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レーテー・イストリア  作者: 鈴
第3章 ロゴテカの章
23/24

2部 - 3「おちびは、正直すぎる」

 ロゴテカにやってきて、二週間が経った。


気になる題名を見つけるとつい読んでしまうが、虫干しの作業は、ずいぶん慣れた。

リルテは、朝の太陽光を目指して、紙魚《しみ》が泳いで行くのを見つめた。

紙魚にも、それぞれ好みがあるらしい。

数字ばかりを食べるものもいれば、接続詞を食べるもの、特定の文字を食べるもの。

本の穴の位置で知ることができた。

弾《はじ》けてしまうのに、太陽に向かって泳いでいくこの生き物は、ただ墨を好んでいるわけではないのだ。

だが、どれだけ好みが違っても、結局太陽光で弾けて、茣蓙《ござ》に墨だけが落ちるのは一緒だ。

そして、本に開いた穴を修復しなくてはならないことも変わらない。


作業をしていると、台車を押したロキスがやってきた。

今日は、朝の店番をクコが担当していた。

リルテの隣に台車を止めた。

あくびをしながら、ロキスは台車から取った本を開いて、亜麻糸《あまいと》の上に伏《ふ》せた。

しかし、いつまでたっても、茣蓙に墨は落ちなかった。


「ロキス。そこは穴がない頁《ぺーじ》みたいですよ」

「へぇ。そうか」


そう言ったきり、別の本をまた手に取って、適当に開いて亜麻糸の上に伏せた。


「紙魚を追い出さないと……」

「こうやって陽の光を当てていれば、あいつらもそのうち出てくるだろ」

「そうなんですか?」

「知らないけどね。ま、虫干しは虫干しだよ。百冊やれば、終わり」

「……」


リルテは次の本を手に取って頁をめくった。

穴の開いた頁を外気にさらすと、にゅるりと出てきた紙魚が身体をくねらせて陽光を探した。


「おちびは、本当に楽しそうに虫干しをするね」

「目が合うと、紙魚はかわいい気がします。ロキスは嫌いなんですか?」

「紙魚が? 虫干しが? 好きな奴、いないだろ」

「どうして?」

「どうしてって、面倒くさいじゃないか。どうせ干して紙魚を追い出しても、いずれまた食われてる」


ロキスは、開いた本をめくって、リルテに見せた。

かつて、紙魚に食べられたのであろう箇所を修復し、文字を書き足した跡があった。

リルテがそれを見たのを確かめて、頁をめくった。

数頁後に、大きな穴があった。

にゅるりと紙魚が顔を出した。

ロキスは亜麻糸の上に押し付けるように本を伏せた。


ぱしゃっと墨が茣蓙に落ちた。


「堂々巡りだ」

「紙魚を追い出せていなかったのでしょうか」

「追い出してただろ。修復跡があるんだから」


リルテは、茣蓙の黒い墨を見つめて、目を瞬かせた。

クコは、紙魚は複数で同じ本に同居しないと言っていた。

確かに、これまで一冊の本から二匹の紙魚が出てきたことはなかった。


「紙魚はどこから来るのでしょう」

「さあなぁ」


ロキスは、また適当な頁を開いて伏せた。


確かに、毎日百冊の本を干すのは、大変だ。

干したら、しまわなくてはいけない。

紙は重い。台車に載せるのも下ろすのも、なかなかの重労働だ。


「なんで、パンビオロンには紙魚がいないんだろう」

「へぇ、あそこの本には紙魚がいないのか。いいな」


ロキスがリルテの呟きを拾った。


「クコがそう言っていました。ロキスは、知らないのですか?」

「パンビオロンのことを知っているのは、入館証を貰えた人間だけだよ。普通は知らないさ」

「じゃあ、クコは入館証を持っているんでしょうか」

「知らない。あいつが自分のこと話すと思うか?」

「訊《き》いてみたことがなかったので、分かりません。今度訊いてみます」

「果敢《かかん》だね」


ロキスは、肩をすくめた。

開いた本を見もせずに伏せた。

ぱしゃっと音がして、墨が茣蓙に散った。

穴の開いた頁を当てたらしい。


「もしかしたら、パンビオロンの本は、墨で書かれていないのかもしれないな」

「どうしてですか?」

「紙魚だって、食えないもののところには棲《す》まないだろ」

「そうですね」


好みはあっても、紙魚は文字を食べる。

紙だけを食べている紙魚はいない。

リルテは頷いた。

けれど、ヴァレンタイン師《せんせい》の本棚にあった本も、文字はすべて墨で書かれていた。

墨で書かれていても、何か食べられない方法はあるはずなのだ。


リルテは本を伏せながら、ロゴテカと教会の書庫の違いを考えた。

教会の書庫は、いつも花窓から太陽の光が差し込んで、明るかった。

それは、おそらく紙魚がいなかったからだ。

ロゴテカに太陽光が入るようにしてしまったら、店内で誰かが本を開くたび、紙魚が這《は》い出して、店内が墨だらけになるだろう。

だが、たとえ紙魚を全部追い出したとしても、修復した本にまた紙魚が這い込んでいるのなら、紙魚が絶対にやって来ないようにしなければ、根本的な解決にならない。

そもそも、紙魚は――。


「おちび、おちび」

