足取りは軽やかに ③
この作品を手に取っていただき、ありがとうございます✨
説明口調な地の文や描写に加え視点がコロコロ変わります、ご容赦くださいませ。
ヒタ……と、その場にいる全員の心臓を凍りつかせるような、硬質で、抑揚のない声が響いた。
それは冷水を浴びせられたなどという生易しいものではない。極北のレジーナの永久凍土の底へ、生きたまま身体を叩き込まれたかのような絶対的な絶望感。
夜空のように深く、そして果てしなく冷たい藍色の瞳が、私服姿のヴァラキー姉妹を、正面から容赦なく射抜いた。次いで、その視線は横にいるローラへも向けられる。
「あ、あはは……ご機嫌よう、フリンズ副団長閣下! 本日は実にお日柄もよく……!」
さすがの空気の重さに引きつった笑顔を浮かべながらも、王族としての作法に則り、優雅に一礼してみせるローラ。
フリンズは僅かにその冷徹な目を細めたが、王家に対する絶対の忠誠心を持つ彼らしく、私情を排して極めて洗練された騎士としての一礼を静かに返し、敬意を示した。
(内心、只でさえ二度寝の不祥事で処理が増えるというのに、これ以上ない面倒な爆弾(王族の取材)を連れてくるとは……と、底知れない呆れを抱いているのは言うまでもない)
フリンズの後方では、アルハイサム書記官もまた流れるような所作でローラに礼を返していた。
しかしその瞳の奥は、すでに完全に「悟りの極致」を開いた虚無の光が宿っている。
(私服で現れた遅刻魔の姉妹。そこに現れた、最高に立ち回りの面倒な王族のローラ。この瞬間、アルハイサム書記官の脳内阎魔帳には【本日の残業☆確定!!】の文字が、禍々しい金文字で刻印されたのだった)
そしてロディ団長に至っては、剣を磨く手を一瞬だけ止め、天を仰いで、この世の終わりかと思うほど壮大で深い、深い溜め息を吐いていた。
(ヴァラキー姉妹が入団して以来、絶え間なく続く問題行為の数々。ロディの脳裏には、この試験プロセスが終わった後、軍務大臣フォーツルトから「一体どういう教育をしているんだね、ロディ団長?」と、ネチネチと長時間の小言を食らう自分の未来の姿がハッキリと見えており、お疲れ様としか言いようのない哀愁を背中から漂わせていた)
静寂が深く、重く、広場を支配する。フリンズ副団長の冷徹な視線が、再び私服姿のヴァラキー姉妹へと戻された。
《影落の森》の冷気が、更に一段と濃くなったように感じられた。
「実戦なら、既に貴女方の首は飛んでいます」
フリンズ副団長はただ淡々と、事実を告げるように静かにそう溢した。
あまりの威圧感に、ヴァラキー姉妹は沈黙するしかなかった。
何か言葉を返そうにも、喉の奥が完全に強張り、口が開いてくれない。
先ほどアローズが語ってくれた「油断している瞬間こそを狙って奇襲をかけてくる」という騎士団の過酷な本質が、今になって呪いのように脳裏で激しく繰り返されていた。
「ロディ団長。この件、私に一任する許可を」
「……元々《試験プロセス》はお前の管轄だ。俺は今回、一切口を挟まん」
団長のその重苦しい声が響いた瞬間、それまでどこか余裕を崩さなかったローラの表情がギョとしたものに変わった。
フリンズは「感謝します」と短く一礼すると、ゆっくりとヴァラキー姉妹の方へと歩み寄る。
軍靴が湿った土を踏み締めるその一歩一歩が、彼女たちにとってはまるで、逃れられぬ死神の訪れのように感じられた。
「さて――理由があるなら聞きましょう。どんな経緯があれば、私服で規定の時間を大幅に遅れる事態になるのか……僕も非常に興味深い」
――答えなければ、本当にここで首が飛んでしまう。
暗殺者として培ってきた本能が、最大級の警報を鳴らしながらそう告げていた。
恐怖で奥歯をガタガタと震わせながら、姉のシノンが消え入りそうな声でどうにか答えた。
「ご、ごめんなさい……っ……」
「僕は『理由』を聞いているんです。謝罪は求めていません」
「あ、えっと……フリンズ副団長閣下? 彼女たちはまだ入団して日も浅いですし……その、言葉の行き違いもあったようで……」
「日が浅ければ、規律を乱してもいいと?」
「そうじゃなくて、ちょっとは穏便に……」
ローラが必死に食い下がっている間にも、周囲の霧を割って次々と小隊たちが中央へ集まって来ていた。
その中には、前線部隊の第六小隊の姿もあった。
