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第17話:家族の誇り


数世紀前、〈闇の時代〉が始まる前に、人間には二つの種族が存在することが発見された。

ひとつは、生まれながらにして奇妙な力を持ち、その力は十歳を迎えた時に目覚める〈異能者〉。

もうひとつは、まったく普通の人間であり、他の人々と同じように暮らしていたが、その数の少なさから〈孤立者〉あるいは〈忌み子〉と呼ばれていた。


時の流れとともに、さまざまな系統の力が現れ、それらは十の氏族に分類された。


月の一族(最初にして最も偉大な一族)。

闇の一族。

血の一族。

蝶の一族。

植物の一族。

雪の一族。

火の一族。

水の一族。

風の一族。

岩の一族。


それぞれの氏族には強力な長が存在し、彼らは〈十人の族長〉として知られていた。

だが、その均衡は〈灰の子らの惨禍〉によって崩れ去った。

それは〈影時かげし〉――〈影の時代〉において布かれた〈追放の掟〉によるものであり、一部の氏族を滅ぼすことを目的としていた。


だが誰も知らなかった。

その掟は〈カゲモリ〉の仕業ではなく、さらに強大で深淵なる闇の力によって生み出されたものであったことを――。



---





キキョウは学園病院のベッドに横たわっていた。

身体の痛みはまだ残っている。

だが――それ以上に彼女を苦しめていたのは、砕け散った誇りだった。


ハルマ家の息子を倒し、自分を証明できる唯一の機会。

それを逃してしまったという事実が、彼女の心を深く締め付ける。


再び襲ってくる“劣等感”。


(私は……いつか、誰かに認められる存在になれるのだろうか)


キキョウは静かに病室を見渡した。

すると視界の先に、部屋の隅で本を読んでいる医師――ハルカの姿が映る。


キキョウが身体を起こして座り直すと、その気配に気づいたハルカが優しく微笑んだ。


「気分はどう?」


キキョウは小さく頷く。


「大丈夫です……まだ痛みはありますけど、前よりは楽になりました」


ハルカが彼女のもとへ向かおうとした、その時だった。


コンコン――


病室の扉を叩く音が響く。


ハルカは扉へ向かい、それを開いた。


「キキョウは起きていますか……?」


扉の向こうから聞こえたのは、どこか不安げな男性の声。


ハルカは一瞬だけキキョウへ視線を向け、それから答えた。


「ええ。大丈夫です。ただ、まだ安静が必要ですが」


「……少し、会いたい」


震えていたのは声だけではない。

その手もまた、微かに揺れていた。


それに気づいたハルカは静かに道を開ける。


キキョウが顔を上げた瞬間――

その表情は失望から驚きへと変わった。


準優勝。

世間では“立派な結果”なのかもしれない。

だが彼女にとって、それは敗北だった。


そんな自分を――父が見舞いに来てくれた。


手には、彼女の好きな果物が詰まった籠。


クロハナはハルカに一礼し、ベッドの傍へ腰を下ろす。


「好きな果物を持ってきた」


だがキキョウの声は硬かった。

父に対してではない。

自分自身に向けられた怒りのせいで。


「……どうして来たの」


クロハナの表情は変わらない。

ただ、その眼差しだけが少し柔らかくなった。


「たとえ百回失敗しても、次がある。

また挑戦すればいい。

お前が挑もうとした――それだけで、私は誇らしい」


その言葉が、逆にキキョウの胸を締め付ける。


彼女は父の希望だった。

“クロハナ家は娘しかいない時点で終わりだ”

