寸進と大過 後編
この作品を手に取っていただき、ありがとうございます✨
今回もコメディ要素強めです。ご注意ください
「不届きな裏切り者め……地下の独房へ連れていけぃ!! 」
「はっ!! 」
次は警備隊ごっこか、それとも憲兵隊の真似事か。
レンが内心で深いため息をつき、呆れる暇すら与えられないまま、例の『リア充指数』やらがオーバーしてしまった哀れな騎士が、ガチガチに拘束されて連行されていく。
それを冷ややかな、あるいは憐憫の混じった目で見送った後、レンはすぐさま隣のラバックの袖を強く引いた。
「のんびり見てる場合じゃない。今すぐ、一秒でも早く部屋に戻るぞ」
「そ―――」
『そうだね、早く逃げよう』――ラバックがそう言葉を返そうとした、まさにその瞬間だった。
背後の闇から音もなく伸びてきた、丸太のように太く強靭な大男の手が、ガシッ!! とラバックの華奢な肩を鷲掴みにした。
そのあまりの質量とプレッシャーに、ラバックの表情は一瞬で顔面蒼白になり、小刻みに肩を震わせ始める。
恐る恐る振り返ったレンの視界に飛び込んできたのは、見事に剃り上げられたスキンヘッド、そして騎士団の制服がはち切れんばかりにビルドアップされた、筋肉ムキムキの大男の姿だった。
「お前たち。……『リア充』か? それとも『非リア充』か? 」
「ひっ……い、一体何の事ですか!? 離してください、俺たちはただ部屋に――」
「何、心配するな。無実であれば即座に解放される」
大男は、地響きのような低い声で淡々と告げると、懐からおもむろに「銃」のような形状をした、金属製の――けれど銃口の代わりに怪しげな魔導水晶が埋め込まれた測定器を取り出し、銃口をそのままラバックの胸元へと突き付けた。
「おい、何をする気だ……! 」
「安心しろ。これは武器ではない。ただの『検疫』だ」
大男の指が非情にも引き金を引く。
――ピピピ!!!
「ひっ―――!? 」
『ピピッ。対象の「リア充指数」アンダー60。執行対象ではありません。安全装置をロックします』
「―――よし。潔白だな、通っていい。……次だ、後ろのお前」
「た、助かった……命拾いした……!! 」
ラバックが胸をなでおろして座り込む中、流れるような手際で次の標的として魔道具を向けてくるスキンヘッドの大男に対し、レンが素直に従う道理はなかった。
じりじりと後退りしながら、愛剣の柄に手をかける。
「なんだよそれ……。リア充指数だの……執行対象だの……さっきからわけのわからない単語ばかり並べやがって……! 」
「これは『対情動追尾式・リア充指数選別機(ポータブル版)』だ」
「―――だから何だよそれ。意味がわからないって言ってるんだ」
「説明する前に、まずお前に『裁定』が必要か否か、この機械で確認する必要がある。組織の規律を保つための順序だ、理解しろ」
ここまで冷静に会話を交わしてみて、レンは奇妙な錯覚に陥っていた。
この大男、入り口付近でマリアンヌさんの名前を聞いただけで狂ったように突撃してきた、あのハチマキ姿の《キルシェンナイツ》に比べれば、遥かに理性的でまともに見える。
淡々と事務的に職務(?)を遂行するその態度に、一瞬だけ(……あれ? もしかしてこの行為は、何かしら正当な理由がある公務なんじゃないか……?)と、レンの正常な頭脳が麻痺しかけてくる。
(※実際には、ラバックが地味に「58」という高数値を叩き出していたのは、主にエルンなどの素直な後輩たちから『頼れる先輩』として純粋に慕われている好意が魔導波に混ざってしまったためなのだが、本人は知る由もない)
「はぁ……。もういいよ、勝手にしてくれ。早く部屋に戻らせろ」
これ以上拒否して力ずくで暴れられる方が面倒だと判断し、レンは諦めて両手を挙げた。
大男は表情ひとつ変えずに、再び『対情動追尾式・リア充指数選別機(ポータブル版)』の銃口をレンの胸へと向け、トリガーを引いた。
――ピピピ!!!
緊迫した空気の中、魔導水晶が激しく明滅を繰り返す。
そして次の瞬間――宿舎の廊下に響き渡ったのは、先ほどの平坦な機械音声とは明らかに異なる、無駄に荘厳で、やたらとビブラートの効いた、超重低音のオペラ風ボイスであった。
『♪~~~アァァァ~~~!!! 対象の「リア充指数」――アンダァァァ・ナインティナイン(99)!!! 執行対象では、ありぃぃぃ・ませんんん!!! 安全装置をロックします―――ギゥリィィィ・ギゥリィィィ~~~!!! セェェェェェフゥゥゥウウウ!!!』
「………」
――まともだと思った俺が、心の底から馬鹿だった。
レンは虚無に満ちた目で、天井を見上げることしかできなかった。
どこが冷静沈着な検疫だ。
100からが執行対象というこの地獄のルールにおいて、文字通り「99」という奇跡的なデッドラインを叩き出し、魔道具に用意された最高に煽り性能の高い『超レア・ギリギリセーフボイス』を盛大に浴びせられたのだ。
(※ちなみに、レンがなぜ100一歩手前の「99」という超危険水域に達していたかといえば、それは女子からの恋愛感情などではなく、筋肉モリモリのヘラクレス医務官・リリアンから『あの細身でツッコミのキレが良い新人、私の好みにドストライクだわぁん!』という、あまりにも濃厚で歪なパッション(好意)を無自覚に浴びせられ続けていた結果なのだが――これまた、本人が知ればその場で愛剣を抜いて発狂するレベルの真実であった)
「……よし。指数99、奇跡の高潔なるキルシェだな。通るがいい、我が兄弟よ」
大男は、オペラ風ボイスの余韻に浸りながら満足そうに頷くと、すっと道を譲った。
「行くぞ、ラバ……! 早く、あいつの気が変わらないうちに部屋に立てこもるんだ……!! 」
レンは「99」という数字が残した精神的ダメージに顔を引き攣らせながらも、ラバックの手を引いて、今度こそ全速力で自室へと向かって廊下を駆け抜けるのだった。
奇跡のレアボイスによってスキンヘッドの大男から解放されたレンとラバックが、一刻も早く自室へ立てこもろうと廊下を全力で駆け出した、まさにその瞬間だった。
――キィィィィィン……ポーン。
突如として、宿舎全体の壁に埋め込まれた魔導スピーカーから、耳障りなハウリング音が鳴り響いた。
それはかつて、ロディ騎士団長が《気まぐれ避難訓練》を強行した際、偵察部隊隊長ミカ・ファーレンガルドが全館放送のために好んで使用していた拡声魔導の起動音であった。
『――宿舎内部で破廉恥極まる騒ぎ立てをしている、不届きな不良騎士たちに告ぐ!! 直ちにその恥ずかしい暴挙を止めなさい!! 』
スピーカーから響いてきたのは、今夜ミカから正式に寮長代理を任されていた、あの規律に人一倍厳しい生真面目な先輩騎士の声だった。
レンは走りながらも、胸の内で小さく安堵の息を漏らした。
やはりこの狂人の巣窟、脳筋の楽園と化した《銀狼の館》の中にも、まだ正気を保ったまともな上官が残っていたのだ、と。
しかし、それと同時に冷徹な現実主義者としてのレンの思考が、最悪の予想を弾き出す。
(……いや待て。一日中私語を禁止されて頭のネジが完全に消し飛んでいるあの馬鹿どもが、こんな口頭の放送一つで、はいそうですかと大人しく引き下がるのか――?)
『繰り返す!! 直ちに全館の検問を解除し、各員速やかに自室へ戻って試験勉強を――あ、え、ちょっと貴方たち! 不法侵入です、止めなさい!! 部屋に入ってこないで――っ! 』
律儀に放送を続けていた寮長代理の音声が、唐突に激しく乱れた。
背後で激しい扉の衝突音と、複数の漢たちの野太い足音が混じる。
どうやら、放送の真っ最中であるにもかかわらず、本拠地である放送室が何者かの襲撃に遭ったようだった。
そして――スピーカーの向こうから、あの冷酷無比なポータブル機の電子音が鳴り響く。
――ピピピ!!!