凄惨な空気を察知したラバックが「うわ……最悪のタイミングだ……」と声を漏らし、エルンは「昨夜の夢の中の予知夢はこれですかぁ……!」と涙目で下を向き、レンはただ静かに、最悪の事態に備えるように剣の柄を固く握りしめた。
「――まずいですね。完全に火が付いている」
「まずいなんてもんじゃねぇ。ローラ様がこの場にいるのがせめてもの幸運だろ。あの方がいれば、少なくともフリンズの奴もその場で即処刑とはならねぇ……が……。それでも今回は、ただじゃ済まねぇぞ……」
騒ぎを聞きつけていち早く訪れていた偵察部隊のトップ陣。
隊長であるミカは状況を瞬時に理解して表情を険しくし、次いでクリスも冷徹に周囲のパワーバランスを分析する。
そう――ローラが王族の立場を利用して無理やり付いてきたのは、単なるスクープ目当てだけではない。
もしもの時、フリンズのその場での苛烈な粛清を食い止めるための『盾』になるという、彼女なりの賢い計算と防衛策でもあったのだ。
いかに冷徹な副団長といえど、純血の王族の目の前で凄惨な身内の処刑を行うことはできない。
しかし、フリンズという男は、その程度の生温かい防衛策で引き下がるほど甘い指揮官ではなかった。
「――王族の慈悲があれば、自身の全ての行いが許されるとでも?」
「いやいや……だって、凱旋パーティーの翌日ですよ!? 遠征軍の皆様が、半年にもかけて我が国の為に心血を注いでくれたのなら……パーティーくらい純粋に楽しんだほうが良いじゃないですか! ほら! フリンズ副団長閣下は遠征軍の総大将ですし! 今一番労われるべきお立場で……!」
「――ローラ様。貴女のように聡い御方なら、言葉を並べずともお分かりになっている筈です。誰もが緊張の糸を切り、祝いの酒に溺れている……このような状況こそ、実戦において『奇襲を仕掛けるのに一番相応しい』ということを――」
「…………っ!!」
フリンズの放った圧倒的な正論の前に、ローラすらも言葉に詰まり、唇を噛み締めて黙り込む。
重苦しい沈黙が広場を支配し、レンたちを含めた周囲の騎士たちが固唾を呑んで見守る。
これ以上は本当に最悪の事態――二人の即時解雇、あるいはそれ以上の破滅になると予感した瞬間、偵察部隊の隊長であるミカが、静かにフリンズ副団長の前に進み出た。
「あ……」
シノアがミカの背中を認め、救われたような表情で驚愕の声を漏らす。しかし、フリンズの視線は冷徹そのものだった。
「――二度目はないと通告しました、ミカ。今回の件は君の責任ではありません。教育の範疇を超えた、彼女たち自身の身勝手な責任です。下がりなさい」
「だとしても、彼女たちは僕の部下です。部下の不始末の責任は、隊長である僕が負うべきです」
「では、君も同罪として相応の処罰を受けたいと?」
そのやり取りを聞いた瞬間、それまで震えていたヴァラキー姉妹の感情が、恐怖を突き抜けて爆発した。
「ちょっと! ファーレンガルドは関係ないでしょ!? 私たちが勝手に遅れたのよ!」
「そうよ! 隊長まで巻き込むなんて滅茶苦茶だわ!!」
「だーーっ!!! あの馬鹿どもが、余計なことを……!!」
姉妹のあまりにも無知で無防備な叫びに、クリスが頭を抱えて絶叫した。
そして彼もまた、相棒であるミカを見捨てられるはずもなく、弾かれたようにフリンズの前に並び出た。
「え! クリス様まで!? ……ど、どうしたらっ……」
後方で見守っていたシリカ・ミュールは、完全に事態を飲み込めず、目の前の光景に激しく混乱していた。
このままでは大好きなミカ隊長だけでなく、クリスまで連座して重い処罰を受けてしまう。
最悪の場合、ミカは偵察部隊隊長の任を解かれ、騎士団の体制そのものが崩壊しかねない。
シリカはパニックになりそうな頭を必死に働かせ、どうにかこの状況の打開策を求めて辺りを見回した。
そして――広場の端、一本の巨大な大木に退屈そうに背を預けている、一人の人物を見つけ、縋るように呼び掛けた。
「シルフィーネ副隊長……!! どうにか……どうにかしてください……!!」
試験プロセスが中断されたことに飽き飽きし、興味なさそうにそっと目を閉じていたシルフィーネ。
彼女はシリカの切羽詰まった悲痛な声に応じて、ゆっくりとその瞼を持ち上げた。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
こんな戯れ言に付き合っていただき、大変恐縮です。
これからも彼らの活躍を見守っていただけたら嬉しいです!
あなたにも風の導きが有らんことを
にしみん




