第17話 『落涙』
冷たい雨が静かに基地を叩く中、暗く湿った地下尋問室には、重苦しい沈黙が立ち込めていた。
石壁に打ち込まれた拘束具に繋がれ、床に膝をついているのはホテイル・チーク。
血を流し続けながらも、その瞳には光り輝くような狂気が宿っていた。
その前に立つのは、包帯を巻いたリュフターと、剣を構えるベニテングの二人だ。
「……そろそろ吐いたらどうだ、ホテイル。」
リュフターが冷徹な声でホテイルを見下ろす。
「何故、第四前線基地を狙った。……そして、何故アイツの命をしつこく狙う?」
「ククク……ゴフッ……」
ホテイルは口からチョコの血を吐き出し、歪んだ笑みを浮かべた。
「…答えるものか。たとえ拷問されようと、一つの情報も落とさんぞ。」
「そうか…じゃあ…」
ザシュッ!
冷酷な効果音とともに、リュフターのサーベルが閃く。
ホテイルの腕から黒いチョコの血がどろりと床へ伝い落ちた。
「ぐっ…」
「…吐くまで刻み続けてやる。」
リュフターの瞳には、かつて見たこともないほどの暗い怒りが激しく燃え上がっていた。
「リュフター。無駄じゃ。コイツが情報を吐くことは無いじゃろう。」
静かに、だが重く、ベニテングがその殺気を制するように横から声をかけた。
「先生、しかし…」
「無駄なものは無駄じゃ。もう処分するしか無い。」
ベニテングの言葉に、リュフターは深く歯噛みする。
サーベルを握る手に凄まじい力が入り、刃が微かに震えた。
だが、師の慧眼が正論であることを、彼自身も理屈では理解していた。
「…わかりました。……おい、てめぇ…この後どうなるかわかってるよな?」
リュフターは冷たい殺意の眼光で、拘束されたホテイルを再び睨みつける。
「…さぁな。」
ホテイルの声音には、死を目前にしながらも、不気味なほど一切の揺らぎがなかった。
「ノキが受けた痛みと苦しみを、てめぇにはこれから存分に味わって貰う。」
「フン…そうか。」
ホテイルは薄く笑うと、だらりと垂れ下がっていた顔をゆっくりと上げた。その狂信的な瞳の奥に、怪しい光が宿る。
「ツキヨ!入ってこい。」
リュフターが尋問室の重い扉に向かって短く命じる。
「はい。」
柄の悪い、だがどこか通った声とともに扉が押し開けられ、一人の男が姿を現した。
ーーツキヨ・ラギウール。 鋭い眼光に乱れた身なり、一見するとどこかのチンピラと見紛うような荒っぽい男である。
しかし彼は、第四前線基地においてリュフターに忠誠を誓う、最も従順な部下の一人だった。
日頃のガラ悪さとは裏腹に、リュフターの言葉にだけは絶対の服従を見せる男である。
「連れて行け。」
リュフターが顎でホテイルを示しながら短く指示を出した。
ツキヨは肩をすくめ、乱暴な手つきで拘束具へ手を伸ばす。
その時だった。
「ククク……俺が……ただで逝くと思っているのか……?」
俯いていたホテイルの口から、低くかすれた嘲笑が漏れ出た。
「何……?」
リュフターが眉をひそめる。
「俺がここにいることも、我が主、モウソウ様は知っているだろう。」
「……どういう意味だ。」
尋問室に漂う空気が、一瞬で冷たく張り詰めた。
リュフターの鋭い視線がホテイルを射抜く。
その時だった。
どくん……。
不気味な、重く低い異音が地下の静寂を揺らした。
ホテイルの体内の中心部から、脈打つような不自然な高熱と、禍々しい気配が急速に膨れ上がっていく。
「ッ…!」
その異変に、真っ先に気づいたのはベニテングだった。
「ククク…さらばだ!」
ホテイルが嘲笑を浮かべ、捨て台詞を吐いたーーまさにその瞬間。
「ぬうぅっ!!!!」
ベニテングの目がカッと見開かれた。
一瞬の猶予もないと判断した伝説の老剣士は、弾かれたように前へ跳ぶ。
リュフターとツキヨの身体を、圧倒的な気迫と力でまとめて後ろへ突き飛ばした。
「先生っ!? 何をーー」
ベニテングが手にした剣をホテイルの肩に突き立て、そのまま奥に押し出す。
「下がっておれっっっ!!!」
極限状態のベニテングの怒声が室内に響き渡る。
直後。
ドオォォォォォン!!!
