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第21話:珍しい花


数世紀前、〈闇の時代〉が始まる前に、人間には二つの種族が存在することが発見された。

ひとつは、生まれながらにして奇妙な力を持ち、その力は十歳を迎えた時に目覚める〈異能者〉。

もうひとつは、まったく普通の人間であり、他の人々と同じように暮らしていたが、その数の少なさから〈孤立者〉あるいは〈忌み子〉と呼ばれていた。


時の流れとともに、さまざまな系統の力が現れ、それらは十の氏族に分類された。


月の一族(最初にして最も偉大な一族)。

闇の一族。

血の一族。

蝶の一族。

植物の一族。

雪の一族。

火の一族。

水の一族。

風の一族。

岩の一族。


それぞれの氏族には強力な長が存在し、彼らは〈十人の族長〉として知られていた。

だが、その均衡は〈灰の子らの惨禍〉によって崩れ去った。

それは〈影時かげし〉――〈影の時代〉において布かれた〈追放の掟〉によるものであり、一部の氏族を滅ぼすことを目的としていた。


だが誰も知らなかった。

その掟は〈カゲモリ〉の仕業ではなく、さらに強大で深淵なる闇の力によって生み出されたものであったことを――。



---





皆が落胆している中――


ヒナ・サクライだけは違っていた。


彼女の瞳は好奇心に輝いていたのだ。


たとえアイコ先生が、他の生徒たちなら退屈だと感じるような植物の話を延々と語ったとしても、それはヒナにとって少しも苦ではなかった。


むしろ逆だ。


植物学に夢中な少女のように、目を輝かせながら聞き入ってしまうだろう。


そんな彼女が感嘆の眼差しで荷車を見つめていると、アイコ先生は震える手をガラスドームへ伸ばした。


そして中に収められていた一輪の花を、まるで壊れやすい宝物でも扱うように、ゆっくりと持ち上げる。


教室中から感嘆の息が漏れた。


その花は息を呑むほど美しく、そして非常に高価だった。


簡単には手に入らない代物だ。


「この花は――ユキツバと呼ばれています」


途端に教室のあちこちで囁き声が上がった。


驚きと感嘆に満ちた声ばかりだ。


しかしアイコ先生は続ける。


「伝承によれば、この花はある竜の涙から生まれたと言われています」


彼女は花を掲げながら語った。


「愛する者と引き離され、山奥の洞窟へ閉じ込められた竜がいました。人々によって隔てられたその竜は、悲しみに暮れながら涙を流し続けたのです」


そう言って花を皆の前へ掲げる。


「ですが――所詮は伝説です」


その時だった。


ヒナは迷うことなく手を挙げた。


「質問があります」


アイコ先生は優しく頷く。


「どうぞ、ヒナさん」


「ユキツバの花は六百年に一度しか咲かないと聞きました。それなのに、香りを吸い込むだけで大きな治癒効果があるとも……。それには何か理由があるんですか?」


アイコ先生は微笑み、花を再びガラスドームへ戻した。


「竜の涙は非常に希少なものとされています。そして竜という存在そのものが希少なのです。彼らの故郷は氷の一族のみですからね」


そう語る彼女の声はどこか穏やかだった。


「この花は、誰かを愛し、そして伝説となって消えていった存在の魂の結晶とも言えるでしょう。もっとも……竜たちは今もなお存在していますけれどね」


ヒナの表情が明るくなる。


書物では竜は凶暴な存在として描かれていた。


けれど彼らにも感情があるのだと知った瞬間、彼女は思った。


どれほど冷たい心でも、温かくなれるのだと。


なぜかその考えはカミカ・キラスを連想させた。


だが次の瞬間――


パンッ!


