第23話:心に秘めた秘密
数世紀前、〈闇の時代〉が始まる前に、人間には二つの種族が存在することが発見された。
ひとつは、生まれながらにして奇妙な力を持ち、その力は十歳を迎えた時に目覚める〈異能者〉。
もうひとつは、まったく普通の人間であり、他の人々と同じように暮らしていたが、その数の少なさから〈孤立者〉あるいは〈忌み子〉と呼ばれていた。
時の流れとともに、さまざまな系統の力が現れ、それらは十の氏族に分類された。
月の一族(最初にして最も偉大な一族)。
闇の一族。
血の一族。
蝶の一族。
植物の一族。
雪の一族。
火の一族。
水の一族。
風の一族。
岩の一族。
それぞれの氏族には強力な長が存在し、彼らは〈十人の族長〉として知られていた。
だが、その均衡は〈灰の子らの惨禍〉によって崩れ去った。
それは〈影時〉――〈影の時代〉において布かれた〈追放の掟〉によるものであり、一部の氏族を滅ぼすことを目的としていた。
だが誰も知らなかった。
その掟は〈カゲモリ〉の仕業ではなく、さらに強大で深淵なる闇の力によって生み出されたものであったことを――。
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太陽はすでに沈み、夜の帳が降りていた。
空の中央には細い月が浮かび、その淡い光が辺りを照らしている。月の一族の領地もまた、その光に優しく包まれていた。
誰もが眠りにつく準備をしていた。
柔らかく心地よい寝台は、まるでその主人を夢の世界へと誘うかのようだった。
本来、この城に宿泊することは禁止されていた。しかし、リリィ先生が年老いた侍女長へ丁寧に頼み込んだことで状況は変わった。
侍女長は穏やかな笑みを浮かべながら、生徒たちの宿泊を許可してくれたのだ。
――だが、一人だけ眠ろうとしない者がいた。
カミカ・キラスだった。
あの時からずっと。
あの姫の彫像と目が合った瞬間からずっと。
耳元で囁く声が消えない。
『こちらへ……こちらへ……』
信じるにはあまりにも奇妙だった。
きっと幻聴だろう。
そう思い、カミカは目を閉じて眠ろうとした。
だが――。
ガシャン。
ベッド脇のテーブルに置かれていたグラスが、ひとりでに床へ落ちた。
小さな物音が静寂を破る。
カミカはため息を吐きながら身を屈め、散らばった破片を拾おうとした。
その時だった。
何かがいた。
そこには、まるで見えない頭部だけが浮かんでいるような存在。
泣き出しそうなほど悲しげで、儚い顔立ち。
それはカミカを見つめていた。
まるで彼女を憐れむかのように。
カミカは破片から手を離し、ゆっくりと立ち上がる。
「……私に何を望んでいるの?」
幽霊は背を向けた。
その姿は、あの彫像の姫によく似ていた。
白銀の髪。
純白の瞳。
まるで天使のような容姿。
『こちらへ』
再び囁く。
そしてその身体は扉をすり抜けていった。
まるでついて来いと言わんばかりに。
カミカは疲れたように息を吐き、部屋の扉を静かに開けると、その後を追った。
途中で幽霊は姿を消し、そして一階の大舞踏場に現れた。
『こちらへ』
囁きながら向かった先は、厳重に閉ざされた一室だった。
何か手掛かりがあるのかもしれない。
そう考えたカミカは迷わず後を追う。
巨大な扉の前へ辿り着いた頃には、姫の幽霊はすでに中へ入っていた。
カミカは髪留めを外す。
それを鍵穴へ差し込み、器用に回した。
カチリ。
ほどなくして扉が開く。
その先には暗闇が広がっていた。
彼女は明かりを探そうとはしなかった。
月明かりが差し込む方へ歩みを進める。
やがて半分だけ照らされた部屋が姿を現した。
そこには四枚ほどの鏡が並んでいた。
どの鏡にも映るのは、自分自身。
憂鬱な表情。
灰色のポニーテール。
生気のない青い瞳。
スパイ。
その名を守り続けてきた少女。
エージェント001。
それが今のカミカだった。
だが――。
突然、鏡の中の自分が消えた。
代わりに映し出されたのは断片的な映像。
川辺で微笑む姫。
月光の下、両手で水をすくい上げている。
その隣には、一人の男。
優しく彼女を見つめる存在。
その姿を見た瞬間、カミカの目が大きく見開かれた。
「……スパイオン」
思わず呟く。
映像は消えた。
次に映ったのは、窓を開けた姫の姿。
眼下には再びスパイオンが立ち、二人は楽しそうに言葉を交わしている。
そしてまた映像が変わる。
スパイオンが両手で姫の頬を包み込んでいた。
姫は幸せそうに微笑んでいる。
だが次の瞬間。
すべてが止まった。
そして――姫の声が響く。
『愛は美しい……けれど、痛みを伴うものよ、カミカ』
カミカは鏡へ近づいた。
だが映像ははっきりしない。
聞こえるのは泣き声。
悲鳴。
そして――血。
血。
血。
『私は愛し、愛される機会を得られなかった』
『この世界の飢えと権力の犠牲者でしかなかった』
『必死に生きようとした……それなのに、自ら炎の中へ飛び込んでしまった』
『神よ、どうか助けて……』
『この苦しみを取り除いて……』
『ここで死にたくないの……』
最後にカミカが見たもの。
それは血塗れの姫だった。
砕かれた身体。
切り刻まれた肉体。
あまりにも惨たらしい光景。
首は食卓の上に置かれていた。
その光景だけで、彼女の心が軋む。
思わず二歩後退したその瞬間――
誰かに腕を引かれた。
暗がりの物陰へ。
同時に口も塞がれる。
驚いて顔を上げると、そこにいたのはハル・フェリアだった。
ハルは角からそっと顔を覗かせる。
すると侍女長が部屋の中を確認し、しばらくして静かに扉を閉めて去っていった。
それを見届けたハルは安堵の息を漏らす。
カミカは彼の手を払いのけた。
そして再び割れた鏡へ視線を向ける。
「何があったんだ? どうして部屋を抜け出した?
誰かに見つかったらリリィ先生が怒られるんだぞ」
カミカは答えない。
ただ壊れた鏡を見つめ続ける。
その様子を見たハルは、彼女が鏡を割ったのだと思い込んだ。
「心配するな。
君がやったなんて誰にも――」
だがカミカは彼の言葉を遮った。
「何かが動く音を聞いたの」
「待て……それって幽霊か!?
じゃあ本当に幽霊は存在するのか!?」
カミカはしばらく彼を見つめた後、静かに視線を逸らした。
「……ネズミよ」
ハルの興奮は一瞬で消え失せた。
肩ががっくりと落ちる。
「カミカ、お前は本当に夢がないな……」
その頃。
窓の外から見つめる姫の亡霊の視線は、一度たりともカミカから離れていなかった。
カミカは一つの結論に辿り着く。
あの姫は、自分へ何かを伝えたがっている。
何かを。
ずっと昔に埋もれた秘密を。
――彼女の心の奥深くに眠る真実を。