「! はい。なんでしょう」

「鐘が鳴るぞ」

「いけない!」


リルテは、空を見上げて、大急ぎで残りの本をめくって、伏せた。


「こういうときこそ、適当にやればいいのに」

「ロキスも、お店に戻らないと怒られますよ」

「平気平気。俺は、怒られ慣れてる」

「駄目ですよ。クコだって怒りたくて怒ってるわけじゃないんですから。手伝います」

「へえ。あいつのこと、分かるの? 俺、一緒に働いて二年になるけど、全然分からないな」


口笛でも吹きそうな顔で、ロキスは手を広げた。


「僕も、全部は分かりません」


リルテは、ロキスの台車から本を取った。


「でも、鐘が鳴ったら置いていくと言ったのに、僕の鞄を持って迎えに来てくれました」

「……」

「それに、クコはたぶん、水豚の肉と鶏の卵が好きなんです。でも、僕を連れていく店は毎日違います」


太陽は中天に近づき、二人の影を足元へ縮めていた。


「だから、クコを待たせたくありません」


リルテは、最後の本の穴の開いた頁を開いて、伏せた。

台車に肘《ひじ》をついてこちらを見ているロキスを振り返った。


「間に合いました。戻りましょう」

「本当に怒っていないと思う?」

「まだ鐘は鳴っていません。怒っていないですよ。ロキスだって、それは知っているでしょう?」


リルテが自分の台車を押して店の方へ戻り始めると、ロキスは肩をすくめた。


「おちび」

「なんですか。明日の天気なら、帰ってから計算します」


ガラガラと小石を踏む音の後ろに、ロキスの笑い声が響いた。



 店へ戻ると、クコが昼に来る客を待たなくてはならないというので、そのままロキスと昼食を買いに出た。


ロキスは、クコがいつも通り過ぎる露店街《ろてんがい》へ迷わず入っていった。

色とりどりの日除《ひよ》け布を張った店が、細い通りの両側に並んでいる。

入口脇の露店のおかみさんが、ロキスを見つけて手を振った。


「ロキス! 今日は早いね」

「やぁ。新入りを案内してるんだ」

「ロゴテカの? まぁ! かわいい子じゃないか」

「そうだろ?」


おかみさんは鍋《なべ》が並んだ台から身を乗り出した。

じっと見つめられて、リルテは少しだけロキスの後ろに隠れた。


「お。おちびが恥ずかしがってる」

「怖くないよ。おばさんのご飯、美味しいよ」

「どうしようかな。まだ奥まで見に行こうと思ってるんだけど。太っ腹なところを見せてくれたら、ここで買おうかな」

「ま! わかったよ。上手だね。ほら、こっちおいで。どれが好き?」


おかみさんが並んだ鍋の蓋を次々と開けると、湯気と一緒に香ばしい匂いが立った。

リルテは困って、ロキスを見上げた。


「ロキス、僕はどうしたらいいですか」

「まず、見てみろよ。ほら」


ロキスに背を押されて、リルテは並んでいる総菜を見た。


「わあ、美味しそう……」

「でしょう? 本当に美味しいよ」

「あれ? この間まで、餃子には岩花の韮が入ってなかった?」

「北からの荷が来なくてね。今日は玉菜よ。食べてみな」

「へえ。じゃあ、一つ味見させてよ」

「まったく、あんたは!」


リルテは、大鍋に入った煮物に惹かれた。

よく煮込まれた肉は、照りが出て、柔らかそうだった。


「アヒルのそれがいい? よし。じゃ、こっちの饅頭と野菜汁をおまけしちゃう」

「え! でもそれじゃあ……」

「俺もまけてくんない?」

「仕方ないねぇ。いいよ。かわいい子を連れて来てくれたからね。あんたにも餃子を付けてあげよう」


ロキスは、選んだ焼き麺の代金を払い、焼き麺とおまけの餃子、それぞれの器を載せた盆を受け取った。

おかみさんが香草で煮込んだアヒル料理の値段だけを、リルテに告げた。


「本当にいいんですか?」

「もちろんよ」


財布から紙幣を一枚出して渡すと、おかみさんは三つの器を載せた盆を差し出した。


「ありがとうございます」

「またおいで。かわいい子には、いつだっておまけをあげるよ」

「お、じゃ。俺も一緒に来なくちゃな」

「あはは。あんたはいつだって上手に値切るじゃないか」


おかみさんに頭を下げると、手を振って歩き出したロキスに並んで、食事ができる場所に移動した。


「本当に良かったんでしょうか。お饅頭も野菜汁も売り物でしょう」

「おちびは、正直すぎるな」


眉を下げたリルテを見ると、呆れた顔をして、ロキスは焼き麺を箸で持ち上げた。


「同じ物なら安い方がいい。同じ値段なら、一つでも多い方がいい。財布の中身は勝手に増えないからな」

「でも、あのお店の人は困らないでしょうか」

「困るなら、断るさ。ああやっても売った方がいいと思った。だから笑いながらくれたんだろ」


リルテは、晴れない顔のまま、いただきますと頭を下げて箸を持った。

アヒルの肉が口の中でほどけた。

リルテの目が、輝いた。


「な。美味いだろ?」


ロキスが屈託《くったく》のない顔で笑った。

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