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星刻の約定 ——Fragments of Laurant―  作者: にしみん
安寧のパストラーレ(夢見の断章)
25/43

寸進と大過 前編

この作品を手に取っていただき、ありがとうございます✨


今回のお話はパロディ要素強めです。閲覧の際はご注意ください。


 後世の騎士団史に——主に反面教師として——末長く語り継がれることになるであろう『宿舎下着大量失踪事件』から、悪夢のような一夜が明けた翌朝。


 前代未聞の「手作り紙コップと黒ゴミ袋で深夜の宿舎を行進する」という究極の奇行を晒した紙コップ小隊の面々は、そのあまりの精神的衝撃から揃って酷い悪夢にうなされ、まともに眠ることができなかった。

 レンたちは未だに重く、ズキズキと拒絶反応を訴える頭を無理やり無視し、どうにか身支度を済ませて騎士団の朝礼が行われる広場へと向かっていた。


「俺……ダメだ、ゴミ袋のカサカサって音が幻聴で耳の奥から離れねぇ……夢にまで出てきた……」


「頼むからそれ以上口にしないでくれ、レン……。今思い出すだけでも、胃の底から酸っぱいものが込み上げてくるんだ。思い出したくない、絶対に……」


 王宮の絢爛豪華な廊下をまるで敗戦兵のように肩を落とし、疲れきった様子でトボトボと歩く。

 周囲では、忙しなく朝食の準備や清掃に追われる使用人やメイド、執事たちがせわしなく行き交っていたが、幸いなことに彼らは昨夜の男たちの恥態を誰も知らないらしい。

 いつも通りの丁寧な一礼を返されるたびに、レンとラバックは「バレていない」という事実に深く、ホッと安堵の息を吐いた。

 だがその安堵も束の間。

 少し遠くの曲がり角から、そんな彼らのどんよりとした空気を吹き飛ばすような、ハキハキと元気の良い挨拶が響いてきた。


「おはようございます! レン先輩! ラバ先輩! 」

「あぁ……エルン……おはよ……」

「おはよう、エルン……」


 あまりにも目に見えてげんなりと擦り切れ、生気を失っている先輩二人の姿を間近で見たエルンは、分かりやすく困惑の表情を浮かべて首を傾げた。

 規律に厳しい彼女からすれば、朝礼前からここまで規律の欠片もなく疲れ果てている先輩たちの姿は、奇妙以外の何物でもなかった。


「あれ? どうしたんですか、先輩方? まるで世界の終わりでも見てきたかのような顔をされてますよ。昨日、夜遅くまで試験勉強でもされていたんですか? 」

「いや……ちょっとね……。色々と、本当に色々と大人の戦いがあったんだよ……」


 ラバックが引きつった苦笑いを浮かべて目を逸らしながら、誤魔化すように再び歩きだした。

 釣られるようにして、レンとエルンがその後ろに続く。

 まさか『深夜に下着を盗まれて、紙コップと手動のりで作った前隠しとゴミ袋の防具だけで宿舎内を変態行動していた』などという、人道から外れた不祥事を年下の生真面目な少女に言える訳もなく……。


 レンが必死に話題を変えようと言葉を探した、まさにその瞬間。

 前方の廊下を並んで歩いていた、他の宿舎の寮長たちである二人の年長の騎士の会話が、レンとラバックの背中にドッと冷や汗をかかせることになる。


「――聞きましたか……? 昨夜、またあの《銀狼のアルゲントゥム・ルプス》で不穏な問題行動があったとか……」


「みたいですねぇ……本当に、ファーレンガルド殿もお可哀想に……。あの宿舎の騎士たちは、どうしていつもあのように突拍子もない問題行動ばかりを起こしますかねぇ……」


「「(……ッ!!!)」」


「先輩? いきなり立ち止まってどうしたんですか? 」 


 背後でエルンが不思議そうに声をかけるが、レンとラバックは完全に硬直していた。

 話しているのは、宿舎の寮長を任されている《アウレウス・ウルスス(金熊の館)》と《ニゲル・コブラ(黒蛇の館)》の寮長だ。

 どうやら事の具体的な顛末(紙コップやシルクロード王国)こそ知られていないものの、《銀狼の館》で昨夜またしても何か特大のトラブルがあった、ということだけは、すでに風の噂で他の宿舎のトップにまで筒抜けになっているらしかった。


「《銀狼の館》といえば、先月は確か……執事見習いの者が夜中に突然、廊下の窓硝子を派手に叩き割りながら『執事なんてやってられるか!!! オレはシー・ディフェンス・フリート(海上防衛艦隊)の海の男になるんだ!!! 』と叫んだ挙げ句、近くの厩舎から盗み出した(?)馬で夜の王都へと走り出したらしいですよ……」


「あぁ、思い出すだけで頭が痛い……。最終的には、ファーレンガルド殿が自ら深夜の王都を駆けて捕らえられたとか……。さらに先々月は、夜間の遠征任務から帰還された際、一部の者が深夜の庭園で奇怪なダンスを踊りながら、何やら奇妙な呪術的儀式を行っていたとか……」


「……いやはや。私はあそこの《銀狼の館》の寮長でなくて、本当に良かったと切実に思いますよ……あの問題児どもの相手をさせられるファーレンガルド殿の心労は、察するに余りありますな……」


「えぇ……本当に同感ですな……。私なら三日で胃に穴が空きますよ……」


 前方から聞こえてくる、もはや「奇行」という可愛い言葉では済まされないレベルの、過去の歴代の不祥事

※なお、すべてミカが秘密裏に処理して報告書を書かされたもの


 昨夜の自分たちの紙コップ行軍もまた、それらの暗黒史の新たな一ページとして「また銀狼の館か」と十把一絡げに処理されているのだ。

 同じ宿舎に住む者として、そして昨夜の騒動の現行犯として、レンとラバックは猛烈な恥ずかしさと呆れ、そして何より、あの完璧な正論で自分たちを救ってくれた寮長・ミカに対する果てしない申し訳なさで、背中が自然と縮こまり、小さくなっていった。


 そんな二人の「明らかに後ろめたい挙動」を、規律の審判者たるエルンの鋭い眼光が見逃すはずはなかった。

 エルンはジト目というよりは、もはや哀れみと冷ややかが半々に混ざったような視線を先輩二人の後頭部へと突き刺し、低く、確信を込めて呟いた。


「……先輩方。今度は一体、何をやらかしたんですか? 正直に言ってください。フェリス流の規律にかけて、隠し事は通しませんよ」

「ち、違うんだエルン……! 今回ばかりは、俺たちは100%……いや、200%純粋な被害者なんだよ……!! 」


 ラバックが、冷や汗をダラダラと流しながらなんとか捻り出したその悲痛な弁解の声は、朝の光が差し込む王宮内の広い廊下へと、虚しく、そして弱々しく溶けて消えていった……。


 ◇ ◇ ◇


 エルンから、じっとりと濡れたような鋭いジト目を浴びせられながら、レンたちはどうにか騎士団の朝礼が行われる広場へと到着した。

 広場は、相変わらず試験勉強の重圧に押し潰されそうになっている騎士たちで溢れかえっている。

 虚ろな目でぶつぶつと化学反応の専門単語を呪文のように唱える者や、天を仰ぎながら神聖語の一節を必死に暗唱する者たちが、まるで怪しい宗教の集会のようにひしめき合っていた。


 やがて定刻となり、厳粛な空気の中で朝礼が始まった。いつも通り各部隊からの定期報告が淡々と行われていく。

 その最中、壇上に立つ騎士団長ロディ・グランベルクの鋭い眼光がレンたち――正確には昨夜、紙コップとゴミ袋で宿舎を練り歩いた『紙コップ小隊』の面々を明確に捉えた。


 その瞳は、雄弁に『お前ら、またやりやがったな』と物語っている。

 ただそれだけの無言の圧力に、紙コップ小隊の面々は一斉にビクゥッ! と震え上がり、まるで体に電流が走ったかのように背筋をピン! と限界まで伸ばして直立不動の姿勢を取った。


「――各部隊からの報告は以上か? ……では、唱和に移る前に、一つお前たちに言っておかねばならんことがある」


「(……!!やっぱりまた怒られるんじゃねぇのか? でも待てよ、今回に限っては俺らは100%純粋な被害者だぞ……)」


「(レン、頼むから心の中で団長に反論しないでよ……でも、あの団長だしな……せめて、全騎士の前であの『紙コップとシルクパンティの全貌』を大開帳するのだけは、三女神に誓って止めてほしい……死んでしまう……)」


