第16話 『英雄』
命を刈り取る一撃が、キノから放たれる。
満身創痍のホテイルはおろか、リュフターですらも全く反応することが出来なかった。
だが、その突きが二人を串刺しにすることはなかった。
ガッキィィィィィィン!!!!!
三人の中に突如飛び込んできた影が、キノが放った槍を弾き飛ばした。
「っ…!」
キノの顔に、驚愕の色が浮かぶ。
「やれやれ…何の騒ぎかと思うて駆けつけてみれば、まさかこんなことになっているとはのう…」
呆れたように声を出しながら首を振る、一人の老人。
キノの絶対零度の槍を弾き飛ばしたのは、他でもないベニテングだった。
「せ…先生…?」
リュフターが信じられないといった様子で、掠れた声を漏らす。
「…退いてください。ベニテングさん。」
「…ふむ。なるほどのう。」
ベニテングはキノの瞳をじっと見つめながら、頷きながら言った。
「…記憶喪失じゃな。それも…リュフターの記憶だけが綺麗さっぱり消えておる。」
「…」
「な…!」
その場をじっと見ていたキクラが、驚いたように声を上げる。
ベニテングはアポーロの影響でキノの身に起こった症状を、目を見るだけで当ててみせたのだ。
そして、その発言に何よりも驚いていたのはリュフターだった。
「な…に…」
実の弟が、自分のことだけを忘れている。
あまりにも残酷な現実に、リュフターはただキノを見つめることしか出来なかった。
「…それがどうしたんですか。」
沈黙を遮るように放たれたキノの声音は、どこまでも平坦だった。
槍を弾かれ、自分の記憶の異常を指摘されてなお、その瞳に宿る「無」は揺らがない。
「ベニテングさん。アポーロの件には感謝しています。あなたが居なければ、僕は記憶を取り戻す糸口すら見つけられませんでした。ですが、それとこれは話が別です。どんなに拷問したところで、どうせコイツは何も吐きません。だから今殺そうと言っているのに、何がおかしいんですか。」
「ククク…ゴフッ…キノ・トラベルト…よく分かっているじゃないか…」
ホテイルは、口から大量のチョコの血を吐き出しながら、歪んだ笑みを浮かべた。
「お前の言う通りだ…。俺をどれだけ痛めつけようが、モウソウ様の計画について喋る不忠者など、そもそも我が軍には一人もいない。ここで殺されるのが、我らの誉れよ……!」
死を目前にしながらも、その瞳には狂信的な光が宿っている。
「……だそうです。」
キノは冷徹な眼光をベニテングへと向け、一歩を踏み出した。
「邪魔をするなら、誰であろうと関係ない。」
刹那、キノの身体が激しい雨の中に消えた。
先ほどまでとは比較にならない明確な殺意を乗せ、雨を切り裂く神速の槍がベニテングの喉元へと一直線に突き出される。
「やめろ、キノ!!!」
リュフターの悲痛な叫びが響き渡る。
だが、ベニテングは微動だにしない。
「フン……」と短く鼻を鳴らすと、手にした剣を最小限の動きで操り、キノの猛攻に完璧に噛み合わせていく。
ガガガギィィィン!!!
