足取りは軽やかに ⑦
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説明口調な地の文や描写に加え視点がコロコロ変わります、ご容赦くださいませ。
《試験プロセス》という名の、ベアトリクスによる人災混じりの大騒動から一夜明けた翌日。
今朝の朝礼は何事もなく――爆発もせず――無事に終了し、日課である地獄の外周を終わらせた騎士たちは、飢えた獣さながらに騎士団専用の食堂へと雪崩れ込んでいた。
食堂内に広がるのは、香ばしい焼きたてのパンの匂い、みずみずしく冷えた新鮮なサラダ、パキッと音を立てて肉汁が溢れる熱々のソーセージ、そして五臓六腑に染み渡るコク深い熱々のコンソメスープ。
聖ラウラント騎士団の食事は、王宮御用達の料理人が手掛けているだけあってどれも絶品だ。
この至高の食事があるからこそ、日々の肉体的・精神的な拷問訓練にも耐えられるのだと、全騎士が本気で思っていた。
レンたちがトレイを囲み、今日これからの日程について談笑している中、隣のエルンがおもむろにスッと視線を鋭くした。その先にあるのは、偵察部隊の面々が陣取る一帯だ。
まるで獲物を狙う狩りでも始めるかのように爛々と輝くその瞳に、ただならぬ不穏な気配を察知したラバックは、無言で『俺は一切関係ありません、巻き込まないでください』と言わんばかりに、音を立てないよう静かにコンソメスープを啜り始めた。
「ふふふ、見ましたか? 今朝もシノアさんは、バッチリとミカ様の隣の席を確保しています……!その調子です、シノアさん!!」
「お前……まだあの『黒の恋大作戦』とやらを諦めて無かったのかよ。ぶっちゃけ、ミカを恋愛感情で落とすのって、神話の魔獣を単独で討伐するより無理じゃないか……?」
「そんなことありません! ロディ団長だって先日、執務室で仰っていたじゃないですか! 『感情がある以上、好意を覚えることはある』って!! 可能性はゼロじゃないんです!」
エルンが鼻息を荒くして熱弁を振るっている、まさにその背後に、不意にスッと美しい影が落ちた。
本来、この厳格な規律に守られた騎士団専用食堂に、一般の部外者が立ち入ることは絶対に許されない。――ただし、幾つかの最上位の特権を持つ『例外』を除いて。
「わ、わあぁっ!? ロ、ローラ様……!? なんでこんな場所にいるんですか!?」
いきなり背後に現れた王族に対し、ラバックがパニックを起こしてパニーニを喉に詰まらせかける。
周囲のベテラン騎士たちもその姿に気づいたが、今更驚く気力もないのか『またローラ様か……』『お願いだから、静かに飯を食わせてくれ……』『問題さえ起こさなければ、もう何でもいいや……』と、完全に悟りを開いた目で視線を逸らし始めていた。
「当然!シノアさんの恋の行方をこのカメラと手帳に激写しに来たに決まっているじゃないですか! !(まぁ、本当はニーナによる地獄の『王室花嫁修行』のシゴキから命懸けで逃げてきただけなんですけどね……!)」
「ローラ様……っ! なんて心強い味方なんでしょう!! 応援に王族の方が加わってくだされば、もはや百人力です!!」
「はぁ……。俺はもう完全に知らないからな。勝手にやってくれ……」
レンが心底呆れ果てた声で突き放すが、恋する乙女を応援する悪ノリ公女たちはどこ吹く風。
彼女たちの熱い視線は、再び偵察部隊のテーブル――ひいては、ミカの隣で緊張に固まっているシノアへと移っていった。
◇ ◇ ◇
一方、その視線の中心にある偵察部隊のテーブルでは――
「それで、一週間前に行った国境沿いの測量レポートがまだ出来ていないと? 」
「いやー……俺だって遊撃部隊のフォローとか、他にも色々とやることがあった訳だし? 多少の遅れは不可抗力っていうかさぁ」
「言い訳は聞きません。提出期限は『明日まで』だと、何度も念を押した筈です。午後は他部隊との合同定例会議が控えているんですから、当然、今夜それが完成するまで絶対に寝かせませんからね」
「へーへー、分かりましたよ、鬼隊長殿」
「ふふ、相変わらずだね、クリス。さっさと書いちゃえば楽になれるのにさ」
