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第29話:意識の溶解

 Cocoonの外殻が静かに閉じると、外界の光は薄膜を通して柔らかく拡散し、やがて完全な闇に包まれた。

 内壁の深い紺色が、まるで夜空の奥底に沈んでいくような錯覚を与える。体を包み込むクッションは、呼吸に合わせて微かに形を変え、鼓動すら吸い取るように馴染んでくる。


 耳元では、超指向性スピーカーがほとんど聞き取れないほどの低い音を流し続けていた。

 それは潮騒にも似た連続音で、時折、風鈴のような高音が混じる。

 嗅覚センサーがごく薄い森の香りを放ち、肺の奥で記憶のどこかに眠るキャンプの夜が蘇る。


 篠宮の声が、すぐそばで、しかし現実とも幻ともつかない距離感で響いた。

 「――では、始めましょう。最終確認です。もう分かりきっているとは思いますが、条件は……」

 「一度だけ現実に戻す。その時、続けるか降りるかを決める」

 「はい。そして、向こうでの死は……」

 「現実の終わりだ」

 互いの声が交わった瞬間、その約束が再び胸の奥に杭のように打ち込まれた。


 額に触れるセンサーアーチが、温もりを帯び始める。

 同時に後頭部にも軽い圧迫感が広がり、視界の奥に微細な光粒が生まれる。

 最初は星屑のようだったそれらは、やがて形を持ち始め、見覚えのある街路や海岸線へと変貌していった。


 その光景は、数年前まで開発していたラグナの未完成マップだった。

 だが、そこにはPCやスマホに残っていた零号機の断片データが紛れ込み、奇妙な合成生物や色彩の異なる建築が混在している。

 境界線は曖昧で、現実の記憶と仮想世界の生成物が、互いの輪郭を侵食し合っていた。


 心拍数が上がる。アバロスの声が一瞬だけ、意識の奥底から響いた気がした。

 「あなた……」

 そこまでで音は途切れ、波紋だけが残る。

そういえば、ここしばらくアバロスと話す機会が無かった事に、こんな間際にオレは気づいていた。


 呼吸がゆっくりと深くなり、感覚の重みが失われていく。

 身体はCocoonの中にあるはずなのに、指先から肩、胸、足先へと輪郭が溶け、浮遊する意識だけが残った。


 ふいに、光景全体が音を立てて反転する。

 足元に大地の感触が戻り、潮の匂いと遠くの鐘の音が確かな現実感を伴って押し寄せてくる。

 視界の端に、ラグナの港町ヴァルガルドの塔が見えた。

 現実との境界はもう分からない。

 ――オレは、ここに降り立った。

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