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レーテー・イストリア  作者: 鈴
第3章 ロゴテカの章
19/24

1部 - 1「古書店ロゴテカ」

 数刻前――。


ディスンに連れられて、リルテが首都・ヘリオスの門をくぐったのは、西へ傾いた太陽が、連なる屋根の峰へ身体を埋《うず》めようとするころだった。


ヘリオスは、ミダスよりももっと人通りが多かった。

人が多いのに、道は広くなかった。


リルテは人とぶつからないように注意して歩きながら、整然と立ち並ぶ建物を観察した。

ミダスでも驚いたが、村の家と違い、どの建物も、屋根の上にさらに家が乗っているように見えた。

そして、遠くには師《せんせい》の書棚の絵図に描かれていた、天に届きそうな、ひときわ高い建物もあった。

どれだけ移動しても、その建物だけは必ず見えた。


「ディン、あれは何の建物?」

「ああ。あれが、パンビオロンの中央塔だ」

「あれが! あの建物の上から下まで本があるの?」

「司書が寝泊まりする場所や、史料の研究所も入っている。本だけじゃない。だが、あれはあくまで中央塔で、他にも書庫はある」


リルテは建物の頂点に伸びる槍《やり》のようなものの先端から、丸い屋根、その下の幾層もの部屋の輪郭をじっくりとなぞるように眺めた。


「今すぐ行きたい……」

「試験に受かったら行ける。――前を見ろ」


人にぶつかりそうになって、ぐいと腕を引かれた。

リルテは背後に移ってしまったパンビオロンから、慌てて視線を剥がした。

角を折れた先の通りは、少し道幅が広かったが、信じられないくらい、人で溢《あふ》れかえっていた。


湿気を感じた。

目を閉じた。

瞼《まぶた》の裏に、晴れた空が広がっていた。

目を開けて風と空を観測する。

雨が降るような気配ではない。

リルテは首を傾げた。


「どうした」

「雨が降るのかと思って」

「こんなに晴れているのに?」

「空気に湿気があるでしょう? ただ、雲の様子を見る限り、雨の兆候はないから……」

「ああ、人が多いうえに、建物が密集している。風が抜けないから空気が溜まる。湿気はそのせいだろう」


ディスンは、事も無げに言った。

リルテは、ディスンが言ったことを反芻《はんすう》しながら、もう一度観測し、頷いた。

確かに、風が弱いのだ。


「覚えておかなきゃ。ありがとう」


ディスンは呆れたように息を吐いた。


「お前は、気象予報も趣味か。まぁ、これから行くところでは重宝されるかもしれないな」

「そうだ。僕はどこへ行くの?」

「もう着いたから、自分の目で確かめろ」


リルテは立ち止まったディスンの隣で、歩みを止めた。


店の前だった。

入口の両脇に、本が山のように積まれている。

大きな硝子窓《がらすまど》の向こうは薄暗かったが、そこにも奥が見えないほど、本が積まれていた。

木製の看板には墨の太文字。

「古書 ロゴテカ」。


リルテの目が、輝いた。

ディスンの方を振り向くと、彼はすっかり予想していた顔でリルテの視線を受け止めた。


「店主に話をする。お前は――」

「やぁ! ディンじゃないか!」


通り中に響きそうな大きな声を聞いて、ディスンは渋面を作った。


「お前は、中に入っていろ。本を読んでいていい。商品だが、手に取って開いても怒られることはない。こちらの話が終わったら呼びに行く」


リルテが頷いたのを見て、ディスンは声の方へ歩いて行った。


リルテは、店の近くまで歩み寄った。

古書、というものを見るのは初めてだった。

本との違いを探した。

師の書棚にあった本と同じ形をしている。

色も、大きさも、違いはなさそうだ。

「古」書というとおり、古い本のことだろうか。

手に取りたかったが、扉脇の山は、触れれば崩れてしまいそうで、リルテは伸ばした手を引っ込めた。

硝子窓の中を覗く。

中は、薄暗かった。