「まさか……嘘だろ!? 寮長代理までもが、あの訳の分からない『リア充指数』とやらに引っかかって、裏切り者扱いされて連れていかれるのか!? 」
「まずいよレン!! 唯一の味方だった寮長代理まで無力化されたら、一体誰がこの宿舎の地獄を終わらせるんだよ!! 」
ラバックが絶望に顔を歪ませた、その刹那。宿舎全体のスピーカーから出力されたのは、先ほどのオペラ風ボイスをも遥かに凌ぐ、どこか哀愁を帯びた、葬送曲のような静かな機械音声であった。
『ピピッ。――対象の「リア充指数」アンダー0。……どころか、負の相関(マイナス値)を突破。……執行対象ではありません。本機開発史上、かつてない「完全なる非リア充」であることが公的に認められました。安全装置を厳重にロックします』
――――――
――――――
――――――
……静寂。
それは、文字通り水を打ったような沈黙だった。
いつもなら誰かしらの怒号や筋肉痛を訴える悲鳴、あるいは馬鹿げた笑い声が絶えない《銀狼の館》が、これほどまでに、深く、重く、静まり返ったのは一体何時ぶりだろうか。
襲撃の瞬間、誰もが「寮長代理もまた、女子と不適切な交流を持った大罪人として処刑されるのだ」と確信していたに違いない。
しかし、魔導具が非情にも全館に知らしめた結果は――驚異の「0」
本来であれば、大罪人の容疑が晴れて「執行を免れた」という、拍手喝采で喜ぶべき事案のはずだった。
だが、この魔導具における「0」という数字が示す真実。
それは、『現在、この世界において、ただの一人の異性あるいは同性からも、微塵の好意も抱かれていない』という、あまりにも残酷で、あまりにも悲しい、剥き出しの事実であった。
あまりの哀れさに、宿舎を包囲していたキルシェンナイツの漢たちすら、完全に戦意を喪失してぽつりぽつりと呟き出す。
「え? ……0?? マジかよ……。おい、いくらなんでも可哀想すぎないか……? ちなみに俺、この前メイドさんに消しゴム拾ってもらったから、指数3はあったのに……」
「嘘だ!!!! こんなの絶対に認めない!!! 魔道具が、魔道具の回路が完全に壊れているんです!!! だって私は……私は今朝、朝礼が始まる前に、ミカ様から直々に『今夜の館の規律は、貴方だけが頼りですよ』と、あんなに優しくお声をかけていただいたんですよ……っ!? 」
スピーカーの向こうから、涙ながらに必死の弁明を叫ぶ寮長代理の悲痛な声。
それに対する周囲の漢たちの反応は、どこまでも冷ややかだった。
「おい、現実を見ろよ兄弟……。あの方のそれは、単にお前の真面目な能力値を天秤にかけて『この駒ならまだ一番業務的に使えるな』と判断しただけの、完全なビジネス営業スマイルに決まってるだろ……。あのミカ様が、私情で部下に甘えた頼み事なんかするわけねぇだろ……」
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!! 」
「あ、おい!! 寮長代理の心が完全に壊れたぞ!!! 」
「なんてことだ……。処刑されるより凄惨な、癒えない精神的重創を負っちまった……!! 」
こうして規律の番人たる寮長代理は、物理的な執行(簀巻き)こそ免れたものの、全館放送という最大の公開処刑によって、二度と立ち上がれないほどの致命的な心の傷を負うことになったのだった……。
泣き叫びながら敗走していく寮長代理の声を背中に聞きながら、レンとラバックは、今度こそ完全に動きを止めた漢たちの隙を突き、音速で自室の扉へと滑り込むのだった。
宿舎のスピーカーから流れた、あまりにも無慈悲で酷い全館放送を聞かされたせいで、レンとラバックはしばらくの間、完全に言葉数を失っていた。
何とか自室の扉を開け、内側からカチリと鍵を閉め、部屋にある重い木製の学習机と椅子をこれでもかと積み上げて完璧なバリケードを構築したところで、二人はようやく「生きた心地」を取り戻して深い息を吐き出した。
「……寮長代理……。俺、あの先輩のこと、普段から別に悪い人じゃないと思ってたんだけどな……」
「ラバ、お前もさっきの放送を聞いただろ? 指数『0』なんだよ。お前のその『悪い人じゃないと思う』っていう気遣いはな、裏を返せば『特別いい人とも思っていない。無関心』って言ってるのと同義なんだよ」
「止めてよレン!? そんな悲しい核心を的確に突いてこないでよ、心が痛いから!!! 」
そんな、いつも通りの軽妙なツッコミの応酬が出来るほどには、彼らの心にもようやく余裕が生まれ始めていた。
自室という、完全なる安全領域。強固な防衛線たるバリケードが扉を塞ぎ、窓の鍵もしっかりと閉めている。
いくら頭のネジが飛んでいる脳筋集団とはいえ、さすがに同僚の窓ガラスを物理的に叩き割ってまで侵入してくる狂気はないはずだ。
そもそも、自分たちは先ほどポータブル機によって『執行対象外』のお墨付きを貰っているのだから。
とはいえ、外がこんな凄惨な空気感の中で、今から机に向かって大人しく国家試験の勉強など出来る訳もない。
――今日はもう、このまま大人しくベッドに潜り込んで寝てしまおう。
レンがそう結論づけようとした、まさにその瞬間。またしても壁のスピーカーから、ざらついたノイズと共に野太い声が響き渡った。
『――ゴホン。これより、第一回《銀狼の館・大過粛清裁判》を執り行う。傍聴人は全員、速やかに席に着きなさい』
「傍聴人? 」
「……フッ、はは、アハハハ……俺たちのことかな、レン……? 」
「おいラバ、何不気味に笑ってるんだよ。しっかりしろ」
ラバックは、次から次へと舞い込んでくる新たな不条理に対し、ついに乾いた笑いさえ覚えるほどに精神的に追い詰められていた。
しかし、今夜の宿舎は完全なる無法地帯。
夜の帳が完全に落ち、規律の番人(※精神が完全崩壊済み)が消失したこの空間で、男たちの暴走はついに司法の領域――ごっこ遊びへと突入しようとしていた。
『まず、被告人。前へ出なさい』
『あの、兄貴……。調子に乗って片っ端から捕らえすぎたせいで、談話室の前の廊下に被告人が十人以上並んでて入り切らないんですが!! 』
『静粛に!!! あと、これからは私のことを「裁判長」と呼びなさい! 兄貴って呼んだら法廷の威厳が締まらないだろ!!! 』
「……いや、煩いのは間違いなく自称裁判官(笑)だろ」
「……今度は裁判ごっこかぁ……。本当に、次から次へとよくやるよな……」
自分たちの部屋にはバリケードがあるという安心感からか、あるいはスピーカー越しの出来事だからか、レンとラバックの精神はいささか落ち着きを取り戻し、どこか他人事のように放送に耳を傾けていた。
『ゴホン! では、代表して――そこにいる貴方、前に出なさい』
どうやら、廊下に並べられた不届き者(リア充)の中から、記念すべき一人の生け贄が選ばれたらしい。
スピーカーの向こうから、ガサゴソという衣擦れの音や縄が擦れる不穏な音が聞こえ、続いて尋問が始まった。
『……名前と、所属部隊を名乗るがいい』
『……あ、え、と……マルロ・スメノフです……。ぜ、前線部隊、第八小隊所属の、し、新人騎士です……』
『よろしい。マルロ・スメノフ被告。では、直ちに判決宣告に移ります』
『え……?? 判決……ですか?? 』
「はっや。審理はどうした審理は」
「人定質問が終わった瞬間に判決かよ……! 起訴状の朗読とか、検察官の論告求刑とかはどこにやったんだよ……!! 」
スピーカーから聞こえる被告人マルロの間の抜けた声に、レンとラバックもベッドの上で呆れ返り、疑問を感じざるを得なかった。
そもそも知能指数が著しく低下している今夜の彼らに、まともな司法の常識や適正手続きを説くこと自体が、あまりにも酷な話であった。
ただ、安全なバリケードの裏側で高みの見物を決め込んでいるレンたちは、まだ知る由もなかった。
――本当の地獄は、まさにここから始まるのだということを。
――悪意はさらに深く宿舎の奥底へと蔓延り、独善的な粛清の嵐は、決して止まらない。
◇ ◇ ◇
スピーカーの向こうから聞こえる、マルロ・スメノフという名の新人の声。
彼は聖ラウラント騎士団において、絵に描いたように真面目で誠実な青年騎士であった。