涼しい顔でサラダをつまむシルフィーネの正論に、クリスはバツが悪そうに視線を泳がせた。
クリスハイトという少年は、実戦における偵察・測量任務自体は完璧にこなす天才肌なのだが、それを文字に起こして書類という文面に要約する作業が、壊滅的に苦手な男だったのだ。
「いや、そもそも測量なんて、俺が描いた精密な図面が一枚あれば充分だろ? なんでわざわざ、文章で『ここに川があります』とか書かなきゃいけない訳? 見りゃ分かるじゃん、図面見りゃ!」
「実に見苦しい屁理屈ですね。君は、何年この偵察部隊に所属しているんですか?いい加減、僕の添削を挟まなくても、まともな報告書が書けるようになってほしいものです。本当に」
ミカが心底疲れたように深く大きな溜め息を吐き出す。
隣に座るシノアは、普段は完璧で冷徹なミカが、幼馴染の前でだけ見せるそんな人間らしい「困り顔」を、胸をときめかせながらどこか嬉しそうに見つめていた。
その背後――少し離れたパンの配膳台付近からは、姉のシノンが密かに『シノア、今よ! もっと自分をアピールしなさい!』と鋭い視線で熱いエールを送っている。
このヴァラキー姉妹、昨日の代理決闘の騒ぎに対する反省の色が、驚くほど一ミリも残っていないのである。
「まぁまぁミカ、五年経ってもまともな報告書が書けない騎士だって、この広い世界には沢山いるさ。ほら、今は多様性の時代だぜ?」
「そんな不条理な多様性、僕は一切認めませんし、業務上許しません。午後の定例会議がどれだけ長引こうと、君の提出期限は一分一秒たりとも伸ばしませんからね」
「だってさ。頑張ってね、クリス」
「おいシルフィ、他人事みたいに言ってるけど、お前だって長期遠征中の、あの山のような大量の滞納報告書があるだろうが! お前の方が深刻だろ!」
クリスが道連れにせんとばかりに噛み付くが、シルフィーネはどこ吹く風で、優雅に温かい紅茶を口に運んだ。
そのあまりに優美で余裕に満ちた態度から、クリスは直感的に何か恐ろしい事実を察したように目を見開いた。
「――お前、まさか……嘘だろ?!」
「うん、八割方終わってるよ。残りの微調整も、今夜中には全部片付くかな」
「馬鹿なっ……!!? あれ、優に半年分はあるんだぞ!? どんな超スピードで書いてんだよ!!」
「クリス、君の筆記が遅すぎるだけです。シルフィーネ副隊長は、暇潰しに魔獣の拠点を潰すその直前にも、現地で報告書を書き進めるほど事務能力が高いですからね。まったく……実戦の身のこなしは優秀だというのに、ペンを持たせるとこれですから」
ミカの辛辣な追及と、完璧な幼馴染二人の会話。
その「身内の空気」の中に、後から入ってきた新人であるシノアは、どうしても入り込むきっかけを掴めずにいた。
そんなシノアの不甲斐ない様子に、少し離れた席でハラハラしながら見守っていたローラが、ついに痺れを切らした。
彼女は王族としての身分を完全に忘れ、分厚い記者手帳でバンッと机を叩いて音を立てると、シノアにしか見えない角度で、素早く殴り書きしたカンペの指示を掲げた。
『今よ! 貴女が昨日頑張って書いた、あのレポートを見せなさい!』
「――!? (ロ、ローラ……!?)」
カンペを見たシノアはハッと目を見開き、ゴホン、とわざとらしく一つ咳払いをして、隣のミカへと精一杯の声を掛けた。
「ふ、ふん! 何よオルティ、だらしないわね! ファーレンガルド!私は――私はあの、国境沿いのレポート、昨日中に完璧に書き上げたわよ!!」
「な、何だって……!? 新人のシノアまで、もう終わらせてるっていうのか!?」
「オルティ、今日の貴方、本当に色々とみっともないわよ」
シノンが冷ややかな視線でクリスに容赦ないツッコミを入れる。
しかし、そんな風に自分を精一杯アピール(?)してきたシノアに対し、肝心のミカは、一切の感情を排したジト目を真っ直ぐにシノアへと向けた。
「……なら、何故それを今ここで言うんですか。早く提出してください」
その、あまりにも情緒の欠片もないミカの超ド正論回答に、少し離れた席からレンが「ぶふっ」とスープを吹き出しそうになりながら心の中で盛大にツッコんだ。
(いや、正論じゃねぇか……!!)