 レンが内心で『俺たちは被害者だ』と鼻を鳴らし、ラバックが精神的社会死を恐れて必死に祈りを捧げる中、ロディ団長がそのぶ厚い胸板を震わせて口にしたのは、彼らの予想とは全く異なる、けれど全騎士に向けられた特大の雷だった。


「試験期間が始まってからというもの……! お前たちは……! 真面目に机に向かって勉強しているかと思いきや……大図書館の静寂の中で、訳の分からん奇声を突然上げ!! 自習室では『勉強している振り』をして歴史書や参考書を開いたまま堂々と昼寝を貪り!! 挙げ句の果てには……試験勉強を理由に、任務の報告書をわずか『三行』で提出する始末!! 一体!! お前たちは!! どれだけ問題行動を起こせば気が済むんだぁぁぁぁ!!!! 」


 最初は、試験問題の制作と山積する公務の疲れからか、幾分か声を抑え目にしていたロディ団長だった。

 日頃から積み重なる彼らの度重なる問題行動と不祥事を思い返すうちに、脳の血管が千切れんばかりの怒りが完全に抑えきれなくなってしまったようだった。

 広場に、男の咆哮が凄まじい音圧で響き渡る。


「わぁ……激おこ。団長、朝から元気だね……」


 偵察部隊の先頭で、退屈そうに小さな欠伸を噛み殺していた副隊長のシルフィーネ・エレネストは、完全に他人事のような、どこか冷めた声色でポツリと呟いた。


「シルフィ、お前は昨日……あの宿舎の廊下に現れた『おぞましい紙コップの光景』を直接見てねぇから、そんな呑気なことが言えるんだよ……」

「紙コップ?」

「蒸し返さないでください」

「ごめん」


 ミカの隣で顳顬を指で押さえ、頭痛に耐えるような顔をしていたクリスが、恨めしげな視線をシルフィに向ける。

 彼女はクリスの言葉に大して興味を示す風でもなく、それよりも「この怒りっぷりだと、今日の鍛錬メニューがどんな酷いものに変わるのかな」ということだけを気にしている様子だった。


「………まったく。試験期間くらいは、大人しく机に向かっていられないのでしょうか。毎度毎度、騒ぎばかり起こして……」


「絶対無理。だってあいつら、脳みそまで筋肉でできてるし」


「(ねぇねぇ、お姉ちゃん……昨夜、一体何があったのかな? 《銀狼の館》の先輩たちの怯え方が尋常じゃないんだけど……)」


「(しっ! シノア、余計な詮索をして関わっちゃダメよ。ヴァラキー姉妹の鉄則、触らぬ変態に祟りなし、よ)」


 後方の列では、昨夜の全貌を何も知らないヴァラキー姉妹が、声を極限まで潜めてひそひそと会話を交わしていた。

 野次馬根性から興味津々といった様子の妹シノアを、比較的冷静な姉のシノンが鋭い視線で咎め、その袖をぐいと引っ張る。


 ――静まり返る広場。


 全騎士に規律を説きたいというミカの切実な願いも虚空に消え去ったところで、団長の傍らで嵐が過ぎ去るのを待つかのように静かに目を閉じていた副騎士団長、フリンズが小さくコホンと咳払いをした。

 そして、怒り狂う騎士団長の肩を軽く叩いて諌める。


「――団長、そろそろ時間です。唱和の時間が遅れます」

「――はぁ……はぁ……。チッ、……そういう事なので、今回の数々の不祥事はすべて連帯責任とする!! 」

「あーあ、やっぱりそうなるよなぁ……」


 レンが肩を落としてそう溢しながら、一体今回はペナルティとして「外周何周」を言い渡されるのだろうと内心で計算を始めていた。

 そんな彼のそんな甘い予想を遥かに凌駕する、あまりにも過酷で奇妙な命令が、ロディ団長の口から下されることになる。


「本日は全員!! 一日のすべての鍛錬、および公務が終わるまで――完全なる『私語禁止』だ!!! 喋るな!! 」

「なっ……(ばっ!! )」


 まさかの「私語禁止令」という変化球のペナルティ。

 驚きのあまり、思わず声を出しそうになった数名の騎士たちが、慌てて自分の口を両手でガッと覆い隠した。


「よって、声を出す本日の唱和五箇条は免除する。――その代わり、外周は追加で三十周だ。本日分と合わせて、全部で六十周走れ!! 散開!! 」


 団長の声が広場に響き渡った、まさにその瞬間だった。

 とある部隊――ミカやクリス、シルフィが率いる『偵察部隊』の面々が、一切の無駄口を叩くことなく、まるで示し合わせたかのように機械的な動作で一斉に外周へと走り出したのだ。

 あまりの初動の速さに、ギョッとして目を丸くする一般騎士たち。

 彼らは今しがた「声を出すこと」を厳重に禁じられている為、その疑問を口にすることすらできない。


(待て、あいつら偵察部隊のベテラン連中普段から全員が『読心術』を完全に習得してるから、私語禁止なんてデメリット一ミリもなくねぇか……!? )


 一般騎士たちのそんな、理不尽に対する怒りと驚愕の心の叫びもまた、誰の耳に届くこともなく、静寂の広場に虚しく消え去るしかなかったのである。


◇ ◇ ◇ 


 地獄の「外周六十周」という過酷な拷問をなんとか完走したレンたち第六小隊の面々は、フラフラになりながらも騎士団専用食堂の重厚な扉を開くことに成功した。

 ―――しかし扉の向こう側に広がっていたのは、レンがこの狂人の巣窟である騎士団に入団して以来、一度たりとも見たことがない異様な光景だった。


 誰も、一言も私語をしていないのである!!!!!


 かつてないほどに和やかで、かつ凍りつくように静かな朝食風景。困惑に支配されたレンが、隣を歩くラバックを見遣った。

 彼もまた目の前の異常事態を脳が処理しきれないのか、琥珀色の瞳を極限まで見開いて硬直している。

 「私語禁止」の制約がある以上、声に出して状況を共有することも叶わない。


 二人は戦場のような緊張感を保ちながらいつも通りトレイを持ち、無言の列に加わった。

 そんな異常な静寂を前に、朝食を配膳している食堂のおばちゃんたちも、普段の荒くれ者たちの豹変ぶりにたまらず声をかけてきた。


「アンタたち……今朝はどうしたんだい? いつもなら飢えた野良犬みたいな形相で列に並んでいるのに」


「そうよ、そうよ……。おかわりの時だって、いつもなら『どけっ!! それは俺の肉だぞ!!』とか『俺はまだ三回目なんだ!! 譲れよ!!』って、戦場みたいに騒いでるじゃないの」


 酷い言われようだった。飢えた野良犬、あるいは野獣。もし「私語禁止」が発令されていなければ、レンは即座にその汚名を返上するために文句を垂れていたはずだ。

 背後のラバックが『俺たちがそんなこと思われてたのか!?』と言いたげな表情で食堂のおばちゃんを凝視している。

 レンは無言で大きく首を振ることで、今の俺たちに言い訳をする権利はないのだと彼を制した。

 おばちゃんたちは未だに頭の上にいくつもの「?」を浮かべていたが、喋ることが禁じられている以上、説明もできず、二人は無言で朝食を受け取った。


 一方、食堂の入り口から程近い特等席では、いち早く到着した偵察部隊が優雅に朝食を摂っていた。

 彼らにとって「私語禁止」など、大した障害にはなり得ない。


「―――(そういう訳ですので、本日は急遽シャードル湖周辺の偵察を行います。明け方までかかる過酷な任務になる予定なので、そのつもりで準備をしてください)」

「―――(了解しました。指示通りに)」


 偵察部隊隊長・ミカの口からは、一音たりとも発せられることはない。

 その正確な口の動きだけで今日の予定と指示が部下に伝わり、部下たちもまた、同様の口の動きと視線だけで完璧に返答をこなしていた。

 常人には決して理解できない、静かなる交信である。


 その時、全身でヒィヒィと喘ぎながら、ヴァラキー姉妹が食堂へと転がり込んできた。

 彼女たちにとって、外周六十周という過酷な鍛錬は、散歩感覚でこなせるような生易しいものではないのだ。


「……なっ―――」

「―――!!!」


 シノアが思わず「何これ」と口に出しかけた瞬間、姉のシノンが間髪入れず、ばっ!! と妹の口を塞ぐことで、規則違反の叫び声を阻止した。


「(でもお姉ちゃん! これじゃあ今日の予定を聞けないじゃない! 私、読心術なんてハイレベルな技術は習得してないわよ!)」


「(それはそうだけど……! でも今はダメ! ダメよシノア、団長の怒りを買ったら本当に殺されるわ!)」


 ワタワタと忙しなく動くヴァラキー姉妹に、食堂の騎士たちから一斉にジト目の視線が突き刺さる。

 そんな光景を前にクリスは珍しく何の反応も示さず、ただ黙々とフォークを動かしていた。そしてシルフィは、いつも通りの「我関せず」の姿勢を貫き、淡々と紅茶をすすっている。