倍率の極めて高い厳しい入団試験を実力で突破し、前線部隊の第八小隊に配属されて以来、彼はただの一度も遅刻をしたことがなければ、どれほど膨大な報告書の提出を怠ったこともない。
日中の過酷な集団鍛錬の後は、身体の節々が悲鳴を上げていても必ず居残りで自主練習を欠かさなかった。
毎日遅くまで一人で汗を流すものだから、あの朝礼免除の筆頭である《十二勇士》の偵察部隊副隊長――《朔風騎士》から通りすがり際に『毎日よく頑張ってるね。偉い』という極上の労いの一言さえ貰ったことがあるくらいだ。
そんな彼の陰ながらの努力が、ついに天に届いて報われたのか。
――はたまた、運命の女神が気まぐれに慈悲を授けたのか。
ここ数日の間に、彼にとって人生の最大級の転機とも言える、甘酸っぱい事態が舞い降りていたのだ。
『あ、あの……マルロさん……。良かったら、今度一緒に、定期試験の勉強を……。ほら! もうすぐ、大事な記述試験だし……ね? 』
夕暮れの修練場の片隅で、顔を林檎のように真っ赤に染めて彼にそう声をかけてきたのは、物資管理部隊に所属する、いつも物静かな少女だった。
彼女は自分の気恥ずかしさを必死に隠すように、少し指先を震わせながら眼鏡のテンプルに触れつつも、潤んだ瞳でしっかりとこちらを見つめてくれたのだ――
マルロは特段、世渡りが上手くて勘が良い訳でもなかったが、決して鈍感という訳でもなかった。
彼女のその勇気ある行動と潤んだ視線を見れば、そこに込められた温かい感情の意味に気づくのに、そう時間はかからなかったのだ。
なにせ、この宿舎における彼の先輩たちの大部分は、倫理観や理性をことごとく《ミルーヴェの湖》の底に叩き落として溺れさせてきたかのような、筋肉と鍛錬のことしか頭にない脳筋ばかり。
加えて、生真面目すぎる性格のマルロが、それら先輩騎士たちが日々引き起こすバカバカしい問題や、お菓子の買い出しを巡る不祥事の数々に巻き込まれて尻拭いをさせられてきたのは、言うまでもなかった。
毎日が筋肉痛の疲労と、周囲の奇行に対する精神的な悪寒に苦しんでいたマルロにとって、彼女の存在はまさに乾いた大地に吹く「優しいそよ風」そのものであった。
まともな言葉の会話が通じるのはもちろんのこと、自分という存在を心から気遣ってくれる、尊い思いやりがそこにはあった。
――抑圧された過酷な環境下で、互いが強く惹かれ合うのは、まさに必然であった。
『――ちょっと、被告人!! 聞いていますか!? 』
『は、はいッ』
スピーカーから聞こえるガナリ声に、マルロがハッと我に返る。
彼はただ、過酷な騎士団での日常を懸命に、誠実に過ごしていただけだ。
それなのに何故、今夜こんな縄で縛られるような非道な仕打ちを受けなければならないのか。理不尽という言葉すら生ぬるい。
『マルロ・スメノフ被告人!! 貴方は、我ら銀狼の館の不文律に対し、幾度も重罪を重ねている!! 』
『つ、罪ですか!? 私が、一体どんな犯罪を……! 』
『そうだ。先週、前線部隊が衛兵隊と共に、城下町の治安維持の為に見回りの合同任務をしていただろう』
『あ、はい……確かに。それが何か問題でも? 』
特に公務においてやましいことも、軍律に違反した記憶も一切ない彼は、怯えながらも素直に事実を肯定した。
だが、その言葉を待っていたとばかりに、自称裁判官(ハチマキ着用)の声のトーンが一段と低く、怨念を帯びて響き渡った。
『その巡回任務の最中にだ……!! たまたま休憩時間が重なった他部隊の、例の眼鏡の女子と……! 楽しそうに、城下町の《銀鹿亭》で、極上のランチタイムを過ごしたそうではないかァァァアアアッ!!! 』
『な、ナニィィィイイイッッッ!!? 』
『ラ、ランチタイムだと……!? 』
『おのれマルロ……!! 任務の裏で、そんな優雅で破廉恥な甘い汁を吸っていたというのか!!! 』
『けしからーーーん!!! 同罪だ! 吊るせーーー!!! 』
拡声魔導のスピーカーの向こう側が、一瞬にして凄まじい怒号とざわめきで大炎上する。
必死の形相で真面目に憤慨し、涙を流しているキルシェン(非モテ)たちもいれば、中にはただ事態を引っかき回して楽しんでいる悪ノリ全開の不届き者たちの声も混ざっていた。完全に集団心理の暴走である。
『ちょっと待ってください!!! 何故、お昼休憩に普通の食堂で昼食を摂っただけで、そんな大罪人みたいに言われなきゃいけないんですか――!! 』
『違う!!! 昼食を摂ったこと自体が問題ではない!!! 女子(我らにとっての不可侵の魔獣)と、白昼堂々二人きりで睦まじく行動したことが、銀狼の騎士としての誇りに反するのだ!!! 』
『何故ですか!? 休憩時間を誰と過ごそうが、完全に個人の自由でしょう!? 』
『駄目なものは駄目ぇぇぇえええ!!! 自分だけ、自分だけそんな可愛い娘と幸せになろうだなんて、抜け駆けだろォォオオオッッッ!!! 』
「……うわぁ」
「これ、もはや裁判官でも何でもないな。ただの嫉妬の化身じゃん……」
ベッドの上で膝を抱えて聴いていたレンとラバックは、心底哀れみと恐怖の混ざった目でスピーカーを見つめた。
そこにいるのは、正義を執行する法の番人などでは断じてない。
ただ単に『女子と仲良く出来ない、お前も?』『え! 俺も!! 仲間!! 』という傷の舐め合いの同盟を組んでいたはずのコミュニティから、マルロという一人の誠実な青年が真っ当なステップを踏んで幸せになろうとしたことに対する、醜い嫉妬と現実逃避の塊。
哀れな人間の剥き出しの怨嗟であった。
しかし、その醜い嫉妬のエネルギーこそが、今夜の宿舎を支配する最も恐ろしい動力源であることを、レンたちは間もなく、思い知らされることになるのだった。
スピーカーから絶え間なく流れ落ちてくる、あまりにも醜悪な理不尽の嵐。
被告人となった新人マルロの境遇は、客観的に見て同情の余地しかなく、あまりにも可哀想であった。
だからといって今この状況で、強固に築いたバリケードを自ら崩し、部屋を飛び出して彼を助けに行けるほど、レンとラバックに甘い慈悲の心は残っていなかった。
――『他人を助ける』という気高き行動は、まず何よりも「自分が100%安全に生存している」という大前提があって初めて実行可能となるものだ。
仮にここで、沸き立つ正義感に絆されて放送室へ赴いたところで、自分たちに一体何が出来るというのか? 確実に『リア充擁護の反逆者』の烙印を押され、でっち上げられた適当な罪状の元、全身を簀巻きにされて大罪人の紙を貼られるのがオチなのだ。
「これ……一体いつまでかかるんだよ。早く寝かせてくれよ……」
「あはは……。本当にね……」
もはや完全に乾ききった声で笑うラバック。しかし彼は、手元にあった小さな羊皮紙に素早い手付きで何かを書き付けると、室内で静かに止まり木にいた――各個室に一羽ずつ配備されている騎士団連絡用の伝書鳩――の細い足へと、その紙を素早くくりつけた。
「おいラバ、何してるんだよ。まさか、誰かに助けでも頼むつもりか? ……悪いことは言わないから止めとけ。今夜のこの宿舎の惨状を知ったら、まともな上官なら関わりたくなくて絶対に無視するぞ。望み薄だ」
「まぁまぁ、レン。何もしないよりはマシだからさ……」
ラバックはそれ以上多くを語らず、器用に窓をほんの数センチだけ開けると、そこから伝書鳩を夜空へと放った。
そして、鳩が飛び立った瞬間に、レンがちょっとびっくりするくらいの神速のスピードで窓をバチン! と閉め、完璧に施錠した。
スピーカーから聞こえる、地獄の《大過粛清裁判(笑)》は未だに延々と続いている。
今夜、この宿舎のどこかで血を吐きながら真面目に記述試験の勉強をしているはずの、数少ない常識的な騎士たちにとっては大迷惑以外の何物でもない。
この魔導スピーカー、緊急事態の警報発令用として全館一括管理されているため、各部屋の側からは音量を完全にゼロに絞ることが出来ない極悪仕様なのだ。
『あ、兄貴!! 落ち着いてください、マイクが声を拾いすぎて耳がキーンとなります!! 』
『―――ハッ、失礼。あまりの羨まし……ゲホン、破廉恥さに、少々取り乱してしまった』
「少しじゃねぇけどな。完全に私怨を大爆発させてただろ」
