第25話:思ったほど完璧ではなかった
数世紀前、〈闇の時代〉が始まる前に、人間には二つの種族が存在することが発見された。
ひとつは、生まれながらにして奇妙な力を持ち、その力は十歳を迎えた時に目覚める〈異能者〉。
もうひとつは、まったく普通の人間であり、他の人々と同じように暮らしていたが、その数の少なさから〈孤立者〉あるいは〈忌み子〉と呼ばれていた。
時の流れとともに、さまざまな系統の力が現れ、それらは十の氏族に分類された。
月の一族(最初にして最も偉大な一族)。
闇の一族。
血の一族。
蝶の一族。
植物の一族。
雪の一族。
火の一族。
水の一族。
風の一族。
岩の一族。
それぞれの氏族には強力な長が存在し、彼らは〈十人の族長〉として知られていた。
だが、その均衡は〈灰の子らの惨禍〉によって崩れ去った。
それは〈影時〉――〈影の時代〉において布かれた〈追放の掟〉によるものであり、一部の氏族を滅ぼすことを目的としていた。
だが誰も知らなかった。
その掟は〈カゲモリ〉の仕業ではなく、さらに強大で深淵なる闇の力によって生み出されたものであったことを――。
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ヒナは数冊の本を机の上に置いた。
その瞬間の彼女にとって、勉強する環境は完璧だった。
だが、図書委員の言葉だけが頭から離れない。
――偽物。偽物。偽物。
(本当に何かを隠しているのかな……?)
ヒナは顔を上げ、向かいで激しい勢いでノートに文字を書き続けるマリーを見つめた。
(そんなはずない)
慌てて首を振り、その考えを追い払う。
ペンを持ち上げ、ノートを開き、教科書へ視線を落とす。
だが何かを書き始めるより早く――
巨大な赤い本が彼女の顔面へ飛来した。
「うわっ!?」
勢いよく顔に直撃し、ヒナは椅子ごと後ろへ転倒する。
痛みと突然の出来事に、状況を理解するまで数秒を要した。
そして本を投げた犯人がマリーだと気づいた瞬間――
向こうの机から怒鳴り声が飛んできた。
「大声で独り言を言うのをやめて。どうでもいいことに首を突っ込まないでくれる?」
ヒナは慌てて立ち上がる。
「ご、ごめんなさい! 本当に気づかなくて……声に出して考えてたみたいです……!」
しかしその返事は火に油を注ぐ結果となった。
マリーの怒りはさらに増していく。
周囲で勉強していた生徒たちは、そのやり取りを面白がり、くすくすと笑い始めた。
一方のヒナは恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら席へ座り直す。
マリーは立ち上がった。
表情はさらに険しくなり、額には怒りの青筋が浮かんでいる。
握っていた紙はくしゃくしゃに潰されていた。
そして何も言わず図書館を後にする。
その背中を見送りながら、ヒナはゆっくりと息を吐いた。
安心したからではない。
マリーが偽っていたわけではないと確認できたからだ。
怒りも、感情も、全部本物だった。
◇ ◇ ◇
時間が流れるにつれ、他クラスの生徒たちも次々と図書館へやって来た。
一年生も、三年生も。
季節試験の準備のため、多くの生徒が机を埋めていく。
そんな中、キキョウ・クロハナは窓際の席で一人勉強していた。
彼女もまた期末試験へ向けて努力している。
良い成績を取るために。
今回は父を誇らせるためではない。
自分自身のために。
しかし――
彼女の平穏を乱そうとする人物が現れた。
もちろん、イズキ・シノモリである。
まるで運命が嫌がらせをしているかのように、イズキは向かいの席へ腰を下ろした。
数冊の本を抱えながら。
キキョウは無視を決め込む。
まるでそこに存在しないかのように。
だが、そう上手くはいかなかった。
イズキが口を開いたからだ。
「前の質問、まだ答えてもらってない」
キキョウは顔も上げずに返す。
「……どの質問?」
「料理大会の時の話。カグラ暴走について」
キキョウは握っていたペンに力を込めた。
それでも今回は挑発に乗らないと決めている。
「何が起こるかくらい知ってるわ。無知じゃない。長時間使えば死ぬ可能性があることも。モリヤマ先生の授業はちゃんと聞いていたもの」
イズキは小さく笑った。
「なら――」
そこで一度言葉を切り、
「どうして使ったの?」
そう続ける。
「感情を制御できなかったなんて言わないで。あなたはそういう人じゃない」
重苦しい沈黙が二人の間に落ちた。
その問いは、キキョウの誇りを真っ向から打ち砕く一撃だった。
返答がない。
だからイズキはさらに問いかける。
「そんなに栄光が欲しかったの? キキョウ・クロハナ」
キキョウは静かに答えた。
「栄光じゃない」
脳裏に蘇る。
あの日、学園病院で父から聞いた言葉。
――自分を見つけろ。目標を見つけろ。
イズキは鼻で笑った。
「自分を犠牲にしてまで、あんなくだらない大会で?」
キキョウは視線を落としたまま続ける。
「確かに私は無謀だった」
そして小さく息を吐いた。
「あの時の私は……ただ屈辱を味わいたくなかった。心の中にずっと憎しみを抱えていたから」
少し間を置き、
穏やかな声で続ける。
「でも今は違う」
「自分に必要なものを選びたい。もっと強くなりたい。そして家名のためじゃなく、自分自身を証明したい」
イズキは即座に言った。
「それは自己中心的だね」
しかしキキョウは首を横に振る。
「違う」
その声には迷いがなかった。
「父が望んだことだから」
「私は父を尊敬している。だから父の言葉に従う」
「何より先に、自分自身を見る」
イズキはしばらく黙ってキキョウを見つめた。
(なるほどね)
(どうしてこの子が他の“理想主義者”たちと違うのか、ようやく分かった)
(この子は完璧だから違うんじゃない)
(そうなろうとしているだけなんだ)
(偽りの仮面なんて被らずに)
イズキの口元がわずかに緩む。
「家族愛か……興味深いね」
キキョウは答えなかった。
その頃にはイズキは立ち上がっていたからだ。
そして立ち去る直前、
最後に一言だけ残す。
「明日、カグラ制御訓練の後」
「少し話したいことがある」
キキョウが反論するより早く、
イズキは図書館を後にした。
残されたキキョウは考え込む。
なぜ彼女がわざわざ自分に会いに来たのか。
何を話そうとしているのか。
イズキ・シノモリは昔からキキョウにとって悪夢のような存在だった。
態度が悪いからでも、
迷惑だからでもない。
彼女の言葉は時に正しく、
だからこそキキョウを悩ませる。
考えさせる。
だが――
今回は何かが違っていた。