 まるで道端の石ころを放り投げるような手つきで、角砂糖を紅茶の中に連続投入しながら。


「………」


 ミカは騒がしいシノアの様子に溜息を一つ吐くと、懐から一枚の羊皮紙とペンを取り出し、サラサラと本日の予定を書き殴った。それをシノアに手渡す。

 ミカからの手紙をキラキラした瞳で受け取るシノア。そんな彼女の姿を見届けた後、ミカはシルフィの紅茶のそばに置かれた角砂糖の瓶を取り上げた。


 重要な栄養分——ただし過剰な糖分に限る、である角砂糖を奪われたシルフィは、一瞬だけ恨めしそうにミカを上目遣いで見たが、ミカが瓶を返す気配がないと悟るや否や、回収は不可能と判断したのか――あるいは、最初からそこまで執着がなかったのか――すぐに視線を紅茶に戻し、そのまま淡々と飲み始めた。

 沈黙の食堂で、また一つ、ミカという男の「無自覚な優しさ」が、報われぬ少女の心を複雑に揺らしていた。


 ◇ ◇ ◇


 世にも珍しい、静寂に満ちた朝食が終了した後。

 レンたち第六小隊の面々は、重い足取りで王都郊外に広がる《アルミラ平原》へと赴いていた。


 ここアルミラ平原は、凶暴な魔獣が生息していることで知られる危険地帯である。

 今回は、チート技能集団たる偵察部隊が事前に行った完璧な偵察結果から、魔獣の巣の正確な位置を特定しており、それに基づく巣の討伐が彼らの任務であった。

 本来であれば言葉を交わして密に連携を取り、慎重に間合いを図りながら討伐すべき任務である。

 しかし不運なことに、王宮を出た今も「私語禁止令」の絶対的な効力は続いている。

 たとえ団長の目が届かない広大な平原の真ん中であろうとも――騎士たるもの、下された命令は死守しなければならないのだった。


「………」

「―――?(え……指示は? どう動けばいいんですか? という顔)」

「―――!!(隊長! 私たちは一体どうすれば!? という顔)」


 偵察部隊からもたらされた、巣の座標や魔獣の特性が記録されている資料の束を握りしめながら、第六小隊の隊長を務める男は、完全に彫刻のように黙りこくっていた。

 彼が読心術を使えないのも事実であったが、仮に彼に使えたとしても、新人や騎士歴の浅い人間ばかりで構成された第六小隊には、他人の思考を読み取れる人間など一人もいなかったのだ

(※傭兵時代の経験から「カタコトの言語」レベルでなら少しだけ察せられる男が一人混ざってはいたが、流作戦立案ができるほどではないので沈黙を守っていた)


 いつまで経っても具体的な作戦が発表されず、隊員たちの間で『どうするんだよ』『俺に聞くなよ』という無言の視線が飛び交う事態に、ついに我慢できなくなったエルンが勢いよく立ち上がった。

 懐から、日頃の不摂生な先輩たちを叱るためのメモ帳とペンを取り出し、猛然と文字を走り書きして隊長の鼻先に突きつける。


―――隊長、本日の作戦指示をお願いします


 その丁寧だが筆圧の強い文字を見た隊長は、まるで天からの啓示でも受けたかのように「はっ!」と間抜けた顔をした。

 普通に、試験勉強のしすぎで脳みそが凝り固まっている馬鹿である。

 隊長は気まずそうに咳払いをすると、持っていたメモ用紙の裏に、無言で作戦をガリガリと書き殴り、レンたちに見せた。


―――うわぁ、汚ねぇ字だなぁ……


 そのミミズがのたくったような文字を見た瞬間、レンの脳裏を過ったのはそんな率直な感想だった。

 レンだってお世辞にも字が綺麗とは言えないが、この隊長よりは遥かにマシに書ける自信がある。

 とはいえ、幸いにも読めないレベルではなかったので、そこだけは本当に神に感謝すべきところだった。

 そこから、資料に記された魔獣の巣へと向かったまでは良かった―――のだが。


「グルゥゥゥゥッ!!!!! 」


 平原の草むらをかき分け、こちらの気配を完全に感知した猪型の巨大な魔獣が、地響きを立てて猛然と突進してきた。

 全員が瞬時に散開し、無言のまま愛剣を引き抜く。

 ここまでは実に見事な、流れるような初動だった。

 しかし突進を鮮やかに躱された魔獣が、次の標的を定めるためにその巨体を反転させたその刹那――第六小隊の全員の脳内に、全く同じ致命的な「疑問」が浮かび上がった。


―――で……誰が一番最初に斬り込みに行くんだ……!?


 この状況、次の標的に定められている騎士がそのまま引きつけて斬りに行くべきか? しかし、魔獣の突進のタイミングが正確に掴めない以上、まずは回避を優先させるべきだろうか。

 となると次に魔獣との間合いが一番近いラバックが横から斬りに行くべきなのか? いや、本来なら全体への指示を出すべき隊長が先陣を切り、次の行動をコントロールする必要があるのでは――


 言葉がない。それだけで、戦況の選択肢は無限に膨れ上がり、彼らの身体を一瞬だけ硬直させる。

 仮にここで、焦った誰かが独断で斬り込みに行き、全く同じことを考えて飛び出した仲間と空中で激突するか、あるいは誤って魔獣ではなく身内を斬りつけてしまえば、それこそ目も当てられない大惨事になる。


 ――このような最悪の事態を、あの百戦錬磨の騎士団長ロディ・グランベルクが想定していない訳がなかった。

 ロディはここまで全てを見越した上で、あえてこのペナルティを課したのだ。

 言葉を奪われた極限状態の戦場で、いかにして「言葉以外の連携方法」を学ぶか。これは単なる、勉強不足で騒ぎ立てる筋肉野郎共への私怨を込めた制裁だけがメインではないのだ。……決して


 (九割くらいは公務の八つ当たりだとしても、残りの一割には深い教えがある)


 聖ラウラント騎士団 唱和五箇条、第三条。

――『我らは一蓮托生なり。仲間の合図には魂で応え、独断専行をもって列を乱すべからず』


 レンは握り締めた愛剣の柄にじっとりと汗がにじむのを感じ、確実に焦っていた。

 実戦の中での直感や勘は良い方だと自負している。

 それはあくまで一対一の個人戦、もしくは単独戦闘においてのみ通用する話だ。

 傭兵時代にも、雑多な仲間と連携して戦った覚えこそあれど、あの時の戦場は「仲間を巻き込んで斬っても、それは巻き込まれた側の実力不足。つまり自業自得」で片付けられる、あまりにも荒んだ世界だったからだ。


 だが今は違う。ここは聖ラウラント騎士団。仲間の命を背負い、背中を預け合う「盾」の集団なのだ。

 声なき平原で、猪型の魔獣が再び前足で激しく地面を削り、咆哮を上げる。


 アイコンタクトすら不要で完璧に呼吸を合わせるチートな幼なじみ三人組ミカ・クリス・シルフィの超人っぷりを呪いながら、レンは目の前の魔獣の小さな目の動きを、必死に睨み据えた。

