できる仲間が沢山いて………………


 ——なぜ。

 ——なぜ、俺には何も無いのか。


 生まれる国が違っただけだ。もし、隣国であるこの聖ラウラントに生まれていれば——俺も、少しは違う未来を歩めていたのだろうか。

 そんな生産性のない「たられば」を考えても詮無きこと。それは理解している——理解しているはずなのに。


「あー! やっと! 見つけましたよ!!」


 だが俺の暗い思考は、割り込んできた謎の人物によって唐突に中断された。

 弾けるように明るい、熱気にあふれた少女の声だった。


 ふと俯けていた顔を上げる。すると目の前には、いつの間にか、驚くほど近い距離で桃色の髪を一つにまとめた少女が立っていた。

 肩に掛けたショルダーバッグは、一目見ただけでそれと分かるほど高価なもの。さらに、両手で大事そうに構えられたカメラ――おそらく魔道カメラだろう――は、一般の市民が到底手に入れられる代物ではない。彼女の碧色の瞳が、興味津々といった様子で細められる。


「ろ、ローラ様……!? び、びっくりした……」

「……知り合いか?」

「王族だよ!」

「————……は??」


 今度こそ、脳が理解を拒絶した。

 いくらなんでも、一国の王族が護衛も連れずに、こんな場所を気安く出歩いているとは誰も思うまい。たとえそれが安全な王宮の中だとしても、だ。


「初めまして! 私はローラ・ラウラント・ヴィッツと申します。どうぞお見知りおきを!」


 彼女は自身の名を告げると共に、完璧な一礼をして見せた。帝国の傲慢な皇族どもは、平民や格下相手にこんな美しい一礼など絶対にしない。

 驚愕しつつも、反射的に何か言葉を返さなければ、という焦燥感に駆られる。

 今日は本当に、こんな自分のペースを乱される感覚ばかりだ。ひどく俺らしくない。


「…………それで、王国の姫さんがここで何してるんだよ」

「レン! 言葉遣い!!」

「知るか」


 ラバックに肩を激しく揺さぶられながら注意されるが、知ったことではない。そもそも俺はこの国の人間ではないし、虜囚の身だ。今さら王族相手にご丁寧にへりくだる挨拶なんぞできるか。


「まぁまぁ! ラバックさん、その辺で」


「で、でも……不敬罪とかになったら……」


「そんなこと、私がいちいち気にするわけないじゃないですか! 私は王族ではありますが、同時に《王族新聞記者》ですので!!」


——また、耳慣れない単語が出てきた。


 王族新聞? 記者? ラバックの説明通りなら、この女は確かに王族(ヴィッツ家)の令嬢のはずだ。もしかして冗談なのか……?

 いや、いくら王国の国民性が歪んでいて狂気的だからといって、素人が王族の姓を騙るはずもないだろう……多分。


「よ、良かった……。これがメアリ殿下やエマ陛下だったらどうしようかと思ったよ……」


「待て。殿下や陛下と言ったが、王女——ひいては国のトップたる女王がそこら辺の廊下を呑気に歩き回っているとでも言うのか? 馬鹿馬鹿しい、もっとマシな嘘を吐け」


「いやいや……これ、マジな話だからね?」


「本当ですよ。エマ陛下なんて、よく公務を抜け出してはパジャマパーティーを開いていますから!」


 ——パーティー? しかもパジャマの……?


 もう駄目だ。頭がおかしくなりそうだ。これは決して、薬物による幻覚の類ではない。純粋に、俺の常識と脳が現実の理解を拒んでいる。

 一国の元首が公務から逃げ出してパジャマパーティーなど、常識的に考えてあり得ない。


(……なぜ、こんな頭のネジが何本も抜けているような人間ばかりの国を、帝国は落とせないんだ……)


 聖ラウラント王国といえば武力は大陸随一を誇り、軍略、物資、拠点、戦に関わるあらゆる点において他国を圧倒している最強国家のはずだ。

 我がイルシオン帝国が何年経っても国境の防衛線すら突破できないのは、その難攻不落の守備力と、圧倒的な攻撃力があるからだ。


——しかし、その実態は、国の心臓たる王族が護衛も引き連れずにふらふらと歩き回っているような有様。


一瞬、「ここで目の前の王族を人質にするか、殺せば……」という強硬策が頭をよぎったが、すぐに馬鹿馬鹿しくなって思考を打ち切った。

 ここでそんな短慮を起こしたところで、隣のラバックに即座に組み伏せられるのは目に見えている。


「ところでレンさん。貴方、今ものすごい大変なことになっているみたいですね」


 ローラの碧い瞳に、どこか含みのある光が宿る。ただの世間話をしに来たわけでもないらしい。


「——それが何だ」


「レン! さっきも言ったけど、ローラ様は王族なんだ! 公爵家のお方なんだよ!?」


「俺も何度でも言う。知らん」


「あははっ! ラバックさん、私は全然構いませんから! 今の私は、スクープを逃さないしがない新聞記者! ですので!」


 何がそんなに可笑しいのか、一頻ひとしきり笑い転げた後。

ローラと名乗った自称新聞記者は、カメラをすっと下ろし、真剣な声色で告げたのだ。


「——ご存じですか? 今、王宮内は貴方の処遇を巡って、真っ二つに意見が分かれているんですよ」


「あっそ。どうでもいい。王国内部の政治思想なんて、欠片も興味がないからな」


「それが、貴方の命の行方を決める事案であっても、ですか?」


「―――――」


 真っ二つの意見で割れている?たかが鼠一匹の始末如きで?


 今朝の軍務大臣の言葉通りなら騎士団長と軍務大臣の意見が真っ向から割れているのは分かった。あの男なら俺を『拾った責任』だのと妙な理由で庇うのは————今朝の状況から見て理解できなくもない。

 しかし真っ二つというからには二人や三人程度ではない。ということになる。


 反対意見なら分かる。敵国の鼠など放置すればいつ危害が加えられるとも分からないからだろう。

 不可解なのは逆の意見——つまり賛成に票を投じた阿保が何人か存在するということだ。

 生かして情報を吐かせるというのは既に使えないし、二重スパイでもさせるつもりだったとしても、帝国は裏切り者を許さない。つまりこの手も使えない訳だ。


 ——では、何故?


「真っ二つって…大臣たちも意見が対立してるってことですか?」

「ですです!私もびっくりしましたよ~」


 当の本人が沈黙しているのをいいことに、まるで世間話でもしているような軽い会話だ。内容がまともでなければ今すぐ耳を塞いでいたのだが。


「軍務大臣のフォーツルト閣下は云わずもがな。ポルロック内務大臣閣下、エスカトル総務特命大臣閣下も反対派閥ですね」


「え!?じゃあ残りの方々は……」


「と、言いたい所なんですけど…そう簡単にもいかなくて。正直分が悪いですねぇ」


「……当然だろう」


 ————ローラ曰く

 軍務大臣のフォーツルトを筆頭にした『即刻追放派』と、宮内大臣たちの『更生支援派』に分かれている。反対派閥は帝国との外交カードとして俺を突き返すべきだって息巻いてるとのことだ。


