↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レーテー・イストリア  作者: 鈴
第1章 リルテの章
5/24

3部 - 1「水晶と銀貨」

 踏みしめた地面から立ち昇る土の匂いを、胸の深いところに吸い込んだ。

仰いだ空が、遠い。

ざわざわと葉擦れの音が鳴り、聞き慣れない鳥の声がする。

ヴァレンタイン師《せんせい》の書庫で開いた本に描かれた景色は、このような音がしたのか。

匂いがしたのか。

リルテは、初めて見る木の幹に触れ、石を拾い、村の周りにあったそれらとの違いを見つめながら歩いた。


老人と別れて、さらに二日が経った。


相変わらず獣の縄張りには注意しなくてはならなかったが、山の様相が変わった。

樹木も多くなれば、荒らされていない場所を見つけるのも容易になる。

色づきかけた杏や、桑の黒い実をもいで、噛んだ。

広がる酸味の中に、確かな甘さがある。

頭ははっきりとするようになったし、何より手足に力が入った。

羊乳草を見つけたときは、火を熾し、煮て食べた。

温かく胃に染みて、その夜は少し、眠れた。


結局、ウサギは狩れなかった。

鳥も。ネズミも。

老人からもらった薬を試そうにも、獲物に摂らせる手だてが無かった。

目が合えば、やはり刃を持つ手が動かなくなる。

リルテは、諦めて短刀を皮袋にしまった。

木の実と太った草の根があれば、山を下りるまでは何とかなる。

薬をまぶされた干し肉は、地中に埋めた。

イノシシに掘り起こされないよう、熊がこすりつけた跡のある木の皮を剥がして、その上にかぶせた。


そうしてもう一日歩き、尾根を越えた。

視界が開けた。


「……街だ」


灰色の石壁。赤や黒の瓦。

空の青を映した大きな湖に寄り添うように立ち並び、人々の営みが突き出た煙突から立ち上っている。

しばらく身動きも忘れて、リルテは眺めた。


次第に、景色が歪んだ。

温かいものが顎先から落ちる。


リルテの肩を抱いたイオセフの指先を辿り、闇を抜けた。

着いた。と思った。


急に背中を押されて、たたらを踏んだ。

驚いて振り返った。

誰もいない。

尾根を渡り、リルテを追い越して行く風の仕業だ。

リルテは腕で目をこすった。

まだ、行かなくては。

足を踏みしめ、背筋を伸ばし、前を見る。

そして、再び土を踏みしめ、歩き出した。




「触るな! 乞食が!」


 台に伸ばした手を叩かれそうになって、リルテは飛び退(すさ)った。

ごった返す人とぶつかりそうになりながら、追いかけてくる怒声から逃げ、荷車と荷車の間に身体を押し込んだ。


街の入り口を潜ったときから、人々はリルテを見て眉をしかめた。

近づこうとすれば逃げられ、店先に立てば手を振って追い払われる。


「汚い」


その一言で、リルテは自分の姿を見下ろした。

砂と土と泥。汗や血を吸い込み、岩や木の枝で裂かれた衣服は、ぼろきれのようだった。

だが、砂嵐の村では、どれだけ汚れていても大人たちに追い立てられることはなかった。


これほど強く拒絶されたのは初めてだった。

リルテは震える手を握りしめて、胸に押し当てた。


服を買い、宿で湯を使わせてもらわなくては。

だが、銀貨がなかった。


リルテは首を巡らせて、店を見た。


村では、必要なもののほとんどを、別のものと替えた。

だが、時折やってくる行商には銀貨が必要だった。

その銀貨は、イオセフが山で採った鉱石や、狩った獣の毛皮を渡して得ていた。

村の外では、銀貨で物を買う。

それは、覚えていた。


皮袋の水晶を取り出す。

毛皮はないが、空腹が収まった頃、寝床にと潜り込んだ洞穴で、いくつか折り取った。

店で出して、交換してもらおうと思っていた。

