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星刻の約定 ——Fragments of Laurant―  作者: にしみん
安寧のパストラーレ(夢見の断章)
24/42

星を見た日 後編

この作品を手に取っていただき、ありがとうございます✨


理想郷の崩壊と冬空の約束のお話です

 深夜の《銀狼のアルゲントゥム・ルプス》――その冷え切った廊下を、物音一つ立てることなく、静かに、かつ異様な威圧感を放ちながら行進する屈強な騎士団。


 ――などでは決してなくその実態は、前方の隠しが手作りの紙コップであり、体には黒いゴミ袋を身に付けただけの男たちであった。

 もしも事情を一切知らない第三者がこの光景を一目見れば、間違いなくその瞬間に《露出狂変態集団》であると断定し、即座に通報されてしまうであろう、あまりにも悲惨な野郎共の姿がそこにあった。


 先程、レンの貴族感知アレルギーによって貴族の娘の急な襲来をなんとか壁やソファーと同化して掻い潜った彼らであったが、安堵したのも束の間、一体この先にどんなさらなる苦境が待ち受けているというのか――


 彼らが目指す理想郷であるリネン庫は、誠に不運なことに、この広い男子宿舎の最も端に位置していた。

 そのリネン庫へと辿り着くためには、構造上どうしても宿舎の入り口である『玄関ロビー』のすぐ近くを通り抜けなければならないという、あまりにも過酷なルートが待ち受けていたのである。

 本来であれば、その玄関には夜間も寮官が一人で待機している。


 ここで正々堂々と事情を話し、寮官が持っているマスターキーを用いて各々の部屋を開けて貰えれば、誰もが自室に戻って堂々と着替えを済ませられるため、全てが丸く収まるいい話なのだ。

 だが、世の中そうは問屋が卸さない。今回ばかりは、そう上手くことは運ばなかったのである。


「くそ……! やはり、あそこには魔獣の集落が出来上がっているぞ……! 」


「何故だ、何故こんなに女子がいるんだ……!? 野郎に勉強を教えて貰う程に、女子の側もそこまで試験に追い詰められているというのか……? 」


 壁の陰からロビーの様子を窺った騎士たちは、絶望に声を震わせた。

 本来なら、この時間帯のロビーは静まり返っているはずだった。

 試験期間中でなければ、寮官が一人寂しくカウンターで本でも読んでいるだけの退屈な空間である。


 今夜ばかりは彼らの目の前にある光景は違った。

 恐るべき事に、ロビーには複数の女子騎士や令嬢たちが、夜間の入館手続きをするために群がっていたのである。

 彼女たちはただ遊びに来たわけではなく、参考書や歴史書を片手に持って、熱心に受付の列に並んでいるではないか!!


「いや……確か、前回の学科試験の平均点は男子より女子の方が高い筈だ。男と違って女子は勉強できるだろ……」


「そんなことねぇ!! 俺たちだって、やればできるわ!! 」


「しー!! お前ら声が大きいって!! 見つかったら終わりだぞ!! 」


 それにしても、何故女子たちがこんなに大挙して夜の男子宿舎のロビーに押しかけているのか。

 まさか、兄弟の誓いを破った「裏切り者」の男は、彼らの想像を遥かに超える数が存在しているというのか――


 その場にいる変態終末期(紙コップ装備)の男たちが、あまりの絶望的な状況にそこまで思考を巡らせた所で、ロビーの魔獣……もとい、女子たちの楽しげな会話が、廊下の奥まで遮るものなく聞こえてきた。


「ねぇねぇ、本当に会えるかな? お忙しい方でしょ? 」

「でも、可能性はあるでしょ? 巡回中に偶然を装えばいいのよ! お優しい方だもの! きっと大丈夫よ!! 」  


 その会話を耳にした瞬間、騎士たちはさらに目を見開いた。どうやら彼女たちは、事前に特定の男と部屋で会う約束を取り付けていた訳ではないらしい。

 この宿舎内を巡回している「目的の人物」と偶然を装って出会い、あわよくば勉強を教えて貰おうと企んでいる、完全なる突発的な作戦のようだった。


「ケッ! どこもかしこも、男同士の兄弟の誓いを忘れた奴ばっかりだな……! 」


「あれは……獰猛な肉食系魔獣(女子)だ……。狙った獲物を確実に狩る為なら、平気でおしとやかさを装って自身を偽装するという、恐ろしい生態の持ち主だぞ……」


「はぁ……マジでどうでもいい……。そんなことより、寮官に頼れない——ロビーが陥落しているなら、従来の目的であるリネン庫にさっさと行こうぜ」


 レンが心底呆れ果てたように、冷ややかな視線で呟いた。

 紙コップ小隊の面々は、助けを求められない恨みがましく悲しい目で遠くの寮官を見つめていたが、これ以上のロビー接近は不可能だと悟り、渋々といった様子で再びリネン庫に向けて歩きだした。


 一時は「マスターキーを借りる(いっそ隙を見て盗む)」という過激な判断も頭をよぎったが、流石にそれは騎士として憚られ――いや、実際は女子の目が多すぎて実行不可なだけであるが――彼らはプライドを保つように本来の目的地へと足を戻す。

 そうして、新品のタオルが眠る理想郷(リネン庫)へ向かう道すがら一人の騎士がふと、根本的な疑問を口に投げかけた。


「なぁ……そもそも、俺たちのパンティを盗んだ犯人って、一体誰なんだろうな? 」


「お前、移動中までパンティ言うな」


「あ、ごめん。おパンティ」


「『お』をつければ上品になっていいってもんじゃないだろ。本質は何も変わってねぇよ」


 そんな下らない、いつも通りの不毛な会話はさておき、実はレンの脳内も、まったく同じ疑問で一杯になっていた。

 確かに、よくよく考えてみればおかしな話なのだ。一体誰が好き好んで、むさ苦しい男の下着なんぞを大量に盗むというのか。

 もしも金銭が目的なのだとしたら、ロッカー内の高価そうな私物だけを狙って盗めばいい。それに、そもそも本当に価値のある財布や貴重品の類いは、全員が鍵のかかる自室に保管しているのだ。

 衣服やタオルだけが綺麗に消えるなど、どう考えても不自然だった。


「確かに……冷静に考えると、おかしいよな」


「物好きな変態だろ? 世の中、たまにそういう奴いるじゃん」


「いねぇよ!! 男の宿舎の脱衣所を狙う男専用の変態なんて、いてたまるか!! 」


「いや、世の中多様性の時代だよ、キミィ……。身近な例としてリリアン医務官を見ろ。あの見た目で大のイケメン好きだぞ? 何が起きても不思議じゃないだろ」


 ――いや、一体この状況で、どちらが本物の変態なのだろうか?