 帝国との外交カードに使える程の価値は俺には無いというのに。


「ともかく、フォーツルト閣下の怒りは相当なものです。彼の直属の部下がレンさん…貴方に何かと理由を付けて突っかかって来るかもしれませんよ」


「その時は斬ってもいいのか?」


「レン!?君、何言ってるの!?駄目に決まってるじゃないか!!」


 常軌を逸脱した様子で慌てふためくラバック。しかし俺は至極真面目に尋ねただけだ。彼方から向かって来るなら叩きのめすまで。


「いや~本当面白いですね!!血気盛んというか……なんというか!」


「ローラ様、全然面白くありません」


「相手は大臣直属の部下ですから手練れ揃いですよ。——まぁ『立ち合い』ということなら剣を向けるのも——」


「絶対駄目ですよ! 『立ち合い』だけで終わるわけないじゃないですか!! 下手したら、そのまま本気の《決闘》に発展しかねません!!」


「それならそれで楽じゃないですか? 勝てば正義、なんですから!」


「そういう問題じゃないです!!」


 大声でローラを必死に説得するラバック。

 だが、俺はその不毛な言い争いを聞きながら、一つの核心的な言葉を脳裏に刻みつけていた。


(————勝てば、正義、か)


 なんだ、非常に分かりやすいではないか。

 帝国では弱肉強食が絶対。敗北も、裏切りも、遅れをとることも、すべては弱者自身の責任だ。

 そして、この温い平和ボケしたように見える王国であっても、その根底にあるルールは変わらないのだ。


————勝てば、目の前の邪魔な弱者を踏み落としさえすれば、すべてが許される。


俺は小さく、その口元を歪めた。


 ◇ ◇ ◇


 ローラと別れた後、俺はラバックに連れられるままに、今朝立ち寄った騎士団専用食堂に再び足を踏み入れていた。


「はぁ……本当、君って変な奴だよなぁ」

「その言葉、そっくりそのまま返す」


 昼時をとうに過ぎているせいか、広々とした食堂には数名の人間しか残っていない。彼らは入り口の俺たちを一瞥しただけで、すぐに視線を逸らした。

 今までこの国の騎士たちが向けてきたような、あからさまな軽蔑や訝しむといった感情の乗った視線ではない。厄介事に関わり合いになりたくないのか、あるいはただ無関心なだけか。


「とにかく早く食べようぜ! 俺、お腹ペコペコだよ!」


 ラバックは席に着くなりスプーンを手に取ると、食前の短い祈りを素早く済ませ、温かいスープを勢いよく口へと運んだ。

 しかし、いつまで経っても俺が目の前の食事に手をつけようとしないのに気づくと、不思議そうに首を傾げた。


「食べないの? 朝は『旨い』って言ってただろ」

「……いや」


 今更だが、既に一般的な昼食の時間はとうに過ぎている。にもかかわらず、目の前の青年は『腹が減った』と言った。つまり、コイツは今まで昼食を摂っていなかったのだ。


(——なぜだ。俺と合流するまでに、昼食を摂る時間など幾らでもあっただろうに)


「どうかした? ……はっ! もしかして、まだどこか体調が悪いのか!? なら早く、リリアン医務官の所へ——」

「すこぶる快調だ。食欲もある」

「そっか! 良かったぁ!!」


 安堵して顔を綻ばせるラバックを見て、やはりこの男の脳内はお花畑で出来ているらしい、と心の中で毒づく。

 あのリリアンとかいう、心は乙女で身体はヘラクレスな名医のところへ再び連行されるなど、冗談じゃない。断固拒否だ。


 しばらくの間、互いにスプーンを動かして器を鳴らす音だけが、静かな食堂に響いた。

 帝国にいた頃から、沈黙というものにこれっぽっちも抵抗感はない。

 むしろ慣れ親しんだ静寂だ。だが先程まであれだけペラペラと騒がしく喋っていたラバックが、急に黙り込んで食事に集中し始めたものだから、奇妙な落ち着かなさに、迷った末にこちらから声をかけた。


「……なぁ」

「——何?」


 千切った硬いパンの欠片を口に放り込んだところで、ラバックがその琥珀色の瞳をこちらに向けた。

 思えばコイツはこんな色をした目をしていたな、などと、どうでもいいことを脳裏に浮かべながら、俺は本質を問いかける。


「——なぜ、今なんだ」

「え、何が?」

「——……だから、なぜお前は『今』食事を摂っているんだ、と聞いている」


 俺の質問の意図がピンと来ていないのか、ラバックはスープを口に含んだまま、しばらく目を瞑って質問の意味を読み解こうとしていた。

 そこまで難解な質問をしたつもりはなかったのだが。

 痺れを切らした俺は、もう一歩、踏み込んだ表現に変えて問い詰める。


「お前は、先に一人で食事を済ませておかなかったのか」

「……あ! そういうこと!!」


 ようやく合点がいったのか、これ見よがしにポンと手を打つ仕草をするラバック。コイツはいちいち、身振り手振りの反応が過剰すぎる傾向にある。


「だって、一緒に食べた方が楽しいし、旨いだろ?」

「――――――」


 やはり、俺の脳では理解が追いつかない。

 一緒に食事を摂る、という行為が、どうして『楽しい』や『旨い』という思考に直結するのか。


 そもそも、食事が『楽しい』などと思ったことは、これまでの十七年の人生において一度として無い。

 判断するための材料があまりにも乏しいので、その疑問は一度保留するとして——なぜ、誰かと食べるだけで、料理そのものの『旨さ』という評価に影響を与えるのか? 食事の旨さを決定づける要素は、上質な食材や適切な調理法、料理人の確かな腕利きによる物理的な結果に違いないはずだ。


 つまり、今俺が胃に流し込んでいるスープやパンの旨さは、調理師の腕や材料が良いからであって、隣にラバックがいることとは何の関係もないはずだ。


「——理解できない」

「でも、旨いだろ?」

「だからそれは————」


 そう理詰めで論破しようと、脳内でまとめた思考を開示しようとした、まさにその刹那だった。


 ガタンッ!!


 静かな食堂に不釣り合いな激しい音を立てて、木製の重厚な両開き扉が乱暴に押し開けられた。


「うわ!! なんだ!? ……びっくりしたぁ」


 入ってきた足音の数からして、五……いや、六人。

 身につけているのは、重装歩兵のような重武装ではなく、機動性を重視した軽金属製の鎧のようだ。扉を乱暴に開け放った集団は、獲物を探すようにしばらく周囲を見渡している。

 俺の座る位置からは背中越しの方向になるため、直接その姿を確認することはできない。だが、対面に座るラバックの強張った表情を見るだけで、招かれざる客であることは間違いなかった。


