第11話:予期せぬコラボレーション
数世紀前、〈闇の時代〉が始まる前に、人間には二つの種族が存在することが発見された。
ひとつは、生まれながらにして奇妙な力を持ち、その力は十歳を迎えた時に目覚める〈異能者〉。
もうひとつは、まったく普通の人間であり、他の人々と同じように暮らしていたが、その数の少なさから〈孤立者〉あるいは〈忌み子〉と呼ばれていた。
時の流れとともに、さまざまな系統の力が現れ、それらは十の氏族に分類された。
月の一族(最初にして最も偉大な一族)。
闇の一族。
血の一族。
蝶の一族。
植物の一族。
雪の一族。
火の一族。
水の一族。
風の一族。
岩の一族。
それぞれの氏族には強力な長が存在し、彼らは〈十人の族長〉として知られていた。
だが、その均衡は〈灰の子らの惨禍〉によって崩れ去った。
それは〈影時〉――〈影の時代〉において布かれた〈追放の掟〉によるものであり、一部の氏族を滅ぼすことを目的としていた。
だが誰も知らなかった。
その掟は〈カゲモリ〉の仕業ではなく、さらに強大で深淵なる闇の力によって生み出されたものであったことを――。
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まるで競技場そのものが、白髪の少女に私怨でも抱いているかのようだった。
キキョウ・クロハナはそこに立っていた。
腕を胸の前で組み、競技場を見つめながら、一歩一歩の進路を頭の中で描いている。
太陽は相変わらず容赦なく照りつけていた。
肌を焼くような熱気。
そして競技場には、先に走った生徒たちの成功と失敗の痕跡が無数に残されている。
やがてその時が訪れる。
イズキ・シノモリがスタート地点へ歩み出て、構えを取ろうとした瞬間――キキョウは彼女を見た。
その瞳には深い思考が宿っていた。
そして押し込めていた言葉が、ついに唇から零れる。
「イズキ……」
声を聞いたイズキが振り返る。
感情をほとんど感じさせないキキョウだったが、その声には確かな不安と自信の欠如が滲んでいた。
「私は馬鹿じゃないわ、キキョウ。今回の試験がどれだけ重要かくらい理解してる」
イズキは彼女の言葉を先回りするように言った。
その返答に、キキョウの胸にはわずかな希望が芽生える。
だが――
それは次の一言で無残に踏み潰された。
「でも私は本気を出さないし、あなたと協力するつもりもない」
キキョウは掌に爪を食い込ませた。
額には青筋が浮かぶ。
今この瞬間だけは、シノモリ・イズキという少女を捕まえて徹底的に叩きのめしてやりたかった。
名前すら忘れるほどに。
だが彼女はクロハナ家の人間だ。
感情に流されることは許されない。
運命は最悪の冗談を言った。
よりにもよって、この問題児と組まされるなど。
ただでさえ極限まで張り詰めた神経をさらに逆撫でされている。
表には出さない。
だがキキョウは確かに焦っていた。
だからこそ、彼女はスタートラインの前に立ち、深く息を吐く。
「協力してほしいとは言わない……」
イズキを見てから、再び競技場へ視線を戻す。
少しでも動揺を悟られないように。
「でも……勝ってほしい」
イズキは鼻で笑った。
「なら勝ってあげる」
そして皮肉っぽく続ける。
「その代わり証明してあげるわ。完璧な人間なんて存在しないってことをね」
「あなたたちは理想の仮面を作り、それを信じ込み、周りにも信じさせる」
「そして最後には現実にぶち壊されるのよ。その小さくて滑稽な嘘をね」
キキョウは返事をしなかった。
その言葉が正しいかどうかなどどうでもいい。
今の彼女にとって、それは頭の片隅で鳴る雑音に過ぎなかった。
クロハナ家の名誉を守ること。
それ以外は価値がない。
その時――
モリヤマ先生の笛が鳴り響いた。
試験開始。
二人は同時に駆け出す。
だがキキョウの足取りは迷っていた。
勝ちたい。
だが同時に――
諦めてもいいのではないかという声が胸の奥で囁く。
もしかするとイズキの言葉は正しいのかもしれない。
まるで悪魔のように、イズキは彼女の心へ疑念を植え付けていた。
キキョウは考える。
考え続ける。
この重要な試験の最中に。
父も所属する契約評議会。
そして自らも所属する黄金星評議会。
その全員が見守る中で。
気づけば足は勝手に動いていた。
思考の殻から逃げ出すように。
試験そのものから逃げるように。
そして――
彼女は一つの黒ずんだ地点を踏み抜いた。
キキョウ自身は気づいていない。
だがイズキは見逃さなかった。
嫌な予感が走る。
直後。
地面の下から小さな音が聞こえた。
カチッ――
まるで誰かが地下でハンマーを叩いたような音。
そして。
轟音。
地面が爆発した。
岩片が宙を舞い、二人は吹き飛ばされる。
キキョウは立ち上がろうとした。
だが膝を負傷していた。
その瞳には絶望が宿っている。
いや――
すでに希望を失っていたのかもしれない。
しかしイズキは立ち上がった。
そして手を差し伸べる。
魂を失った人形のようなキキョウを無理やり引っ張りながら叫んだ。