 ゴミ袋を纏って紙コップで前を隠しながらそんな哲学的な思考が生まれ始めたレンだったが、ここで『これ以上ツッコミを入れれば自分の負けだ』という独自の解釈に達し、静かに口を閉ざした。

 隣を歩くラバックも、すでにツッコミを入れる気力すら失ったのか、何処か虚ろな目で完全に黙している。


 そんな、限界ギリギリの変態集団が、とある一室の前を通りかかった、その時だった。

 その部屋の扉の隙間からは、実に楽しそうな――これぞまさに青春の一ページを綺麗に切り取ったかのような、男女の甘酸っぱい談笑の声が廊下に漏れ聞こえてきたのである。


「もう! からかわないでよ~」

「お似合いじゃん! 付き合っちゃえば? 」

「え、で、でも……」

「オレも激しく同意!! 」


 その和やかな会話の流れから察するに、どうやら部屋の中では男女四人が集まって、楽しく恋バナで大いに盛り上がっているらしかった。

 更にそのあまりの盛り上がりゆえに、防音のはずの部屋の会話が外の廊下にまで堂々と漏れ出しているのだ。


 それを耳にした瞬間、一部の血気盛んな騎士たちの顔が、一瞬にして般若を通り越した「魔神もかくや」というほどの恐ろしい激怒の形相へと変貌した。彼らはギリィ……と歯を鳴らし、吐き捨てるように怒りをぶちまける。


「オイオイ……嘘だろ? 共有スペースの談話室じゃなくて、よりによって自室に……!? 自らの聖なる寝床に魔獣を連れ込むとは……! あいつ、騎士の誇りを一体何処に置いてきたんだ!? 」


「それだけじゃねぇぜ兄弟ブラザー……あろうことか『付き合っちゃえ』という周りの戯れ言に対して『え、で、でも』とかいうテンプレな反応をして、しかも本気で照れてやがるぞあいつ!! 」


「許せん……! 男同士の団結を裏切った大罪人め、今すぐその部屋に突入して八つ裂きにしてくれるっ!! 」


「待て! 止めろバカ!! お前がその前隠し紙コップの格好のまま部屋に突入したら、裏切り者を処刑する前に、お前自身が『変態』として通報された上に、確実に新聞に載るぞ!! それどころか、来月の月例報告会で全員の前で特大の不祥事として晒されて、お前の騎士人生が完全に終わるぞ!! 」


 今にも怒り狂って部屋のドアを蹴破りそうになっていた騎士を、周りの数人がかりで必死になってなんとか阻止することに成功する。

 レンは、その一連のドタバタ劇を見ながら、とうとう完全に思考することを放棄した。何故なら、先ほどから自分の体が異常に寒かったからである。

 いやそれは気のせいなどではなく、きっと物理的な面も大きかった。

 いくら黒ゴミ袋で必死に体を覆っているとはいえ、所詮はただの薄いビニール。風呂上がりの濡れた体でこの夜の冷気に晒され続けるのは、流石に寒すぎるのだ。


「くそっ……おい! お前、さっき大浴場に置いてきたっていう、あの小さいフェイスタオルはどうしたんだよ! あれ一枚でも今あれば、もう少しマシだったんじゃねぇのか……!? 」


「無茶言うな! あんな小さいタオル一枚がここにあったところで、俺たちの最悪な未来は変えられない!! 」


「それに、あれは体を拭くのに使ったからな……。水分を吸ってびしょびしょだったから、あえて脱衣所に置いてきたんだよ。そもそも、そんな濡れたタオルをここまで持ってきたら、廊下に水の跡がぽたぽたと残って、俺たちの移動した証拠が残るだろ……」


「はっ!! 確かに……! 」


「お前ら全員、馬鹿なのか。何が『確かに……! 』だ、証拠を気にする前に自分の体面を気にしろよ」


「レン……もう何も言うな……」


 あまりの脳筋理論に、つい我慢できずに本日何度目かも分からないツッコミを入れてしまったレン。

 そんなレンのことを、ラバックは「可哀想な、哀れな者を見る目」で静かに見つめていた。


 目的地である理想郷までの距離はこれだけ必死に歩いたというのに、まだ半分以上も残っているという絶望的な事実。

 彼らの精神は、寒さと不条理、そして裏切り者への嫉妬によって、すでに酷く、酷く追い詰められていたのだった――


 ◇ ◇ ◇


「さて……諸君。ここから先が最大の鬼門だ」 

「……ついに……来てしまったか……」


 前方を歩いていた騎士がピタリと動きを止めた。彼はそれ以上先に進もうとせず、ゆっくりと後ろを振り返り、これから決死の作戦に挑むかのような、悲壮な覚悟を問う面持ちで話しかけてきた。


「なんだよ一体……。急に深刻な顔して」

「そうか……。寮長――ミカ様とクリス様の部屋……!! 」


 レンの疑問に対し、ラバックが苦渋に満ちた表情で答えた。

 そう――新品のタオルが眠る理想郷が宿舎の最も端にあるというなら、必然的に騎士たちの生活領域がある全ての部屋の前を通過していく必要があるのだ。

 現在、前隠しが手作りの紙コップで黒いゴミ袋を身に纏っただけの小隊にとって、規律の番人たるミカやクリスに見つかることだけは絶対に避けなければならなかった。


「いや……普通にミカに相談すればいいだろ。事情を話せば適切に対処して、服なりタオルなりを持ってきてくれる筈だ。今回ばかりは俺たち何も悪くねぇし……」


「何を馬鹿げた事を!! これ以上俺たちに恥を掻けというのか!! 」


「もう充分すぎるほど掻いてるだろ。今さら何を気にしてんだよ」


 レンの至極まっとうな正論も、恐怖で既に理性を失いつつある筋肉変態魔人の前では全くの無力だった。彼は「それだけは駄目だ!」と激しく首を横に振る。

 既に人前に出ることすら許されない最低の格好をしているというのに、彼らは一体これ以上何を失うものがあるというのだ。


「とにかく……一気に全員で前を通るのは危険すぎる。各個撃破されるぞ」


「なんでだよ? 全員でさっさと一気に走り抜ければいいんじゃないの? 」


「お前オツム詰まってんのか!? あいつらは室内にいても、外の足音だけで外を通った人間の明確な人数を察知できるバケモンだぞ!! 一気にこの大人数で部屋の前を通ったら、『……こんな時間に、集団で一体何をしているんですか? 』って確実に寮長が出てくるだろ!? 偵察部隊の索敵能力を舐めるな!! 」