「うわぁ……遊撃小隊だ……。レン、目立たないように、関わらないようにしよう……」


 小さな声で、引き攣った笑みを浮かべながら忠告してくるラバック。

 しかし彼の願いも虚しく、その『遊撃小隊』の連中は、迷いのない足取りで真っ直ぐこちらを目指して歩み寄ってくる。

 突き刺さるような、容赦のない軽蔑と剥き出しの怒り。そんな負の感情に満ちた視線が、俺の背中をじりじりと焦がす。


「………………」


 状況を察したラバックは、それ以上何も言わず、無言でスープをかき込み始めた。

 食事の味を楽しむというより、目の前に迫る厄介事から物理的に逃れるために、一刻も早く完食してこの場を立ち去ろうという魂胆なのだろう。

 だが世の中、そう都合よく物事は進まない。


「——おい。帝国の鼠風情が、こんな場所で何をしている?」

「ここは由緒正き『騎士団専用食堂』だぞ。汚らわしい部外者の立ち入りなど、許可されていないはずだが?」


 ————やはり、来たか。


 いずれこのような、身の程を知らない雑魚が突っかかってくる展開は予感していた。

 彼らから向けられる悪意を背に受けながら、俺の胸中に宿ったのは——恐怖でもなければ、不快な怒りでもなかった。


 ————心地よい、喜びだ。


 相手の下卑た思考など、手に取るように読める。間違いなく、異分子である俺という帝国の鼠を、王国の正義とやらで叩き出し、踏み落とそうという魂胆なのだろう。


「あ、あの……彼は新人の……その、見習いとして入ったばかりでして……」


 すかさずラバックが、席から腰を浮かせながら、これ以上波風を立てないように愛想笑いを浮かべて声をかける。

 目の前の人物たちはその程度の取りなしで止まるような連中ではない。遊撃小隊の男たちは、ラバックを遮るように捲し立てた。


「いいか! この男はイルシオン帝国の鼠、れっきとした敵国の兵士だ!! ロディ団長の決定に免じて、朝礼の場では一時身を引いてやったが——やはり我慢ならん!!」


「然り! ここは誇り高き騎士たちが英気を養う場。騎士の誓いすら立てていない、薄汚い鼠が食事を摂るような場所ではないのだ!!」


 怒号が、静謐だった食堂の空気をビリビリと震わせる。数少なかった周囲の騎士たちが、何事かとこちらを伺う気配が伝わってきた。


 ——いいぞ。大いにやれ。相手がその気で舞台を整えてくれるなら、こちらとしても手間が省ける。


「恐れながら、それはあまりにも——」


「……貴殿は?」


「失礼しました! 前線部隊、第六小隊所属のラバック・アラベルです!」


「……サー・アラベル殿。貴殿がこの鼠の教育係という立場上、頭を悩ませている気持ちも分からんでもないが……今後この騎士団に長く在籍するつもりなら、自らの身の振り方は考えた方がいい」


「……それは……どういう意味ですか?」


 本当に言っている意味が分からない、というように困惑と憤りを隠せない表情のラバックに対し、相手の男は一瞬不快そうに眉を動かしたものの、傲慢な態度は崩さなかった。


「ともかく! 我々は貴様を聖ラウラントの騎士とは認めん!! 絶対にな!!」


 ここまで格好の獲物としてお膳立てされて、乗るなという方が難しい。いや、不可能だ。


「————俺は騎士団長から、直々に入団を認められているが?」


 俺は席に座ったまま、不敵な笑みを浮かべて彼らを挑発した。このような無駄にプライドばかり高い人間は、実に扱いやすい。

 少しの火種を投げ込むだけで、あっという間に自制心を失って燃え上がるのだから。


「貴様……!! あろうことか、神聖なる団長閣下の御名を踏み台にするとは!!」


「不敬なっ!! やはり帝国の鼠は言葉の通じる獣ではないか……!」


「事実を言ったまでだ」


「ちょっと! レン!! まずいって、ストップ!!」 


 食堂内の他の騎士たちがいよいよ異常事態に気付き、ざわめき始め、立ち上がりかける。

 これだ。観客は多ければ多いほどいい。

 衆人環視の公衆の面前で、明確な敵意を持って《決闘》を受諾したとなれば、騎士の誇りを重んじるこの国の連中は二度と逃げられない。

 あとは、いつも通りに叩き潰すだけだ。


「上官殿! 彼は未だ、騎士団の細かな規約に疎く……! これは指導を行っていた、お……私の責任であって——」


 俺を庇おうとしているのか、ラバックが向かいの席から勢いよく立ち上がると、俺の前に立ちはだかるように躍り出た。

 大して恵まれた体格をしているわけでもないというのに——俺自身の細身な体格を棚に上げるわけではないが——必死になって背中で俺を守るように立ちはだかったのだ。


「いい、どけ、ラバック。コイツらは俺のことが、余程気に入らないらしい」


 ——恐らく、その侮蔑を込めた声音が、男たちの決定打となった。


「き、貴様っ……!!!」

「おい、まずいぞ!」

「私闘は禁じられているはずだ!」


 周囲の騎士たちの静止を訴えかける声など、怒りに血が上ったこの男の耳には届かない。男が腰の剣の柄に手をかけ、まさに抜刀しようとした、その刹那。


「借りるぞ」

「え?」


 俺は目の前にいたラバックの腰から、その剣を無造作に、かつ極めて迅速に奪い取った。鞘ごと引き抜く余裕など与えず、ただ鋼の刀身だけを滑らかに引き抜く。


 ——シュッ


 無駄のない軌跡を描き、鋭い風切りの音が鼓膜を叩く。首を穿った時のような爽快感も、肉を深く切り刻む時のような泥臭い手応えもない。ただ、静寂が訪れる。


「——な」


 男の喉元。頸動脈が走る、皮膚のほんのわずか数ミリ上の位置で、鋭い剣の切っ先をピタリと静止した。

 男が呼吸のために喉仏を少しでも動かせば、それだけで皮膚が裂け、動脈が切断されてしまうほどの、緻密な距離。


「——俺の方が強い。わざわざ《決闘》とやらをする必要すら感じないな」

「れ、レン……」


 ラバックの引き攣った乾いた声が響き渡るのとほぼ同時に、男の背後にいたもう一人の遊撃小隊員が、顔を真っ赤に染めて駆け出した。完全に冷静さを欠いている。

 それは、同胞が命を握られたことへの焦りか、それとも誇りをズタズタに切り裂かれたことへの屈辱からか。


「じ、上官を呼べ! 誰でもいい、早くしてくれ!!」

「わ、わかった!!」


 誰かが背後で叫び、勢いよく食堂の扉を蹴破って飛び出していく気配があったが、そんな些事などどうでもいい。


「——次だ」


 俺の視線は、既に次の標的を捉えていた。


「レン! 馬鹿なことはやめろ!! これ以上やったら、本当に——」


「安心しろ。剣なら、後でちゃんと返す」


「そういう問題じゃねぇ!!! 今すぐ剣を——」


 ラバックが俺の肩を掴んで制止しようと手を伸ばす、その一瞬の隙を狙ったのだろう。

 首元に刃を突きつけられていた男が、冷や汗を流しながら這うようにして後方へと逃げ出し、それと入れ替わるようにして別の男が前へと踊り出た。

 ギラリと光る剣がこちらに向けられ、俺は奪い取ったラバックの剣を翻し、それを迎え撃とうと腕を振るう。


————遅い。俺の速度の方が、圧倒的に速い!!


 勝利を、確信した。その刹那。


「——そこまで。双方、速やかに剣を引きなさい」


 食堂の空気を切り裂くような、凛とした、それでいて背筋が凍るほどに冷徹な少年の声。

 今朝、今まさにこの食堂で聞いたばかりの、あの聞き覚えのある声だった。


「————チッ」

「ミカ様!! 良かった……!!」


 ラバックが文字通り感涙せんばかりの勢いで胸を撫で下ろしているが、俺にとっては忌々しい邪魔が入ったに過ぎない。

 そして、怒りに燃える遊撃小隊の男もまた、同様だったらしい。


「俺は、俺はこんな不届き者、絶対に認めん!!」

「——来い!」


 男が再び剣を構え、臨戦態勢を取ろうと一歩踏み出した——その瞬間だった。


「————!?」


 一瞬、何が起きたのか全く理解できなかった。


 カラン、と虚しい金属音を立てて、俺が握っていたはずの剣が床を転がっていく。

 それを誰か——恐らくラバックだろう——が慌てて拾い上げる気配を感じて、ようやく自分の手から武器が失われたという事実を理解した。


 あの一瞬、目にも留まらぬ神速の動作で、俺の持っていた剣が正確に弾き飛ばされ——そして、もう一方の男は、いつの間にか床に崩れ落ちて白目を剥いていた。文字通り、完全に気絶させられていたのだ。