当然、レンの冷ややかなツッコミが談話室の裁判官(仮)に聞こえている訳もなく、自称裁判官の漢は、再びコホンと咳払いをして、声色だけは元の「知的な真面目さ」を必死に装って語り出した。
『……では、本法廷の総意として、被告人を「略式私刑」に処すものとする! 』
「おい、ついに自分で『私刑』って言っちゃったよあの裁判官!? 」
「あはは、もう俺は何が起きても驚かねぇよ。どんな超展開でも受け入れてやる……」
スピーカーの向こうからは、ガチギレしているキルシェン(非モテ)たちの怒号と、それに同調して大騒ぎしている野次馬たちの歓声が地響きのように響いてくる。
そのあまりの音量の大きさに魔導波が完全に割れ、ノイズ混じりになっていて何を言っているのか正確には理解できない。
そんな圧倒的な数的優位のプレッシャーに晒されながらも、真面目なマルロは決して己の正当性を曲げず、スピーカー越しに毅然と言い返した。
『ですから、どうしてですか!? 個人の交友関係まで、何故そこまで言われなければならないんですか! ……というか、そもそも先輩方が異性に対して異様に内気で、廊下でまともに会話すら出来ないのが根本的な原因なのでは!? 』
『テメェ……ッ!!! よくも言ってくれたな、俺の、俺たちの最も柔らかい傷口を抉りやがったなぁァァァァッ!!! 殺せぇぇえええッ!!! 』
『わーっ、兄貴!! キャラ!! 自分で最初に決めた『冷酷で無慈悲で、常に冷静沈着な絶対的裁判官』っていう設定はどこに行ったんですか!? 』
「すげぇ……。全く以てその設定が合ってないってところが、特に芸術的なまでに馬鹿すぎる……」
「しかも身内に身も蓋もないトーンで『設定』って言われちゃってるし。本当にボロボロだなあの法廷……」
女子と仲良く、極めて健全に食事を摂ったというただそれだけの理由で、ここまで全館の漢たちから深く、重く疎まれるというのは、あまりにも酷で理不尽な話であった。
マルロ・スメノフという、時代と場所を間違えてしまったあまりにも不運な後輩騎士の未来に対し、レンとラバックは、ベッドの上で静かに胸の前で十字を切った。
――聖ラウラントの三女神、創生神『アストレア』、太陽神『ソルスティス』、そして緑を育む花神『テラリア』よ。どうか、あの哀れな生け贄の魂に、大いなる慈悲と救いを与え給え。と。
祈りを捧げる彼らは、まだ知らない。
ラバックが夜空に放った一羽の伝書鳩が、この地獄と化した《銀狼の館》に、どのような「本当の地獄ーーあるいは究極の粛清」を呼び寄せることになるのかを。
「なぁ、これ、どうにかして物理的に音量を少しでも下げられねぇのか? 」
スピーカーから絶え間なく吐き出される私怨まみれの絶叫が、あまりにも鼓膜を震わせるため、レンは眉間に深い皺を刻んだまま壁際に立ち上がり、魔導スピーカーの周囲をくまなく探し始めた。
「あ、確か……その本体の下側にある魔導調整ダイヤルを、右に回すんだよ。完全に消音にはできないけど、一定以下のデシベルには絞れるはず」
「あ、これか。よし、回すぞ――」
『――だ、が、ら、ぁ!!! お、前、は、ぁぁぁあああッ!!!ーーー…ぁ…! 』
ガガッ、という小さな抵抗感と共にダイヤルを捻ると、あれほど室内を震わせていたキルシェンナイツの喚き声が、一回り小さな籠もった音へと変化した。
「……ふぅ。これで少しはマシになったか。相変わらずうるさいけど、さっきよりはマシだろ、仕方ない。……よし、やるか」
「……え? レン、まさか、この世紀末みたいな状況の宿舎で、今から本当に勉強するの!? 」
「ラバ、お前は大事なことを忘れてないか? 俺たちは明後日の筆記試験、赤点ギリギリのラインなんだぞ。こんな身内の嫉妬全開の茶番に付き合って、貴重な勉強時間を一秒でもドブに捨てる余裕なんてあるわけないだろ」
「それは……そうだけどさぁ……! 」
この極限状態の狂気空間において、驚異的なまでのメンタルの切り替えの早さを見せるレン。
彼が至って平然とした顔で分厚い『聖ラウラント王国・基本法律参考書』を机に広げ、真面目にペンを握り始めるのを見て、ラバックは(……マジだ、この男、本気で勉強し始めた……!)と心の底から戦慄した。
さすがは修羅場を潜り抜けてきた元傭兵の経歴を持つ男、これが実戦経験の差なのか(※注:違います。単に赤点による《追試パーティー》を極限まで恐れているだけです)
『……こ……が! 決定的証拠、……っ!! 』
『な、……ぜ、そ……れを……!! ……プ、プーーーシー……の……侵害、……っ!! 』
ダイヤルを絞ったせいで、途切れ途切れにしか聞こえてこない談話室の会話。
どうやら、例の裁判ごっこは相変わらず泥沼化しているらしく、何かしらの『証拠』とやらについて白熱した議論(笑)を交わしているようだが、レンにとっては一ミリも関心のない、心底どうでもいい内容だった。
「えーと……この場合、夜間巡回中の非戦闘区域における器物損壊において、適用される法は第十二条か、それとも……」
「……この状況下で、本気で基本六法を頭に叩き込もうとするお前も、中々の大物だよね……俺、文字が全然頭に入ってこないや……」
「そうか? 集中すれば背景の雑音なんてただの風の音みたいなもんだろ」
スピーカーの向こうの裁判ごっこは、どうやらそろそろクライマックスを迎えているらしかった。
らしい、というのは、ノイズの隙間から時折聞こえる漢たちのすすり泣きや歓声が、一段と大きくなったような気がするというだけの、文字通りの意味だ。
それよりもレンにとっては、この参考書の事例に適用されるのが『夜間窃盗罪』なのか、あるいは『公務執行妨害及び器物破損罪』なのか、そちらの方が遥かに重要であった。
◇ ◇ ◇
――それから、約一時間。
ひたすら羊皮紙に法律の条文を書き殴るだけの、静かな時間が流れた。
ようやく、スピーカーから規則的に聞こえてくる不快な音が、ただの環境ノイズ、あるいは古い木造宿舎がたまに引き起こす「家鳴り」の一種だと脳が都合よく錯覚し始め、勉強が軌道に乗りかけた、まさにその瞬間――
『―――!? な、―――さ……ま、が、―――ッ!? 』
『―――ろ……い、―――に、―――すね!! 』
「……ん? 」
「…………いま、何か……」
なにやら談話室の方が急激に騒がしくなった。
いや、今夜はずっと騒がしかったのだが、その『騒がしさの質』が、先ほどまでの漢たちの醜い嫉妬の怒号とは、明らかに異なっている。
「―――ま、どうでもいいか。俺たちの部屋にはバリケードもあるしな」
「そうだね、どうでもいいね……。まぁ、俺もこれ以上は絶対に、どんな事態があっても関わり合いになりたくないし……」
二人が再び視線を参考書へと落とそうとした時、さらにスピーカーのノイズの奥から、キルシェンナイツの誰かではない――明らかに高めで、しかし芯の通った、やたらと『熱血な雰囲気を持つ女性の声』のようなものが割れて聞こえてきた。
『―――そ……は、―――やめ、―――い!! 』
『―――です……!! ―――で……ん……!み……―――から、じ…ほう…、ーーあっ―――!! 』
「……」
レンは一瞬、何が起きているのかを確かめるために、先ほど絞ったスピーカーの音量ダイヤルをもう一度上げようとして――すっと、その手を空中で止めた。
どうやら、このうるさい環境の中で法律の勉強に集中しすぎたせいで、自慢の判断能力がいささか鈍っているらしかった。
今ここでダイヤルを上げてスピーカーの音を鮮明に拾ったところで、ろくな事にならない。それだけは、元傭兵の直感が告げていた。
「――ッ!? 一気に騒がしくなったな……。一体全体、談話室の側で今度は何が起こって――いや、なんでもない。関わったら負けだ、気にするな」
レンは湧き上がりかけた好奇心を力ずくでねじ伏せ、視線を無理やり手元の法律参考書へと戻した。
しかし、隣に座るラバックの顔面は、この短時間で見る影もなく白さを増している。
「レ、レン……。もう、このまま明かりを消して寝よう。これ以上この騒動に関わったら、明日の朝ミカ様から地獄の説教を食らう……だけじゃなくて、ロディ団長やフリンズ副団長にも連座でこっぴどく怒られるよ、絶対に……! 」