「た、確かにっ!! 」


「………………」


 目の前でクソ真面目に繰り広げられる、あまりにも馬鹿げた偵察理論の会話。

 本来なら、寮長であるミカに正直に伝えて頼めば、優しく苦笑いしながらすぐにロビーを抜けてマスターキーを取りに行ってくれるというのに。

 彼らは男としてのくだらないプライドと、何よりも『ガチで恥ずかしい』という至極純粋な羞恥心から、寮長に頼る道を進んで諦めたようだった。


「いいか、ここからは三つの部隊に分けるぞ! 一番槍はこの俺が行く! 俺に付いてくる漢は誰だ!? 」

「俺も行くぜ兄弟ブラザー!! 」

「お、おれも! 」


 そう言うと彼らはついに腹を括ったのか、ゴミ袋のカサカサ音を律儀に抑えながら、至って普通の廊下を歩くスピードで静かに部屋の前を通り抜けた。

 当然ながら床から僅かな足音が聞こえたが、それだけでいちいち不審に思われる筈もなく――第一陣の脳筋たちは、見事ミカたちの部屋の先にある廊下を踏むことに成功したのだ。


「次はぼくがっ!! 」


 今度は、少し気弱そうな騎士が紙コップを握る手——前線防御に更にギュッと力を込めると、後に続く仲間たちと一緒に恐る恐る歩き始めた。

 しかし、過度な緊張のせいかその動きはぎこちなく不自然で、丁度部屋の真ん前の廊下を踏み抜いたその瞬間――


 ――ギギ……。


 宿舎の床板が不穏な音を立て、静まり返った廊下に大きく響き渡った。

 その瞬間、ある者は絶望で顔を両手で覆い、ある者は虚しく天を見上げ、ある者は神に祈るように胸の前で十字を切った。


「はーーーーっ!!! 」

「Oh!!!!f○○k!! 」

「終わった……の、か……(ガタガタ)」

「おい、焦って不謹慎な禁止用語を叫ぶの止めろ」


 音を立ててしまった騎士たちは一瞬にして顔面蒼白になり、恐怖のあまり口から世界標準の禁止用語すら飛び出す始末。

 しかし、彼らがカタカタと震えながら数秒待っても、肝心の部屋の扉が開き、中から恐ろしい笑顔の寮長が出てくる様子は一向に無い。


「……お、俺たちのこの無様な姿を見て、部屋の中で密かに嘲笑っているのか……? 」


「せ、セーフ……なのか……? 」


「早まるな……。俺たちを泳がせて、一網打尽にする為の高度な心理戦かもしれん……」


 どこまでも無駄に警戒を怠らない野郎共。実際の戦場以上に慎重で必死なその動きを見つめながら、レンは呆れを通り越して、もはや深い悲しみさえ覚えていた。

 入浴の時間をほんの少しズラしさえすれば――あるいは単独行動が許される状況なら、今すぐ自分が部屋をノックして事情を正直に話すというのに。


 息の根が止まるかと思った気弱そうな騎士たちも、再度細心の注意を払って慎重に部屋の前を通り抜けた。

 向こう側に辿り着いた瞬間、彼らは涙ぐみながら固い抱擁を交わし、再会の感動を分かち合うという異常な風景が広がっている。

 そして廊下のこちら側に取り残されたのは、レンとラバック、そして比較的まだ理性を保っている数人の騎士たちだけとなった。


「落ち着け……普通に歩けばいいんだ、普通に……」

「はぁ……本当にくだらねぇな、これ」


 レンが深く、心底めんどくさそうに溜め息をついた瞬間、隣の騎士たちがギロリとレンを睨みつけた。


「おいレン! その『やれやれ感』を出すな!! そうやって冷めた態度を取っていれば、物語の主人公っぽくて女子からの人気が出るとでも思っているのか!! 」


「そうだ! そうだ! 『まったく、お前らって奴は仕方ねぇなぁ……』とかいう典型的なやれやれ系主人公のムーブで、好感度を稼ごうなんてずるいぞ!! 」


「お前らマジでなんの話をしてんだよ……。頭大丈夫か? 」


 レンたちが普通に廊下を進む。幸いなことに、変な音を立てるまでもなく、ごく自然に歩ききることができた。

 残された全員が無事に難所を渡りきり、ゴミ袋の肩をなで下ろしてほっと安堵の息を吐く。

 そこで、ラバックがふと顎に手を当て、とある一つの現実的な可能性を提示した。


「……ねぇ、もしかしてさ……最初から二人とも留守だったりして……? 」


「え? 」


「いや、だって……二人とも上官だし忙しいだろうし……もしかして、今も宿舎外の夜間見回りか何かに行ってるんじゃ……」


「――――」


 ラバックのその言葉が響いた瞬間、その場にいた全員が完全な石のように沈黙した。

 仮にもしもラバックのその推察が正しいのだとすれば、自分たちがこれまで心臓をバクバクさせ、紙コップを握りしめ、壁画やソファーになりきって命懸けで渡ってきたあの決死の行動は、全てが全くの無駄骨だったことになる。

 なお魔獣たちの行動は考えないものとする


「嘘だっ!!! そんな悲しい現実があるかよ!!! 」


「あ、いや、あくまで可能性の話でね……? 」


「だ、だとしたら……ロビーの魔獣(女子)たちだけじゃなく、寮長たちも今、その辺の廊下をいつ戻ってきてもおかしくない状態で闊歩してるってことか!? 」


「な、なにぃぃぃぃ!!? 」


 一難去ってまた一難。

 規律の番人たる寮長室という最大の鬼門を(無駄だったかもしれないが)越えた紙コップ小隊は、恐怖のイメージを膨らませながらも、着実に理想郷へと歩みを進めていた。


 さて――宿舎を巻き込んで男たちの尊厳を徹底的に破壊しているこの大事件を引き起こした犯人は、一体どんな目的で動いているのだろうか。

 彼らはまだ知らない。この奇妙な盗難事件の裏に隠された、本当の狙いを――


 ◇ ◇ ◇


 ラバックが提示した「最初からミカ隊長たちは留守だったのではないか」というあまりにも残酷な可能性に絶望し、これまでの命懸けの隠密行動の無意味さに膝を折りそうになりながらも、彼らの歩みは決して止められなかった。