「——まったく。このような公衆の面前で私闘に及ぶとは。何度も言うようですが、騎士団内での私闘は厳しく禁じられていますよ」


「も、申し訳ございません! ミカ様! 彼はその——」


「ええ。もちろん、事情は分かっています」 


「――――」 


 目の前に立つのは、小柄な子供だ。実年齢はせいぜい十四、十五歳といったところだろう。

 ただ動きが素早いだけなのか、それとも———


「はぁ……本当に、うちの騎士団は問題児ばかりですね」


 納得がいかず、俺は一歩踏み込み、その細い体躯を上から力任せに組み伏せるつもりで地を蹴った。

 確かに、俺の身体はそのように力強く動いたはずだった。


 ————だが。


「ガッ——!?」


 喉の奥から押し潰された悲鳴が漏れた。


 恐ろしいまでの、文字通りの怪力だった。その華奢で細い腕の、一体どこにこれほどの膂力膂力(りょりょく)が隠されているというのか。

 全体重を上から浴びせられているわけでもない。ミカという名の、その子供の細い腕一本だけで、俺は床に顔を押し付けられ、完膚なきまでに制圧されていた。 


 指先一本すら動かせない。身体のどの筋肉に力を込めてみても、まるで巨大な岩盤に押し潰されているかのように、何一つ動かすことができないのだ。

 たとえ拷問による傷や、あの忌々しい麻薬の影響で体力が著しく低下している最中なのだとしても、それでも。


(————こんな、子供に……ッ!)


 一体、どのような物理法則が働けば、指一本動かせないという事態が起こり得るのか。

 俺はさらに全身の力を込め、床に押さえつけられた腕を取り払おうと必死に抗うが、やはりビクリとも動かない。


「こ……のっ……野郎……!」

「無駄です。いい加減、諦めてくれると有難いのですが」


 これだけの異常な力で組み伏せているというのに、少年は呼吸一つ乱さず、涼しい顔で忠告してくる。


 ——勝てば、正義。


 そうだ。勝てば、力こそが唯一にして絶対のルールであったはずだ。

 戦うことに関しては、自信があった。実戦経験だって、そこらの一般兵より遥かに豊富だと自負していた。


 ——なのに。


 こんな、自分よりも明らかに小柄で、年下の細い腕をした子供に、俺は無様に組み伏せられている。反応することさえ許されず、泥を舐めるようにして床に這いつくばっている。


「力……力こそ! せい、ぎ……だ……!」

「帝国ではそうなのでしょうね。しかし、ここは聖ラウラント王国。国が変われば、価値観が変化するのは当然のことです」


 少年は、どこか呆れたような声色で静かに呟いた。

 まるで、駄々をこねる聞き分けのない子供を諭すかのように。その言葉とは裏腹に、声音には一切の怒気が含まれていない。どこまでも冷静で——恐ろしいほど客観的ですらあった。 


「勝てば正義だ! 俺はそうして生きてきた……! だから——」

「だから、王国(ここ)でも同じだと?」 


 一瞬、ほんの一瞬だけ、俺を拘束する腕にさらに力が込められた気がした。相変わらず力では到底叶わない。脱出の糸口さえ見えず、拘束は未だに解けそうにない。


「離せ!! 俺は、おれ、は……!」

「……ラバックさん」

「は、はい!」


 それまで呆然と沈黙を貫いていたラバックが、弾かれたように背筋を伸ばし、少年からの呼びかけに返答した。 

 その際、彼の琥珀色の瞳がこちらを深く案じるように向けられたが、今の俺にそれに応えられるような精神的余裕などあるはずもなかった。 


「彼を連れていってください。このままここで我が国の道理を説いたところで、何も変わりませんから」

「分かりました……。おい……レン……」


 ラバックがおずおずと、腫れ物に触るような様子で手を伸ばしてくる。しかし、敗北を到底納得できない俺は、差し伸べられたラバックの手を乱暴に払いのけ、再び少年の腕を取ろうと身をよじり——


「いい加減にしろ馬鹿ッ!!! ここは帝国じゃねぇって言ってるだろ!!!」


 鼓膜が破れんばかりの、今までに聞いたこともない猛烈な声量で、ラバックが吠えた。

 その怒号の凄まじさに、周囲で見守っていた騎士たちも驚愕と戸惑いの色を隠せない様子で息を呑む。

 ラバックの予想外の大声に度肝を抜かれたせいか、はたまた、あの少年に「力では天地がひっくり返っても及ばない」と肉体が本能的に理解してしまったせいか。


 俺の手から、ふっと抵抗する力が抜けた。まるで糸の切れた人形のように、床へ項垂れる。

 慣れない大声を張り上げたからだろうか、ラバックはしばらく肩で荒い呼吸を繰り返していた。

 やがて、彼は俺の手を半強制的に引っ張るようにして立たせる。同時に、少年に対して「申し訳ありませんでした」と深く頭を下げ、歩き出した。引きずられるようにして、俺の足も前へと進む。


 静かに佇む少年とすれ違う、まさにその時。


「力以外の事柄にも、視点を向けることをお勧めしますよ」


 その言葉の意味を脳が咀嚼し、理解するまでに、数秒の時間を要した。


 ——力……以外?


 実際、俺はこの少年相手に指一本動かせず、何もできなかった。傭兵として日夜泥に塗れながら戦いに身を投じ、それなりの修羅場と死線を潜り抜けてきた自負があったというのに、だ。

 力で解決し、力で身を守り、力のみで上下関係が決まる血生臭い世界で生まれ育ってきた俺にとって、「力以外」の選択肢など考えたこともなければ、そもそもそんな選択肢を誰かに与えられた覚えすらなかった。


 投げかけられた言葉に返すべき「答え」を、今の俺は持っていなかった。

 無言のまま立ち尽くしそうになる俺を、ラバックが再び先を急かすように引っ張る。今度こそ、食堂の重厚な木製の両開き扉を押し開け、外の廊下へと出た。


◇ ◇ ◇

   

 それから、しばらくの間は重苦しい沈黙だけが続いた。

 頭に上っていた怒りと屈辱感が、歩くうちに次第に冷えて収まっていく。

 自分が今どこへ向かっているのかなど、知る由もない。ただ、少し前を歩く青年の、心なしか小さく見える背中を見つめていると——胸の奥が、妙にむず痒くなった。


 これは……罪悪感、だろうか。


 知識として、名前だけは辛うじて知っているような高尚な感情を、自らの胸の内で実感する日が来るなんて、夢にも思いもしなかった。


「…………おい」

「…………」


 声をかけてみたが、返答はない。

 ラバックが相当怒っているということくらいは、こんな俺にでも理解できたが……このような状況において、一体どういう言葉を相手にかけるべきなのか、これまでの人生で一度も判断した経験がない。


 素直に、謝罪するべきなのだろうか?

