第26話:嫌われ者の友人
数世紀前、〈闇の時代〉が始まる前に、人間には二つの種族が存在することが発見された。
ひとつは、生まれながらにして奇妙な力を持ち、その力は十歳を迎えた時に目覚める〈異能者〉。
もうひとつは、まったく普通の人間であり、他の人々と同じように暮らしていたが、その数の少なさから〈孤立者〉あるいは〈忌み子〉と呼ばれていた。
時の流れとともに、さまざまな系統の力が現れ、それらは十の氏族に分類された。
月の一族(最初にして最も偉大な一族)。
闇の一族。
血の一族。
蝶の一族。
植物の一族。
雪の一族。
火の一族。
水の一族。
風の一族。
岩の一族。
それぞれの氏族には強力な長が存在し、彼らは〈十人の族長〉として知られていた。
だが、その均衡は〈灰の子らの惨禍〉によって崩れ去った。
それは〈影時〉――〈影の時代〉において布かれた〈追放の掟〉によるものであり、一部の氏族を滅ぼすことを目的としていた。
だが誰も知らなかった。
その掟は〈カゲモリ〉の仕業ではなく、さらに強大で深淵なる闇の力によって生み出されたものであったことを――。
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皆は訓練場の周囲を二十分間、休むことなく走り続けていた。
それはとても過酷だった。容赦なく照りつける太陽の熱も相まって、体力はどんどん削られていく。
だが、どうしようもない。
新任の体育教師は、あの時本気だったのだ。
「止まった者は居残りだ」
その一言を、微動だにしない表情で言い放っていたのだから。
皆が暑さと疲労――いや、その両方と戦うことに必死になっていたその時だった。
走っていたマリー・スミスの足が、自身の靴紐に引っ掛かった。
バランスを崩し、そのまま地面へ転倒する。
教師はすぐに彼女へ視線を向けた。
その顔は今にも怒鳴りそうだった。
そして予想通り、走り続ける生徒たちの耳に遠くから怒声が響いた。
「スミスさん! その怠慢は何だ!」
マリーは何が起きたのか理解できないまま立ち上がり、制服についた埃を払う。
そして苛立ちを隠さず叫び返した。
「何してるように見えるの? 転んだのよ!」
「怠慢でなければ転ぶはずがない!」
その瞬間、マリーのこめかみがぴくりと震えた。
教師へ詰め寄ろうとする。
だが、慌てたユキ・シライが後ろから彼女を引き止めた。
「マリー、お願いだからやめて! 居残りになっちゃう!」
「関係ないわ……。私は悪くないし、侮辱される筋合いもない」
一方その頃、リリィも教師を止めようとしていた。
「お願いです……落ち着いてください」
しかし返ってきたのは怒鳴り声だった。
「落ち着けるものか! その生意気な口を叩く生徒を居残りにするまではな!」
それに対しマリーも負けていない。
「へぇ、本当に? ならやってみれば?」
――結果。
教師とマリーの口論はさらに激化し。
最終的にマリーは訓練場の隅に座らされることとなった。
彼女は誰とも目を合わせない。
ただひたすら不機嫌だった。
そんな彼女へ、ユキが恐る恐る近づく。
「マリー……」
「今度は何?」
苛立ちの混じった声。
ユキは思わず肩を震わせた。
(な、なんて怖い顔……)
それでも勇気を出して続ける。
「だ、大丈夫だよ……。ハルが先生と話してるから。誤解だったって説明してくれてるし」
しかしマリーは歯を食いしばったまま呟いた。
「仮にそうだとしても、あの人に私たちをあんな風に扱う権利はないわ……。冗談じゃない」
ユキは苦笑いを浮かべた。
「確かに訓練は厳しいし……怖いし……辛いし……終わりが見えないし……」
ぶつぶつと小声で続けていたが。
マリーの呆れた視線に気付き、慌てて姿勢を正した。
「で、でも! 全部私たちのためだよ! 私たちが未来を守るんだから!」
マリーは深いため息を吐いた。
「お願いだから黙って」
その時。
遠くから明るい声が聞こえてきた。
「やっほー、ユキ! マロちゃん!」
元気よく手を振りながら近づいてくるリン・シリガミ。
だがマリーの額には青筋が浮かんだ。
「名前を改造しないで」