 一歩進むごとにカサカサと鳴る黒ゴミ袋の音、そして前線を死守する手作り紙コップの心許なさ。

 極限の精神状態の中、冷え切った廊下を這うように進み――そしてようやく、彼らはたどり着いたのだ。


 彼らにとっての究極の理想郷(※ただし、客観的に見ればただのリネン庫)に。


「ついにっ!! 誰も、誰一人欠けること無く……ここまで来られたぞ……!! 」


「あぁ!! これでようやく……俺たちは堂々と宿舎の廊下を歩けるんだな……っ!! 」


「いや別に歩けねぇけどな。バスタオル巻いたところで下着穿いてない事実は変わらねぇし」


 感極まって涙ぐむ筋肉変態魔人たちの横で、レンは内心『ようやくか……長かった……本当に長かった……』と深く重い溜め息と共に嘆き、ラバックもまた『これでようやく、この不条理な戦いから解放される……』という心からの安堵の表情を浮かべていた。


「待っててくれ、俺のシルクのパンティ!! 今迎えに行くよーーー!! 」

「だから、ここにはねぇけどな……」


 レンの冷ややかなツッコミを背中に浴びながら、事の発端であるシルクパンティの持ち主の男が、震える手でリネン庫の重い扉をそっと押し開ける――


 開かれたリネン庫の中は宿舎の端にあるだけあって比較的広く、シーツや枕カバーが整然と並ぶ数々のリネン棚が奥へと存在していた。

 そして、紙コップ小隊が今宵の執念の全てをかけて追い求めた聖遺物――純白で清潔な、新品のバスタオルが人数分以上に、うず高く積み上がっていたのである。


「やった!! これで俺たちの勝ち組決定だぁ!! 」

「ヤッホゥッ!!!! 聖なる布万歳!!!! 」


 抑えきれない歓喜の雄叫び(※ただし限界まで潜めた小声)と共に、一同が新品のバスタオル目掛けて一斉に押し寄せる。

 あまりの嬉し泣きの男の声が静かなリネン庫に響き渡る――と同時に、さっそく手に入れたバスタオルをバサリと開き、それを全身に愛おしそうに巻いて、嬉しさのあまりその場でくるくると歓喜のダンスを踊っていた一人の騎士がいた。


 その時、彼の激しいステップによって生じた僅かな風に乗り、棚の隙間からひらりと舞い上がった一枚の布切れが、ダンス狂いの騎士の頭上へと見事に着地した。


 ――それは極めて軽くて、滑らかで、上質なシルクの……


「俺のパンティ!!!!!! 」


 リネン庫の奥に、シルクのパンティの持ち主である男の、地を這うような野太い絶叫が響き渡った。

 あろうことか、紛失したはずのシルクのパンティは、バスタオルを巻いて踊る騎士の頭の上に、まるで戴冠式を迎えた王の王冠のように神々しく乗っかっているではないか。


 バスタオルをようやく手に入れたというあまりの嬉しさが彼の理性を完全に奪い去ってしまったのか、頭上にシルクのパンティを乗せたままの騎士は、再び楽しそうにくるくるとその場で回りながら、必死の形相で詰め寄るシルクのパンティの持ち主から軽快なステップで逃げ回り始めた。


「ほほーん!! 我は今この瞬間より、シルクロード王国の王なりぃ!! 」

「ふざけるな!! 早く俺の勝負下着を返してよぉ!! 」


 いい歳こいた男が、まるで乙女のような悲痛な仕草で、頭におパンツを乗せて逃げ回る騎士を涙目で追いかける――というこの世の地獄のようなディストピア的光景を目の当たりにし、周囲の一部の騎士たちは『俺たちは一体、何を見せられているんだ……』と本気で恐怖し、己の目を覆った。


「……ていうか、そもそもなんでこんな場所にパンティがあるんだよ」


「おパンティだろ? 」


「言葉の響きはどうでもいい。本質は心底どうでもいいんだよ。あと『お』をつければいいってもんじゃない」


 レンが眉間に深いシワを刻みながら呟いた通り、そこには当然の疑問が残されていた。

 何故、大浴場の脱衣所から完全に離れたこのリネン庫の、しかもバスタオルの山の中にシルクのパンティが紛れ込んでいたのか。


「どうせあれだろ、こいつがバスタオルと一緒に間違えて洗濯に出しちまったんだろ? 」


「だとしても、畳んでここにしまう時に寮官なり誰なりが普通は気付くだろ……」


「頼むから俺のおパンティ返してーーー!!! あとおパンティはオニューなの!!!」


「ははっ!! 苦しゅうない!! 面を上げよ、頭がたかーい!! 」


 相変わらずリネン庫の隅でシルクロード王国の茶番劇を繰り広げ、未だに緊張感なくふざけ続ける騎士たち。

 まさにその瞬間、あまりにも突然の、そして致命的な悲劇が彼らを容赦なく襲った。


 ――カシャッ! カシャカシャ!!


 静寂に包まれたリネン庫に響き渡ったのは、冷徹な機械の駆動音。

 執拗な連写の証である連続のシャッター音に加え、夜の闇を容赦なく引き裂く、激しい白光のフラッシュまでが盛大に焚かれたのである。


「眩しっ……!? 」

「な、なんだ……!? 」


 突然の閃光に目を射抜かれた紙コップ小隊が狼狽する中、リネン庫の大きな棚の影――死角となっていた暗がりに隠れていた一人の人物が、手にした最新型の魔導カメラを構えたまま、暗闇の中でニヤリと不敵に嗤った。

 その最悪のシャッター音とほぼ同時に、リネン庫へと向かって廊下を急接近してくる、コツコツという明確な足音が二つ――


 理想郷とは、理想が溢れる場所。

 しかしそれは所詮、己の都合の良い脳内が作り出した脆い理想に過ぎず、無慈悲な現実の前では、あまりにも儚く散ってしまうものなのだ……


 絶体絶命とは――危険や困難からどうしても逃れることのできない、窮地に追い込まれた状態や進退きわまった様子を指す。


 この場合、夜のリネン庫で魔導カメラによって盛大に激写され、さらに廊下の前後からはリネン庫に向かってくる誰かの足音に挟まれた、黒ゴミ袋と紙コップ小隊の運命や如何に――?