 猪型の魔獣が再び平原に凄まじい咆哮を轟かせ、強靭な四肢で泥を跳ね上げながら突進の構えを取った。


 真っ先に標的に定められた一人の騎士が、完全に無言のまま後方へと鮮やかに回避を選択した――その直後、第六小隊の隊長を務める男が、ついに動いた。

 もちろん、言葉を発した訳ではない。

 彼は自身の剣を、横たわる沈黙を切り裂くようにして真っ直ぐ魔獣へと突き付けたのだ。

 その磨き抜かれた剣先が、アルミラ平原に降り注ぐ太陽の光を鋭く反射する。

 言葉のない戦場で、そのあまりにも明確な行動が示す意味は、ただ一つしかなかった。


――俺が先陣を切る。お前たちは、俺の背に続け


 第六小隊の面々は、その一連の動作から、確かにそう肌で感じ取っていた。

 ただ剣先を魔獣に向けただけ。もしも戦いを知らない素人がこの場面を見れば、単なる威嚇か構えの一つだとしか思わないかもしれない。

 しかし私語禁止という枷によって混乱状態に陥りかけていた第六小隊を、たった一つの泥臭くも確かな背中で取りまとめた男には――やはり、一隊の長を務めるだけの経験と器、そして覚悟が備わっていたのだ。


 新人や見習い、あるいは騎士歴が浅い未熟な人間ばかりがこの第六小隊に集められたのは、決して偶然ではない。

 ロディ・グランベルクという規格外の団長によって、最初から「意図して」編成されたものだった。

 かつて、この第六小隊が組織される段階において、騎士団長の執務室で交わされた、ある会話がある。

 

『――団長。何故、これほど経験の少ない騎士ばかりで一つの小隊を構成するの? 多少の能力の偏りはいいとして、これだと不測の事態が起きた際、最悪の盤面を引き起こすことになると思うけど』


『お前の言い分も分かるがな、シルフィ。だが俺は、まだ何も染まっていないひよっこ同士だからこそ、こうして固めることに意味があると思ってるんだ』 


『……意味?』


『ある。既に経験と技術が備わっているお前たちと違ってな、泥にまみれながら「共に成長する」ってのは、案外と悪くないぞ』


『……そう。置いていかれない能力がある場合に限る、と私は思うけど』


 かつて冷徹な現実主義者として正論を述べたシルフィと、その先にある泥臭い可能性を信じたロディ。

 そんな上官たちの思惑を、レンたちが知るはずもなかったが、言葉を奪われた極限の状況に共に立って初めて、理解できる風景があった。


 仮に第六小隊の中に一人だけ経験豊富なベテラン騎士が混ざっていたとしたら、彼らはその優秀な個人の指示にただ従うだけの操り人形になっていただろう。

 その場は上手くいっても、そのベテランが動けない状況になったら、あるいは別行動を余儀なくされたら、部隊は一瞬で瓦解する。

 誰か一人に盲目的に頼る組織では、本当の戦場は生き抜けないのだ。


『――隊員の動きを、ほんの少し視野を広げて見れば、自ずと自身がすべき次の行動など分かるでしょう』


 それは以前、偵察部隊隊長であるミカ・ファーレンガルドが、何でもないことのように口にしていた言葉だった。

 最初に聞いた時は、『そんな超人じみたこと、分かるわけないだろ』と内心で呆れ果てたものだ。


 だが死線を共有する今なら、それが驚くほど明瞭に理解できた。隊長が示した剣先、その視線が向く方向にいる魔獣、そして左右に展開する仲間全員の呼吸と立ち位置。

 これは、個人の実力不足がそのまま死に直結していた傭兵時代では、決して味わうことの無かった感覚。


――あぁ、これが……


 聖ラウラント騎士団が掲げる、五箇条の精神。

――『魂で応える』


 そういった、理屈を超えた確信であることは疑いようがなかった。


――『レン!!』

――『レン先輩!!』


 実際には一音たりとも声を出していないはずの、ラバックとエルンの力強い声が、まるでレンの脳内に直接響き渡るかのような、奇妙で熱い錯覚が駆け巡る。

 魔獣の獰猛な突進を、寸前のところで余裕を持って躱したラバックが、すれ違いざまにその鋭い一撃で魔獣の強靭な肉を切り裂いた。

 次いで、その返り血の霧を抜けるようにしてエルンが躍り出て、彼女の扱うフェリス流のしなやかで柔軟な動きを駆使し、魔獣の視界を遮るようにしてその動きを完璧に牽制する。


 その二人の淀みない連動を見た瞬間、自分が次にすべき行動が、パズルのピースが嵌まるように自ずと分かった。

 レンは地面を強く蹴り上げると、愛剣を上段から魔獣に向けて猛然と振りかざした。

 もしも攻撃が防がれたら、もしもカウンターを受けたら――そんな恐怖は、不思議なほど一ミリも脳裏を過らなかった。


 何故なら、自分の背後には「仲間」がいるからだ。ラバックやエルンだけではない。

 字は汚いが頼れる隊長や、共に走る残りの小隊員たちが、魔獣のあらゆる反撃の芽に対処してくれているという絶対的な確信があった。

 

――仲間を信じ、魂で応える!

 

 読心術という技能がなくとも、彼らは今、確かにその境地へと達していた。

 経験や卓越した技術があれば、戦闘そのものを容易に進めることはできるだろう。

 互いを信じ抜く泥臭い連携と心は、時として、冷徹な経験や技術の差を遥かに凌駕する爆発力を秘めているのだ。

 振り下ろされた黒き刃が、アルミラ平原の静寂の中で、魔獣の巨体を一刀両断にせんと深く沈み込んでいった――。


 ◇ ◇ ◇


 アルミラ平原を脅かしていた凶暴な魔獣を見事に討伐し、無事に報告を終えた第六小隊の面々は、未だかつて無いほどの深い充足感と、心地よい疲労感に満たされていた。

 本日の全ての鍛錬と任務を完遂したことにより、朝から彼らを縛り付けていた、あの忌々しくも奇妙な「私語禁止令」は正式に解かれたのだ。


 第六小隊の面々が、待ちに待った夕食を摂るためにぞろぞろと賑やかに騎士団食堂へと向かっていく様子を、騎士団長ロディ・グランベルクは執務室の窓から静かに眺めていた。

 王都の空は朱く染まり、傾いた夕陽の柔らかな陽光が、彼の薄く輝くブロンドの髪を神々しく照らし出している。


「―――強くなったな、あいつら」

「多少は」

「おいおい、冷たいな……。いや、たまには素直に認めてやれよ、フリンズ」


 ロディ団長の独り言に、背後から淡々と答えたのは、副騎士団長であるフリンズ・フォン・フェイレンだった。

 彼は第六小隊から提出されたばかりの、どこか達成感の滲む報告書を執務室の机へと丁寧に置くと、いつも通りの完璧な一礼の後に、静かに退室していった。

 無駄口を一切叩かない彼らしい素っ気なさではあったが、その「多少は」という短い言葉の裏には、確実に彼らの成長を認める確かな温度が含まれている。


「相変わらず、素直じゃねぇなぁ……」


 去りゆく右腕の背中に、騎士団長はただただ愛おしそうな苦笑を浮かべるばかりだった。


◇ ◇ ◇ 


「おばちゃん!! おかわり!! 肉マシマシで頼むわ!!! 」


「おい! 押すな!! 俺が先だぞ!!! 」


「いーや!! 俺の方がコンマ三秒早かったね!! 譲る気はねぇ!!! 」


「なんだい……。今朝の大人しさはどこへいったんだ。やっぱりいつもの飢えた野良犬に戻っちまったねぇ……」


 ところ変わって、騎士団専用食堂。

 そこには今朝の静寂が嘘のような――なんなら、一日中「私語禁止」を強制されたことで極限までストレスと鬱憤を溜め込んでいた騎士たちが、普段の五倍は喧しく、大声を張り上げて騒ぎ立てる狂乱の光景が広がっていた。


