第78話:目覚めの瞬間
どこか遠くで、風が灰を巻き上げる低い音が響いていた。
その音は、まるで現実と夢の境界を揺らす合図のように、薄暗い意識の底へ染み込んでくる。
オレは重く沈んだ海の底から、ゆっくりと浮かび上がる感覚を味わっていた。最初に戻ってきたのは、匂いだった。
焦げた岩肌の鋭い匂い、鉄のような血の金属臭、乾いた土埃の粉っぽい香りが、焼け落ちた空気とともに鼻腔を刺す。
耳はまだ遠く、音は膜越しに聞くように鈍い。
やがて、その膜が剥がれるように、世界の音が断片的に入り込んでくる。
近くで焚き火の爆ぜる乾いた音。薪が崩れ落ちる小さな衝撃音。
そして、遠くで誰かが交わす低く押し殺した声。会話の内容は判別できないが、その響きには安堵と疲弊が入り混じっていた。
瞼を持ち上げると、視界は最初、霞がかかったようにぼやけていた。
それでも、夜明け前の空がわずかに青を含みはじめているのがわかる。
薄明の光は、灰と煤に覆われた大地を淡く照らし、その表面の傷跡をあらわにしていた。
視界を横切る影が一つ。ゆっくりとこちらに近づいてくる気配。
次の瞬間、その影が膝をつき、こちらを覗き込んだ。
淡い光が頬をかすめ、温かなものが触れる。
それは掌か、それとも布越しの包帯か——とっさには判断がつかなかった。
その接触とともに、小さく吐き出された安堵の息。
それが妙にリアルで、オレははじめて自分が「生きている」と理解した。
喉は焼け付くように乾き、言葉を紡ごうとしても、ひどくかすれた音しか出ない。
その無様な声に、影の人物が一瞬肩を揺らし、なにか短く呟いた。意味は聞き取れないが、どうやら笑ったらしい。
そこで——脳裏を駆け抜けるのは、途切れ途切れの記憶の断片だった。
炎龍の咆哮。赤黒い炎の奔流。
ラグナの装甲越しに感じた衝撃と、全身を守り抜いた防護結界の光。
その力の代償として、急速に減衰していった自分の魔力。
(……勝った、のか……?)
そう問いかけても、答えはまだ返ってこない。
けれど、生きている。少なくとも、意識はこうして戻ってきた。
それだけで、この瞬間は充分だった。