そんな陰口を黙らせるための、唯一の存在。


一族への侮辱。

父への嘲笑。


それらを全て覆したかった。


勝利によって。


「私は……父様を失望させました。

父様は私に、この大会で勝って名前を証明しろって……

評議会やハルマ家に見せつけろって……なのに私は――」


彼女はシーツを強く握り締めた。


涙が零れ落ちそうになる。

けれど、顔は伏せたままだ。


弱さを見せたくなかった。

たとえ相手が父親でも。


だがクロハナは、それを理解していた。


だからこそ彼は、そっと娘の肩へ手を置く。


「確かに、勝てとは言った。

だが……それは私のためじゃない。お前自身のためだ」


キキョウは困惑したように顔を上げる。


「……どういう意味?」


「最近のお前は、自信を失っていた。

何をするにも怯えて、考え込みすぎていた。

だから大会を理由に、お前に自信を取り戻してほしかったんだ」


その言葉に、キキョウの瞳へ涙が滲む。


それでも彼女は再び俯いた。

泣いている姿を見られたくなくて。


クロハナはそんな娘を見て、小さく笑う。


「正直に言えばな、キキョウ。

お前は少し、自分を犠牲にしすぎだ。

私のために、一族のために……証明しようとしすぎている。

だが時には、自分自身のために生きろ。

少しくらい、わがままになっていい」


キキョウは震える手で涙を拭った。


「……でも、父様がいなかったら……私は、何なんですか?」


クロハナは優しく微笑み、彼女の頭を撫でる。


「私はお前に失望したことなど、一度もない。

観客たちが、倒れても立ち上がるお前に歓声を送っていた。

ハルマのやり方に怒り、お前を応援していた。

それを見た時――私は誇らしかった。

同じ父親でなければ分からないほどにな」


キキョウの瞳が大きく揺れる。


それは衝撃ではない。


――救いだった。


彼女はずっと、“名誉”ばかり見ていた。

自分自身ではなく。


誰かの期待。

誰かの言葉。

誰かの評価。


それらに囚われるあまり、忘れていたのだ。


自分がどれだけの場所まで辿り着いたのかを。


ハルマとの戦いで敗れた。

だが同時に、彼女は皆から敬意を勝ち取っていた。


その時だった。


「キキョウ……」


聞き慣れた声が病室へ響く。


振り向けば、担任教師のモリヤマが立っていた。


彼女はキキョウの好きな蓮の花束を抱え、いつもの明るい笑顔を浮かべている。


モリヤマは椅子をベッドの前へ置き、静かに腰掛けた。


「体調はどう?」


キキョウは父をちらりと見た後、小さく答える。


「……大丈夫です」


だがモリヤマは、その言葉だけでは納得しなかった。


キキョウは彼女の誇る生徒であり、クラス代表でもあるのだから。


「本当に……“大丈夫”?」


その問いに、キキョウは少しだけ目を伏せた。


「……分かりません」


予想通りの返答だった。


モリヤマは微笑みながら、両手でそっとキキョウの手を包み込む。


「今日の試合で、あの馬鹿ハルマが何をしたかなんて関係ないわ。

あなたが最後まで諦めなかったこと――それだけで、私は誇らしい。

努力家で、大切な私の生徒が全力を尽くしてくれた。

それだけで十分なの」


キキョウの表情が少しずつ和らいでいく。


涙を零しながらも、彼女は微笑んでいた。


「お父様も言っていたでしょう?

誰もあなたを責めていない。

誰も失望していない。

誰もあなたを嫌ってなんかいない。

今日あなたは皆に見せたのよ。

あなたが“キキョウ・クロハナ”――

クロハナ家の娘であり、雪の一族の誇りだって」


モリヤマは優しく彼女の涙を拭った。


「だから約束して。

何があっても……まずは自分自身を大切にするって」


キキョウは小さく頷く。


「……約束します」


――初めてだった。


誰かに認められるためじゃなく。


“誰かにとって十分な存在”になるためでもなく。


ただ――


“キキョウ・クロハナ”として生きたいと、そう思えたのは。


戦いには敗れた。


だが彼女は証明したのだ。


どれだけ傷ついても。

血を流しても。

倒れても。


決して折れない少女であることを。


それが――

クロハナ家の娘、キキョウだった。

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