「ふふっ……! これは明日の王族新聞の表紙を飾ること間違いなしですわ!! 我ながら、実に見事、かつ完璧な作戦でした!! 」


「おのれっ!! 王族新聞……ついに血迷ったか!! 」


「まさか……嘘だよな……? ローラ様……。貴女が犯人だったのか……」


 リネン庫の棚の影から姿を現し、最新型の魔導カメラをしっかりと握りしめて勝ち誇ったようにほくそ笑んでいたのは、王族新聞記者――ローラ・ラウラント・ヴィッツであった。

 あろうことか彼女は、王族の令嬢という極めて高貴な身分でありながら、男子宿舎の大浴場に不法侵入するという大胆不敵な犯罪行為をいとも容易く、かつ完璧に行って見せたのだ。

 はっきり言って、普通に擁護のしようがない犯罪である。


「い、いくら王族の特権があると言えど……夜間の男子大浴場に侵入し、あろうことか俺たちの神聖な私物をすべて盗み出すなんて……!! 」


「そこまでして、そんなに俺のシルクのパンティが欲しかったのか、この泥棒猫め!! 」


「違います。断じて違いますわ。あと、言葉の響きが非常に、非常にはしたないです」


「そんなにシルクのおパンティが欲しかったのか!! 」


「そこ、わざわざ『お』を付けてリテイクしなくてよろしくてよ。下品な本質は一ミリも変わっていませんので…!」


 ローラは怒号を浴びせられても何も悪びれていない様子で、慣れた手つきでカメラの液晶画面に表示される撮影履歴のチェックを続けている。

 彼女の脳内はすでに、明日の朝刊の記事の文面をどう刺激的に仕立て上げるか……という一点にしか割かれていないようだった。


「流石にそれ、王族としても記者としても一線越えてて駄目だろ……一体全体、何が目的なんだよ」


 レンの至極全うな、そして心底呆れ果てた質問に対し、ローラはフンと鼻を鳴らして誇らしげに胸を張って答えた。


「決まってますわ! 全ては至高のスクープの為!! 騎士団の皆様ったら、試験期間中は本当に大人しすぎて、全然面白い記事が書けないんですもん!! 」

「そんな理由で俺たちの尊厳を人質に取ったのかよ!? 」


 試験期間中は、あのベアトリクスですら補習や課題に追われて爆発事故の頻度が減り、血気盛んな筋肉魔人たちも赤点回避ひいてはニーナの地獄のスパルタ教育や皿洗いの刑の回避の為に、大人しく真面目に部屋に引きこもって勉強する。

 そのため、新聞のネタになるような問題や不祥事を全く起こさなくなるのだ。

 ネタがなくて困ったローラは閃いてしまった――


「不祥事が起きないのなら、私自らの手で不祥事の元凶を作り出せばいいじゃない!」と。


 大浴場に入浴する人間が最も少なくなる夜の時間帯を正確に狙い澄まし、事前に男子宿舎へ潜入。

 脱衣所のロッカーから衣服、タオル、果ては自室の鍵までも含めた全ての私物をリネン庫へと移動させ、自室に帰れなくする罠を張った。


 あとは、バスタオルを求めてリネン庫へやってくるであろう、衣服を失って全裸——あるいはゴミ袋や紙コップ等の変態装備——に成り果てた哀れな騎士たちを、この死角から一網打尽に激写する!!

 これが、彼女が荷物を移動させる多大な手間すら惜しまずに計画した、恐るべきマッチポンプ作戦の全貌であった。


「俺たちがっ……! どんな思いで、ここまで廊下を渡ってきたと……!! 」


「そうだ!! 貴重なゴミ袋を破いて頭を通し、手作りの紙コップだけで前線を隠すなんて、俺のこれまでの人生で初体験の屈辱だったんだぞ!! 」


「あら、おめでとうございます! 大変素晴らしい、いい人生の勉強になりましたわね!! 」


「こんな役に立たない露出狂の知識、今後の人生で一切使う機会ねぇわ!! 」


 下着泥棒――実際の目的は歪んだ記者魂によるスクープのためであったが――の真犯人がまさか守るべき王族の身内であるという最悪の結果に、一部の騎士たちはその場にガックリと膝を突き、完全に絶望していた。

 本来なら命を賭して守るべき気高き王族。その王族に背後から容赦なく裏切られ、挙げ句の果てには明日の新聞の第一面を、この紙コップ小隊の変態装備姿が堂々と飾ることになるのだ。


「まぁまぁ、そこまで絶望なさらないでください。さすがに私も鬼ではありませんから、無加工でそのまま載せるなどという野蛮な真似はいたしません。適度に良い塩梅のモザイクを随所に散りばめて……あ、お顔もちゃんと判別できないように隠します! このローラ・ラウラント・ヴィッツの名にかけて、そのくらいのお約束はお守りしますわ!! 」


「ちっとも安心出来ねぇよ!! そもそも顔と股間を隠すことによって、余計に変態指数が天元突破して犯罪者感が倍増するわ!! 」


「え……えぇ……? さすがにお顔をそのまま大公開されるのはお嫌だと思って配慮したのですが……(ドン引き)まさか皆様、全国民にそのお姿のままお顔を晒されたいという、そういう特殊なご趣味がおありで……? 」


「断じて!! 違うわーーーーーっ!!! 」


 ローラの悪ふざけと理不尽な論調は、さらに加速していく。しかし相手はいくら問題児とはいえ高貴な王族の令嬢。

 物理的な力を行使して無理やりカメラを強奪するわけにもいかず、紙コップ小隊が完全なる敗北の苦汁を舐めて涙を呑もうとした、まさにその時だった――!


「一体全体、何のゴミ溜めのような騒ぎですか。…………穢らわしい……」

「―――おう……。何だこれ、新手の新興宗教の儀式かよ……」


 リネン庫の扉が完全に左右に開き、冷徹極まる二つの声が室内に響き渡った。

 騒ぎを聞きつけた、夜の巡回中に女子騎士たちから「落ちていたバスタオルを片付けてほしい」と手渡されたバスタオルを抱えてリネン庫に赴いた偵察部隊隊長・ミカと、同僚のクリスがそこに立っていた。


 そんな二人の高精細な網膜に飛び込んできたのは――前隠しを手作りの紙コップ(手動のり付け仕様)で死守し、体を黒ゴミ袋で覆い尽くした、哀れな男たちの集団。

 極めつけは、新品のバスタオルを王様のマントのように肩に羽織り、頭の上に王冠のようにシルクの下着を誇らしげに被せた、自称シルクロード王国の高邁なる王の姿だったのである。


 あまりにも前衛的すぎる異常事態に、日頃は極めて有能な偵察の天才であるミカも、不遜な自信家であるクリスも、言葉を失って暫くの間完全に沈黙し、脳の処理と状況の判断を著しく鈍らせた。

 もし彼らがただ夜更かしをして、廊下でうるさく騒音を起こしているだけであるならば、『廊下で騒ぐのは止めなさい!! 』と一喝して叱るだけで済む、いつもの平穏な寮の日常だったのだ。


