足取りは軽やかに ④
この作品を手に取っていただき、ありがとうございます✨
説明口調な地の文や描写に加え視点がコロコロ変わります、ご容赦くださいませ。
――その瞬間。
ひんやりとした湖のような、透き通った空色の瞳の奥底に。
一瞬だけ、ゾクリとするほど冷ややかな「狂気の色」が不気味に浮かび上がったことに。
緊迫する周囲の誰も、そして助けを求めたシリカ・ミュール自身さえも、まだ明確には気付けていなかった。
「どうしたの、シリカ」
「どうしたの、ではありません! このままじゃミカ隊長が、クリス様が大変なことになってしまいます……!!」
慌てふためくシリカを一瞥したシルフィーネは、大きな溜め息を吐くこともなく、ただゆっくりと背を預けていた大木から身を起こした。
彼女の細い身体が動いた正にその瞬間、張り詰めていた周囲の騎士たちの間でいよいよ動揺のざわめきが広がり始める。
「うわぁ……! シルフィーネ様まで動くのかよ……!」
「大丈夫なんでしょうか……!? 下手をしたら、今日の試験どころか偵察部隊の組織そのものが機能しなくなるんじゃ……」
ラバックとエルンが偵察部隊のあまりに不穏な未来を不安視して声を震わせる中、その横に立つレンだけは、傭兵時代に培った鋭い野生の勘で、本能的な「何か」を感じ取っていた。
(――あいつ、何か……おかしいぞ)
言いようのない、胸の奥を逆撫でするような違和感。
それを明確な言葉にして他人に伝えることは叶わなかった。
普通に考えれば、彼女は場を収めるために動いたはずだ。
実際、ヴァラキー姉妹が先日の朝礼で私語をしてフリンズに咎められた際にも、シルフィーネは飄々とした態度で彼女たちを庇って見せた前科がある。
だから今回もきっと上手く立ち回って助けてくれるに違いない。
――周囲の誰もが、そう信じていた。
「――フリンズ副団長殿」
「君まで割り込んでくるのですか。言っておきますが、今回は先日の朝礼の時のようにはいきませんよ」
「「……!!」」
シルフィーネが会話に介入したことにより、シノアとシノンは目に見えて内心の安堵を表情に浮かべた。
あの日のように、また何か副団長の追及を煙に巻くような奇策を提示してくれるのではないか――と、一筋の希望の光に縋るように彼女を見つめる。
それでも、並び立つミカとクリスの二人は、険しい表情を一切崩さなかった。
《疾風の絶槍》と《朔風騎士》という「十二勇士」同士が正面から対立するなど、組織として最も好ましくない破滅的な状況だからだ。
この場にいる相応の修羅場を潜ってきた人間は、誰もがその危うさを理解していた。
「もちろん、規律を乱した彼女たちには、しかるべき相応の処罰が必要です。ただ、この場で即座に首を刎ねるというのは……あまりにも、ね?」
シルフィーネがわざとらしくローラへと視線を投げ掛ける。
その意図に瞬時に気付いたローラは、「待ってました!」とばかりにコクコクと激しく首を振って同意を示した。
王族の目の前で凄惨な身内の血を流すのは、いかに冷徹無比な副団長といえど、外交的にも王宮の体裁的にも絶対に避けたい事態の筈であった。
「そ、そうですよ! もしもこの中の誰かの首が私の目の前で飛んだりしたら、エマ女王陛下に一部始終を包み隠さず喋っちゃいますからね!!」
大袈裟に手を振り回して捲し立てるローラ。
それでも、対するフリンズは微塵も余裕を崩さない。
この程度の王族による脅しや返し方は、とっくに彼の優秀な頭脳の予想の範疇に収まっていたのだ。
「――その脅しは意味を成しません。何もこの場で全てを終わらせずとも、後ほど然るべき場所で対処すれば済む話ですから」
「恐れながら副団長、それは――」
「ミカ・ファーレンガルド。《試験プロセス》並びに任務においてこれほどの規律を破った者に下される、騎士団の正式な処罰をここに述べなさい」
有無を言わせぬ冷たい宣告。
ミカは感情を殺し、ただ淡々と、教科書をそのまま読み上げるように答えた。
「――騎士団長、並びに副団長の権限により、対象を即座に謹慎処置。その後、軍務大臣フォーツルト閣下との決議を行い、同時に規律違反者への徹底的な素行調査を執行……。その監査結果の如何により――《騎士の除名》と処されます」
ただの遅刻であれば反省文や口頭注意で済むが、今回のような国家機密の絡む《試験プロセス》での著しい遅参は、事実上の『任務放棄』と同義。
監査役となった偵察部隊の隠密による厳しい調査を経て、騎士として相応しくないと判断されれば、正式な任命よりも遥かに手続きが困難とされる【騎士除名】の引導が渡されるのだ。
「よろしい。規律を忘れたが故の妄言ではなかったのですね」
フリンズの藍色の瞳がクリスへと向く。
クリスがフリンズを呼びかけるその声色は、いつもの彼が周囲に見せている飄々とした軽薄さとは、完全にかけ離れていた。