 本来であれば、マナー違反を見かねた上官がすかさず口を挟むところだろうが、今日ばかりは彼らの苦行を知る誰もが、その爆発的な賑やかさを咎めようとはしなかった。

 そんな中、無事に喋れる喜びを噛み締めながら、美味しい食事を楽しんでいたレンたち第六小隊の耳に、隣のテーブルから不穏な会話が紛れ込んできた。


「そういやお前ら、聞いたか? 今日は『寮長』がいないらしいぜ……」

「マジかよ!! ……ってことは、今夜はミカ様がいないのか……? じゃあ、……絶好のチャンスじゃねぇか。おい、帰ったら『例のやつ』やろうぜ……」


 それは、宿舎《銀狼の館》に籍を置く陽気な寮生たちの、声を潜めた、けれど確実に邪悪な企みを孕んだ囁きだった。

 その瞬間、レンの脳裏に縦横無尽に冷たい汗が走り、おぞましい嫌な予感が過ったことは疑いようもないだろう。


 朝、食堂でミカが口の動きだけで部下に伝えていた「明け方までかかるシャードル湖周辺の偵察任務」

 今夜は最強のストッパーである偵察部隊隊長・ミカも、その右腕たるクリスも、宿舎には戻ってこないのだ。

 それはすなわち、先日の『宿舎下着大量失踪事件』のドタバタに紛れて露見してしまった「真の裏切り者」――あろうことか、自分たちを差し置いて『女子と仲良く勉強している不届きな男』を徹底的に炙り出し、私刑(処刑)に処するための、血で血を洗う復讐劇の幕開けを意味していた。


 規律の番人なき《銀狼の館》は、今夜、完全なる無法地帯と化す。


 一応、ミカから直々に寮長代理を任された生真面目な騎士がそこにいるものの、その人物は規律には厳しくとも、同時にいかんせん気弱であった。

 これほど怒り狂い、かつ私語禁止の反動でハイになった男たちの暴動を、その華奢な身体で止めることなど、到底叶うはずがなかった。

 試験勉強期間も残り僅かとなった、まさに運命の今夜。

 レンたちは、貴重な勉強時間を物理的に奪われた挙げ句、またしても自分たちの意志とは無関係に、新たな大騒動の火種へと強制的に巻き込まれることになるのだ――


 ――大過には、血の制裁を。


 欲望と嫉妬が渦巻く男子宿舎の長い夜が、今、静かに始まろうとしていた。


 ――会話を聞いてしまった以上、上官に報告すべきだろうか。

 そんな殊勝な思考が一瞬だけ脳裏を駆け抜けた途端、それを何十倍もの質量で上書きするように『これ以上問題に巻き込まれたくない』というレンの強烈な防衛本能が勝利を収めた。

 そもそも、まだ何も事件は起きていないのだ。現段階ではただの不穏な噂話に過ぎない。


 宿舎に帰宅したら即座に烏の行水で入浴を済ませ、自室の鍵を完全に閉め、入り口の扉に椅子や机を積み上げて強固なバリケードを急造する。

 外でどんな阿鼻叫喚の騒音が響こうとも、絶対に部屋から出ていかない。

 万が一、明日になって大問題が発覚したとしても、『試験勉強に集中していて何も気づかなかった』『日中の外周六十周と任務の疲労で泥のように眠っていた』と言い張ればいい。

 関わらなければ、上層部から叱責を受ける筋合いもないのだ。


「―――れ、レン……これ、ヤバいんじゃ……」

「いいか、ラバ。俺たちは何も聞いてないし、何も知らない。帰ったら一分で風呂に入って、部屋の鍵をかける。バリケードを作ったらそれで本日の業務は仕舞いだ。いいな?」


 有無を言わせない凄まじい早口の対処法に、ラバック・アラベルは引き攣った顔でただコクコクと頷くしかなかった。

 そんな二人の様子を見て、第六小隊の仲間たちが同情と恐怖の入り混じった視線を向けてくる。


「……お二人とも……もし本当に生命の危機を感じるような何かがあったら、私の宿舎《白隼しろはやぶさの館》まで逃げてきてくださいね……」


 エルンが、せめてもの情けとばかりに救いの手を差し伸べる。


「あぁ……出来ればお世話になりたくないけどな……。最悪の時は頼む……」


「おいレン!! 《金熊の館》には絶対に逃げて来るなよ!!? 巻き添えは御免だぞ!!」


「《黒蛇の館》にも来ないでくれ……頼むから平和に寝かせてくれ……!!」


 口々に保身を訴える平民出身の同僚たちに向けて、レンは愛剣の柄を厳かに握り直すと、これ以上ないほど冷徹で美しい笑みを浮かべた。


「何かあったら真っ先に、お前らの部屋の窓をブチ破って突撃するから、今から覚悟だけはしておいてくれ」

「「「いやぁぁぁぁぁ!!!! 」」」


 三人の見事な悲鳴のバリトンボイスが食堂に炸裂したが、それすらも鬱憤を爆発させて騒ぎ立てる周囲の筋肉野郎どもの喧騒にかき消されていった。


◇ ◇ ◇


 食堂を後にしたレンとラバックは、小高い丘の上に建つ男子宿舎《銀狼の館》へと近づいていた。

 その足取りは完全に泥棒のそれか、あるいは敵陣深くへ潜入する偵察任務中のスパイのそれであった。壁の死角から死角へと、徹底的なスネーク作戦を敢行する。


「なぁラバ、正面がヤバいなら、裏口とかないのかよ」


「あるにはあるけど……去年、裏口付近で、魔術師管理局の魔術師が造った『超巨大魔導花火』を面白半分でぶっ放した先輩たちがいてね……。裏口の扉が炭化して完全に焦げちゃって……それ以来、防犯上の理由で実質使用禁止なんだ……」


「何やってんだよ、この宿舎の連中は……!!」


 またしても開示された、脳筋たちの救いようのない過去の不祥事に、レンは頭痛を覚えてそれ以上追及するのを止めた。

 もはや、正々堂々と正面入り口から突入する以外の選択肢は残されていないのだ。

 覚悟を決めて宿舎の正面入り口が見えてきた、まさにその瞬間だった。


 レンたちの目に飛び込んできたのは、見慣れた宿舎の重厚な扉の前に厳然と聳え立つ――見覚えの全くない、巨大な門。というよりは「アーチ」が出来上がっていた。

 それは、疲弊した騎士の目にはあまりにも毒々しい、ギラギラとした蛍光色と蛍光灯で過剰に飾り付けられたメルヘンな代物。

 おおよそ、質実剛健を旨とする聖ラウラント騎士団の宿舎には一ミリも似つかわしくない、不気味な「ナニカ」であった。

 レンの脳内で、過去最大級の警鐘(ジャン・ジャン・ジャン!)がけたたましく鳴り響く。


「―――止まれぃいッ!!! 」

「な、なんだ!? 」

「な、なんだよあのメルヘンチックなアーチは……吐き気がする……」


 レンたちより一歩早く入り口に辿り着いた、別部隊の二人組の騎士。

 彼らの前に、入り口で堂々と待ち構えていた門番の騎士たちが立ち塞がった。

 その門番たちは、何故か頭に『漢』とデカデカと手書きされたハチマキを巻き、同じく手作りの真っ赤なマントを背中に翻している。完全に狂気の集団であった。


「一人ずつ、このアーチを潜れ。それが今夜の入館条件だ」


「は? なんでだよ、意味わかんねぇ。どけよ、俺は疲れてるんだ」


「問答無用! 汝は大罪人なりや、否や? 」


「―――は??? 」


「いいから、つべこべ言わずに潜って。ほら、早く」


 訳の分からない理不尽な要求に、一人の騎士が心底面倒くさそうに溜息を吐き、アーチの門を潜った。

 その瞬間、アーチのジャスト真ん中付近に取り付けられていた、怪しげな魔導メーターが猛烈な勢いで回転を始めた。


 ――ギューンギュンギュンギューン!!!