アイコ先生が両手を叩いた。


子供のように無邪気な笑顔を浮かべながら。


「さあ! お待ちかねの料理大会の時間ですよー!」


生徒たちは一斉に顔を輝かせた。


特に喜んでいたのは、


ユキ・シライ、

デンジ・ヤママト、

フブキ・コリヤマ、


そしてB-2クラスの男子生徒――カルマだった。


だがアイコ先生は人差し指を立てる。


「その前に……」


にっこり微笑みながらも、どこか不穏な空気を漂わせる。


「三人から四人でチームを組んでください」


そして次の瞬間。


彼女はデンジの制服を掴み上げた。


「私の植物には絶対に触らないこと」


笑顔だった。


だが恐ろしかった。


「何年も何年もかけて集めた大切な植物たちですからね?」


デンジは滝のような汗を流していた。


「こ、怖い……」


ヒナが小声で呟いたその時。


サイカ・タチバナが彼女の手を掴んだ。


「ねえねえ、お姫様――じゃなくてヒナ!」


「え?」


「せっかくだし、私の新しいチームに入らない?」


「新しいチーム?」


首を傾げるヒナ。


サイカには幼い頃からヒナ以外の友人がほとんどいなかったはずだ。


しかし彼女は勢いよく頷き、二人の少女の元へ連れて行く。


「こちら!」


そこにいたのは――


キキョウ・クロハナと、

イズキ・シノモリだった。


「えっ!? クロハナさん!?」


ヒナは慌てて何度も頭を下げた。


「B-2クラス代表で、ゴールデンスター評議会の一員ですよね!? 大会での活躍も凄かったですし、その……暴走カグラを発動したのに――」


だがキキョウは軽く手を上げて遮る。


そして微笑んだ。


「こちらこそお会いできて光栄です、サクライ家のお姫様」


「ひゃっ!?」


ヒナの顔が真っ赤になる。


「そ、その呼び方はやめてください……ヒナでいいですから!」


しかしキキョウは微笑んだままだった。


「なら私のこともキキョウと呼んでください。堅苦しいのは苦手なので」


(キキョウさん、すごく優しい……!)


ヒナは感動していた。


だがすぐに隣の少女へ目を向ける。


短い金髪。


どこか影の薄い存在。


イズキ・シノモリだ。


彼女は目立つことを好まず、いつも静かに過ごしている。


しかも不思議なことに、キキョウの隣に立っていた。


本来なら犬猿の仲であるはずなのに。


もちろんこれはサイカが勝手に集めた結果だった。


「ヒナ・サクライです。よろしくお願いします」


ヒナは笑顔で手を差し出した。


イズキはその手を見つめる。


無視するのも失礼だ。


そう判断し、静かに握り返した。


「こちらこそ。イズキ・シノモリです」


「イズキって呼んでください」


「うん!」


その時だった。


教室の向こうから悲鳴が響く。


聞き覚えのある声だ。


振り返ると――


リン・シリガミがカミカ・キラスとマリー・スミスを強引に引きずっていた。


「絶対強いチームになるってばー!」


だが実際には、自ら墓穴を掘っているようなものだった。


ヒナは苦笑する。


「これは戦争になりそう……」


しかしサイカの元気な拍手が始まりの合図となった。


料理大会が始まったのである――。

料理大会のルールは単純だった。


アイコ先生が出した条件はたった一つ。


――自分を毒殺しない程度に食べられる料理を作ること。


その結果、両クラスの生徒たちは次々とチームを結成していった。


フブキ・コリヤマも本当はヒナと同じ班になりたかった。


彼の視線は何度もヒナへ向けられていたが――


「ほら行くぞ!」


「早くしろー!」


デンジ・ヤママトとカルマに引っ張られ、さらにユキ・シライも加わったことで、半ば強制的に別チームへ連れて行かれてしまった。


そんな騒がしさから少し離れた場所では――


キキョウたちのチームが驚くほど順調に作業を進めていた。


ヒナは生地を混ぜる担当。


イズキは材料集め。


サイカは果物の下ごしらえ。


そしてキキョウがケーキ作りの中心を担っていた。


夢中で作業していたせいだろう。


気づかないうちに、キキョウの鼻先には少しだけクリームが付いていた。


その時だった。


背後に気配を感じる。


振り返ると――


そこにはイズキが立っていた。


別に驚かせるつもりはなかったらしい。


「鼻にクリーム付いてる」


キキョウは不機嫌そうに鼻を拭う。


「……なんであんたがここにいるのよ」


イズキは首を傾げた。


「クリームが付いてることと何か関係ある?」


「そういう意味じゃない!」


キキョウは額を押さえる。


「はぁ……もういい」


イズキは近くの机に肘をついた。


「そういえば」


何気ない口調で言う。


「大会で暴走カグラを使ってたよね」


キキョウの手が止まった。


しかし返事はしない。


それでもイズキは続ける。


「長時間使った場合の代償くらい知ってるでしょ?」


ガンッ!


