第10話:ロック一族の少年
数世紀前、〈闇の時代〉が始まる前に、人間には二つの種族が存在することが発見された。
ひとつは、生まれながらにして奇妙な力を持ち、その力は十歳を迎えた時に目覚める〈異能者〉。
もうひとつは、まったく普通の人間であり、他の人々と同じように暮らしていたが、その数の少なさから〈孤立者〉あるいは〈忌み子〉と呼ばれていた。
時の流れとともに、さまざまな系統の力が現れ、それらは十の氏族に分類された。
月の一族(最初にして最も偉大な一族)。
闇の一族。
血の一族。
蝶の一族。
植物の一族。
雪の一族。
火の一族。
水の一族。
風の一族。
岩の一族。
それぞれの氏族には強力な長が存在し、彼らは〈十人の族長〉として知られていた。
だが、その均衡は〈灰の子らの惨禍〉によって崩れ去った。
それは〈影時〉――〈影の時代〉において布かれた〈追放の掟〉によるものであり、一部の氏族を滅ぼすことを目的としていた。
だが誰も知らなかった。
その掟は〈カゲモリ〉の仕業ではなく、さらに強大で深淵なる闇の力によって生み出されたものであったことを――。
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サイカはスタートラインへと歩み出て、静かに構えを取った。
焼けつくような日差しが競技場を照らし、その地面はまるで砂漠のように揺らめいている。
静寂が場を支配する。
先ほどまで心地よかったはずの風は、いつしか息苦しい空気へと変わっていた。
――すべてが張り詰めている。
一歩さえも、計算され尽くしたかのように。
やがて、ノブヒトもスタートラインへと近づき、口を開いた。
「いつものように台無しにするなよ、タチバナ」
その一言に、サイカは鋭く振り返る。
「誰がそんなこと――」
言い返そうとしたその瞬間、彼の視線に気づいた。
競技場を見据えるその目は――明らかに“何か”を企んでいる。
次の瞬間、モリヤマの笛が鋭く鳴り響いた。
スタート。
走り出そうとしたサイカの手首を、ノブヒトが掴み引き止める。
「……何?」
「静かにしろ。もっといい方法がある」
低く囁く声。
サイカは一瞬戸惑いながらも、動きを止めた。
ノブヒトはその場に膝をつき、掌を地面へと押し当てる。
呼吸がゆっくりと落ち着いていく。
やがて――
地面の熱が、彼の手へと吸い寄せられていくかのように集まっていく。
わずかに揺れた大地は、次第に静まり返った。
まるで従順な獣のように。
空気さえも、先ほどより穏やかに感じられる。
見えないはずの何かが、円を描くように彼のもとへと収束していく――そんな錯覚。
やがてノブヒトは立ち上がり、何事もなかったかのように服の埃を払った。
「……ノブヒト、まさか」
「ああ。“カグラ”で暴走を抑えた」
その言葉を聞いた瞬間、サイカは彼の襟を掴む。
「どうやって覚えたのよ!? 私、命がけで走るつもりだったのに……こんな一瞬で解決して!」
怒鳴るサイカに対し、ノブヒトはわざとらしく顔を逸らし、舌を出した。
「ちょっとからかっただけだって。
それに、祖父が武術の師範でさ。カグラはそこで習った」
「……バカ」
吐き捨てるように言い、サイカは走り出した。
ノブヒトは肩をすくめ、気にも留めない。
彼の態度はいつもそうだ――挑発的で、どこか人を食ったような。
たとえ自分に非があっても。
一方でサイカは短気で一直線な性格。
正反対の二人――だが、かみ合えば強い。
二人はペアとして走っていた。
わずかにサイカが先行している。
だが、照りつける熱に視界が揺らぎ――
足元の小さな石に気づかず、彼女は転倒した。
ノブヒトは足を止め、地面に顔を埋めた彼女と、その原因となった石へと視線を向ける。
そして――
思わず吹き出した。
「タチバナ、お前……ダサすぎ」
顔も髪も土まみれのサイカの姿は、確かに笑いを誘うものだった。
サイカは無言で立ち上がり、土を払いながら皮肉っぽく言う。
「……面白いわね」
気まずい沈黙が落ちる。
そのとき、サイカは背後を振り返り――違和感に気づいた。
「……何か来る」
ノブヒトは眉をひそめる。
「何がだよ?」
サイカは無言で前方を指さした。
――その瞬間。
岩が崩れ落ち、地面が一直線に爆ぜた。
しかも――その軌道は、まるで二人を追うかのように。
轟音が空気を震わせ、耳を打つ。
二人はゆっくりと顔を見合わせる。
同じ考えが脳裏をよぎる。
――まさか。
ノブヒトの目が見開かれた。
だが次の瞬間、サイカが彼の腕を掴み、強引に引き出す。
全力で走り出した。
背後では、地面が次々と爆発していく。
「サイカ、これじゃ間に合わない!」
「黙って! この状況であんたに言われたくない!」
怒声が飛び交う。
「少なくとも時間は稼いだだろ!」
「バカ! ただの偽りの希望よ!」
残り時間――あと一分。
ノブヒトがタイマーに目をやる。
そして――
その先に、ゴールラインが見えた。
「……は?」
二人は同時に声を漏らす。
タイマーと迫る爆発、そしてゴールを交互に見やる。
次の瞬間――
迷いなく、駆け抜けた。
最後の一秒と同時に。
サイカはその場で膝に手をつき、荒く息をつく。
ノブヒトはそのまま地面に倒れ込んだ。
「……お前、ほんとに狂ってるな」
頭を押さえながら呟く。
だがサイカは、かすかに笑った。
「知ってる」
彼女は視線をモリヤマへ向ける。
拍手を送るその顔には、どこか無垢な笑みが浮かんでいた。
「ねえ、分かったことがあるの。
あんたの技に問題はなかった……先生、あれを見てたのよ。
だから――逆に利用したんだと思う」
ノブヒトは眉を上げる。
「今さら気づいたのかよ」
サイカは肩をすくめる。
「最初から違和感はあったけど、確信がなかっただけ」
ノブヒトは何も言わず、ただ呼吸を整える。
そのとき――
ヒナが駆け寄り、サイカに抱きついた。
「サイカ、おめでとう!」
サイカは疲れ切った顔で親指を立てる。
「ヒナぁ……勝ったけど……もう無理……」
膝から崩れ落ちる。
ヒナはすぐに水のボトルを差し出した。
「はい、これ」
サイカは勢いよく受け取り、一気に半分を飲み干す。
残りを頭からかぶった。
「……水って、最高……」
その瞬間、大型スクリーンが光り輝く。
――タチバナ・サイカ&タケ・ノブヒト
WIN
観客席から拍手が巻き起こった。
モリヤマが笛を鳴らす。
「次のペア、準備!」
試合は続く。
運で勝つ者。
知恵で勝つ者。
そして――敗れる者。
このゲームは過酷だった。
成功率は極めて低い。
だが――環境を読み、利用できれば、道はある。
何組ものペアが砂にまみれ、疲れ果ててフィールドを去っていく。
スクリーンには、敗北を示す赤と、勝利を示す緑が交互に映し出される。
やがて――
次のペアの名が表示された。
――イヅキ・シノモリ & キキョウ・クロハナ
キキョウは一瞥すらくれない。
だがイヅキは――
楽しげに、挑発的に彼女を見つめていた。
まるでこの不釣り合いなペアすら、遊びの一部だと言わんばかりに。
そして彼女の興味はただ一つ。
――キキョウの“完璧さ”を壊すこと。
それが、新たな標的だった。




