第28話:棺に横たわる
スクリーンの中で息づく『ラグナ』の街は、もはやゲームデータの集合ではなかった。
港に吹く潮風が布をはためかせ、路地裏では猫が魚の骨をくわえて走り去る。
NPCたちはこちらに気づくこともなく、それぞれの日常を生きている。
「……これはもう、オレのラグナじゃないな」
ぽつりと漏らした言葉に、篠宮は静かに頷いた。
「ええ。しかし確かに、天城煌也のラグナです」
その一言が、胸の奥のどこかを鈍く突いた。
「オレは……AIに任せるなんて、最後までやらないつもりだった」
机に両手を置き、スクリーンから視線を外す。
「A-Genの量産ゲームに飽き飽きして、人間の手で作ることにこだわってきた。それなのに……」
篠宮は言葉を挟まない。ただ黙って、こちらが吐き出すのを待っている。
その沈黙が、余計に自分の言葉を苦く感じさせた。
現実世界で告げられた「半年、持って一年」という余命が脳裏をよぎる。
このまま終わるのか――そう思うと、息が詰まる。
だが、仮想世界ならば違う。
そこには現実と同じ寿命があり、事故や戦闘で命を落とす可能性もある。
だが、それでも残りの現実半年が、向こうでは数十年という長さに伸びる。
そこで自分が作った世界を、自分の手で歩き、生き切ることができる。
それが、この提案の本質だった。
「……オレが死んだら、このラグナはどうなる?」
「AIは運営を続けます。ただ、あなたのプレイデータは唯一無二です。それを反映するかどうかは、あなた次第です」
唯一無二――その響きが、弱った心に小さな炎を灯した。
篠宮は椅子を引き寄せ、視線を合わせてきた。
「我々がやろうとしているのは、緩和ケアではありません。残された時間を“生きる”ことです」
「……生きる、ね」
「あなたにとっての生は、何ですか? もしそれが創造であり、物語を紡ぐことなら、この世界でこそ実現できる」
まっすぐな目を向けられ、言葉を失う。
答えはとっくに分かっている。ただ、認めたくないだけだった。
ふと、遠い記憶が蘇る。
初めて自作ゲームを父に見せたときの、あの照れくさそうな笑顔。
「お前はこういうの作るのが向いているな」
その言葉が、今のオレの基盤を作った。
――父さん、オレ、最後まで作り続けるよ。
心の中で呟くと、迷いが少しずつ溶けていくのを感じた。
篠宮が立ち上がり、一歩近づく。
「……天城さん、念のため、もう一度だけ確認します」
短く間を置き、静かに告げる。
「これは実証実験です。一度は必ず現実に戻る。その時、続けるか降りるかをあなたが決める」
互いにわかりきっている条件。だが、この瞬間に口にすることで、言葉は契約の印になる。
オレは軽く頷いた。
「分かってる」
声は、自分でも驚くほど静かだった。
篠宮はさらに言葉を重ねる。
「向こうでも寿命はあります。事故や戦闘で命を落とせば、その瞬間に現実も終わります。
それでも――あなたは、自分の世界で、自分の時間を生きる。そういう理解で間違いないですね」
「間違いない」
そのやり取りだけで、胸の奥の迷いが一つ消えていった。
深呼吸し、篠宮を見据える。
「……やる。ファーストプレイヤーとして、ラグナに入る」
篠宮はゆっくりと笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。では準備に入ります」
Cocoonの外殻に手を置く。
冷たい感触が掌に伝わる。
これに入れば、現実世界と長く会えなくなるかもしれない。
でも――もう十分だろう。
「……行くよ、ラグナ」
小さく呟いた声は、意外なほど震えていなかった。