だが、店先で見せても「汚いものを寄越すな」と誰も見向きもしなかった。


一人が、「うちは鉱物商じゃない」と言った。

訊き返そうとしたが、追い払われた。


鉱物商。

鉱物を扱う店があるのだ。


店ならば、どこでも銀貨に換えてもらえると思っていた。

リルテは、自分の思い込みを恥じた。


まず、鉱物商を見つけなければならない。


身を縮めて、人を避けながら、リルテはそれを探した。

だが、店の扉に手をかけただけで怒鳴られる。

扱っているものが見えるのは、道端の露店しかなかった。


鉱石を置いているところ――あった。


「あの……」


茣蓙《ござ》に石を並べている男に、リルテは恐る恐る声をかけた。


「水晶を、銀貨に換えてもらえますか?」


男はリルテを頭の上からつま先まで舐めるように見て、黙ったまま手を出した。

ここに置け、ということか。


リルテは皮袋から水晶を出して、肉厚な男の手のひらに載せた。

つまらなそうに水晶を一瞥した男の眉が、跳ねる。

しかし、男は表情を消すと、それを足元に置き、リルテに向かって手を振った。


「ガラクタを持ち込みやがって。失せろ」

「いいえ。本物です」


リルテは首を傾げ、男をまじまじと見つめた。


「ガキに何がわかる。これは硝子だ」

「いいえ。水晶です」


膝をつくと、リルテは手を伸ばし、男の足元から渡した水晶を拾い上げた。

そして、手のひらの中にぎゅうっと握り込んだ。


「こら!」

「まず、こうやって触れたときの冷たさ。それから」


水晶の両端を指の腹で押さえて、男の目の前に翳した。


「見てください。綺麗な六角柱の形です。それに、硝子に見られるような気泡もありません」


男は頬を引きつらせ、唇を戦慄かせた。

リルテは息を吐いた。まだ信じてもらえないのか。

仕方なく、皮袋から短刀を取り出す。

男が怯んだ。


「な、なにを」

「こうして刃を当てても」

「なっ、お、おい! やめろ!」


リルテは躊躇(ためら)わずに刃を引いた。

刃が石の表面を滑り、耳障りな音を立てる。


「ひぃっ! 何てことを!」


リルテは表面に残った跡を指で拭った。

金属の粉が落ち、その下には溝ひとつ残っていない。


「傷はつきません。やはり、水晶です」


ヴァレンタイン師の書庫で読んだ鉱物誌に、すべて書いてあった。

リルテは短刀をしまい、男がよく確かめられるよう、水晶を足元の茣蓙に戻した。

これで、信じてもらえるだろう。

だが、男は顔を怒りで真っ赤にして立ち上がった。


「き、きさま……! 乞食ごときが偉そうに……!」


あ、と思ったときには男の身体がリルテの上に迫っていた。

振り上げたこぶしがリルテの上に落ちる。

ぎゅっと目を閉じて手で頭をかばう――が、いつまでも衝撃はやってこなかった。


リルテは恐る恐る腕を下ろし、顔を上げた。


「見苦しいぜ」


目の前に、誰かの背中があった。

そして、白い袖口から伸びた細い手が、男の腕を固く掴んでいた。


「見てたけどよ、完敗じゃねぇか」

「くそっ、またガキか……」

「へぇ、そんな口きいていいと思ってんのかよ……」


ぎり、と力を込めて男の腕をねじり上げたとき、顔が見えた。

短い黒髪、吊り上がった黒目。

自分と同じ年頃の、少年だった。

日に焼けた肌に、剥き出した白い八重歯が光る。


「初めて見る顔だな。誰の許しをもらって店を出してる?」


男の顔色が変わった。


「――親父に言われたくなきゃ、こいつにちゃんと銀を渡せ。なに。オレが告げ口しなくても、もうじきこの辺りは兄貴たちが見回る。見つかって自分が売りものになるのがいやだったら、別の場所で商売するんだな。もっとでかい街に行けば、その水晶もいい値になるんだろ」