 だが、俺の知る謝罪というものは、形だけ、あるいは何らかの取引の材料として行われるものばかりだった。

 今のラバックに対して、そんな表面上の軽い謝罪を口にしても許されないだろうし、何より、それは彼に対して「悪い」と——


 ……そこまで考えて、思考がフリーズした。

 今の自分自身の心情が、如何に歪で、俺らしくないおかしなものに変質しているかに気づいたからだ。


 謝罪をしなければ、と焦っている自分。


 形だけの謝罪では許されないと、相手の機嫌を窺っている自分。


 なにより——他人であるはずのラバックに対して、「悪いことをしてしまった」と本気で心を痛めている自分。


 これまで生きてきて、誰かに対してこんな身を焦がすような感情を抱いたことがあっただろうか。

 いや、記憶の限りでは、ただの一度だって存在しない。

 この国に来てから、バグを起こしたようにおかしな感情ばかりが生まれる。置かれた環境があまりにも違いすぎるからか、それとも、自分が捕虜という不安定な身分だからなのだろうか。


 そこまで難しく考え込んで、急に馬鹿馬鹿しくなった。

 元来、頭を使ってあれこれと思考を巡らせるのは得意ではない。人間関係だとか、相手の感情を推し量って行動するなんて、俺の柄じゃない。

 だったら、こんなにウジウジと悩み続けるくらいなら、さっさと謝罪を済ませて楽になった方がマシだ。

 このまま気まずい沈黙が続くのも面白くないし、何より、普段あれだけうるさい奴が静まり返っているのは不気味で仕方がない。


「……おい」

「………………何」


 返ってきた声は、怒っているというよりは、どこか子供が拗ねているような響きを帯びていた。

 ラバックは振り返ることなく、その場に足を止めた。


 いつの間にか、王宮の大きな窓からは、オレンジ色の淡い夕陽が差し込み、白い石床を赤く染めている。

 それが少し眩しくて——でも、今ここで目を逸らしてしまったら、コイツの顔が見えなくなるな、なんて、やはりどうでもいいことを考えた。


「————……悪かった」

「――――――」


 自分でも、酷く不格好な声だったと思う。

 蚊の鳴くような、細く、掠れた、自信のなさそうな響き。

 前を歩くラバックの耳に、どうにか届くか届かないかというほどの極小の声量だったに違いない。

 当のラバックは、相変わらず背中を向けたままで振り返ろうとはしなかった。

 先程まであれだけ牙を剥き出しにして息巻いていた男が、神妙に謝罪など口にしたものだから、呆れて言葉も出ないのかもしれない。あるいは、まだ怒りが収まらないのか。


 ——しかし。

 俺の予想は、数秒後、あっさりと裏切られることになる。


「ぷっ……あはははは!」


 振り返ったラバックは、声を上げて笑っていた。

 おかしい。普通ここはさらに怒るか、呆れ果てるかのどちらかではないのか。

 勇気を振り絞って謝罪をしたのは俺の方なのに、ラバックが笑っている理由がさっぱり分からない。やはりこの男には、調子を狂わされてばかりだ。


「……何故笑っている」


「あ、ごめんごめん。……いや、だって、なんか意外だった……から?」


「質問しているのは俺の方なんだが。真面目に答えろ」


「だよね! ははっ、ごめんって!」


 この一連の流れのどこに、そんなに笑い転げる要素があるというのか。

 一頻り笑い、目尻に浮かんだ涙を手の甲で無造作に拭うと、ラバックはいつになく晴れやかな、はっきりとした声で告げた。


「君はやっぱり、そっちの方がいいよ」


 ——何の話をしているのか、さっぱり理解できない。

 ラバックは、俺の困惑を置き去りにするようにして、ただ満足そうに笑っている。

 やはりこの国は——いや、目の前にいるこの男は、根本的におかしい。


「ほら! ボーッとしてないで行くぞ! これから色々、準備しないといけないんだからな!」

「……準備? 何をだ」


 再び前を歩き始めたラバックを追うように、俺の足が自然と動いた。窓から射し込む夕暮れの光が、さらにその色彩を濃くしていく。


「これからの生活の準備だよ! 着替えとか、生活用品とかさ!」


 自分のことではないはずなのに、ひどく嬉しそうに、楽しそうに語るものだから。

 これ以上、へそを曲げて否定的な意見を返すのはやめにして、素直に諦めて従うことにした。


 ——力こそ、正義。


 それはこの温い王国であっても、根底で適用される絶対のルールだと思っていたが。

 ——どうやら、目の前のこの男という、奇妙な例外もあるらしい。


 ◇ ◇ ◇


 それから案内されたのは、大きな部屋だった。

 受付——もしかしたら、この場所の管理を任されている事務人間かもしれないが——で手早く入室の手続きを済ませたラバックは、促されるままに部屋の奥へと進んでいく。

 入り口で一人突っ立っているわけにもいかず、俺は両手をポケットに突っ込んだまま、ラバックの背中を追いかけた。


「おい、ラバック。ここは何なんだ」

「え? 入り口に看板が書いてあっただろ? 《備品庫》だよ」


 ラバックは日用品がぎっしりと詰まった木箱や、様々な備品類を器用に掻き分けながら進んでいく。どうやらここを管理している人間たちはとても几帳面らしく、広い室内は各分類ごとに整然と整理されており、《衣類》《生活用品》《リネン》といったプレートがそれぞれの棚に掲げられていた。


 まるで迷路のように入り組んだ通路を、ラバックは迷いのない足取りで進んでいく。

 やがて、厚手の衣類が大量に保管されている大棚の前で立ち止まると、ようやく俺の方を振り返った。


「えーと……君、身長はいくつ?」

「は? ……」


 まさかそんな実務的な質問をされるとは思わず、喉の奥から素っ頓狂な声が出た。そもそも、自分の正確な身長を最後に測ったのがいつだったかなど、到底思い出せない。

 最後の記録を脳内の古い引き出しから探り出すこと数秒。俺は記憶にある大体の数字をラバックに伝えた。


「多分……百七十……くらい、だったと思うが」

「OK! じゃあ、この辺のサイズから……」


 俺の身長を聞いたラバックは、大棚から次々と見習い用の衣類を引っ張り出しては、軽い調子で俺に向かって放り投げてくる。俺はそれを反射的に両手で受け止めた。


「お、おい」

「これと……あとこれも! 予備もあった方がいいよな。どうせこれからの鍛錬とかで、すぐに泥だらけに汚れるだろうし……!」


 俺の制止の声を完全に無視して、ラバックは衣類に加えて様々な生活用品を棚から引っ張り出しては、俺の胸元に容赦なく押し付けてくる。

 あっという間に俺の両腕は、前が見えなくなるほどの荷物で一杯になった。ちなみにラバックの両腕にも、同じくらいの量の荷物が抱えられている。一体どれだけの物資を持ち帰るつもりだ。


「……こんなにいるのか?」

「いるよ! これでもかなり厳選した方なんだぞ!」


 どう考えても厳選したようには見えない山積みの荷物だが、いちいち突っ込む気力も湧いてこない。入り口を目指して再び歩き始めたラバックを追うようにして、俺も重い足を踏み出した。

 迷路のような通路を逆方向に抜け、ようやく入り口の明るい光が見えてきた頃。すぐ近くの作業スペースから、備品庫を管理していると思わしき男たちの、何気ない会話が鼓膜に届いた。


「ええと……こっちの重い物資は何処に置くんだっけか?」


「それは奥の棚だ。……いや、それにしても随分と数が多いな。オートマタに任せよう。おーい、ちょっとこっちへ来てくれ!」


 オートマタ——機械人形のことだろう。一般的には家事の補助や、力仕事の手伝いに用いられる自律型の機械だ。

 もちろん、魔術工学の粋を集めた代物ゆえに非常に高価であり、一般の平民家庭にあるものではない。

 だが、国力を誇るこの聖ラウラントの王宮であれば、数十体規模で保有していても何らおかしくはないのだろう。


 管理人が声を張り上げて呼び掛けたことで、近くの壁際に佇んでいたオートマタが一体反応し、こちらに向かってゆっくりと歩き出した。


 ギギッ、カタッ。


 金属特有の、鈍い起動音と駆動音が静かな空間に鳴り響く。

 オートマタという存在自体の知識は本で読んで知っていたが、実際に動いている実物を見るのが初めてだった俺は、思わずその機械の身体を凝視した。俺の視線に気づいたラバックが足を止め、不思議そうに問いかけてきた。