視認すら不可能なはずのキノの突きが、ことごとく弾き飛ばされる。
どれだけ速度を上げても、その軌道は全てベニテングに見切られていた。
ベニテングは、槍をいなしながらどこか退屈そうに小さく、とんでもないことを呟いた。
「やれやれ、モウソウの方がよっぽど強かったわい。あ奴の執念に比べれば、お主の突きなど軽すぎるわ。」
「は…」
「な…!」
その言葉に、キクラとリュフターが戦慄する。
その異様な雰囲気を察したキノもまた、攻撃を中断した。
「先生…今何と…?」
リュフターが、信じられないものを見るような目でベニテングを凝視する。
「なんじゃ?」
ベニテングは、飄々とした態度で首を傾げた。
「モウソウとは…敵軍の長では…?まるで直接刃を交えたかのような…」
キクラもたまらず尋ねる。
「…言っておらんかったか?数十年前の戦争でモウソウと唯一互角に戦った者がおったという伝説があるじゃろ?…それが儂じゃよ。」
「なっ…!!」
「先生が…!?」
キクラとリュフターは明かされた衝撃の事実に、ポカンと口を開ける。
かつて圧倒的な力を持っていたモウソウ・ダケルトニアとたった一人で互角に戦い、タケノコ側に傾きかけていた戦況を膠着状態に持っていった伝説の英雄。
目の前にいる飄々とした老人がその本人であるなど、誰が予想できたであろうか。
「クククッ…ゴフッ…まさかこんな所であの伝説の男にお目にかかれるとはな…」
話を聞いていたホテイルが、静かに語り出した。
「だが…伝説の老いぼれがたった一人立ち塞がったとて、我が軍の悲願は止まらん…!!」
「……黙っておれ、死に損ないが。」
その時、ベニテングの口からかつてないほどに低く、平坦な声が漏れた。
それを聞いたキノは、彼の全身から放たれた威圧感に、周囲の激しい雨音すら一瞬消し飛んだかのような錯覚を覚える。
「っ……」
キノの肌が、激しい警鐘を鳴らす。
戦士としての本能が、目の前に立つ老人が「絶対に立ち向かってはならない領域の存在」であると叫んでいた。
「……退いてください、ベニテングさん。」
キノは冷や汗をにじませながらも尚、殺意の宿る瞳でベニテングを睨みつける。
「…キノよ。」
ベニテングは溜息をひとつ吐くと、静かに剣の柄に手をかけた。
「お主の槍は見事じゃ。速さだけで言えば、既に神速の域に達しておる。……じゃがな、お主の突きの底にあるのは『憎しみ』と『虚無』だけじゃ。そんな軽い槍では、モウソウはおろか、儂の皮一枚破ることもできん。」
「……僕の槍が、軽い…?」
キノの瞳に、初めて微かな感情の揺らぎーー怒りが宿る。
「試してみますか…ベニテングさん。」
槍の柄を固く握り直し、腰を極限まで低く落とす。
だが、ベニテングがキノの言葉を一蹴する。
「……試すまでもないわい。今のお主には圧倒的に足りんものがある。」
その言葉に、キノの動きがピタリと止まる。
「…足りないもの…?」
「そうじゃ。今のお主の槍からは、大切な者を護りたいという『愛』と『意志』が抜け落ちておる。」
ベニテングは腰の鞘に手を置いたまま、静かに、しかし絶対的な存在感を放ちながら言い放った。
「愛……意志……」
「記憶を失っていても、戦士なら仲間のために戦うべきじゃ。今のお主の槍からはそう言ったものが何も感じられん。そんなスカスカな決意で、儂を超えられると思うな。」
「ッ…」
キノの瞳の奥に、微かな決意の揺らぎが見えた。
そして、全てを理解したような表情でこう言った。
「……すみません、皆さん。少し熱くなりすぎていました。」
キノはゆっくりと構えを解き、槍を収める。
「ベニテングさん……あなたの言う通りです。僕に足りないもの。そして僕とこの人の関係…。一度、頭を冷やして確かめさせてもらいます。」
刺々しい殺意を引かせたキノは、ベニテングとリュフターを一瞥すると、雨の降る街の奥へと静かに消えていった。
「……」
キノの気配が完全に遠のき、周囲にふたたび静かな雨音だけが響き渡る。
その瞬間――
「……ふぅーーッ…ハァ、ハァ……っ!」
それまで絶対的な強者として佇んでいたベニテングが、急に肩を激しく上下させ、深く荒い息を吐き出した。
手にした剣を杖代わりにし、地面に深く突き立てて身体を支えている。
「せ、先生……!?」
「ベニテングさんっ!?」
急変したベニテングの様子に、リュフターとキクラが慌てて駆け寄る。
「はぁ……はぁ……やれやれ、引き下がってくれて助かったわい……」
ベニテングは額から滲み出た冷や汗を拭い、苦笑いを浮かべた。
「あのままやり合っておれば、ちょっと危なかったのう…。流石に長期戦は、老いぼれの体にはちとキツいわい。」
「先生…」
ベニテングは静かに剣を鞘に納めると、遠くキノが消えて行った街の奥を見つめた。
「とはいえ、あ奴の心の迷いを突いて、戦わずに引かせられたのは上出来じゃ。キノ自身も…心のどこかで止まりたがっておったのかもしれんからのう。」
ベニテングの言葉に、リュフターは雨に打たれながら無言で拳を固く握りしめた。
「取り敢えず、中で落ち着いて話をしましょう。コイツの処分もありますし、何より隊長の怪我も酷い。」
ホテイルを指差しながら告げるキクラの言葉に、二人は頷いて、ゆっくりと歩みを進めた。