キキョウは思い切りスプーンを叩きつけた。


大きな音に周囲の生徒たちが振り返る。


だがすぐに作業へ戻っていった。


その反応を見て、イズキは僅かに口元を緩める。


どうやら図星だったらしい。


「イズキ……」


キキョウは低い声で言った。


「お願いだから離れて」


イズキは肩を竦めながら立ち上がる。


「はいはい」


降参するように両手を上げると、そのまま残りの材料を集めに向かっていった。


◇ ◇ ◇


それから約一時間後。


アイコ先生が用意したタイマーが鳴り響いた。


生徒たちは完成した料理を次々と運んでくる。


どの料理にも個性があった。


だが――


アイコ先生の舌を満足させるものは少ない。


中でもリン・シリガミのチームが作った料理は悲惨だった。


半分焦げており、形も崩壊している。


アイコ先生は一瞥しただけでゴミ箱へ投げ捨てた。


「次」


「えぇぇぇぇぇっ!?」


リンの悲鳴が教室中に響く。


そんな中、一つの料理がアイコ先生の目を引いた。


キキョウたちのチームが作った――


フルーツケーキだった。


見た目は決して豪華ではない。


だがスプーンを一口運んだ瞬間――


アイコ先生の動きが止まった。


そして。


「……っ!」


彼女の瞳が大きく見開かれる。


「爽やかな風……」


生徒たちは困惑した。


だがアイコ先生は止まらない。


「水のせせらぎ……鳥たちのさえずり……」


恍惚とした表情を浮かべる。


「まるで春そのもの……!」


ヒナたちは目を丸くした。


「心に染み渡る優しい甘さ……花畑へ飛び込んだような幸福感……苺の酸味と生クリームの柔らかさが絶妙に溶け合って――」


頬を赤く染めながら語るアイコ先生。


やがて咳払いを一つして真面目な顔に戻った。


「満点です」


教室が静まり返る。


そして――


「優勝はあなたたちのチーム!」


歓声が上がった。


キキョウは満足そうに胸を張る。


サイカは勢いよくヒナへ抱きついた。


ヒナも嬉しそうに笑いながら彼女の肩を軽く叩く。


一方で――


イズキは少し離れた場所に立っていた。


皆から数メートル離れた場所。


けれど。


彼女の横顔には確かな笑みが浮かんでいた。


それはキキョウにも見えていた。


視線が合う。


しかしイズキは隠そうとしなかった。


◇ ◇ ◇


イベントが終わり、生徒たちが満腹で帰っていく中――


ヒナだけはその場に残っていた。


理由は単純だ。


もう一度だけユキツバの花を見たかったのである。


好奇心が勝ったのだ。


教室にはもうほとんど人がいない。


残っているのは、


こっそりケーキの残りを食べようとしているアイコ先生と、


その様子を呆れながら見ているリリィ先生だけだった。


そんな中。


ユキツバを見つめるヒナの瞳に気付いたリリィは、そっと彼女の肩へ手を置いた。


「もう部屋へ戻りなさい」


少し疲れたような声だった。


「今日は疲れたでしょう?」


ヒナは素直に頷く。


そして出口へ向かって歩き出した。


だが。


数歩進んだところで足を止めた。


何かを思い出したように振り返る。


「リリィ先生」


「ん?」


「ありがとうございました」


リリィは瞬きを繰り返した。


突然のお礼に戸惑う。


何に対して言われているのか分からなかったからだ。


だが――


ヒナの笑顔を見た瞬間。


胸が強く脈打った。


思い出したのである。


あの少女を。


ずっと昔に出会った、小さな女の子を。


誰にも語れない。


今も探し続けている。


大切な存在。


ヒナの笑顔は、どこかその子によく似ていた。


リリィは柔らかく微笑む。


「私は何もしていないわ」


「でも感謝しています」


ヒナはそう言った。


リリィは首を傾げる。


するとヒナは静かに続けた。


「あの日の大会で……」


その声はどこか優しかった。


「私が不正をしたって言われた時」


リリィの瞳が揺れる。


「あの人が私を責めた時も、先生だけは迷わず私を信じてくれました」


ヒナは微笑んだ。


「私のことを疑わなかった」


その言葉にリリィは静かに目を閉じる。


そして小さく息を吐いた。


「私はただ、本当のことを言っただけよ」


「それでも嬉しかったんです」


ヒナはそう言って頭を下げた。


「本当にありがとうございました」


そして教室を後にする。


残されたリリィはしばらく動かなかった。


胸の奥に広がる懐かしさ。


遠い昔の記憶。


あの少女と花畑を歩いた日々。


いつも自分に向けてくれた笑顔。


今のヒナと重なるほどによく似たその笑顔。


リリィは窓の外を見つめながら、小さく微笑んだ。


それは温かく――


そして少しだけ切ない微笑みだった。

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