苦虫を噛みつぶしたような顔で、男は銀貨を掴み、少年に突き出した。


「本物の水晶がこれっぽっちかよ」


男は目を怒らせて、銀を増やした。


「オレじゃねぇだろ」

「……」


地面に尻もちをついたままのリルテに、投げつけるように銀貨を渡すと、男は茣蓙の上の石を集めてずた袋に入れ、水晶だけはポケットに入れて去っていった。


「あの、ありがとう。すごいね」

「別にすごくねぇよ。言い負かしたいときは、腹に力入れて、どんな嘘でもはったりでも、はっきり言ってやる。それだけだ」

「そうなんだ。ねえ、なんだかたくさんもらったけど、良かったのかな」

「はあ? 相場も知らないで換金しようとしてたのか」

「本には、ものの価値の分、お金をもらうことが換金だって書いてあったよ」

「そんな馬鹿正直なやつ、どこにいるんだよ」


腰に手を当てて、少年はリルテを覗き込んだ。


「変な奴だな、お前」

「変?」

「普通、騙し取られそうになったら、怒るだろ。それか、別の店に行く」

「騙されそうだったの? 僕」


リルテがぱちぱちと目を瞬かせると、少年はおかしなものでも見たような顔で口の端を歪めた。


「一体どこで暮らしたら、そんなおめでたい頭で生きてられるんだよ」

「えっと、山で……僕、今日、初めて街に来て……」

「いい、いい。別に興味ねぇよ。それより」


顔の前で手を振った少年が、急に声を潜めて、リルテの耳に口を寄せた。


「あれ、本当に本物の水晶だったのか?」

「うん。本物だよ」

「鈍くさいのに、やるじゃねぇか。何処で盗(と)ったんだ。掏《す》ったのか?」

「えっと、山で採ったんだ」


リルテが正直に答えると、少年はつまらなそうに鼻を鳴らし、「そりゃ言わねぇか」と呟いて肩をすくめた。

ふと、少年が着ている鹿の皮の上着に、砂がついていることに気がついた。


「そこ、汚れてる。さっきかばってくれたときについたのかも」

「ああ。別に払えばどうってことねぇ。お前は自分の格好をどうにかしろよ」

「うん……君のおかげで銀貨が手に入ったから、服を買うよ」


リルテが立ち上がり、尻もちをついたときに付いた砂を払うと、もうもうと土埃が舞った。

払っただけでは、もうどうにもならない。

でも、汚れを落として着替えれば、きっと避けられることもなくなる。

少し元気を出したリルテを、少年は笑った。


「お前、店の中に入れてもらえねぇだろ」

「え……? 銀貨を持っていても?」

「無理だな。この街の奴らは、乞食を嫌ってる」


リルテは、乞食ではないと言いたかったが、この身なりを見た誰もが、リルテを乞食と追い払った。

少年にも信じてもらえないだろう。


「そっか……じゃあ露店で」

「食いもんや、石じゃねぇんだぞ。服なんて闇店で売るかよ」

「闇店?」

「許可取ってねぇ店だよ。今の奴みたいな。闇店は、親父に見逃してもらってるだけだ。好き勝手に物は置けねぇ」


リルテはぎゅうっと小さな銀貨を握りしめた。

銀貨が手に入っても、服は買えないのか。

一体どうすれば……

悄然と肩を落とすリルテを見て、少年はにやりとした。


「オレが買ってやる」

「え」


目を瞬かせたリルテに、少年は胸を叩いてみせた。


「来い。店の前で待ってろ」


言うが早いか、少年は踵を返して歩き始める。


――なんて親切なんだろう。


「早く来い!」

「うん!」


リルテは、急いで少年の背中を追った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。