「あぁ……うん。そうだな、寝るのが一番だ……」
二人がそう言って現実逃避を決め込もうとしたまさにその時、スピーカーの奥から、先ほどまで尊大に吠えていた自称裁判官たちの、明らかに動転し、狼狽しきった情けない悲鳴が漏れ聞こえてきた。
しかも、絞った音量の隙間から、時折不思議な雑音が混じるのだ。
―――カシャカシャ、カシャカシャーーー
その規則的で軽快な駆動音を耳にした瞬間、レンの脳裏に、昨夜経験したばかりの『宿舎下着大量失踪事件』という名の、あまりにも忌まわしき悪夢の記憶が鮮烈に呼び起こされた。
――詳細は省く。省くが、あの事件の真の黒幕は、断じて下着そのものが目的ではなく、ただ己の歪んだ記者魂を満たすための『至高のスクープ』を狙って事件を引き起こした、とある恐るべき確信犯の女性記者であった。
スピーカーから響くその音は、まさに彼女が愛用していた最新型の魔導カメラが放つ、特有のシャッター音に非常によく似ていたのだ。
そんなはずはない。あの悪魔の魔導カメラは昨夜、クリスが放った寸分の狂いもない超精密な投擲ナイフによって、レンズのド真ん中から心臓部までを完全に貫かれ、修復不可能と判断されるほど木っ端微塵に粉砕されたはずなのだ。
つまり、これは基本六法を詰め込みすぎた俺の脳が、昨夜のトラウマを勝手に呼び起こし、ただのノイズをシャッター音だと錯覚しているだけで――
『――ちょっと、そ―――の…た!! ―――のポーで止!! ―――顔をも…と―――裁らし―――て―――!! 』
『こん……―――ッの、お…ぞ―――者―――あ…!! ―――せ、潜―――な!! ―――み……カ様―――…不在の――は……!! 』
「おい……ラバ。このスピーカーから聞こえる、やたらと熱血で悪びれない高貴な女性の声……」
「まぁ……うん。聞き覚えがありすぎるね……」
間違いなく、王族の分家であるヴィッツ家の令嬢にして、王族新聞記者――ローラ・ラウラント・ヴィッツその人である。
そして、キルシェンたちが絶望混じりに叫んだ『ミカ』という単語から察するに、事態は完全に最悪の局面を迎えていた。
『―――あっ!! ち―――と、そ…の被―――男…!! そのーーーまま…見…―――ん!! ―――写で――!! 』
「……終わったな。明日の朝、王宮中にばら蒔かれる朝刊の第一面に、《銀狼の館》の『大過粛清裁判ごっこ(笑)』がフルカラーの表紙で大々的に載るのか……」
「みたいだね……。まぁ、今回は深夜に全館放送を使って大騒ぎしたあの人たちが100%悪いし、因果応報じゃないかな……」
レンは哀れなキルシェンナイツの未来に頭を振ったが、すぐに一つの重大な疑問に突き当たった。
「そういや……なんでローラ様が今、ピンポイントでこの宿舎の談話室にいるんだ? 昨日あれだけミカにこっぴどく絞られて、ニーナさんの地獄の花嫁修業に引きずられていったばかりだぞ? 今ここでこんなアホな騒動が起きてるなんて、外部の人間が知り得るはずないだろ? 」
レンの至極全うな疑問が室内に響いた瞬間、隣にいたラバックの肩が、ピクッと僅かに不自然に揺れたのをレンの目は見逃さなかった。
「―――そ、そうかな? ミカ様が任務で今夜宿舎に帰ってこないっていう情報は、結構あちこちに広まってたし……。ローラ様としては、昨夜のカメラの件の汚名返上というか、リベンジのために最初から隠密潜入してたってことじゃないかな? 」
「うーん……まぁ、あの執念深いお嬢様ならあり得ない話でもないか。昨夜の分のカメラ代を回収するために、よりデカいスクープを狙いに来たのかもな」
「あはは、それよりレン、次の問題に進もうよ。ほら、第十五条の適用範囲の件だけど――」
ラバックは冷や汗を拭いながら強引に話題を参考書へと戻そうとしたが、スピーカーの奥では、まるで嵐の機関銃のように『カシャカシャカシャカシャ!』と魔導カメラの連写音が未だに激しく響き渡っていた。
どうやら彼女、昨夜破壊されたはずのカメラの「予備」をしっかりと持ち込んでいたらしい。
王族の底知れぬ財力と、記者の執念の前に、宿舎の尊厳は再び崩壊の危機に瀕していた。
昨夜、宿舎の大浴場にあれだけの未曾有の大不祥事を巻き起こしておいて、まだ二十四時間も経たないうちに、この《銀狼の館》に我が物顔で潜入しているという異常事態。
――いや、おそらくだが、あの奔放な王族記者が正面玄関から堂々と入ってきたとは到底思えない。
リネン庫の窓か、あるいは非常用の通気口あたりから、泥棒猫さながらの鮮やかな身のこなしで侵入したに違いないのだ。
スピーカーから響き渡る『カシャカシャ』という連写音に頭を抱え、胃のあたりにズシリとした重みを感じつつも、レンはまたしても神速の現実逃避を試みた。
「……よし、ラバ。俺は何も聞いてないし、何も見てない。今すぐ明かりを消して寝よう」
「この、宿舎が社会的破滅を迎えるかもしれない大ピンチの状況で!? 」
「じゃあお前は、あの脳みそまで筋肉で満たされた変態どもと、スクープの狂気に狂った王族が濃厚に絡み合っている、あの混沌の談話室に自ら進んで突撃したいのかよ。俺は嫌だね」
布団を引き寄せ、『全てを忘れて寝よう』とするレン。だが、ラバックの焦燥感は完全に限界を突破していた。
それが王族という生きた爆弾が現れた恐怖からなのか、それとも、自分が放った『伝書鳩』という名の火種が予想以上の大火事を引き起こした罪悪感ゆえなのか――
ラバックは、今にもベッドに入って完全に目を閉じようとする同室者の腕を、いつもの何倍もの強さでガシッと力任せに掴んだ。
「流石に……! レン、こればっかりはマジで駄目なんだよ! もしローラ様がこの宿舎で大きな騒動を起こしているのを、俺たちが自室にいながら『知っていて無視した』なんて後からバレたら……連帯責任の反省文や窓拭きどころじゃ済まないんだぞ!! 」
「なんだよ……具体的にはどうなるってんだよ。勝手に不法侵入して自爆営業してるのはあっちだろ」
レンの冷淡な言葉の裏には、彼が生まれ育った独裁国家『イルシオン帝国』での過酷な経験が影を落としていた。レンの常識における『王族(特権階級)』とは、問題を起こせば全ての責任を平民の奴隷に押し付け、自分たちの不祥事は権力で綺麗さっぱり無かったことにし、そもそも平民を同じ人間とも思わず関わろうともしない存在。
――少なくとも、麻薬による人体改造や奴隷制が横行するイルシオン帝国では、それが絶対の現実だった。
「いいか、レン、落ち着いて聞いてくれ! 規律違反――この場合、本来なら我々騎士団が最優先で『守るべき対象』であるローラ様を、あんな深夜に我を忘れて暴走している危険な筋肉の近くに放置しておくこと自体がアウトなんだ! 万が一、揉み合いになってローラ様がお怪我でもされたらどうする!? 」
「……いや、落ち着いて聞けば聞くほどおかしくないか? 相手は一応、同じ騎士団の身内だぞ。普通、騎士の周りにいれば一番安全なはずだろ」
「それはロディ団長とか……ミカ様みたいな、理性的で優秀な騎士の場合に限るの!! あいつらは今、私刑の熱に浮かされた暴徒と化してるんだよ! ――話を戻すぞ、とにかく、仮にローラ様のお体に髪の毛一本でも傷がついた場合、真っ先に同じフロアにいて動かなかった俺たちが重い責任問題に問われる! 」
「だから、勝手に宿舎に忍び込んできたのはローラ様の方だろ? なんで被害者の俺たちがそこまで怯えなきゃならないんだよ」
必死の形相で事の重大さを説明するラバックに対し、これ以上トラブルに巻き込まれたくないレンは、執拗に揚げ足取りをして介入を回避しようとする。
根底にあるのは、やはり彼の根深い貴族アレルギー……もとい、特権階級という存在に対する不信感だ。
この聖ラウラント王国の王族に、イルシオン帝国の支配者のような、平民の生死を気分一つで弄ぶ傍若無人さがないことだけは、レンもこれまでの生活で理解してはいたが。
(……いや、こっちの王族も、公務をサボってパジャマパーティーをする女王とか、浪費家で我が儘な妹王女とか、十分すぎるほど自由奔放だけどな。……まぁ、あっちの『血も涙もない化け物(帝王)』に比べれば、遥かに人間味があってまともだけどよ……!)