 しかし、いま目の前で直面しているのは、見る者の精神を汚染せしめる純度100%の変態の集団。

 そしてその奥には、なぜか魔導カメラを構えた王族の令嬢までが空間に同居しているという、最悪の方程式が完成していた。


「あー……み、ミカ様……その、これは決して怪しいものではなくて、深い訳が――」


「ローラ様。恐れながらお尋ねいたしますが、王族の方がこのような、男子宿舎の最奥の場所で一体何をされているのですか? 」


「ここは男子の完全な生活領域ですよ。つまり……男たちのプライバシーの塊、プライドの墓場。……宿舎への立ち入り自体は、試験期間中だからよしとして…… 」


 クリスは、恐怖で顔面蒼白になりながら直立不動になっている騎士の頭上に、未だちょこんと佇んでいるシルクの下着を一瞥して、ひどく怪訝で嫌悪の混じった表情を浮かべた。

 次にローラの持つ魔導カメラへと鋭い視線を移す。


「そのカメラは一体なんです? まさか、その手に持っている不審な機械で、今この瞬間のシャッターを切ったりはしていませんよね? 」


「あは、……あははは……まっさかぁ……。私がそんな、ハレンチな写真を撮るわけが……ねぇ? 」


「写してました!! 嘘ですミカ様!! しかもただ撮るだけじゃなくて連写ですわ!! カシャカシャってフラッシュまで盛大に焚いて連写してましたで!! 」


「お前なんか口調が...」


「ミカ様! クリス様! どうかお願いです、騎士団の、いや男たちの尊厳のために、ローラ様からあの悪魔のカメラを今すぐ没収して叩き潰してください!! 」


「……んで? 実際のところどうするよ、ミカ」


 クリスから実務的な判断を仰がれたミカは、暫くの間スッと栗色の瞳を閉じ、腕を組んで深く考え込んでいた。

 リネン庫に重苦しい沈黙が流れる。しかし、やがてゆっくりとその端正な瞳を持ち上げると、まずは言い訳を用意していたローラ……ではなく、目の前でガタガタと震える紙コップ小隊の面々を、冷ややかな、核心を突く視線で見据えた。


「理由が何であれ、そのような宿舎の風紀を著しく乱す不適切な格好で、夜の宿舎内を堂々と闊歩したのはいけません。何故その場で大人しく待機する、あるいは、他の部屋の誰かに声をかけて助力を求める、という真っ当な危機管理の判断が出来ないのですか? 恥ずかしい行動は即座に止めてください。何より、王族の令嬢の前ですよ」


「俺たちがたまたまその場にいなかったからってのは、そんなみっともない姿で徘徊していい理由には全くならねぇからな? 」


「「「「「す、すみませんでした……っ!!! 」」」」」


 ぐうの音も出ないほどに正論すぎる、しかしあまりにも冷酷なミカとクリスの言葉に、その場にいた野郎共の全員が一斉に深く頭を下げた。

 彼らが自分たちより年下であろうと、厳格なる上官であり、この宿舎の規律を預かる寮長である以上――そして、自分たちのこれまでの余りにもお粗末で知性を欠いた変態的隠密行動を客観的に振り返れば、全うに叱責されるのは当然の帰結であった。


「……それから、ローラ様」

「は、はいぃ……っ」


 いくら奔放な王族新聞記者とはいえ、本気で怒らせると底が知れないミカの威圧感は恐ろしいのか、ローラはまるで冷水を浴びせられた借りてきた猫のように細々と縮こまった。

 それでもなお、手にしたカメラだけは決して身体から離そうとしない。

 そこには「何が何でもスクープを届ける」という、無駄に筋の通った熱血記者の執念と根性が見え隠れしていた。


「そのカメラは没収、いえ――処分いたします。いくら王族新聞の自由な記者活動とはいえ、この者たちのこのような――……あまりにも下品で、見苦しい姿を王宮内に晒すわけにはいきませんから。騎士団の、ひいては王国の名誉に関わります」


「で、でもぉ……っ! 私がこれだけの苦労をして仕込んだ、試験期間中の唯一の超特大スクープなんですよ……!? 」


「『でも』ではありません。―――クリス」


「はいよ」


 ミカの冷徹な呼び掛けに対し、短い、そして極めて軽い返事を返すと、クリスは一切の躊躇なく、そのスマートな身のこなしで靴の仕込みから一本の鋭利な隠しナイフを抜き放ち――


「や、止めて!! それは私の命より大切なーーーっ!! 」


 ――シュッ。


 という、鋭く空気を切り裂く風切音が、狭いリネン庫の中に短く鳴り響いた。

 次の瞬間、ローラの持っていた魔導カメラのレンズのド真ん中、そしてカメラ本体の心臓部へと、クリスの放ったナイフが正確無比にクリーンヒットした。

 パキィンという甲高い破壊音と共に、精密な魔導部品と、紙コップ騎士たちの無様な写真が保存されていたはずの記録媒体が、文字通り木っ端微塵になってリネン庫の清潔な床へと無残にばら撒かれたのだった。


「相変わらず、やることに容赦がねぇな……」

「ミカ様と、その相棒のクリス様だからね……。怒らせたら終わりだよ……」


 レンとラバックを含む騎士たちは、その一瞬の、しかし劇的な「王族新聞カメラ破壊の処刑劇」を、ただただ息を呑んで黙って見届けていることしか出来なかった。

 建国からわずか数十秒――シルクロード王国は、規律の番人たちの絶対的な武力と正論の前に、跡形もなく、あまりにもあっけなく崩壊したのである。 


 床に無残に散らばった魔導カメラの残骸を、ローラはまるで我が子のように悲痛な顔でかき集めていた。

 そして、手のひらの上でバラバラになった精密部品を暫くの間じっと見つめた後、絶望に声を震わせながら小さく呟いたのだ。


「……修復……不可、能……」


 ガクリと項垂れる王族の令嬢。そんな彼女の様子など一ミリも気に留めることなく、最新型の魔導カメラを容赦なく一撃で破壊したクリスは、素早い手つきで床のナイフを回収すると、そのまま迷いのない足取りでリネン庫の奥へと進んでいった。


 数秒後には、「ほらよ、お前らの私物」と軽い声をかけながら、ご丁寧に一纏めにされた着替えや私物一式が入った大きな袋を二つ、ポイポイと容赦なくこちらへ投げてきた。

 それをレンとラバックが各々絶妙な動きでキャッチし、袋を開けて自分の私物を引っ張り出した。

 ゴミ袋と紙コップの呪縛から解放される為の、待ちに望んだ本物の衣類がそこにあった。


「―――着替えを済ませたら、すぐにこのリネン庫の清掃をしてください。それを以て今回の騒動は『お咎め無し』とします。今回は、貴方たちもローラ様の巻いたトラブルの被害者でしょうしね」