 平原の魔獣の咆哮よりもやかましい、派手な電子音が夜の静寂を切り裂く。

 そして――


『ピンポーン!! チェリー!!! 』


 アーチの核から、やたらと響きの良い、素晴らしい音質のバリトンボイス(※音源:魔術師管理局の製作者)の音声ガイダンスが鳴り響いた。


「おおお! 歓迎しよう、我が兄弟ブラザーよ!!! 」

「一体全体なんなんだよこれは……。頭が痛くなってきた……」


 ハチマキ姿の漢たちが、潜った騎士の肩を抱いて涙を流して喜んでいる。


「次ィイイッ!!! 」

「……はぁ? 」


 これに付き合っている方が時間の無駄だと判断したもう一人の騎士が、半ば諦めの境地でアーチを一歩踏み出し、その下を潜り抜けた。

 再び、メーターがギューンギュンギュン!! とけたたましく回転を始める。


 ――その刹那


『ブッブー!!!!! ノットォ・チェリー!!!! 』


 夜空に、あまりにも無慈悲で重厚なバリトンボイスの否定音が炸裂した。


「―――……はい? 」


「裏切り者ぉぉぉぉぉッ!!!!! 」


「拘束しろ!!! 漢同士の清き誓いを破り、魔獣(女子)と不純な浮き名を流した大罪人がっ!!! 」


「吊るせ!!! 騎士の誇りと童貞きよらかさはどこへやったぁぁぁ!!! 」


「ち、違う! 俺はただ、試験勉強を教えてもらっただけで、そんな破廉恥な関係じゃ――うわぁぁぁ!? 」


 一瞬にして「漢マント」の集団が群がり、弁明の余地なく哀れな騎士を簀巻きにして拘束していく。

 

 これこそが。

 魔術師管理局の不届きな魔術師が、漢たちの熱い要望と裏の取引によって夜な夜な造り上げた禁忌の魔導具。

 友情や親愛には反応せず、『明確な恋愛感情を持って女子と一定以上の関係値に達した者』を瞬時に見破る、恐怖の『チェリーボーイ発見器』の真の力であった。

 (※なお、このくだらない魔導具の存在を魔術師管理局長ルーシャ・ルナリスが知れば、製作者ともども絶対に跡形もなく氷漬けにされる案件である)


――(嘘だろおい……あいつら、本気でやってやがる……!)


 生い茂る植え込みの影からその惨劇を目撃したレンの顔から、完全に血の気が引いていた。

 関わらなければセーフ理論はこの狂気の検問を前にして、文字通り粉々に打ち砕かれたのである。


 ――これこそが、銀狼の館における、長い、永い粛清の夜の幕開けであった。


 蛍光灯の毒々しい光に照らされたメルヘンチックなアーチ。

 そこで非情にも『ノットォチェリー』の烙印を押されてしまった憐れな先輩騎士は、既に理性を失いとち狂った野郎共の格好の餌食となっていた。

 全身を隙間なく縄でぐるぐる巻きにされ、額にはご丁寧に『私は大罪人です』とデカデカと書かれた屈辱的な紙を貼られている。

 その姿は、騎士の尊厳をどこか遠い異界へ置き忘れてきたかのようだった。


「 「 ……… 」 」


 茂みの陰からその一連の凄惨なリンチを目撃していたレンとラバックは、完全に声を失い、深い沈黙を共有していた。

 あんな狂気の騒動を目の当たりにして、素直に正面玄関を潜れる訳がない。

 チェリー(清らか)だろうがノットォチェリー(不届き物)だろうが、公衆の面前で自身のきわめてプライベートな女性関係を大音量で開示させられるのだ。


 やましいことが有ろうが無かろうが、まともな感性を持った人間なら全力で拒否したくなるのが当然だった。

 少し遠くの位置から息を潜めて見守って――いや、正しくはあまりの狂的光景に足がすくんで一歩も動けなくなっていたのだが――そんな二人の前に、何も知らない新たな被害者たちが姿を現した。


「それでさ、筆記試験に出る『三十七番目の理律騎士』の名前なんて、わざわざ覚えなくていいと思うんだよな~」


「そうかぁ? 過去の功績を考えれば、十分出題される可能性があるだろ」


「いやいや……三十七番目って、庭で昼寝してたらピクシーに鎧を盗まれたっていう伝説の間抜け騎士だろ? そんな奴、聖ラウラントの由緒正しき問題にされるわけねぇって」


 どうやら彼らは、数日後に迫った試験問題について熱く議論しながら歩いているらしく、目の前に鎮座する、あの目に痛い蛍光色のアーチはまだ視界に入っていないようだった。


「そこな旅人よ、止まりなさい!! 」

「やっぱ歴史的には『氷影の騎士』よ! これさえ覚えれば――ん? 」


 話に夢中だった三人組の騎士たちは、『漢』のハチマキを締めた門番に鋭く呼び掛けられたことで、ようやく現実に引き戻されて足を止めた。


「なんだよその格好。恥ずかし(笑)」


「うるさーい!! 漢の聖戦を愚弄するな! とにかくそこを潜りなさい。あ、一人ずつね」


「一斉に潜ったら魔導波が干渉して正確に検知できないらしいからな! 慎重にいけ! 」


「はぁ……? 」


 三人組の騎士たちは、早く部屋に戻って勉強の続きをしたいのか、あるいはこの目のチカチカするアーチを潜らなければ物理的に通してくれないと察したのか。

 ともあれ、面倒事を避けるようにして、一人の騎士がアーチへと足を踏み入れた。

 再び、レンたちの耳の奥に直接響くような、あの不快な魔導稼働音が鳴り響き――


『イェース!!! チェリィィィンンンン!!! 』


 今度はやたらとテンションの高い、すごい巻き舌のバリトンボイスと共に、ピンポンピンポン!! という盛大な正解音が夜空に響き渡った。


「素晴らしい!!! メモによるとこれは……『普段、異性と最低限の業務接触しかしていない、チェリーの中のチェリー!! 恋愛感情どころか、友情に発展するのすら絶望的なレベルの純潔』らしいぞ!!! 」

「やかましいわ!!! 」


 激しく、そして救いようがないほどに失礼極まりない判定であった。


 仮に今しがたアーチを潜った者が、普段からほとんど女性と交流がなく――廊下で女性兵士やすれ違ったメイドと目が合った際、相手が親切に『おはようございます』と一礼してくれたとしても、顔を真っ赤にして『……ぁ、お、おはようございます……(消え入りそうな蚊の鳴くような声)』と呟いて足早に逃げ去るような重度の人見知りだったとしても、ここまで大勢目の前で大拡声されるのは大きなお世話以外の何物でもない。


というか、魔術師管理局は一体全体なんてロクでもない物を造っているのだ。 


「違う音声パターンもあるのかよ……」

「これ、正解音でも不正解音でも、どっちに転んでも精神的ダメージがデカすぎるよな……」

「次ィ!!! 」


 興奮気味のリーダー格の漢が、怪しげな羊皮紙の説明書を片手に、飢えた目のまま次の獲物を促した。


「なんなんだよこれ……つか、さっきから言ってる『チェリー』って何だよ? 果物のさくらんぼのことか? 」

「おお、これは期待大の純朴系だぞ!!! 」


 全く意味が分からない、といった様子で首を傾げながらアーチを潜る二人目の騎士。

 三度、近所迷惑レベルの爆音が平原の麓まで響き渡った。


 そして――


『Oh!!! チェリィィィン!! チェ♪ チェ♪ チェリー!!! 』


 今度はどこか陽気なサンバ風のステップを踏みたくなるような、リズミカルな高音バリトンボイスが炸裂した。


「何パターン用意してんだよ、製作者……」

「こんなくだらない魔道具に国家の予算と貴重な触媒が使われてるって知ったら、財務省のハンスさんとフェリックスさんが過呼吸で失神しちゃうよ……」


 レンとラバックが冷や汗を流しながら呟く中、門番の漢が吠える。


「何ということだ!! ここまでの純潔チェリー……しかし、毎度チェリーチェリー言うのもいささか下品で飽きてきたので、ここからは高潔なる響きを持って、異国語で《キルシェ》と呼ぶぞ!! ゴホン、改めて……これほど見事な《キルシェ》は初めてだ!! 」


「だからなんなんだよそれ……。よく分かんねぇけど、何となくもの凄く馬鹿にされてることだけは伝わってくるぞ」


「ははは! よく分かっているじゃないか兄弟! 」


「うるせぇ。歯茎見せて笑うな。腹立つ」


 残るは、三人組の最後のひとり――

 図らずも《キルシェ》認定されてしまった二人が、縄で縛られた先ほどの捕縛騎士を神妙な面持ちで見守る中、今まさに、最後のひとりに対する無慈悲な裁定が下されようとしていた。

 まるで自らの処刑台へと進む死刑囚のごとく、悲壮な覚悟を決めて深呼吸をした三人組の最後の騎士が、ついにメルヘンチックなアーチへと足を踏み入れた。


 ――ギューンギュンギュンギューン!!!