「とにかくっ!! 今ここで俺たちが介入してローラ様を安全に保護しないと、万が一の事態が起きるんだよ!! 」
「だから、その『万が一』ってのは具体的に何なんだよ。大袈裟に脅すなよ」
「忘れたのかよ、レン!? 以前、シノアたちが国家機密の絡む《試験プロセス》に大遅刻をかました時、フリンズ副団長の前でミカ様が淡々と告げた、あの恐ろしい騎士団の正式な処罰の規定を!! 」
「……!」
ラバックの悲痛な叫びに、レンの思考がピタリと停止した。
『――騎士団長、並びに副団長の権限により、対象を即座に謹慎処置。その後、軍務大臣フォーツルト閣下との決議を行い、同時に規律違反者への徹底的な素行調査を執行……。その監査結果の如何により――《騎士の除名》と処されます』
感情を殺し、教科書を読み上げるように冷徹に響いたミカのあの台詞。
ただの遅刻や夜更かしなら、反省文や口頭注意、主席メイドから課される皿洗いの刑で済む。
だが、『王族の安全性を完全に無視し、危機を認識しながら放置した』となれば、それは明確な『任務放棄』であり、騎士の誓いである唱和五箇条の精神に著しく反する重大な規律違反だ。
軍務大臣フォーツルトを交えた大臣決議、そして偵察部隊の隠密たちによる徹底的な素行調査。
その監査の末に待っているのは――正式な任命よりも遥かに手続きが困難とされる、不名誉極まりない【騎士除名】の引導。
「そういや……あの時、ミカの奴、確かにそんな恐ろしいこと言ってたな……」
「他人事みたいに思い出すな!! ほら、分かったら行くぞ! 俺の騎士生命と、お前の赤点回避の未来があの談話室に懸かってるんだよ!! 」
「わー、分かったから引っ張るな! 自分で動く!! 」
ラバックに背中を押されるようにして、レンは先ほど自らの手で頑強に築き上げた机や椅子のバリケードを、苦い顔でガシャガシャと解体し始めた。
王族新聞記者・ローラ様の宿舎侵入という最悪の油が注がれたことで、キルシェンナイツの悪あがきは、完全に国家レベルの規律問題という名の『新たな大火種』へと変貌を遂げてしまったのだ。
「はぁ……。結局、俺の平穏な勉強時間はこうして奪われるわけか。……いつもいつも、なんで結局こうなるんだよ……っ! 」
重い足取りで自室の扉を開け、カシャカシャとシャッター音が鳴り響く、地獄の談話室へと向かう廊下へ足を踏み出すレン。その隣で、ラバックは神妙な顔をしていた。
―――彼の深層にあるのは正義か炎か。
隣の騎士はまだ気付かない。
◇ ◇ ◇
一方、レンとラバックが絶望のバリケードを解体し、地獄の談話室へと向かおうとしていた、まさにその同時刻。
狂気の燈火が喧しい《銀狼の館》の遥か外――夜の帳が本格的に降り始めた敷地外縁には、小さな二つの影がフラフラとした足取りで接近しつつあった。
「はぁ~……!! 疲れたぁ……!! マジで足が棒のようだわ……。ウチの隊長、普段は眠たそうにしてる癖に、いざ訓練となると厳しすぎるんだよな……」
「まったくだよ……。まさか、いつも通りの射撃訓練のつもりで行ったら、何の前触れもなく『今からこれを進級試験に変更する』なんて言い出すとは思わないよな」
深い溜息を吐きながら歩くのは、聖ラウラント騎士団に入団したばかりの二人の新人騎士であった。
彼らはまだ配属されて日が浅く、広大な王宮内部の地理に酷く疎い。
おまけに今日一日の容赦ない猛訓練で骨の髄まで疲弊しきっており、自身たちが所属する宿舎とは完全に真逆の方角へ歩いていることさえ、あやふやな意識のせいで気づけないでいた。
「しっかしさ……自分より年下の女の子に、一ミリの容赦もなくコテンパンに怒られるってのも、ぶっちゃけ男としてはあんまり良い気はしないよな……」
「まぁな。ロンド様は普段、ふわふわした髪型で物静かな印象だし、何ならいつも眠たそうにしてるのにさ。……いざ仕事(規律)が絡むと、本当に蛇みたいに冷徹に性格が変わるよな。あの日、調理室でヴァラキー姉妹に細剣を突きつけた時の殺気、俺、遠巻きに見てて本気でチビるかと思ったもん」
彼らはまだ気づかない。足元がすっかり暗くなり、周囲の景色が人工的な石畳から、鬱蒼とした緑の木々に囲まれ始めていることに。
普段なら一目で異常と分かる周囲の変貌を見落としているのは、日々の過酷な訓練による疲労のせいか。はたまた、恐るべき若き上官への愚痴に夢中になるあまり、警戒心が完全に霧散しているせいか。
「ロンド様に限らず、この騎士団の『隊長クラス』ってのは本当に化け物揃いというか、常識が通じないというか――……って、あれ? 」
「――ん? どうしたよ、急に足を止めて」
一人の騎士が、ようやく肌を刺す夜気の違和感に気づいて声を漏らした。
見上げる木々の隙間から覗く星空、生い茂る草むら。そのどれもが、自分たちの所属する宿舎の周囲とは明らかに異なっている。
彼らの本来の帰るべき場所は、あの白亜の、整然とした貴族的な佇まいを見せる《アウレウス・ウルスス(金熊の館)》その周囲には、これほど深い森や小高い丘など絶対に存在しないのだ。
(おかしい、話に夢中になって道を一本間違えたか……?)