「あ、ありがとうございます……」


「た、助かった……命拾いした……」


「ただし、次同じ問題を―――そのような事態が二度と無いことを切に祈りますが―――引き起こした場合は、反省文の提出に加えて、次は本当に厳しい処罰を行いますからね」


「「「「「はい……」」」」」


 ミカから告げられた情状酌量に、騎士たちは一斉に安堵の息を漏らしながらも、その鋭い釘差しに背筋を正した。

 一方で、未だに壊れた魔道カメラの残骸を抱えて涙ぐむローラ。

 しかし、悪いことをすれば相応の天罰が下るのは世の必然である。追撃とばかりに、ミカは冷徹な眼差しのままローラに向き直った。


「ローラ様。この件に関しましては、事後処理として騎士団長、及び主席メイドのニーナ様にすべて正確に報告いたします」


「なっーーー!? そんなっ!? あんまりです!!ミカ様!! 」


「王族じゃなかったら、その場ですぐに警備隊にしょぴかれてる案件だからな……」


「後悔されるというのなら、このような事態は二度と引き起こさないでください……。ただでさえ試験期間中だというのに、また余計な報告書の作成と提出を行う必要が僕にはあるんですから……」


「マジでそれ。明日からまた、他の小隊や宿舎の連中から『あいつら、また何かやらかしたらしいぞ』って、哀れみの混ざった生温かい目線を浴びせられる俺らの気持ちも考えてくださいよ……」


 ミカとクリスという、現場を預かる若い中間管理職者たちのあまりにも切実でリアルな心情の吐露に、リネン庫の空気はさらに重く、どんよりとしたものになって男たちの肩にのし掛かった。


「お送りします。お手をどうぞ、ローラ様」

「うっ……うっ……私の、私の特大スクープが……私のカメラが……」


 ミカがスッと紳士的に手を差し出し、それに釣られるように反射的に手を取るローラ。

 ローラは未だ愛機の死の悲しみから立ち直れない様子でよろよろと立ち上がると、ミカの先導に伴われて静かにリネン庫から退出していった。


「んじゃ、お疲れ。ちゃんと掃除してから寝ろよ」


 クリスが短い、ぶっきらぼうな挨拶と共にひらりと手を振ってリネン庫を去った。


 ――静まり返るリネン庫。


 上官二人が完全にいなくなったのを見届けた後、それまでバスタオルを纏って踊っていた自称シルクロードの王は、頭の上に乗っていた栄光の王冠――ではなく、ただのシルクの下着を、リネン庫の床に向かってこれまでの全ての鬱憤を晴らすかのように力任せに叩きつけた。


「おい!! 俺の最高級シルクパンティがっ!! 何すんだよ!! オニューなんだぞ!!」


「うるせぇ!! これを見ると、今夜のあの暗黒の行軍の記憶がフラッシュバックして無性に腹が立つんだよ!! 」


「お前が勝手に頭に乗せて王様ごっこしてたんだろ!! パンティには何一つとして罪はないだろ!!? 」


 夜のリネン庫に虚しく響き渡る、野太い男たちの醜い怒鳴り合い。

 その哀れな咆哮に対して、まともな反応を返せる理性を持った者は、その場にはもう一人として残っていなかったのである――


 ◇ ◇ ◇


 凍てつくような冬の夜だった。

 吐き出す息はどこまでも白く、かじかんだ指先を突き刺すような冷気が、静まり返った辺り一帯を支配している。

 見上げる夜空には、ただただ息を呑むほどに美しく、鋭い光を放つきらびやかな満天の星々が広がっていた。

 その光景を、隣に立つ幼い彼女は、一心に見つめていた。


「―――戦場で散った者は星になるんだって」


 まだ凄惨な戦火の味も、人の命が呆気なく消え去る無慈悲な現実も、何一つとして知らない無垢な少女は鈴を転がすような澄んだ声でそう言って、ただ純粋な憧れを抱くように満天の星空を見上げた。


「―――……そうなんですか」


 まだほんの子供だった僕は、ただそう答えることしかできなかった。

 そんなお伽話のような、けれどどこか不穏な響きを持つ言葉に対して、一体どんな反応をすればいいのか分からなかったのである。

 しかし、少女は僕の困惑など気にも留めない様子で、その小さな唇を再び開いて言葉を続けた。


「―――私、いつか星になりたいなぁ……」


 それは、ただの子供の気まぐれな夢物語などではなかった。

 仄暗い夜闇の中で、明確な、揺るぎない意思を以て告げられた言葉だった。

 白く立ち上る息の向こう側、彼女の深い瞳には、天に煌めく満天の星々しか映っていなかった。

 そこに、僕の姿が入る隙間などないように思えるほどに。


「―――それ、誰かに殺されたいってことですか? 」


 今思えば、なんてデリカシーの欠けた、あまりにも不躾な発言だっただろう。

 戦場で散るということは、すなわち戦って命を落とすということだ。

 それをそのまま口にしてしまった僕に対して、しかしまたしても彼女は気にした様子は微塵もなかった。

 怒るでもなく、悲しむでもない。もしかしたら、僕がどう答えようと、彼女は僕の言葉に対して何も感じていないのかもしれなかった。


「―――うーん……分からない」

「分からない?」


少しでも会話を続けたくて短い相槌を打つ。


「うん。だって戦場で死ぬってことは名誉あることであってーーーでも痛いのは嫌だなぁ…とか。…けどね」


 相変わらず、彼女の視線は遥か天の高くで瞬く星空に向けられたままであって、すぐ隣にいる此方にその視線が向くことは一度としてない。


 冷たい風が、彼女の髪を微かに揺らす。


「―――師匠はよく、星を見てるから」


 彼女が大切に慕う高名な師。その人が、かつて戦場で失った大切な同胞たちを想い、哀悼を捧げるように夜空を見上げているのだということを、当時の僕は知知っていた。

 そして彼女が師匠の背中を、その視線の先をずっと追いかけていることだけは分かっていた。


「―――だから星になりたい? 」

「―――うん。そしたら、ずっと私を忘れないでいてくれるでしょ? 」


 あまりにも無垢で、そしてあまりにも無邪気で歪な思考だった。

 ただただ、師に認められたい、自分という存在をその瞳に未来永劫焼き付けておいてほしいという、その一途な一心だけで紡がれた言葉。

 そのあまりに純粋で重い想いに気圧されて、やはり僕は何も言うことができなくなってしまった。


 冬の静寂が、二人の間に再び降り積もる。


「―――ねぇ」

「―――何ですか」


 不意に、僕を呼ぶ声がした。

 けれど、問いかけてきたのは彼女の方だというのに、その視線はやはり冷たい星に向けられたまま。

 僕の方を向いてはくれない。それが、子供心になんとなく悔しくて、僕は少しだけぶっきらぼうな返答で対抗してみる。


 少しでも、こちらを気に留めてほしくて。

 しかし、やはり彼女は気にしない。

 最初から、彼女には僕の姿なんて見えていないみたいだった。


 彼女の世界は、僕の届かない遥か遠い場所にあるように感じられて、寂しさが胸を締め付ける。

 そんな僕の葛藤など露知らず、少女は静かに、けれど呪いのような確かな重さを持って、未来の約束を口にした。


「―――もし、私が死んじゃいそうだったら」


 遠い夜空を見つめたまま、微かに震える声で。


「―――その時は君が私を殺してね」


 見知らぬ悍ましい敵の手にかかって無残に命を奪われるくらいなら、他の誰でもない、幼なじみである君の手で。


 それは、ひどく寒い冬の日だった。

 星が、残酷なほどに綺麗な夜だった。

 まだ彼女が、戦禍の嵐に巻き込まれる前の、何色にも染まっていない無垢な少女で――


 僕のよく知る、あの頃の彼女のままの姿をしていた頃の、大切な、そして切ない記憶の断片。


 ◇ ◇ ◇

 