「オートマタを見るのは初めて?」


「あぁ。本に載っている大雑把な写真くらいでしか見たことがない。実物は……初めてだ」


「そうなんだ! すごいよね、本当に人間みたいに滑らかに動くんだよ。ちょっとくらい複雑で難しい指示だって、ちゃんと理解して聞いてくれるんだ!」


 何がそんなに興奮することなのか、まるで自分の手柄であるかのように誇らしげに胸を張るラバック。俺はその言葉を適当に無視し、改めてオートマタの動きに視線を戻した。


 ギギッ、カタッ。


 どこか、その歩行の足取りがぎこちなく感じられた。実物を見るのは初めてなのだから、その動きが正常なのか異常なのか、俺に判断できるはずがない。

 その人形が管理人の元へ近づくにつれ、ギギッ、カタッという耳障りな金属摩擦の音は、明らかに大きく、痛々しくなっていった。

 その異変に気づいた管理人たちが、すべてを悟ったような乾いた顔で言葉を漏らした。


「あー……これ、もう寿命だなぁ。完全にガタが来てる」


「廃棄処分か?」


「だなぁ……ま、仕方ないよ。随分と長い間、酷使されて稼働してたしな。後で魔術師管理局に連絡しとくよ」


 まるで今日の天気や世間話でもするような軽い調子で、『廃棄処分』という冷酷な言葉が飛び出した。しかし、当のオートマタは未だに命令に従順なまま、呼び掛けられた管理人たちの側をゆっくりと目指して歩いている。


 自らに下されるであろう、新たな命令を拝命するために。


 ギギッ、カタッ。


「……仕方ないね。機械はいつか壊れちゃうし……メンテナンスを繰り返しても、古くなった部品とか……取り替えられない根幹の箇所は、どうしても錆びていっちゃうから……」


 どこか寂しささえ感じられる沈んだ声色で、ラバックは壊れかけのオートマタを見つめる。


——ギギッ、カタッ。


「今までご苦労さん」


 その短い言葉と共に、管理人はオートマタの胸部、心臓部分にある魔力コアらしき制御装置を無造作に操作した。


 ——ギギッ、カタッ……カタッ……。


 しばらく、痙攣するように不規則な音を鳴らした後、オートマタのすべての駆動光が消え、完全に静止した。


ただの、動かない鉄の塊へと成り果てたのだ。


「あ、そこの君、すまないがこのオートマタを廃棄所に運んでおいてくれ。古くなったオートマタをまとめて放り込んである場所があるんだ。右奥の扉の——」


 その光景を、目の前で静かに見届けていた時だった。

 何故だか分からないが、突如として心臓が力任せに握り潰されるような、凄まじい圧迫感が胸を襲った。

 決して、帝国で打たれていた薬物の副作用でもなければ、薬が切れたことによる禁断症状の類でもない。

 自身でも全く正体の掴めない、ドス黒い感情だった。


 ただ、使い道が無くなった古い機械を、ルールに従って捨てただけだ。いくら高価なオートマタであろうとも、ラバックの言う通り、使い続ければ劣化し、機械の部品は摩耗して錆びついていく。それは至極当然の物理現象のはずだ。


「……レン?」


 なのに、それが。

 酷く、酷く、息ができないほどに苦しかった。


 まるで——これは自分だ、とすら思った。


 イルシオン帝国では、一定の範囲内の怪我であれば、兵士であってもまともな治療を受けさせてもらえる。

 戦う以上、最低限の治療を受けなければ次の作戦行動に支障が出演し、任務成功率の低下に繋がるからだ。それはただの効率化のためのメンテナンスだ。


 しかし、戦線復帰が危ぶまれるほどの大怪我——つまりは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()と冷徹に判断された場合、一切の治療は行われず、ただのゴミのように前線へ放置される。


 つまり、その人間に待っているのは、確実な「死」だけだ。

 医療魔術や薬の治療には、それなりの莫大な金がかかる。その予算は無限にあるものではない。

 常に冷酷な取捨選択が行われ、命には明確な「値段」と「重さ」が付けられていた。


 たとえそれがどれほど功績を挙げた上官であれ、『これ以上の価値がない』と見做されれば容赦なく切り捨てられ、放置され、見殺しにされる。

 今しがた、システムを停止されて運び出されていく、あのオートマタのように。


「おい、レン……どうしたんだよ……?」


 後ろから聞こえるラバックの俺を案じる声は、今の俺の耳には一切届かなかった。自然と、本能の赴くままに、台車に乗せられて運ばれていく壊れたオートマタの残骸を追って、俺の身体は走り出していた。


 ガタガタと台車の歪んだ車輪が回る不快な音を頼りに、迷路のような薄暗い通路を突き進む。

 焦って先を急いでいたせいか、足元に転がっていた何かの金属製の備品を派手に蹴飛ばしてしまうが、それを確認しようと思えるだけの精神的余裕は欠片もなかった。


「おい! レン! レンってば!!」


 後ろから、ラバックが俺を必死に追ってくる慌ただしい足音が聞こえる。

 しばらくその影を追い続けた先で、廃棄を任された人間がとある分厚い鉄扉を開け、無造作に——ガシャン!!!——という、金属同士が激しく激突して壊れる音と共に、オートマタの巨体を放り投げる音が響き渡った。


 投げ入れた本人は次の仕事に追われているのか、背後に立っていた俺の存在に気付くこともなく、足早に廊下の向こうへと去っていった。

 俺は両手に抱えていた山のような荷物を、床へと静かに置いた。次いで、吸い寄せられるように一歩前へと進み——その半開きになった扉の先を、この目でしっかりと見据えた。


 ————そこには、何体もの機械人形(オートマタ)が、まるで可燃ゴミのように雑多に積み上げられていた。


 ——ある個体は片腕や片足を失い、中には頭部が無残に取れた個体もあった。


 ——鉄のパーツで構成されたそれらには、明確な『人間の顔』と呼べるものなど存在しないはずなのに、なぜか苦痛に歪む表情らしきものが、今の俺の目にははっきりと見えた。


「ぁ——」


 ——あれは、俺だ。


 いつ使い潰され、用済みになって捨てられるかも分からない人形。

 命令された通りにただ引き金を弾き、人を殺し、壊れるまで酷使されるだけの道具。

 自身の意思や感情なんてものは、最初から一切配慮されず、ただの使い捨ての替えが利く存在。


 ——それが。

 ——俺そのものだった。


「――――」


 どれほどの時間、その場に立ち尽くしていただろうか。

 いつか俺も、この哀れなオートマタのように、光のない暗がりに捨てられるのだろうか。

『もう用済みだ』『新しい、もっと優秀な代わりがある』といったような、あまりにも軽い言葉一つで。


 それだけは——それだけは、絶対に嫌だった。


「もう……レン! 急に走り出してどうしたんだよ! ——」


 息を切らせて追いついたラバックが、急に単独行動を取った俺を咎めると同時に、俺の視線が釘付けになっている先の光景に気づいたようだった。


「……レン」

「俺は……こんな、人形にはなりたくない……」


 絞り出した声は、我ながら反吐が出るほど弱気な発言だった。

 偽らざる事実だった。誰かに、どうしても吐き出したかった言葉だった。

 この温い国に連れてこられるよりもずっと前から、心の奥底で澱のように澱んでいた絶対的な不安。いつかすべてを失い、捨てられる未来が来ることへの——死以上の恐怖。


「君は人形じゃなくて、人間じゃないか」


 至極当然のことを言うような、ラバックの真っ直ぐな声。

 だが、その温かい声を遮るようにして、それとは全く異なる歪んだ女の声が、呪いのように脳裏で激しく木霊する。


『——あなたはあたしの人形』

『——あたしのかわいい人形』

『——たくさん殺して、たくさん奪って』

『——そうしたら……』


「——! れ——! レンってば!! 聞いてる!?」


 肩を両手で激しく揺さぶられ、過去のフラッシュバックからようやく意識が引き戻された。

 どれくらいの時間、思考を過去の闇に飛ばしていたのかは不明だが、俺と同じように抱えていた荷物を床に置いていたラバックが、泣き出しそうなほど心配そうな表情でこちらを凝視していた。