そう判断し、慌てて引き返そうと踵を返したその時――静まり返った森の奥、木々の隙間に佇む一つの大きな影――《銀狼の館》の方向から、夜風に乗って凄まじい大音量の『声』がダイレクトに鼓膜へと突き刺さってきた。
『ローラ様ぁぁああ!! その、よりにもよって僕たちのこんな破廉恥な姿が写った写真を、明日の王族新聞に載せるのだけはどうかーーーッ!!! 』
『嫌です!! これこそ試験期間中の澱みを吹き飛ばす、至高の超特大スクープ!! 規律の番人たるミカ様が今夜不在であることは、事前に完璧に調査済み!! 情報提供者が私にくれたこの千載一遇のチャンス、絶対に見逃しませんわ!! はい、連写!! 』
『ふざけるなよぉぉぉおおんんん!! 身内ノリで検問ごっこや裁判ごっこをしてただけなのに!!それを外部に流出させるのは絶対に駄目だろぉぉおッ~ん!!! 』
「「………………」」
二人の新兵の動きが、完全にピタリと止まった。
夜の静寂を切り裂いて響いてきたのは、この世の終わりを告げるかのような漢たちの阿鼻叫喚と、高貴な少女の勝ち誇った声。
絶対に聞いてはいけない、そして関わってはいけない次元の会話であった。
よく見れば、鬱蒼とした木々の遥か先、暗闇の中にうっすらと《銀狼の館》の窓明かりが不気味に灯っているのが見える。
その建物からこれほど離れた森の入り口まで一言一句が鮮明に聞こえるということは、中の一同が文字通り死に物狂いの大声を出しているか、あるいは、何か声を拡張する特殊な魔道具でも使っている証拠だった。
「……なぁ」
「……うん。聞こえた。間違いなく聞こえたよな」
引き攣った顔で見つめ合う二人の脳裏に、入団初日、親切な先輩の騎士から真剣な顔で諭された、とある強烈な『忠告(警告)』が鮮烈に呼び起こされていた。
『いいか新兵。これだけは魂に刻んでおけ。あの《銀狼の館》は、事実上の狂騎士たちの巣窟だ。昼間はともかく、彼らの理性を辛うじて繋ぎ止めているミカ隊長やクリス先輩がいない“夜”は……何があっても絶対に近づくなよ。命が惜しければな……!』
「帰ろう……!! 今すぐ、全力で、金熊の館に帰ろう!! 」
「あぁ……!! あんな、何が起きてるかも分からない変態の魔窟に関わるくらいなら、俺は隊長に一日中罵倒されながら射撃訓練をさせられてる方が、百倍マシだぁあ!! 」
恐怖が限界を突破した二人は、叫ぶや否や、踵を返して脱兎の如く走り出した。
その脚力と速度は、今日の厳しい訓練のどの瞬間よりも遥かに早く、力強い。
ただ一刻も早く、あの恐るべきバーサーカーたちの領域から離れたいという一心のみが、彼らの足を爆発的に突き動かしていた。
――故に
全速力で草むらを掻き分け、逃げ惑う彼らの足先が、地面に転がっていた『何か』を強く蹴飛ばした、その微かな異音に気づける余裕など、当然ながらあるはずもなかった。
―――カラン、カラン……。
夜の静寂の中に、どこか間の抜けた、しかし冷徹な金属質を帯びた【空の瓶】が転がる音が、短く虚しく響き渡る。
中身が綺麗に消費され、完全に『空』になったその硝子の器は、主の目的が既に果たされたことを無言で示しているかのようだった。
やがて、雲が夜空の主役を覆い隠し、煌々と輝いていた月が完全に隠される。
規律の番人も、導きの朔風も、頼もしい隣人も、今は誰もこの宿舎の異変に気づいてはいない。
守るべき月を失った深い闇の底で、真の悪意はさらに深く、深く、静かに広がっていく――。
◇ ◇ ◇
二階の自室から階段を駆け下り、地獄の震源地である一階の談話室へと近づいていく度に、レンの心は激しい焦燥感と「頼むからこれ以上俺を巻き込まないでくれ」という切実な願いで塗り潰されていき、その足取りは泥のように重くなっていった。
普段の《銀狼の館》であれば、この時間帯に足音を立てて走ろうものなら、生真面目なミカや、規律に人一倍厳しい先輩騎士たちから「こら! 廊手を走ってはいけません!」と鋭い怒声が飛んでくるのが毎晩の決まり事だった。
しかし、今夜に限ってはその行為を咎める者は誰一人としていない。誰もが我が身の安全を守るのに必死なのだ。
――かくしてレンとラバックの二人は、最悪の騒音を撒き散らす談話室の重厚な扉の前へと辿り着いてしまった。
「―――着いちまったな」
目の前の扉を睨みつけ、まるで処刑台を前にしたかのような声を漏らすレン。
「言ってる場合!? ほら、早く開けよう!! 」
ラバックが焦れったそうにレンの背中を小突く。
既に扉の向こうからは、防音用の厚い木材を容易く突き破って、信じられないほど呑気なやり取りが漏れ聞こえていた。
『せめて美形に加工して!! 』という、明日の朝刊に己の不祥事が載ることを完全に悟った裁判官(笑)の、涙ながらの悲痛な加工打診。
それに対する王族新聞記者の返答は、スクープが確定してテンションが最高潮に達しているせいか、あろうことかミュージカル風の歌声だった。
これ以上の放置は宿舎全体の社会的死を意味すると察し、ラバックは少しの躊躇もせず、談話室の大きな扉を両手で力任せに押し開けた。
ギィィ、と硬い音を立てて開かれた部屋の中は、まさに混沌の一言だった。
ちなみに、ほんの先ほどまで談話室の前の廊下にずらりと無様に整列させられていたはずのリア充(被告人たち)の姿は、影も形もない。
彼らはローラが魔道カメラを引っ提げて突入してきた瞬間に全員が散蜘蛛の子を散らすようにその場を離れ、それぞれ自室へと逃げ帰ったのだろう。
今頃、先ほどのレンたちのように部屋の扉の裏に机や椅子を積み上げ、必死のバリケードでも作って立て籠りを決め込んでいるに違いない。
「―――せめてイケメンにして!! キラキラとか!! 」
なおも往生際悪く、カメラを構えるローラに縋り付こうとする裁判官。
「駄目よッ!!! それはいけないわ! !どうして~? それだと見世物感が無くなるからよ~♪ 人は下の人間を見て安心する生き物なのです~♪ 」
ローラは、まるで夜会の主役にでもなったかのように、ドレスの裾を翻すような流石のステップで床の上をくるくる周りながら即興の歌を紡いでいく。
公爵令嬢として幼少期から舞踏会で徹底的に鍛え上げられたその見事なダンスの才能は、間違いなく伊達ではなかった。
……よりにもよって男子宿舎の談話室という最悪の舞台で、そんな華麗な身のこなしなど誰も見たくはなかった。
「酷ぇ認識」
ローラの吐き捨てたあまりにも容赦のない人間観に、レンは思わず本音でドン引きの声を漏らす。
「それよりミュージカル風なのは誰もつっこまないの!? 」
ラバックもまた、あまりにも場違いな歌とステップを踏み続ける公女に対して、頭を抱えながら叫ばずにはいられなかった。
だが、部屋の中にいる筋肉質の漢たちは、己の尊厳を守るための加工交渉に必死で、記者の奇行にツッコミを入れる余裕すらなさそうだった。
「せめて目だけでも大きくして!! 」
「女子ですか」
なりふり構わず『せめて目だけでも大きく』と懇願する裁判官(笑)に対し、ローラはそれまでの軽快なステップをぴたりと止め、一瞬にして素の冷ややかなトーンに戻って呆れたような呟きを漏らした。
その急激な温度差に、部屋の空気が一瞬だけ凍りつく。
「あの……ローラ様……それくらいで……」
ラバックが恐る恐るといった様子で、これ以上の撮影と騒ぎを収めてもらうべく、おずおずと問いかけの声をかけた。
その声に反応し、ローラは手に持った大きな魔道カメラを抱えたまま、ゆっくりと彼らの方へと振り返った。
「あら、ラバックさんにレンさん! 」
「あら、じゃねぇです」
「なんで《銀狼の館》に居るんですか!? 昨日の今日ですよね!? あれだけ昨日ミカ様に怒られたでしょ!? 」
ラバックの口から、半ば悲鳴に近い当然の抗議が飛び出す。
大浴場の一件であれだけ偵察部隊長を激怒させ、王宮を揺るがす大騒ぎを起こしたというのに、二十四時間も経たないうちに同じ場所に不法侵入しているその神経が理解できなかった。
すると、ローラはほんの少しだけ視線を泳がせ、記憶に新しい昨夜の出来事を語り始めた。
「いやーー……あれは本当に怖かったです。あの夜送って貰った我が家でも、両親の前で男子宿舎の大浴場に潜入し、挙げ句に他人の私物をシルクパンティ含むリネン庫に隠したことをカミングアウトされました」
「当たり前だろ。王族が恥ずかしい」
腕を組み、冷ややかな視線を向けながら至極真っ当な正論を突きつけるレン。
王族としての品位や恥じらいはどこへ行ったのだと言わんばかりの冷淡なツッコミだったが、ローラは一瞬だけ『痛いところを突かれた』と言いたげにバツの悪そうな顔をした。
しかし、そこは流石の鋼のメンタルを持つ王族記者、すぐに気を取り直したようにいつもの自信に満ちた高らかな声を取り戻す。