とてつもない轟音と共に、ホテイルの体内に仕込まれていた爆弾が爆ぜる。
そして、地下尋問室全体が崩壊するほどの凄まじい爆風と熱量が襲いかかった。
衝撃波で分厚い石壁が粉々に砕け散り、黒煙と濃密なチョコの焦げた匂いが充満する。
「っ…がはっ!!…先生っ!!!」
ベニテングの障壁によって吹き飛ばされつつも直撃を免れたリュフターが、激しく咳き込みながら煙を払って叫んだ。
ツキヨも瓦礫に背中を打ちつけ、「なんなんだありゃあ……!」と毒づきながら立ち上がる。
煙の向こうで、一本の刀を杖代わりにし、辛うじて立ち続けている影があった。 ベニテングだ。
ホテイルの至近距離での自爆を、身を挺して完全に一人で受け止めたベニテング。
だが、その代償はあまりにも大きかった。
衣類はズタズタに引き裂かれ、全身の至る所から大量のチョコがどろりと滴り落ちている。
そして何より、右腕が欠損していた。
「っ!!先生っ!!!」
リュフターがなりふり構わず駆け寄り、崩れ落ちそうになるベニテングの身体を震える腕で抱きかかえた。
「ふう…咄嗟に右半身を盾にしてよかったわい…。かろうじて…ゴフッ…致命は免れたかのう…」
ベニテングはチョコで染まった唇を微かにほころばせ、苦しい息の下でぽつりと呟いた。
そのあまりにも痛ましい姿に、リュフターは息を呑み、血の気が引いていくのを感じていた。
「……!!!先生ッ…!腕が…!!」
「…安いもんじゃ。腕の一本くらい。…子の為に…命を張るのは、当然じゃろう?」
剣士にとっての命そのものである右腕を失ってなお、その声音には一切の悔いや恐れすらない。
あるのはただ、大切な弟子たちを護り抜いたという確固たる自負と、溢れんばかりの優しさだけだった。
「う……あ……」
圧倒的な師の覚悟と、自分を庇って失われた右腕の重みに、リュフターは言葉を失い、絶句するしかなかった。
涙で視界が歪んでいく。
「そんな事より…早く医者に連れて行っておくれ。」
自身の凄惨な重傷などまるで意に介さないかのように、ベニテングは残された左手で力なくリュフターの肩を叩き、静かにそう促した。
「っ…!おいツキヨ!手を貸せ!!先生を運ぶぞ!!」
「はっ…はい!」
普段の軽薄な態度を完全に吹き飛ばされたツキヨが、引きつった顔で駆け寄る。
二人は息を合わせ、ベニテングの身体を慎重に抱え上げた。
崩れかけた地下尋問室から脱出し、冷たい雨が降り注ぐ地上へと吹き抜けたその瞬間ーー。
「……! ベニテングさん……!?」
崩壊した基地の前に、息を切らせて駆け戻ってきたキノが立っていた。
地下からの爆音を聞きつけ、本能に突き動かされるように戻ってきたキノの瞳に飛び込んできたのはズタズタに傷つき、右腕を失ったベニテングの凄惨な姿だった。
「そっ…そんな…!!何が…!!」
「チッ…どけっ!!」
立ち尽くすキノの肩を、リュフターが荒々しく突き飛ばした。
かつてないほど感情を剥き出しにしたリュフターの瞳には、怒りと焦燥、そして溢れ出る涙が混ざり合っていた。
「 ボーッと突っ立ってんじゃねぇ、邪魔だ!!」
怒鳴り散らすリュフターの声は、痛ましい師の姿を前に激しく震えている。
ツキヨと共にベニテングの身体を慎重に、だが一刻を争う速さで抱え直し、疾走していった。
「あ…あ…」
突き飛ばされ、冷たい石畳に膝をついたキノは、己の震える両手を見つめた。
頭を冷やすために自分はこの場所から離れてしまった。
もし自分が地下にいれば、もし自分がもっと早く戻っていればーー。
冷徹さを保っていたはずのキノの心が激しく揺らぎ、喉の奥から悲痛な叫びが漏れ出る。
一人残されたキノは、ただそこで茫然と膝をつくしかなかった。