 夜の静寂を切り裂き、本日何度目かになるけたたましい魔導稼働音が響き渡る。

 レンとラバックが固唾を飲んで見守り、門番の漢たちが血走った眼球を剥き出しにして判定を待った。次の瞬間。


 ――ジジッ……ジジジッ……。


「……おい、どうした? 音が鳴らねぇぞ。どうなっている!? 」

「えーと……こういう時は、ええい、説明書はどこだ……っ! 」


 いつもなら宿舎の壁を震わせるはずの、あの忌々しくも陽気なバリトンボイスが聞こえてこない。

 ただ、時折不快な電磁ノイズ音が混じるばかりで、対象の女性事情を白日の下に晒す音も声も、一切出力されなかった。

 この検問を司る裁定騎士――もとい、自称キルシェンナイツの面々は、想定外の事態に完全にパニックに陥り、焦った様子で手作りの説明書をバタバタと捲り始めた。


――(もしや故障か……!? それなら、ドサクサに紛れてここを突破する最大のチャンスだ……!)


 レンが脳内で電光石火の脱出シミュレーションを組み立てたのも、束の間だった。


「あった、これだ!! えーと……『本機――《対情動認識型・魔導精神平衝測定器》は……』うん、名前が長いな! 『――は、対象から過度な恋愛情動情報を感知した場合、魔導回路がオーバーフローを起こし、一時的にクローズ状態に入る。なお、強制再起動には約六十秒の時間を要する』――と・い・う・こ・と・はァァァアアア!?!? 」


「測定不能になるほどの爆弾を抱えてやがる大罪人だ!!! 捕らえろォォオオオッ!!! 」


「は? ちょっと待て、何のことだよ――うわっ!? 」


 問答無用で身柄を拘束されかけた騎士を守る為、それまで冷ややかな目で成り行きを見守っていた三人組のもう一人が、たまらず間に入って止めにかかった。


「おい、いい加減にしろ! 何のお遊びか知らないが……これ以上、俺の友人に妙な真似をするなら上官に報告す――」


「黙れ、純潔なるキルシェよ!! いいか、よく聞け!! そこのお前の友人はな、ただ女子と会話したとかいうレベルじゃねぇ! 直近で、魔獣(女子)と『二人きり』で、どこか特別な場所に出掛けている超弩級の不届き者だ!!! 」


「はあ!? なんでどこかに出掛けたなんてことまで分かるんだよ。意味不明すぎるだろ! 」


「……たまげたなぁ……。あの魔道具、めちゃくちゃ有能ですごい隠密探知能力だね、レン……」


「感心してる場合かラバ! 性能が無駄に高すぎて普通に気味悪ぃよ! 怖いよあのアナログな見た目で!!! 」


 植え込みの影でガタガタと震えるレンを余所に、キルシェンナイツの隊長(仮)の漢は、さらに説明書の余白に目を凝らした。

 どうやら開発者である魔術師の悪癖――『誰も読まない論文感覚で、隅々にまでギミックの補足を極小文字で書き込みがち』な仕様が、ここにきて最悪の威力を発揮していた。


「なになに……この説明書によると、オーバーフローするほどの濃厚な情報量の場合、そのデートスポットの『場所の属性』が本体上部の魔導発光ダイオードの色で識別できる……だと? えー、点滅している光が『緑色』の場合はオシャレなカフェやレストラン……『青色』ならロマンチックな森や湖……そして、……『赤色』なら、……女子の……『家』……だと……??? 」


 その言葉に、キルシェンナイツの副隊長格の漢が、アーチの天辺を凝視して絶叫した。


「兄貴ィィィ!!! 点滅、バチバチに『赤色』ですぜぇぇえええ!!! 」


「なぁぁぁんにぃぃぃいいい??? やっちまったなぁ!!! 」


「漢なら黙って図書館一択だろ!!! 何が女子の家だコンチクショウ!!! 」


「お前……嘘だよな? 嘘だって……ただの魔道具の誤作動だって、言ってくれよおい……っ! 」


 まさか一番身近にいた信頼できる戦友が、自分たちを裏切って女子の自宅に上がり込むほどの不埒者だったとは。

 身内の生々しい裏切りを知った三人組の仲間は、その場に崩れ落ち、本気で涙を流して泣き始めてしまった。


「うっ……ぐっ……なんで……なんでなんだよ、お前……っ!!? 」

「いや逆に聞きたい。なんでお前らそんなに本気で絶望して泣いてるの? 」


 連行される当の本人すら、泣き崩れる友人の斜め上のピュアな重さにドン引きしている。

 ある意味、見ているこちらまで精神的に悲しくなってくる、地獄のような光景。

 主に『同じ人間として、同じ騎士の制服を着て、ここまで恥ずかしい集団ヒステリー行為ができるのか』という、生物学的な絶望であった。


 だが、猶予はない。

 哀れな赤色確定の騎士が簀巻きにされ、泣き叫ぶ友人たちが連行されていく中、アーチの魔導メーターは、強制再起動までのカウントダウンを静かに刻み始めていた。


 ――残された時間は、あと数十秒。


 そして、この恐怖の『キルシェン・ゲート』の手前に取り残されているのは、他でもない、レンとラバックの二人だけであった。

 これ以上、あの救いようのない茶番に付き合っている暇は一秒たりともない。

 現在の状況は、客観的に見れば極めて狂気に支配されている。

 後から上層部に突っ込まれたとしても、『入り口で妙な魔道具を使って、悪質な検問ごっこをしている騎士が複数名いたため自衛した』という事態でいくらでも誤魔化しが利く。


 幸いなことに、この《銀狼の館》は比較的、鬱蒼とした森の近くに位置している。

 そのため、あの爆音メーターやバリトンボイスが響き渡ったところで、近所迷惑にギリギリなるかならないかの瀬戸際だ。

 仮に明日、苦情が来て大問題になったとしても、それはこの技術の無駄遣いの権化とも呼べる《対情動認識型・魔導精神平衝測定器》を無許可で持ち込み、夜な夜な狂喜乱舞して遊んでいる自称キルシェンナイツの連中が100%悪いのである。自分たちはただの被害者だ。


「ラバ、しっかりついて来い。一気にここを突破するぞ」


「え!? で、でもレン! どうやって潜るの!? 『キルシェ』って言われても『ノット』って言われても、俺たちの社会的生命が死んじゃうよ!? 」


「アーチなんて潜らなきゃいいんだよ。俺に考えがある!! 」


 言い落とすと同時に、レンは地面を大きく蹴り飛ばした。

 あまりにも突然すぎるレンの突撃に一瞬遅れたものの、第六小隊で培った反射神経でラバックも同じように追従する。

 二人の接近を察知した魔道具のメーターが、再びギューンギュンギュン!! と再起動の不快な駆動音を鳴らし始めた――その、まさに刹那。

 レンは喉が張り裂けんばかりの大声で、夜空に向かって叫んだ。


「おいマジかよ!! あのマリアンヌさんが(※注:騎士団の修練場までの長い廊下を、いつも笑顔でよく掃除してくれている大変に親切で優しいメイドさんのこと)……他の男と二人きりでデートしてたってマジなのかよォォオオオッ!?!? 」


「え……あ……っ!? 」


 事前になんの打ち合わせも、事前のサインすら無かったあまりに突飛な台詞。

 レンがそれを全力で絶叫した瞬間、ラバックは一瞬(ついにこの男も、この狂気の夜の空気に当てられて血迷ったか……!)と戦慄した。

 しかしそれはほんの一瞬の出来事。隣を走るレンの、酷く冷徹に計算され尽くした瞳と、背後へ向けられた手振りの指示を見て、ラバックは即座に彼の求めている『真意』を理解した。


 つい今日の任務で、騎士団唱和五箇条の三『我らは一蓮托生なり。仲間の合図には魂で応え――』の本当の意味を理解したばかりの彼らの、これが精一杯の連携行動。


 ――まさか、その固い絆と魂のシンクロが、こんな最低にくだらない状況を打破するためだけに発揮されるとは、三女神すら想像していなかっただろう。


「し、しーっ!!! レン、声が!!! 大きいってば!!! マリアンヌさんの不純異性交遊の噂なんて、みんなに聞こえたらどうするんだよォォオオオ!!! 」


 ラバックは台詞の内容とは裏腹に、レンの音量をさらに上書きするような凄まじい大声を張り上げた。

 この宿舎のすべての陰キャ騎士にとっての『聖域』であり、誰にでも平等に、優しく微笑みながら「おはようございます、今日も訓練頑張ってくださいね」と声をかけてくれる唯一のオアシス――マリアンヌ。

 そんな彼女の衝撃的なスキャンダル(※レンの完全なデマ)を、飢えた狼のような《キルシェンナイツ》が聞き逃す訳がなかった。


「何ィィィィィッッッ!!!!!????? 」


 今しがた捕らえた『赤色点滅(家デート)』の大罪人をぐるぐる巻きにしていたキルシェンナイツの隊長(仮)が、文字通り首の骨が折れんばかりの勢いでこちらへ振り向いた!! その目は完全に血走り、怨嗟の炎で燃え盛っている。


「おのれ不届き者めがぁぁあ!! またしても、またしても我らのマリアンヌさんを謀る大罪人が現れたというのかっ!!! 」


「女子は魔獣って言ってなかったか…?」


「裏切り者だらけだ!! いつからこの《銀狼の館》は、マリアンヌさんの笑顔の裏で甘い汁を吸う裏切り者だらけの巣窟になったんだ!!? 」


「割と最初から、そういう奴らの集まりだけどな」


「ねぇ、マリアンヌさんは女子じゃないってこ

と?」


「お前一回黙ろう」


 一人のまともな騎士の冷静なツッコミも、野太い漢たちの絶叫の渦にかき消され、完全に我を忘れたハチマキマントの集団が、地響きを立ててレンたちへと突撃してくる!!


