第16話:舌の権威に対する一族の頑固さ
数世紀前、〈闇の時代〉が始まる前に、人間には二つの種族が存在することが発見された。
ひとつは、生まれながらにして奇妙な力を持ち、その力は十歳を迎えた時に目覚める〈異能者〉。
もうひとつは、まったく普通の人間であり、他の人々と同じように暮らしていたが、その数の少なさから〈孤立者〉あるいは〈忌み子〉と呼ばれていた。
時の流れとともに、さまざまな系統の力が現れ、それらは十の氏族に分類された。
月の一族(最初にして最も偉大な一族)。
闇の一族。
血の一族。
蝶の一族。
植物の一族。
雪の一族。
火の一族。
水の一族。
風の一族。
岩の一族。
それぞれの氏族には強力な長が存在し、彼らは〈十人の族長〉として知られていた。
だが、その均衡は〈灰の子らの惨禍〉によって崩れ去った。
それは〈影時〉――〈影の時代〉において布かれた〈追放の掟〉によるものであり、一部の氏族を滅ぼすことを目的としていた。
だが誰も知らなかった。
その掟は〈カゲモリ〉の仕業ではなく、さらに強大で深淵なる闇の力によって生み出されたものであったことを――。
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その視線が、観客席で交錯した瞬間。
それは単なる個人同士の視線ではなかった。
一族そのものを背負った、憎悪と敵意の視線だった。
キキョウはアカデミーの地を踏んだその瞬間から、すでに決意していた。
父の名誉と、クロハナ一族の誇りを取り戻すと。
父が彼女に教え込んだのは――
強くあれ。
誇り高くあれ。
そして、決して屈するな。
その言葉は、彼女の中でただ一つの盾となっていた。
その盾を、何者にも砕かせはしない。
今日は、そのための唯一の機会。
今日か、それとも永遠に失うか。
二つの異なる一族の名を背負い、
そして父親同士の因縁を抱えたまま、
戦いの幕は切って落とされる。
勝者はただ一人。
そして敗者は、この場を「敗北者」として去る。
キキョウとハルマは、真正面から向き合っていた。
互いに握る杖は、まるで命綱のように強く握りしめられている。
キキョウの瞳には憎しみが宿っていた。
だがそれは感情ではない。
それは“意志”だった。
対するハルマは、無表情のまま彼女を見下ろしている。
しかしその瞳の奥には、明らかな嘲笑があった。
一族ごと見下す、冷たい侮蔑の光。
「始め!」
教師リーリーの合図と共に、
試合開始を告げる布が地面へと落ちた瞬間――
キキョウは迷いなく踏み込んだ。
だが、それは致命的な判断だった。
ハルマは容易くその一撃を避けると、
一瞬で間合いを詰め、反撃の一撃を彼女の頭部へ放つ。
だがキキョウは倒れない。
体勢を崩しながらも踏みとどまり、すぐさま振り返る。
再び激突する杖。
乾いた衝突音が響き渡った。
「まだ、自分の一族の誇りを掲げられると思っているのか?」
ハルマの声は冷たく、そして嘲るようだった。
だがキキョウは杖を握りしめる力を強める。
白くなるほどに、指が軋む。
「……ああ。私は掲げる。必ず」
重なった杖が地面へと押し込まれ、
キキョウの体が無意識に沈む。
その瞬間、ハルマは鍔迫り合いを解き、
素早く腹部へと一撃を叩き込んだ。
キキョウは後退する。
だが、倒れない。
「お前は本当に頑固だな。父親も、一族も……氷の一族らしい」
口元に滲む血。
それでもキキョウは前へ進む。
「そうよ……私たちは氷の一族。
意志を曲げることなんて、最初からない」
その言葉に、ハルマは小さく笑った。
だが次の瞬間――
鋭い痛みが彼の体を襲った。
キキョウの反撃が、腹部へ直撃したのだ。
ハルマは一歩下がり、腹を押さえながらも笑う。
「面白いじゃないか……お前」
キキョウは血を吐きながらも、杖を構え直した。
「立て。ここで終わるつもりはない。
キキョウ・クロハナの名を、今ここで見せてやる」
再び二人は踏み込む。
一撃、二撃、三撃――
打撃音は次第に激しさを増していく。
観客席は静まり返っていた。
誰もが思っていた。
彼女はすぐに倒れる、と。
しかしその予想は、次々と裏切られていく。
やがて、ある記憶がキキョウの脳裏をよぎった。
イゾキの言葉。
――「現実は、あなたたちの甘い幻想を壊す」
その一瞬の隙。
ハルマの一撃が彼女の膝を打ち抜いた。
キキョウは地面へと崩れ落ちる。
杖は遠くへ弾かれていた。
「これで終わりだ」
試合終了の笛が鳴り響く。
勝者――ハルマ・カイト。
しかしキキョウは、すぐには立ち去らなかった。
「次に遊ぶときは……ゲームのルールを理解してからにしろ」
ハルマの言葉に、キキョウは彼の襟を掴んだ。
「確かに今回は負けたわ。
でも戦争はまだ終わっていない」
彼女は血を拭い、冷たい瞳で言い放つ。
「次に戦う時、私はお前を虫のように潰す。
瞬きする暇も与えない」
そして背を向け、去っていった。
表彰式。
「第二位……キキョウ・クロハナ」
しかし彼女の姿はそこにない。
「治療室に向かったのでしょう。かなりのダメージでしたから」
リーリーは静かに呟いた。
キキョウは医務室のベッドの上で天井を見つめていた。
痛みよりも深く刻まれていたのは――敗北という現実。
しかしその胸の奥で、確かに何かが変わっていた。
焦りではなく。
恐怖でもなく。
ただ一つ――
“次は勝つ”という、静かな誓いだった。