(何故、偵察部隊の執務室の机に置いて置かなかったんだろう、彼女は……)
ラバックも「触れてはならない領域」だと本能で察し、頭を押さえながら深く頷く。
「しっ!! レン先輩もラバ先輩も、本当に乙女心がこれっぽっちも分かっていません!! 朝礼の時でもなく、執務室でもなく、『食事中のこのタイミングで、直接手渡しで渡す』ことに意味があるんですよ!!」
エルンが声を潜めながら必死に拳を握りしめる。
そんな外野の熱い作戦会議を知る由もないシノアは、顔を少し赤くしながら、カバンから取り出したレポートをミカの前に差し出した。
ミカは内心で(何故、わざわざ食事中のこのタイミングで手渡してくるんだ……?)と至極当然の疑問を抱き、不審に思いながらも、フォークを置いてレポートを受け取り、その一ページ目をパラリと捲り――
世間一般的に『報告書』とは、一体何を表す言葉なのだろうか?
それは特定の公務や任務、調査した事柄について、客観的な事実に基づいた内容を正確に記した文章である。
決して個人の情緒豊かな『感想文』ではないし、ましてや国境沿いの測量報告書であるが故に、地形や高低差を記した精密な図面も必要不可欠。
――なのだが。
「――――――」
食堂の喧騒が遠のくほどの沈黙を保ったまま、ミカの手によってパラリ、パラリと、絶望的な音を立ててシノアのレポートのページが捲られていく。
その栗色の瞳がページを追う度に、彼の端正な表情は目に見えてみるみる曇っていった。
その様子を、自信満々に胸を張って見つめていたシノアが、嬉しそうに声を弾ませる。
「どう? 結構頑張ったと思うの! お姉ちゃんと一緒に、夜遅くまで一生懸命書いたのよ!」
ミカのあまりの反応の重さに、背後から覗き込むように近づいたクリスが、気安くミカの肩にポンと手を置きながら、その手元のレポートを上から盗み見た。次の瞬間、クリスの顔が引き攣る。
「おう……。俺も人の事は言えねぇ立場だが、なんだこれ……?」
「何って、測量の報告書よ? オルティ、あなた自分がまともに書けないからって、私に嫉妬してるの?」
「……いや。俺、やっぱり自分の報告書、ちゃんと今夜中に仕上げるわ……。少なくとも、これ以上に出来のいいものにすることだけは、神に誓って確実だわ……」
((((一体、どんな報告書だったんだ……!?))))
クリスにそこまで言わしめるレポートの中身とは。
離れた席から見守るレン、ラバック、エルン、そしてローラの四名の脳裏に、凄まじい好奇心と一抹の恐怖が過る。
だが周囲の興味を惹きつける間も、当のミカの表情はいっこうに良くならない。
良くならないどころか、今にも片手で顳顬を強く押さえて、その場で悶絶しそうなレベルで深い絶望の淵に立たされていた。
「――この出来では、先が思いやられます。ヴァラキー姉妹、昨日の遅刻の件に対する反省文は、僕ではなくフリンズ副団長に直接提出するんですよ……?」
「あー……」
ミカのその一言だけで、クリスはすべてを察し、その隣で紅茶を嗜んでいたシルフィーネもまた、事の重大さを瞬時に察したように小さく目を細めた。
しかし、渦中の当事者であるシノアは、何が悪いのか全く理解できないといった様子で、可愛らしく小首を傾げる。
「? 何がいけないの? 項目に沿って、ちゃんと書いたでしょ?」
――もう、これ以上は見ていられない! 我慢が限界に達したローラが、ガタッと勢いよく席を蹴って立ち上がった。
「ミカ様! 私にも、その報告書を少々拝見させていただきたく――!!」
ローラが素早くミカの元へと詰め寄り、その手から報告書を受け取る。
……正確には、シノアの報告書のあまりの出来栄えに絶望したミカの指先から力が抜け、重力に従ってハラハラと崩れ落ちそうになった紙束を、ローラが抜群の執念でナイスキャッチしたのだが。
そこに、驚愕の文字で書き連ねられていた『シノアの報告書』の全貌がこれである。
【国境付近:北門からシャールド湖までの測量報告】
坂が沢山あって歩きにくかったです
川がいっぱい流れてました
分かれ道が多くて迷いました
湖綺麗だった
※以下、特徴をなんとか捉えようとした、幼児の落書きにも似た謎の歪んだ図面(?)