「……私の両親は比較的自由にさせると言いますか……あまり口を挟んで来ないのですが、あのファーレンガルドの嫡子からの言葉だったからか……『もっと場所を選びなさい』と言われてしまいました……」
「いや……ミカ様の家柄の問題じゃないかと……。あと場所を選べばっていいことでもありませんから!! 」
両親のそのズレた教育方針と、場所さえ選べば男子宿舎の風呂覗きや私物隠匿をやっていいという風に解釈しているローラに対し、ラバックは眩暈を覚えながら頭をブンブンと激しく振って否定した。
それでも、当の本人はそんなラバックの必死の抗議などどこ吹く風で、手元にある重厚な魔道カメラを愛おしそうに抱え直すと、フン! と誇らしげに鼻を鳴らした。
そう、恐るべきことにこの公女、自分自身の仕でかした数々の不敬や奇行に対して、これっぽっちも反省していないのである。
「それで、今回も懲りずにやって来たのか? ご丁寧に予備のカメラまで用意しやがって」
レンがローラの首から下げられた複数のストラップや、腰のポーチからのぞく機械のレンズを睨みつけながら呆れたように呟く。
「ふふん! 記者たるもの、予備のカメラの二つや三つ! 四つや五つ! 用意しておくのは当然ですよ!! 」
「いや……多すぎ……」
レンは思わずその異常な物量に声を失った。
ローラが手にしている魔道カメラ、そして周囲に備え付けている予備の機材は、どれも昨夜の大浴場潜入時と同様に、暗所でも鮮明な画が撮れる最新鋭の超高性能品ばかりだ。
そもそも魔道カメラという精密機器自体が極めて高額な代物であり、どれほど質を落とした安価なものであっても、市場では一つ最低「五十万ゴルド」は下らない。
そんな一財産に匹敵する高級カメラを何台も平然と使い潰すように持ち歩いているその光景は、やはり彼女がこの国のトップに君臨する由緒正しき公爵家の令嬢だからに他ならなかった。
浪費家であるラウラント王家の血筋をしっかり引いているのである。
「忘れそうになるけど王族だからな。金持ちなんだよ」
「なんだかとても失礼な声が聞こえました!! 」
レンがボソリと漏らした、身も蓋もない現実的な指摘に、ローラは言葉の上では「失礼な!」と怒ってみせるような口調をする。
尚もその瞳の奥は手元に収めた『銀狼の館、身内ノリの検問、裁判ごっこ!! キルシェンナイツ結成の瞬間(笑)』という、王宮内を揺るがすであろう至高のスクープへの興奮でギラギラと輝いており、レンの言葉などこれっぽっちも気にしていない様子で、次の獲物を探すように談話室の中を見渡していた。
「そう言うことですので、明日の朝刊を楽しみにしていてください! 」
勝ち誇ったようにカメラを抱え直し、満面の笑みで告げるローラの言葉に、談話室の空気は一瞬にしてお通夜のような絶望へと叩き落とされた。
「明け方、過酷な偵察任務から帰ったミカ様たちが、もしこの新聞に書かれたスクープを見たら……確実に卒倒するんじゃ……」
「いや……もしかしたら卒倒するだけで済めば御の字で、我慢の限界を迎えて『処理処分です』とか、あの無表情のまま余裕で言ってきそうだな……」
最早、新聞が出回るという最悪の未来が確定し、相手が王族(公爵令嬢)である以上、手荒な真似をして実力で行使・阻止することも出来ないと踏んだのだろう。
あれだけ鼻息を荒くしていた非リア充集団たるキルシェンナイツたちも、今や完全に戦意を喪失し、虚ろな目で明日の朝に提出すべき反省文の言い訳を考え始めていた。
そんな中、レンだけは冷ややかな視線を崩さず、腕を組んで一つの疑問を口にする。
「そもそも、なんであんたはこういう騒動のタイミングで毎回絶妙にここにいるんだよ。昨日だってそうだろ」
「それはですねぇ……私には、いつも最高のタイミングで特ダネの情報を提供して下さる《R・A》という、謎の御方の協力があり――」
「そんな事より! ローラ様、危ないですから今すぐヴイッツ家のお屋敷までお送りします!! 」
ローラの口から出かかったそのイニシャルに、隣にいたラバックが、まるで尻に火がついたかのような大声を張り上げて会話を遮った。
その顔は見る見るうちに真っ青になり、冷や汗が文字通り滝のように流れている。
「おい、ラバ……お前、何をそんなに慌ててんだ。明かにお前がその――」
レンが、明らかに様子のおかしい同室者の胸ぐらを掴んで追及しようとした、まさにその刹那だった。
―――ガッシャーン!!!!!
鼓膜を激しく震わせる、窓硝子が派手に割れる轟音が宿舎一階に響き渡った。
それは一枚や二枚といった生易しいレベルではない。談話室に隣接する廊下や、外周に面した複数の窓ガラスが、まるで同時に爆破されたかのように一斉に粉砕されたのだ。
「―――!? 何が―――」
凍りつく空間。だが、日頃の過酷な訓練の賜物か、あるいは戦場で培われた生存本能がそうさせるのか、レンとラバックは思考より先に即座に動いた。
カチャリと鋭い金属音を響かせ、腰の愛剣を瞬時に抜き放つ。
同時に、ラバックは自身の背後にローラを隠すようにして、その華奢な身体を庇った。
「ローラ様、俺から離れないでください!! 」
「一体何事なんですか!? 」
この《銀狼の館》において、不祥事や悪ふざけ等の爆発事故などで窓硝子が割れること自体はそこまで珍しいことではない。
しかし、それはいつも一箇所か二箇所程度であり、ここまで『建物全体の硝子が一気に割れる』などということは、明らかな異常事態――すなわち、外敵による襲撃を意味していた。
「報告!! 宿舎内部に魔獣を複数体確認!! 硝子を突き破って侵入したのもそれらの魔獣だと思われ――」
異変を察知して談話室に飛び込んできた一人の騎士が、悲痛な叫びで現状を報告する。だが、その言葉が最後まで紡がれるよりも早く。
報告に現れた騎士のすぐ傍らを、凄まじい速度の「小さな黒い影」が文字通り風のように駆け抜けた。
「―――!? 」
レンが辛うじてその異常な速度の動体に気付き、侵入者を迎撃せんと愛剣を振るう、それよりもさらに早く。
「なん―――!? ガッ―――! 」
空間を裂いた小さな短剣の切っ先が、標的とした一人の騎士の背中――心臓付近を容赦なく貫いていた。
ドサリ、と重い衝撃。だが、貫かれた騎士――ラバックは、その瞬間に鍛え抜かれた《ノキア流》の超反応速度で、致命傷となるはずだった心臓への直撃を肉体ごと強引に反らしていた。
それが出来たのは、彼の確かな技術とこれまでの経験、そして、何物にも代えがたい土壇場での強運以外の何物でもなかった。
「ラバ!!! 」
「ラバックさん!!? 」
ゴホッ、と口から鮮血を吐き出しながらも、ラバックは執念で床に両足を止め、決して倒れなかった。
それどころか、背後で恐怖に目を見開くローラを死守するように、さらに足を踏ん張って剣を構え直す。
――その一撃は、本来なら、ラバックではなく背後の王族であるローラへと振るわれていた『死』そのものだった。
暗殺を狙い、影から放たれた必殺の凶刃。
それを肉体で受け止められ、目論んだ結果とは違う事態になったことに、小さな黒い影はチッと不快そうに小さく舌打ちをした。
纏っているのは、夜の闇に同化するような、ボロボロに擦り切れた黒いローブ。
フードの隙間からのぞく髪は、戦闘時に一切の邪魔にならないよう短く切り揃えられた短髪。
そして、その髪の色は――レンと全く同じ、色素の抜け落ちた不気味なほどの「白」。
さらに、衣服の隙間からこちらを射抜くように見つめるその瞳は、まるで新鮮な血を流し込んだかのように禍々しく紅かった。
それは、レン自身が持つ最大の特徴と完全に一致する、呪われた肉体の証。
いや、その特徴を持つ少女の姿が露わになった瞬間――
レンの脳内に、かつて故郷である独裁国家『イルシオン帝国』で、過酷な改造と奴隷傭兵としての地獄を共に這い回っていた記憶が鮮烈にフラッシュバックし、まるで頭を鈍器で強打されたかのような激しい衝撃に陥った。
「―――……クネウス……? 」
掠れた声で、レンがその名を呼ぶ。
イルシオン帝国が過剰投入する麻薬によって肉体を縛られ、国への絶対的な『楔』として生きることを強制された、かつての同業者。帝国を裏切り、ロディ団長に拾われて王国騎士となったレンを「裏切り者」として追う、過去からの刺客。
少女――クネウスは、一切の感情を削ぎ落とした無表情のまま、ゆっくりとレンの方へ冷酷な視線を向けた。
規律の番人なき《銀狼の館》は、今夜、完全なる無法地帯と化す。
――大過には、血の制裁を。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
こんな戯れ言に付き合っていただき、大変恐縮です。
これからも彼らの活躍を見守っていただけたら嬉しいです!
あなたにも風の導きが有らんことを
にしみん