「レン、凄まじい熱量でこっち来たよ!? どうするのこれ!!! 」

「昼間の任務を思い出せ、ラバ!! 今日やっただろ!! まったく同じことだよ!! 」


 レンは、マリアンヌの幻影を追いかけて猪突猛進してくる隊長(仮)の猛進を、紙一重のバックステップで鮮やかに躱した。

 突如として標的が目の前から消えたことにより、過度な前傾姿勢のまま思いっきり体勢を崩す隊長(仮)

 次いで後ろから波のように押し寄せてきた第二陣の騎士たちが、レンを組み伏せようと上体を低くした、その瞬間。


 レンは躊躇なく跳躍した。

 行く手を阻む騎士の背中を、見事な足さばきで飛び越える――いや、正しくは『フェリス流』の柔軟な身のこなしを応用し、男たちの背中や肩を、ただの頑丈な「踏み台」代わりに使いながら、勢いよくその脳天を踏みつけ、蹴り渡っていったのだ。


「ぐわぁぁあッ!? 踏まれたぁぁあ!! 」


「痛っ!? 俺、最近のしごきで深刻な筋肉痛なんだから、もっと優しく踏んで!? 」


「知るか!! 明日の朝までそこで寝てろ!! 」


「(……名案があるって言うから期待したのに、思ってたより100%筋肉解決だったなぁ……!)」


 ラバックもレンが開いた肉体の道(踏み台)を、必死の形相で駆け抜ける。

 こうして、恐怖の《対情動認識型・魔導精神平衝測定器》のメルヘンアーチを物理的に『飛び越えて』完全回避することに成功したレンとラバックは、すかさず宿舎の重厚な正面扉をこじ開け、滑り込むようにしてその中へと飛び込むのだった。


 バタン!!! と激しい音を立てて、レンとラバックは縋り付くようにして宿舎の重厚な扉を閉めた。そのまま床に滑り込み、荒い息を吐きながら冷たい石畳に背中を預ける。

 いつもなら、これだけ大きな音を立てれば、小言の多い寮官がすっ飛んできて注意する所だ。

 先ほどから玄関口であれほど盛大にバリトンボイスやサンバの爆音が鳴り響いていたにもかかわらず、全く様子を見に来ない。


「……はぁ、はぁ……。寮官は、今はいないみたいだね……」

「チッ、あの親父、こんな時に限って運がいい奴だな……。まぁいい……取りあえず、早く自分たちの部屋に戻るか……」


 いつ後ろの扉が蹴り破られ、あの狂気的な『漢(笑)』の集団が雪崩れ込んでくるか分からない。

 ここは一度、安全な自室で体勢を立て直すべきだとレンが腰を浮かせかけた、その時――

 暗い廊下の奥から、呆れたような顔をした見知らぬ顔見知りの先輩騎士が、壁に寄りかかりながら声をかけてきた。


「お前ら……まさか、あの正面玄関から堂々と入って来たのか!? ……とんでもねぇ命知らずだな……」


「え、いや、でも、宿舎に入るには玄関以外に道は……」


「は? 窓開けて入ればいいだろ。ここの連中はよく部屋の窓を閉め忘れるからな。あんな馬鹿げた検問に、いちいち付き合ってられるかよ」


――……盲点だった、と認めざるを得ない。

 同時にレンの頭痛はさらに悪化した。一階の窓の鍵をかけ忘れて外出するなど、防犯上において深刻な不安が残りすぎる。やはり、ここは馬鹿の巣窟なのだ。


 ――そして、そんな至極単純な手段に今の今まで気づかず、大声を張り上げて先輩の背中を踏み台にして突破してきた自身も含めて、だ。


「レン……仕方ないよ。俺も窓から入るなんて、これっぽっちも考えつかなかったし……」


「なぁ? 普通、宿舎に戻るなら窓から入るだろ? 」

「一緒にすんな!! 普通の人間は玄関から入るんだよ!!! 」


 レンの当然のキレ気味のツッコミに、その不届きな先輩騎士は「これだから新人は……」とでも言いたげに首を傾げながら、暗い廊下の奥へと去っていった。

 どこもかしこも馬鹿ばかりである。この場合、馬鹿というよりは、極めて手癖が悪く、規律を軽視しているという表現が正しいのかもしれないが。

 安堵したのも束の間。宿舎の奥――食堂や談話室へと続く暗がりの向こうから、再び、あの忌まわしき『裁定』が幕を開けた音が、冷酷に響き渡った。


 ――ピピピ!!!


「………っ! 今、何か音が――」


『警告。対象の「リア充指数」オーバー100。本機規定値に達しました。――これより、執行対象者と認定します』


 先程までの、あの無駄に熱い門番たちのバリトンボイスとは違う。どこか平坦で、比較的静かな――だからこそ余計に不気味な、機械的な合成音声が、冷え切った廊下に響き渡る。


「り、リア充……?? レン、いま魔道具が言った『リア充』って、一体どういう意味の魔術言語なんだろう……? 」


「意味なんて真面目に考えるなラバ!! 駄目だ、関わったら絶対に不味いことになる……!! 」


 ラバックが未知の単語の意味を真剣に考察しようとしている傍らで、レンは、かつて戦場で強敵と対峙した時に感じるような、肌が粟立つほどの本能的な直感を味わっていた。

 よくよく考えてみれば、あの裏切り者を炙り出すという大掛かりな検問が、入り口付近だけで完結する道理がないのだ。

 実際、今聞いたように窓から宿舎に侵入した不届き者もいるし、あの巨大なメルヘンアーチを設置するまでにはそこそこ時間がかかったはず。

 その間に、何人もの騎士がすでに宿舎内に入ってしまっている。


 そもそも、あのアーチは『一人ずつ』しか検知できない欠陥仕様だ。

 一人が引っかかって捕まっている間に、後ろの奴らがドサクサに紛れて宿舎に駆け込めば、それで簡単に突破できてしまう。キルシェンナイツの連中なら、仲間を平気で見捨てて逃げる奴がいることくらい、百も承知のはずだ。


――つまり、奴らが目の色を変えて血眼になっている『裏切り者』とやらを確実に補足する方法は、未だ、この宿舎の内部に――


 レンの思考がそこまで至った瞬間、先ほど機械的な音声が流れた談話室の方から、絶望に満ちた悲鳴が木霊した。


「――終わりだ。我らの誓いを裏切った者に、無慈悲なる裁定の時を!!! 」


「うわぁぁぁぁぁ!!!!! 違う、俺はただ、ただ普通に道を訊かれて案内しただけなんだぁぁぁあッ!!! 」


――悪夢は、まだ終わっていなかった。

――いや、むしろここからが本番だったのだ。

 

 本来なら暴走する彼らを止めるべき、良識ある真の裁定者はここに居ない。

 後に残されたのは、行き場をなくし、ねじ曲がった執念によって宿舎中に蔓延していく漢たちの「悪意」のみ。


――つまり。今この宿舎には、彼らの暴挙を止める者が、一人もいない。

最後までお付き合いいただきありがとうございました!

こんな戯れ言に付き合っていただき、大変恐縮です。

これからも彼らの活躍を見守っていただけたら嬉しいです!


あなたにも風の導きが有らんことを

にしみん

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