 王族であるローラを無事に、かつ借りてきた猫のように大人しくなった彼女を連れてヴィッツの屋敷へと送り届けた後、僕はどっと押し寄せてきた疲れから深いため息を吐きながら、夜の静寂が満ちる宿舎への帰路を一人歩んでいた。


 その途中肌を刺す冷気の中に、あまりにも身近で、決して見紛うことのない独特な気配を感じ取った。足を止め、宿舎の裏手に広がる小高い丘の上をそっと見上げる。


「―――シルフィ」

「―――……うん」


 呼び掛けから、その応答が返ってくるまでに数秒の空白を要した。丘の上に静かに佇んでいた彼女は、どこか焦点の合わない、淡い空色のような――あるいは全てを飲み込む深い湖のような瞳を夜空へ向けていた。

 

―――その瞳は相変わらず、僕を見ていなかった。

 

「また夜間に出歩いて、魔獣狩りでもしていたんですか」


 それは疑問ではなく、確信を以て伝える言葉だった。

 彼女はまるで体内に残る闘いの熱をゆっくりと冷ますかのように、冷たい夜気を深く吸い込んで深呼吸すると、ようやくその視線をこちらへと合わせてきた。


「駄目? 」


「駄目です。いくら実力があろうと、正式な魔獣の討伐任務という名目がなければ、ただの夜間外出の規律違反ですからね」


「じゃあ、こんな夜中に起きてるミカも共犯者? 」


「僕は明確な理由が――……あぁ、もういいです。君に言っても始まりませんね」


 彼女にこれ以上、規律だの何だのと説法を説くのは時間と労力の無駄だと諦めて、僕は足を進めて彼女のいる小高い丘の上へと移動した。

 特に深い意味はなかった。ただ、彼女がそこにいたからだ。


「今夜は星が綺麗だね」

「そうですか? いつもと変わりませんよ」


 再び満天の星空へとその視線を移したシルフィに対し、僕はわざとぶっきらぼうな口調で言い放った。

 けれど彼女はそんな僕の態度を大して気にも留めず、ただ美しくまたたく星空を見上げていた。


「―――戦場で散った者は星になるんだって」


 その瞬間、脳裏を強烈な既視感が駆け抜けた。胸が苦しくなるほどの懐かしさと痛みを伴うそれは、はるか昔、まだ無垢だった頃の彼女の口から確かに聞いた言葉だったから。


「……そうなんですか」

「興味ない? 」

「続けてください」


 一瞬、こちらの様子を伺うように微かに首を傾げる素振りを見せたものの、やはり彼女の視線はすぐに天の星空へと向いてしまう。


「―――私、いつか星になりたいなぁ」


 きっと、深淵から戻り、血嵐戦争の過酷な経験によって記憶を欠損してしまった今の彼女は、あの冬の日の約束を覚えていないのだ。

 今の彼女からすれば、これはただの、他愛のない「初めての会話」のつもりなのだろう。


 けれど、この先に紡がれる言葉を、僕は既に知っている。


「―――自殺願望でもあるんですか? 」

「ない」


 かつての冬の日とは違い、彼女はきっぱりと、明確な意志を以て即答した。

 あの頃は「分からない」と曖昧に答えていた彼女は、過酷な戦場を経て、今は自身なりの確固たる答えをその胸に持っているようだった。


「けど、死んだら星になりたい」

「……そんなこと願わなくても、世界はきっと君を忘れないでしょうね」

「……どうして? 」


 珍しく、こちらの言葉に興味津々といった様子で問いかけてくる彼女が新鮮で、僕は小さく苦笑した。

 感情の起伏が乏しくなった今の彼女において、それは滅多にないことだったからだ。


「君ほどの強烈な戦いぶりをする騎士は、嫌でも歴史にその名を残しますよ。間違いなくね」


―――だから、そんな悲しいことは願わなくていい。


 その、喉元まで出かかった本音の言葉を、何故か僕は静かに飲み込んでしまった。理由は自分でもよく分からなかった。


「うーん……でもさ、敵に無様に殺されるのは嫌だなぁ」

「………そうでしょうね」

「その時は君が殺してくれる? 」


―――あぁ、やはり、最後はこれに繋がるのか。


 記憶を失い、戦闘狂と呼ばれるほどに変わってしまった彼女だけれど、その根底にある本質はあの頃から何も変わっていないのかもしれない。

 そんな微かな、すがりつくような希望を、僕は一瞬だけ胸に抱いてしまう。

 

―――あの日の、何色にも染まっていなかった無垢な少女は、もうどこにもいないというのに。

 

「いいですよ。君が本当に死にそうなら、その時は僕が」

 

―――君を、この手で殺してあげます。

 

 昔の僕は、『シルフィがそう言うから』『そう約束したら、いつか僕を見てくれるかもしれないから』という期待からその言葉を肯定していた。

 けれど、今の僕が返すその言葉の意味は、あの頃とは全く違っていた。

 誰か見知らぬ敵に無残に命を奪われ、彼女の誇りが汚されるくらいなら――その命の灯火を消す役目は、他の誰でもない、自分が背負う。そのあまりにも重く、昏い覚悟に変わっていた。

 

―――結局のところ。


 あの遠い冬の日の夜と同じように。

 彼女はすぐ隣にいる僕を見ているのではなく、その瞳にはただ、遥か天上に瞬く満天の星々しか見えていない。


―――君に、そんな冷たく凍てつく星辰の輝きは、似合わないというのに。

最後までお付き合いいただきありがとうございました!

こんな戯れ言に付き合っていただき、大変恐縮です。

これからも彼らの活躍を見守っていただけたら嬉しいです!


あなたにも風の導きが有らんことを

にしみん

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