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第9話:不穏な出張と隣り合う体温


「——隣国との合同調査。しかも、私まで出向く必要があるのですか?」


局長から手渡された指令書を読み上げ、私は眉を寄せた。書面には、国境付近の交易の要所、エルム村で発生している事件の詳細が書いてある。

深刻なのはその被害、「魔力を持つ若い女性の失踪」だった。


「ああ。その村ではここ数ヶ月、魔力を持つ若い女性ばかりが神隠しに遭ったように消えているんだ。カレン、君が開発した広域探索用魔道具『アリアドネ』の精度が必要なんだ。だが……君のような希少な魔導技師は奴らからすれば格好の標的でもある」


局長が言葉を濁した瞬間、背後から低く、心臓を直接撫でるような心地よい声が響いた。


「僕が責任を持って守る。そう言っただろう、カレン」


振り返る間もなく、いつの間にか背後に立っていたガイアスが、私の肩を当然のように抱き寄せた。

あの日、カフェテラスで「この指輪は嘘をつかない」と言われて以来、私は彼と目を合わせるだけで胸の奥が騒がしくなる。

左手の指輪からは、彼の「一歩も離さない」という執拗なまでの強い意志が、熱を伴って絶え間なく流れ込んでいた。


「今回の任務には、僕の直属の精鋭三名も護衛に付ける。君は調整と運用にだけ専念すればいい」


結局、魔法管理局の部下三人を加えた計五人による隠密出張が始まった。

国境へと向かう馬車の中。向かいに部下たちが座る車内で、ガイアスは普段通りの冷徹な「氷の貴公子」の仮面を被っていたが、テーブルの下では誰にも悟られない速さで私の左手を取り、指を深く絡めてきた。指輪の術式が彼の魔力と共鳴し、甘く痺れるような振動が全身に伝わる。私は赤くなった顔を窓の外へ向け、ただ必死に耐えるしかなかった。


二日間の旅を経て到着したエルム村は、かつての活気が嘘のように静まり返っていた。「女性が消える」という恐怖が村を支配し、家々の窓は昼間でも固く閉ざされている。



その日の夜。慣れない土地への不安と事件のことが頭から離れず、私はどうしても眠れずにいた。

薄暗いランプの灯りの下、図面に目を落としていると、拒絶を許さないようなノックの音がした。


「……カレン、起きてる?」


ドアが開くと、そこには月明かりを背負ったガイアスが立っていた。

いつも隙のない彼が、上着を脱ぎ、シャツの襟元を少し寛がせている。そのわずかな乱れが、かえって彼が男であることを突きつけてくるようで、私は息を呑んだ。


「ガイアス……!? なぜここに。誰かに見られたらどうするのよ」

「部下たちには既に休息を命じている。それに、この指輪が君の不安をうるさいほど伝えてくるんだ。……眠れないんだろう?」


彼は拒絶する隙も与えず、迷いのない足取りで部屋に足を踏み入れた。私が座る椅子の背後に回ると、大きな手が私の肩を包み込む。温かい体温が薄い寝衣越しに伝わり、心臓の鼓動が跳ね上がった。


「君の不安はもっともだが、僕の隣にいる時くらいはその重荷を下ろせ。いいかい、カレン。君の安全は、この国のどの任務よりも重いんだ」


「……大げさよ」


私が照れ隠しに俯くと、彼はふっと喉の奥で笑った。

彼は持参したハーブティーを机に置き、私の隣に椅子を引き寄せた。湯気の立つカップからは、緊張を解きほぐすような柔らかな香りが立ち上っている。


それを一口すすると、強張っていた身体が少しずつ解けていくのがわかった。

私たちは、これからの調査方針や、王都の研究所で繰り広げられる不毛な予算争いの話など、他愛のないことをポツポツと言葉にした。

普段なら皮肉で返してくるはずの彼が、今は驚くほど穏やかな眼差しで、私の他愛のない話を一つ一つ丁寧に拾ってくれる。


窓の外では夜風が木々を揺らす音が聞こえる。この静寂と、隣にいる彼の落ち着いた声が、まるで世界に二人きりしかいないような錯覚を抱かせた。


「……ガイアス、あんた意外と……優しいのね。もっと冷徹な人間だと思ってたわ」

「今更気づいたのか? 僕はいつだって君に対しては、これでも最大限の譲歩と優しさを振りまいているつもりだよ」


そう言って彼は、私の指先に触れるか触れないかの距離で、机に置いた自分の手を重ねた。


「……もっとも、君が鈍すぎて、その半分も伝わっていないようだがね」


呆れたような、けれど愛おしさを隠しきれない声。

温かい紅茶と、指輪を通じて流れ込んでくる彼の心地よい魔力。張り詰めていた意識が急速に甘い睡魔に侵食され、私の視界がゆっくりと揺れ始める。


「……それは、あんたの表現が……分かりにくいから……」


反論する声も微かなものになり、耐えきれずに瞼を閉じる。カクンと首が揺れた瞬間、柔らかな温もりが私の頭を受け止めた。


「……寝顔も隙だらけだ。こんな無防備な姿、僕以外には絶対に見せるなよ」


遠のく意識の中で、髪に柔らかな何かが触れた気がした。

彼がその後、私が目を覚ます寸前まで、痺れた肩を動かすこともせず優しい眼差しで私を見守り続けていたことを、私はまだ知らない。


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