「どうしたのよ!? 頭でもおかしくなったの!?」
怒っていた。
本気で怒っていた。
キキョウが初めて見るほどに。
「私は……分からない……」
視線を落とす。
何をすればいいのか分からなかった。
そんな彼女を、イズキは強引に引き寄せる。
勢い余ってキキョウが前へ倒れ込むほどに。
イズキは腰に手を当てて立った。
そして苛立ちを隠さず怒鳴る。
「家の名誉を汚したいなら好きにしなさい!」
「家族から見放されたいならそのまま寝転がってれば!?」
キキョウは顔を上げた。
その言葉は驚くほど真っ直ぐだった。
「立ちなさい」
イズキが手を差し出す。
キキョウはその顔と手を交互に見つめる。
そして躊躇いながらも、その手を取った。
「さっきの発言は撤回する」
イズキは言った。
「協力したいならしてあげる」
「どうやら私たち、このままじゃ二人とも終わるみたいだしね」
キキョウは服についた土を払う。
その時、父の姿が目に入った。
彼は静かに頷いていた。
そしてキキョウはモリヤマ先生の足元で微かに震える小石を見る。
「サイカから聞いたの」
「モリヤマ先生、この試験でカグラを使ってるって」
イズキが眉を上げる。
「それで?」
キキョウは真剣な表情で答えた。
「カミカが第一試験でリリィ先生にしたことを覚えてる?」
「相手の弱点を見抜いて利用した」
イズキは頷く。
「弱点っていうのは、モリヤマ先生の制御能力?」
「そう」
キキョウは頷いた。
「攪乱するの」
「予測できなくして、その隙を突く」
「なるほど」
イズキは不敵に笑う。
「爆破地点を決められなくなるってわけね」
「その通りよ」
危険な笑みだった。
ほとんど獣のような笑み。
イズキは構える。
「準備は?」
「できてる」
即答だった。
先ほどまでの沈黙が嘘のように。
運命が何を企んでいるのかは分からない。
だが二人は同時に駆け出した。
息は合っていない。
キキョウが右へ行けばイズキは左。
イズキが右へ行けばキキョウは左。
同時に左へ。
同時に右へ。
速度を落としたかと思えば急加速する。
徹底した不規則行動。
その結果――
爆発の頻度は明らかに減っていった。
モリヤマ先生は目を細める。
そして思わず笑みを浮かべた。
誇らしかった。
この二人は本当に自分を出し抜いたのだから。
混乱しているのは生徒たちではない。
今や自分の方だった。
やがてゴールが近づく。
残りわずか。
そこでモリヤマ先生は最後の一手を打った。
二人が交差する瞬間。
その地点を爆破したのだ。
轟音。
二人は地面へ倒れ込む。
疲労は限界だった。
だが諦める気はない。
イズキは重い体を引きずりながらキキョウへ向かう。
しかし――
キキョウの足首は完全に限界を迎えていた。
「……私を置いて行って」
彼女は俯いたまま呟く。
ゴールは近い。
だが時間も尽きかけている。
イズキは黙っていた。
そして次の瞬間。
キキョウを背負った。
「ドラマみたいなこと言わないで」
立ち上がる。
「確かに私は、善人ぶった人間が嫌いよ」
「善悪の区別もつかず、自分を正義だと思い込んでる奴らは特にね」
「でもあんたは違う」
イズキは前を向いたまま言う。
「仮面だけ被って生きてるような奴じゃなかった」
「だから――」
「私に後悔させないでよ、クロハナ・キキョウ」
キキョウは目を見開く。
その言葉に。
その評価に。
そしてイズキは走った。
十。
九。
八。
七。
六。
観客席のカウントダウンが響く。
五。
四。
三。
ゴールは目前。
だがイズキの体勢が大きく崩れる。
転倒すれば終わりだった。
それでも――
運は彼女たちを見放さなかった。
二。
一。
その瞬間。
巨大スクリーンに名前が表示される。
『キキョウ・クロハナ』
『イズキ・シノモリ』
そしてその下には――
WIN
歓声が響いた。
契約評議会も拍手を送る。
キキョウの父も、どこか誇らしげだった。
キキョウはその場へ倒れ込む。
額に手を当てる。
まるで戦争を終えた兵士のように。
その時。
冷たい水が顔へ降りかかった。
熱を持った肌には心地よい。
見上げるとイズキがいた。
「お疲れ」
そして付け加える。
「ちなみに全部私のおかげだから」
残った水を自分の頭から浴びながら言う。
キキョウはようやくまともに呼吸を整えた。
だがすぐにイズキを見つめる。
「さっき言ってたこと」
「完璧な人間なんていないって話」
「……あれ、私のことじゃなかったの?」
イズキは眉を上げた。
そして呆れたように言う。
「私、一度でもあんたの名前を出した?」
「……出してない」
「じゃあ黙ってなさい」
キキョウは反論しなかった。
だが小さく呟く。
「本当に最低ね」
するとイズキは肩を竦めた。
「知ってる」
感情のないやり取りだった。
別に友情が芽生えたわけじゃない。
イズキは相変わらず厄介な存在。
キキョウもまた歓迎されているわけではない。
それでも。
奇跡のような協力関係は確かに存在した。
まるで傷口に塩を塗り込むような関係のまま――。




