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レーテー・イストリア  作者: 鈴
第3章 ロゴテカの章
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2部 - 4「都は、なぜヘリオスに遷ったのか」

 十六時になり、リルテの仕事は終わった。

クコとロキスは、店じまいまであと一時間、店番を続けることになっている。

二人に、『お疲れさまでした』と声を掛けると、リルテは紙魚《しみ》が食べてしまった文字を補完した本を持って奥へ向かった。

一段高くなった板敷《いたじき》の間に、トートがいた。


何度も本が崩れ落ちていた棚は、リルテが朝食後から始業までの時間を使い、数日かけて棚板を修理し、補強していた。

村の家の棚が傷《いた》んで壊れたときに、ヴァレンタイン師《せんせい》と補修したのが、役に立った。

試しに揺らしてみたが、びくともしないのを確かめて、トートはとても喜んだ。

そして、棚の前に座り込むと、安心した顔で仕事を始めた。


「トート」

「リルテだな。おお、もうそんな時間か」

「作業の途中でしたね。すみません。後にした方が良いですか?」

「いや、いいよ。ちょうどこの本の修復が終わる」


トートは、頁《ぺーじ》の半分近くを食い破った穴の上を撫でて紙を貼り付けた。

残っている文字にさっと目を走らせた。

そして、墨を含ませた筆先を、その上に載せた。

するすると筆を走らせ、穴に貼り付けた紙に文字を書いていく。

原典《げんてん》はどこにもない。


リルテは息を止めて、じっとその作業を見守った。

リルテだけではない。

クコも、ロキスも、補完するときはできる限り原典を参照し、確かめながら進める。

一文字食べられただけでも、不安だ。

頁がまるまる半分も失われていたら、とてもではないが、原典なしでは補完できない。


トートの仕事を確かめさせてもらったことがある。

原典と比べても、一字一句、相違なかった。

しかも、書体まで元の本と同じだ。


『昔読んだんだよ。一度読めば、忘れない』


トートは、記憶を写すのだと言って、笑った。


「よし、できた。待たせたね。お前さんの今日の仕事を見よう」

「よろしくお願いします」


リルテは靴を脱いで板敷の間に上がると、トートが差し出した手に、持ってきた本を置いた。

トートは早速、半紙を挟んだ頁を開いてじっくりと読み始めた。


「変わった嗜好《しこう》の紙魚だな」

「最後に確認したら、『お』と『す』と『る』だけを食べられていました」

「そうだな。最初に、紙魚はこれを食べていると決めてしまわないほうがいい。もし違う文字を入れてしまったら、全く別の意味になってしまう」

「はい。気をつけます」

「随分たくさん食べたものだ。うん、間違いはない。修復漏れもない。これで糊《のり》が乾いたら、本棚に戻していいだろう」


トートは、足元に置いていた木製の判に朱色の油墨《ゆぼく》を塗って、開いた表紙の裏に押した。

『ロゴテカ』の文字が現れた。

併《あわ》せて、先ほど自分が修復した本の表紙の裏にも押印した。


「ありがとうございます」


リルテは自分の本を引き取って頭を下げた。

トートは、頬を緩めて、手近に置いた座布団を叩いた。

青緑色の瞳が楽しそうに煌めいた。


「座りなさい。勉強を始めよう」

「はい。よろしくお願いします」

「昨日の続きからだ。おっと。上に本を積んでしまった。リルテ、昨日の話は覚えているかな?」


リルテが座布団の上に正座する間に、トートは、山のように積まれた本を漁《あさ》って、一冊抜き出した。


「はい。アレーティアがなぜ大河の傍《そば》に生まれ、大きくなったかを見ました」

「もう一度地図を見よう。この地図はお前さんの師の本棚にもあったんだったな」

「はい。何度か見たことがあります」


リルテは、国の中央から少し東にある場所を、鉛筆の背で示した。


「ここが、今、僕とトートがいる首都・ヘリオスです。すぐ南西に、中央州・ミダスがあります」


そこから、東へ突き出た半島、北と西を囲む山々、南に広がる盆地へ、鉛筆を滑らせた。

州の位置は、師が教えてくれた。


「うん。よく覚えている。では、アレーティアを流れる三本の大河は?」

「レコルダ河、ヴェーナ河。それから――」


皺の多いトートの指が、フルオスの西の山に触れた。


「アニド河……ですが、今は涸れています」


ほんの少し、声が震えた。

トートの指が、平野に下りず、止まった。


「……そうだな」


リルテは、トートの指が押さえている山地を示す線を、静かに見つめた。

地図が溶けそうになって、ぎゅっと目をつぶった。

トートは、リルテの声の方へ顔を上げた。


「リルテ、お前さんは地理について知識の素地《そじ》がある。歴史を学ぶ上でとても大事なことだ。なぜだかわかるかな」


リルテは、口元に手を当てた。


「昨日まで、大河のほとりで人が繁栄したことを学びました。人が何かをするには、その土地の条件によってできることが限られるからだと思います」

「その通りだ。だが、土地は人が生まれる前からある」


トートが、鉛筆を手にして西と北の山をまっすぐになぞり、地図の上で八つの丸を書いた。

八つの丸は、西と北の山々に守られ、三本の大河に沿うように並んだ。


トートは長いひげを指でほどきながら、ゆっくりと瞬きをした。


「さあ。では、今日の課題だ」


リルテは、座り直してトートの指先を追った。


「アレーティアの古都はセレーンだ。都は、なぜヘリオスに遷《うつ》ったのだと思う」


地図を見て、銀色の瞳を瞬かせた。

そして、二つの都を繋ぐレコルダ河の上に、鉛筆を置いた。

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