「あ、あぁ……悪い」

「——戻ろうよ。荷物を部屋に仕舞わなきゃ」


 ラバックはそれ以上、俺の過去や拒絶反応の理由に深く踏み込もうとはしなかった。ただ静かに荷物を再び両手に抱え直すと、今度こそ備品庫の入り口へ向けてゆっくりと歩き出した。


 彼の背中を追う直前、最後にもう一度だけ、ゴミのように山積みにされた廃棄所を振り返る。

 その瞬間、壊れた一体のオートマタの、光を失ったレンズの視線と、確かに交錯した気がした。


まるで——『私を捨てないで』と、その物言わぬ機械人形が、確かに物語っているように、今の俺には痛いほど感じられたのだ。


 ◇ ◇ ◇


 両手に抱えきれないほどの荷物を抱えたまま、次にラバックに案内されたのは、深い緑がざわめく森の中にひっそりと佇む建物だった。

 それは、太い木材と頑強な石造りが融合した、しっかりとしたノルディックスタイル風の大きな建物だった。

 二階構造になっており、一階の窓からは温かみのあるオレンジ色の光が既にぽつぽつと灯されている。建物のすぐ近くにはなだらかな傾斜を描く小高い丘があり、周りの庭らしき場所は、雑草一つ生えていないほどに隅々までよく手入れされていた。


 どう見ても宿舎の類いだろうが、これから兵が寝起きする場所にしては、少々——いや、かなり広く、そして大きすぎる。

 俺の知る帝国の宿舎と言えば、冷たいコンクリート壁の大部屋が主流で、一つの部屋に何十人もの兵士がすき間なく敷き詰められるのが普通だ。

 この宿舎のようにプライバシーの保たれそうな小部屋がいくつもあり、さらには二階建てで、美しい庭まで付いているなど、およそ考えられない。

 そもそも、帝国の宿舎は夜間の灯りも必要最小限に制限されているのだ。


「ここが、今日から君が暮らす《銀狼のアルゲントゥム・ルプス》だよ」

「……名前がついているのか?」

「……? うん」


 俺の質問のどこにおかしな部分があったのかは不明だが、ラバックは不思議そうに少し首を傾げただけだった。

 ラバックは、両手の荷物で塞がった身体を半開きになった入り口の扉に割り込ませるようにして押し開き、中へと入っていく。

 俺もその背中を追うようにして、同じように建物の中へと一歩を踏み入れた。


「…………宿舎、といったか?」

「うん。ここがロビーね。あそこにいるおじさんが寮官だよ。怒らせると本当に怖いから気をつけて」


 そんな、今の俺にとっては極めてどうでもいい情報と共にラバックが指し示したロビーの中心。そこに設けられた受付カウンターらしき部分で、静かに革装丁の本を読んでいる五十代半ばほどの男が佇んでいた。

 ラバックは迷いのない足取りでその男の前まで進むと、いつもの気安そうな声色と親しみやすい表情で話しかけた。


「お疲れ様、ベルドゥさん! 新入りを連れてきたよ!」


 ベルドゥと呼ばれた男は、読んでいる本からゆっくりと視線を外し、まずはラバックを、次いでその背後にいる俺を値踏みするように見つめた。

 その強面な見た目とは裏腹に、意外なほど落ち着いた静かな声と共に、軽く頭を下げられる。

 さすがに、初対面の相手の挨拶を無視するわけにもいかず、俺は釣られるようにして、ぎこちなく同じように頭を下げ返した。


「初めまして。《銀狼の館》の寮官を務めている、ベルドゥーゴ・クラークという。以後よろしく頼む」

「あ、俺は……レンだ。……姓はない」


 なぜかここで己を名乗らなければいけないような独特の空気を感じた俺は、気づけば無意識にそう口にしていた。

 ベルドゥーゴは小さく頷くと、既に俺たちのために用意していたのであろう、金属製の部屋の鍵を二つ、机の上に差し出してきた。俺は戸惑いながらも、それを反射的に受け取る。


「君の自室の鍵だ。一つは紛失した時のためのスペアキーとして使いなさい」


「ど、どうも……。だが、鍵が二つもあるなんて贅沢じゃないか?」


「……ここの宿舎の者は、よく鍵を紛失するのだ。鍵の紛失届けが後を絶たない為、最初から予備として渡している」


「あはは……」


 ラバックのどこか気まずそうな、乾いた笑い声が静かに流れた後、場が一時的に沈黙した。

 俺の知っている帝国の宿舎の部屋には、そもそも鍵などかけない。

 部屋とはただ寝起きするためだけの寝床であって、個人のプライベートな空間などそもそも存在しないからだ。


 もちろん、奪い合うような貴重品や私物といったものも兵士にはほとんど無いし、あったとしても、他人からすればなんの価値も無いゴミばかりだ。

 故に「部屋に鍵をかける」という贅沢な概念が自分の中に結び付くまでに、俺は少々の時間を要してしまった。


「部屋は——」

「あ、ベルドゥさん。俺が案内するよ! 同室だしね!」

「そうか。では頼む」


 淡々とした様子で会話を終わらせたベルドゥーゴは、再び手元の本に静かに視線を落とした。

 だが、それよりも今の俺にはどうしても気になることがあった。

 ロビーを抜け、長い廊下に差し掛かった瞬間に、俺はラバックに疑惑の問いを投げかけた。


「同室がいるのか?」

「あれ、嫌だった? ごめんね。でも、流石に見習い騎士が一人部屋を占有するっていうわけにもいかなくて……」


 ばつが悪そうにポリポリと指先で頬をかくラバック。俺が聞きたかったのは、そういう個人的な好みの問題ではなかった。


「そうではなく、他に人間がいるのか? ……俺は帝国の鼠だ。お前はともかく、他の同室になるはずの人間は、俺の存在を拒否しているんじゃないのか」


 それを聞いたラバックは、ぱちくりと目を丸くしてこちらを見てきた。その後、『あー、そっか』と一人で何やら納得している。なんなんだ、一体。


「心配しなくても、この部屋は俺と君での二人部屋だよ」

「————何?」

「え?」


 質問を質問で返されるのは、今日だけでもう何度目だろうか。再び不思議そうに考え込むラバックに対し、俺は思わず声を荒らげた。


「二人部屋だと!? そんなことがあり得るのか? 宿舎の、部屋だろ!?」

「わ、声が大きい! あまり大きな声を出すと、本当に怒られちゃうよ!!」


 自分の声の大きさを完全に綺麗に棚上げしたラバックは、『しーっ!』と人差し指を口元に立てて見せた。妙に腹が立つ。


「いや……あり得ない。大部屋ではないのか? 兵舎の部屋なんて、ただ横になって寝るだけの空間だろ?」


「……本当に帝国基準だなぁ。ここはラウラントなんだってば。それに、部屋はただ寝るだけのための場所じゃないだろ? 勉強をしたりとか、明日の訓練の用意をしたりとか……一日の終わりに、自分の好きな趣味の時間を過ごすためのプライベート空間なんだって!」


 捲し立てるように早口で説明されるが、それでも俺の頭の中の疑問符は消えない。

 勉強……は、百歩譲って理解できる。任務を遂行する上で、敵拠点の兵力配置や道中の地図、潜入する場所によって必要な戦術知識を頭に叩き込む、という意味合いなら理解の範疇だ。


 しかし、その後に続いた「明日の用意」とは、一体何を示すのか? まさか、ご丁寧に着替えるための服を前日から準備しておくことを、わざわざ「用意」などと大層に呼ぶまい。

 剣と、戦闘に必要最低限の消耗品さえ手元にあれば、明日の戦闘行為に何の支障もないはずだ。

 そもそも、そういった戦備は作戦直前にまとめて支給されるものを装備すればいいだけだ。


 だが、一番の問題発言はその後にある。趣味? プライベート?

