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夜学の授業前、俺はいつものように中庭のベンチに座っていた。花菜の好きなコーヒー缶を2缶買って⋯。でも、花菜はもうここには来ないんじゃないかとも思った。
⋯案の定、その日から、花菜は中庭に来ることは無かった。
現場で作業中、仲間から客が来ていると呼ばれた。
「やあ」
そこには清水尚久が立っていた。
「⋯何か御用ですか?」
首にかけたタオルで汗を拭きながら、尚久に聞いた。
「⋯ここは汚れるな」
尚久はスラックスについた埃を払い、足元の木くずを邪魔そうに蹴った。
「花菜にはもう近づかないで欲しい。僕たちは親公認で婚約している。その事を君に話しておきたくてね」
尚久は俺を見て、口元だけニヤリと笑いながら言った。
(婚約?)
昨日の別れ際の花菜の表情を思い出す。
「花菜⋯さんも、承諾してるんですか?」
「もちろん、でも君には関係ない。君と彼女では、住む世界が違いすぎるとは思わないかい?君は身を引くべきだ」
蔑むように俺に言い、尚久は立ち去った。
「⋯どうかしたのか?」
いつもは寡黙な棟梁が、ちらりと俺を見た後、作業をしながら話しかけてくる。
「あ、いや、何でも」
「その顔が何でもな訳あるか、お前は分かりやすいんだよ。さっき場違いな野郎が来てたが、そいつのせいか?」
いかにも上質そうな服や靴などを身に着けた尚久を見て、そう思ったらしい。
「お前らは迷惑かもしれないが、お前らは俺の息子みたいなもんだ。話せることだったら話せ」
棟梁の言葉に少し顔が緩む。
昼休みに、俺は棟梁に花菜とのこと、日曜日の出来事などを話した。棟梁はタバコをふかしながら、じっと話を聞いている。
「⋯で、お前はどうしたいんだ?」
⋯俺はどうしたいんだろう。花菜と出会ってまだ日は浅い。初めて出会った日の下手な笑い方、最後に見た泣き出しそうな顔、⋯満面の笑顔。
「俺は、アイツに心から笑ってほしい」
⋯ああ、そうか。花菜は俺にとって特別なんだ。
「答え出たじゃないか」
棟梁は、俺の背中をポンポンと優しく叩いた。それは棟梁から俺への温かいエールだった。