彼と共に本当の死線を潜り抜けたことのない一般の騎士たちが見れば、別人と見間違うほどに鋭く、張り詰めた声。
「発言を許可しましょう、クリスハイト・オルティ。君もその規律違反者たちの肩を持つと?」
「シノア・ヴァラキー、並びにシノン・ヴァラキーの両名は、未だ正式な騎士の任命を受けておりません。規律を定める法においては『見習い』の身。故に、正式な騎士を対象とした規律違反の重処罰を彼女たちに適応するのは、法理的に不当であると進言します」
「それで、裏をかいたつもりですか? 見習いであろうと正式な騎士であろうと、この団の外套を羽織り、戦列にある以上、規律は等しく守られるべきだ。――エルン・リヒター」
「……は、はい……!?」
突然、遥か格上の副団長から名をご指名され、エルンは完全に目を丸くして飛び上がった。
あまりの緊張に頭がクラクラと回りかけるエルンの揺れた肩を、隣のラバックが慌ててガシッと押さえ、なんとか転倒の失態だけは免れさせる。
「君は十四歳という年齢故に、未だ正式な《騎士任命》の条件を満たしていない。だが、自身が『騎士ではない』などと感じたことは、ただの一度でもありますか?」
「いいえ、ありません!!」
先ほどまで目を回していたエルンだったが、フリンズの真っ直ぐな言葉をぶつけられた瞬間、毅然と、きっぱりとした声でそう言い放った。
過去の剣術大会で優勝し、特例としてその実力で見習い入団を認められた少女は、怯むことなく副団長を見据える。
「私は未だ見習いの身でしかありませんが、聖ラウラント騎士団の一員であることを、その誇りを忘れたことは、ただの一度もありません!」
――我らは王国の盾なり。女王陛下の慈悲を胸に、民の安らぎを死守すべし。
それは、精神の成熟こそが正義を執行する騎士の絶対条件であると示す、騎士団《唱和五箇条》の一つ。
エルンはその言葉を胸に、しっかりと胸を張った。
「よろしい。クリス、君とて本質は理解している筈です。司法取引の身であろうと、そうでなかろうと、騎士団にいる以上は等しく《騎士》だ。絶対なる規律あってこそ、我々は正義の執行者たりえる」
「………はい」
ぐうの音も出ない完璧な正論。クリスは苦々しく唇を噛み締め、頷くしか出来なかった。
「フリンズ副団長閣下。この場は、ローラ・ラウラント・ヴィッツの名において、一度下がって頂けませんか。私が責任を持って彼女たちの身柄をお預かりします」
王族であるローラの、今までにない真剣なトーンによる本気の介入。
王族の介入を以てしても――フリンズという男は、一歩も退くつもりはないようだった。
これ以上の問答は無用とばかりに、フリンズの手がいよいよ、腰に帯びた細身の剣の柄へと掛けられる。
その最悪の挙動にいち早く気付いたミカの身体が、咄嗟に我が身を顧みず抜刀しようと沈み込み、それを察知したクリスが間一髪のところでミカの腕を力任せに掴んで止めた。
「馬鹿野郎ミカ! 何考えてやがる!? お前らしくねぇだろ!!」
「しかし……!僕は彼女たちの上官だ! 部下を守る責任がある!!」
ヴァラキー姉妹は、目の前で繰り広げられるミカとクリスの怒号の応酬に、大きく目を見開いていた。
特にシノアは、自分たちのあまりに身勝手な大失態であるにも拘わらず、自身の地位や命すら投げ打ってまで庇おうとしてくれているミカの背中に。
場違いなほど激しく胸の奥の感情を揺さぶられ、言葉を失っていた。
「――そこまで。フリンズ副団長、そこまで規律に拘り、譲れないというのであれば。……我々騎士の伝統たる《対話》でお話を付けるべきでしょう」
それまで冷徹な静黙を守っていたシルフィーネが、今にも剣を完全に引き抜こうとしていたフリンズに向かって、鋭く言葉を投げ掛けた。
その一言により、フリンズの手が抜刀の手前、ミリ単位のところでピタリと静止する。
「《決闘》にて審議を計れ、と? まさか、その規律違反者である彼女たちに、僕が遅れを取るとでも言うのですか」
「まさか? 彼女たち、めちゃくちゃ弱いもん。勝てるわけないよ」
シルフィーネは、ガタガタと恐怖に震えるヴァラキー姉妹を、まるで路傍の石でも見るかのように冷淡に一瞥した。
実際、この場にいる全騎士の中で、間違いなく一番実力が劣っているのはヴァラキー姉妹である。
決闘など成立するはずもない。
「では、対象が当人ではない《代理決闘》を、と? ……面白い。相手は誰ですか?ミカですか、クリスですか、それとも……」
「私」
「――ほう」
シルフィーネが短くそう告げた瞬間、彼女の空色の瞳の奥が、純然たる歓喜の光によって激しく揺らめいた。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
こんな戯れ言に付き合っていただき、大変恐縮です。
これからも彼らの活躍を見守っていただけたら嬉しいです!
あなたにも風の導きが有らんことを
にしみん