 やはりこの男——いや、この男だけでなく、このラウラントという国は根幹から何かがおかしい! 狂っているのだ!!


「趣味に、プライベートだと? そんな不要なものは存在しない!! 部屋なんてものは、泥のように寝るためだけの部屋だろ? やはりおかしいぞ、お前の国は!」


「だから違うって! 君の故国の基準の方が、客観的に見てよっぽどおかしいよ!!」


 しばらくの間、廊下の真ん中で激しい押し問答が続いていたが、その時、たまたま通りかかった生真面目そうな雰囲気の先輩騎士に「……そこ、騒がしいですよ」と冷ややかに一喝され、ラバックは慌ててペコペコと謝罪した。

 俺もその勢いに釣られるように、慌てて頭を下げる。

 生真面目そうな騎士は、「気をつけてくださいね」と短く一言だけ告げると、それ以上は特に追求することもなく、そのまま廊下の奥へと消えていった。


「もう……! レンのせいで怒られたじゃないか」

「俺のせいか? お前だって、一緒になってムキになって騒ぎ立てていただろ」


 再びくだらない押し問答が始まりそうな予感を感じた俺とラバックは、一瞬だけ気まずそうに辺りを見回した後、全く同じタイミングで、深く溜め息を吐き出した。

 日常の、なんてことのない普通の会話で、ここまで他人に対して声を荒らげたのは、一体いつ以来だろう。……もしかしたら、生まれて初めてのことかもしれない。 


「ゴホン! ほら、行くよ」


 どこか投げやりな咳払いを一つ決めたラバックが再び歩きだしたので、その背中に続く。一頻り長い廊下を歩いた先、木製の扉のプレートに《302号室》という番号が刻まれていた。

 俺はふと「302」という数字に引っ掛かりを覚えた。この宿舎は、外から見た時に確かに二階建てではなかったか?


「なぜ302なんだ? ここは二階建てだろ?」


「あぁ、そこはシンプルだよ。この宿舎、見た目以上に横にすごく広いんだ。だから細かくエリア区分分けされていてね。ここは三エリアの、二番目の部屋だから《302号室》なんだよ」


「ふーん」


「レンから聞いてきたくせに、なんかすごく興味なさそうだね……」


 自分としては、回答を聞いて納得した上での、ごく当たり前の素直な反応だったのだが。ラバックからすれば、何か別の、もっと期待していた反応と違ったのだろう。

 今度はもっと別の返しをすべきか——などと考えかけて、自分がまた、今までの人生でしてこなかった余計な思考をしていることに思い当たった。


「まぁいいや! とにかく入って!」


 自分の個室だからだろう。ラバックはどこか得意げな様子で、鍵を使って勢いよく扉を開けて中へ入っていった。俺も続いて、静かにその部屋へと入室する。

その瞬間、部屋の全貌を目にした俺は、言葉を失って驚愕した。


とにかく、広すぎる!


 宿舎の部屋——それも、たった二人で使う部屋で、この規格外の広さはあまりにも破格が過ぎる。帝国の将校クラスに与えられる一人部屋だって、絶対にここまで広くは作られていない。

 一体、この国のどこからこれほどの莫大な金が湧き出てきているのだ……。


 縦に十歩、横に十二歩ほどもある贅沢な広さがあり、信じられないことに、それとは別枠で専用の洗面所と、個別のトイレまで完備されている。

……おかしい。ここはどんな高貴な貴族の暮らす部屋なのだ。富裕層の贅沢な匂いがするようで、急に俺の鼻がむず痒くなってきた。

 いわゆる、極度の貴族アレルギーというやつだろうか。


「こっちのベッドが君のだからね! この木の本棚は、前にここにいた子の残していった物だけど、好きに使っていいらしいから! ——って、聞いてる?」


 しかも、一人一台ずつの柔らかそうなベッドに、勉強用らしき木製の机まで用意されている。さらには、本棚まであるというのか……??


「……頭が、痛くなってきた……」

「え!? 嘘!!? もしかして、さっき言ってた薬の副作用とか……!? どうしよう、すぐにリリアンさんのところに——」


——『リリアン』

 おぞましいオカマの医者の名前が出た瞬間、俺の脳内は生存本能によるアラートで満たされた。

 俺は全力で、ブンブンと壊れた玩具のように激しく首を振ってそれを拒絶する。あんな化け物みたいな医者の元へ再び放り込まれるなんて、死んでも御免だ。


「いい! 俺は完全に正常だ! 何の問題もない!」

「そう? ならいいんだけど……」


 ラバックはまだ少し心配そうにしながらも、抱えていた大量の荷物を床にドサッと置くと、俺にも荷物を置くように促してきた。特に断る理由もないので、俺も床に荷物の山を置く。


「これが君用の寝間着! これはバスタオルね! これは——」

「それくらい、見れば分かる」


 いちいち、「これは宿舎用の服です!」「これは明日からの鍛錬用の服です!」「これは軽い装備の時に着るやつです!」と、まるで自分のことのように嬉しそうに説明してくるものだから。

 あまりに無邪気すぎて、ここで冷たく突っ込むのも野暮だと思い直し、俺は無心になって彼の説明を大人しく聞いていた。


 一頻りすべての説明を終えて満足したのか、その後は宿舎の一階にある、やはり異常なまでに広かった大浴場へと案内され、温かいお湯で一日の汚れを洗い流した。

 入浴を済ませて部屋に戻ると、ラバックはどこで手に入れていたのか、手頃な軽食をこちらに向かってひょいと投げて寄こしてきた。

 二人で並んで荷物の片付けを黙々とこなした後は、時計を見たラバックが急に焦ったように、


「やべ! もう消灯時間だ!」


 と騒ぎ立て、あれよあれよという間にベッドに押し込まれる形で、俺は布団の中に潜り込むこととなった。


——自分が思っていた以上に、この一日で、俺の脳と身体は極限まで酷使され続けていたのだろう。

睡魔は、予想していたよりも遥かに早く、重く襲いかかってきた。

 本来であれば、いつ命を狙われるかもわからない、まだ信用もしていない敵国の部屋で、泥のように無警戒に眠るなど、兵士としては万死に値するあり得ない行為だ。


 だが、張り詰めた糸が切れた肉体の本能には、どうしても勝てるはずもなく。


俺はゆっくりと、重い瞼を閉じて——。

ラウラント王国での、初めての静かな夜の暗闇へと、深く、深く眠り落ちていった。

最後までお付き合いいただきありがとうございました!

こんな戯れ言に付き合っていただき、大変恐縮です。

これからも彼らの活躍を見守っていただけたら嬉しいです!


あなたにも風の導きが有らんことを

にしみん

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