リンが何か言い返そうとしたその時。
ハル・フェリアが彼女たちの元へやって来た。
「マリー。良い知らせと悪い知らせがある」
リンはハルとマリーを交互に見つめる。
その目は好奇心で輝いていた。
ユキは静かに成り行きを見守っている。
「良い方から」
マリーが即答する。
「先生と話してきた。君がわざとやったわけじゃないって納得してもらえた」
「それで?」
「……ただし」
マリーの眉が上がる。
「悪い知らせは?」
ハルは苦笑した。
「減点だ。それと次に同じことをしたら見逃さないそうだ」
マリーは視線を逸らした。
そして小さく呟く。
「……最悪」
◇ ◇ ◇
その頃。
教師が休憩時間を与えたことで、生徒たちはそれぞれ息を整えていた。
しかしキキョウ・クロハナだけは別の場所にいた。
本来ならイズキ・シノモリを待つはずだった。
だが彼女は今、空き部屋の中にいる。
理由は単純だった。
誰かがずっと自分を監視していたからだ。
観察眼に優れるキキョウが、その存在に気付くまで時間はかからなかった。
相手はハルマ家に仕える忠実な従者。
だからこそ――。
今、その首筋には短剣が突きつけられていた。
キキョウは巧みに相手を誘導し、この空き部屋へ連れ込んだのだ。
「もう一度私を尾行したら……殺すわ。分かった?」
最後の言葉は怒鳴るようだった。
彼女は男を突き飛ばす。
男は床へ倒れ込み、恐怖に震えながら後ずさった。
そして逃げるように立ち上がる。
部屋を飛び出そうとした瞬間。
誰かと肩がぶつかった。
イズキ・シノモリだった。
男はそのまま走り去っていく。
イズキは不思議そうに部屋を覗き込んだ。
そして。
そこに立つキキョウを見て、意地の悪い笑みを浮かべた。
キキョウは額に手を当てていた。
まるで自分自身の行動が信じられないというように。
握っていた短剣を強く床へ投げ捨てる。
その直後。
イズキの姿に気付き、顔を上げた。
イズキは挑発的で。
それでいて、どこか誇らしげな表情をしていた。
「満足した? 完璧、完璧、完璧……。私は完璧じゃないわよ」
だがイズキは腕を組み、大きな笑みを浮かべる。
「いやぁ、何て言えばいいかな」
そして続けた。
「私は今、とても嬉しいよ。むしろ誇らしいくらい」
「……何の話?」
「だから言ってるじゃないか」
イズキは一歩前へ出た。
「君のそういう一面を見られて嬉しいんだよ。キキョウ・クロハナ」
キキョウは眉をひそめる。
「何が言いたいの?」
イズキは満面の笑みで言った。
「キキョウ・クロハナ――私と友達になって」
沈黙。
そしてキキョウは鼻で笑った。
「自分で墓穴を掘れって?」
「本気だよ」
「その根拠は?」
イズキは顔を近づける。
「私たちは似てる」
キキョウの瞳が揺れた。
「私たちはどちらも完璧になろうとしてる。でも欠点がある。失敗もある。それを直そうともがいている」
イズキは静かに続けた。
「違うのは方法だけだ」
「君は正しいやり方で間違いを正そうとする」
「私は暴力で正そうとする」
「それを正義と呼んでね」
キキョウは一歩後退した。
「……信用できない」
イズキは肩をすくめ、そのまま出口へ向かう。
しかし部屋を出る直前。
振り返り、いたずらっぽく笑った。
「そのうち信じるようになるさ」
しばらくの沈黙。
だがイズキはまだ去らない。
最後にもう一言だけ残した。
「それと――友達になる気がないなら、皆に言っちゃおうかな」
彼女はにやりと笑う。
「キキョウが誰かを殺すって脅したって」
そう言うと舌をぺろりと出し。
上機嫌なまま去っていった。
キキョウは呆然と立ち尽くす。
今のは脅迫だろうか。
友達になることを条件に脅しているのだろうか。
ハルマの次に嫌いだった相手が、まさかこんなことを言い出すなんて。
だが。
キキョウの胸の奥にあった感情は、憎しみではなかった。
むしろ――認めたくない敬意。
イズキ・シノモリという少女は。
正しいことを間違いに変え。
間違いを正しさに変え。
気付けば相手の思考を渦へ引き込み。
昼も夜も、その存在を考えさせてしまう。
そんな厄介で。
そしてどこか眩しい少女だった。