「………………これは……」
あまりにも直球すぎる「感想」の羅列に、さしものローラも言葉を失い、美しい顔を硬直させた。
そんな様子を見かねて、せめてもの慈悲のつもりなのか、シルフィーネが空色の瞳をシノアに向け、静かに、しかし冷徹な現実を忠告する。
「ちなみに言っておくけど、フリンズ副団長は容赦なく報告書を書き直させるし、業務に関係のない無駄な改行とか、おかしな句読点とか、そういうのを一切許さない厳しい性格の持ち主だから」
シルフィーネのそんな優しい気遣いすら、ミカは力なく首を振って遮った。
「無駄ですよ、シルフィ。これは……あのクリスの報告書が、実に見事な重要書類に――まともに見えるレベルです」
「――は? ちょっとミカ、今なんて言った? クリスのあの報告書がまともに見えるって、流石にそれだけは絶対にあり得ないんだけど」
「お前ら、後で覚えとけよ……?」
ミカの発言に、シルフィーネが思わず呆れたように笑い、道連れにされたクリスが不満げに二人を睨みつける。
そんな風に、幼馴染の三人だからこそできる一瞬の軽口の応酬で、目の前の過酷な現実から現実逃避を始める中、シノアと、背後で見守っていたシノンの二人は、未だに何が悪いのかが全く理解できないという様子で揃って首を傾げていた。
「これのどこがいけないって言うのよ!? ちゃんと現地の様子が伝わるじゃない!」
「全てです。ありとあらゆるもの、その構成の全てが報告書として破綻しています」
「割とマジで、国家の危機レベルで壊滅的だよ、これ」
ローラが引き攣った笑みを浮かべながら、静かにシノアの報告書を机の上へと戻す。
それをクリスがひょいと拾い上げ、特に何の予備動作もなく、呼吸をするような自然さで隣のシルフィーネへと手渡した――まるで王立院の授業中に行われる、教師の目を盗んだ手紙の回し読みのような、あまりにも慣れ親しんだ幼馴染同士の連携。
受け取ったシノアのレポートを一読したシルフィーネは、深く、深い溜め息を吐き出した。
「――――――……うん。本当に、凄いものを見せてもらったよ……」
「そ、そこまで言う!?」
シルフィーネのその一言に、シノアはショックを受けたように声を尖らせる。
しかしその時、固まる一同を見つめていたローラの中で、とある天啓にも似た、閃きに満ちた思考が急降下してきた。
――待って。これはピンチなどではない。むしろ、シノアさんにとっては願ってもない最大のチャンスなのでは……!? と。
「ミカ様。しかし、このままの状態で副団長に提出されては、我が偵察部隊の隊員が『報告書一枚すらまともに書けない無能の集まり』だと思われてしまいますわ!」
「既に、まともに書けない人間を一人抱え込んでいて頭が痛いのですが……」
「それが二人……いえ、後ろで頷いているシノンさんも加えると、一気に三人に増えてしまいます! これは部隊の威信に関わる大問題ですわ! 故に!!ミカ様が直々に、居残り任務として彼女たちに報告書の書き方を、付きっきりでご教授されるのがよろしいかと思いますの!!」
「え……えええーっ!!?」
(う、嬉しさ半分、でも恥ずかしさと緊張が半分……っ!?)
ローラのあまりにも完璧なアシスト――マッチポンプ――提案を耳にした瞬間、少し離れた席のエルンは「やったぁぁ!」と心の中で狂喜乱舞し、逆にレンとラバックの二人は、これからミカに訪れるであろう果てしない苦労を察して、胸の前で静かに十字を切り、その身を憐れんだ。
「……はぁ。仕方がありませんね……。今日の午後の定例会議が終わり次第、執務室で速やかに行いましょう。僕としても、部下の不始末のせいでフリンズ副団長から直々に、延々と説教を説かれるのだけは御免被りたいですからね」
「……え、あ……やっ――……!?? 」
あまりの嬉しさにシノアの語彙力が完全に停止した。
(フ、ファーレンガルドと放課後、じゃなくて、夜の執務室で二人きり(違う)のレクチャー……!? )
「良かったわね、シノア!! ファーレンガルドに直接教えてもらえるなんて最高じゃない!」
「――――はぁ。本当に、お前ら姉妹は何も学ばねぇな……ほんと……」
シノンが妹の肩を叩いて大喜びする傍らで、ミカが背負うことになる今後の生き地獄をすべて察しているクリスの、力ない、憐れみに満ちた言葉だけが、食堂の片隅に虚しく響き渡っていた。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
こんな戯れ言に付き合っていただき、大変恐縮です。
これからも彼らの活躍を見守っていただけたら嬉しいです!
あなたにも風の導きが有らんことを
にしみん