積まれた本が視界をふさいでいるが、目を凝らすと、書棚が見えた。

びっしりと本が詰め込まれている。

あれなら読めそうだ。


リルテは、扉の取っ手に手を掛けて、ごくりとつばを飲み込んだ。


フルオスの山から下りて、初めて自分一人で入る店だった。

胸が騒いだ。

意を決して、扉を引いて開けた。


「助けてくれ!」


ガラガラ バサバサ


悲鳴と、明らかに何かが落ちた音。

リルテは飛び上がった。

中に駆け入ろうとして、固まった。

辺り一面、積みあがった本だらけだ。

一応足が入る道はある。

だが、まるで迷路のようだった。


戸惑っていると、店の中がシン……とした。


「大丈夫ですか!」


リルテは声を張り上げた。


「大丈夫じゃない!」


返ってきた声を聞いて、リルテは急いで右と左を確認した。

本棚がびっしりと立ち並んでいる。

床に積みあがっている本を崩さないように、隙間に足を差し入れながら進んだ。


「どこにいますか?」

「奥だ!」


そう言われても、どこの奥だか分かるわけもない。

だが、声は反響していない。

聞こえた方向を頼りに足を進める。


縦に、横に、本棚を八本通り過ぎると、上階まで吹き抜けになっている場所に出た。

一段高くなった板敷の間に、本が小山のように積もっていた。


正面の壁の棚が、丸ごと空になっている。

どうやら、そこに詰めていた本が落ちたらしい。


「今、行きます!」

「おお、頼む」


リルテは、靴を脱いで板敷の間に上がり、返事をした本の山に飛びついた。


「ああ! 本は大事にしてくれ」

「はい。もちろんです」


リルテは一冊一冊よけて、山を切り崩した。

やがて、山の中から青緑色の頭が見えた。

その身体に載っていた本が無くなったところで、埋もれていた人がやっと身体を起こした。

リルテは散乱した本を、しゃがんで積み上げながら尋ねた。


「お怪我はないですか?」

「ないよ。いや、助かった。いくつか頭にまで降ってきたが、本でなかったら、無事じゃすまないところだった」

「本でも、頭に当たったら痛いと思います。傷になっていないか見ましょうか」

「大丈夫だ。こう見えて、本がぶつかってくるのには、慣れている」


たっぷりした、長いひげを指でほどきながら、男は空いている手を差し出した。

リルテは首を傾げた。

誰もいない方へ伸ばされた手と、男の顔、目を順番に見てハッとした。

立ち上がり、移動して正面に立ち、手を掴む。


「すみません。あなたの正面にあたるところに、本を積んでしまいました。気を付けてください」

「うん。本は、見えている」

「そうなんですか。他に見えていないものはありますか?」

「お前さん以外は見えているんだよ。ちゃんと顔を合わせて感謝をしたかった。どうもありがとう」

「あなたに大きなけががなくて、良かったです」


音を辿るようにリルテの口元に向けられた、男の青緑の瞳がゆらりと揺れて、柔らかく細められた。


「さて、お客さんにとんだ失態を見せてしまった。店の者がいると思ったんだが、虫干しの最中かな。どちらかは店番をしているように言っているというのに」

「あの、僕はお客さんじゃないんです。お店の主の方にご挨拶に来たって……」

「なんと!」


男の目がくわっと大きく見開かれた。

リルテは仰け反った。


「お前さんは、修復師見習いの志願者だったか。いやぁ、それはそれは。では早速試験をさせてもらわなくては。ええと、どれがいいかな」


リルテの言葉を遮《さえぎ》り、一方的にまくし立てると、掴んでいた手を放し、男は本の山を漁り始めた。

ぶつぶつと何かを呟きながら、本の表紙を見比べ、二冊を選び出した。


「これがいいかな。うん。いいところを食われておる。舌の肥えた紙魚《しみ》よ」

「しみ?」

「そう。ほら、食われた文字は、修復せねばならないだろう?」


男は目を白黒させるリルテの目の前で、持っていた本を開いた。

リルテは「あっ」と驚いた。

紙に細長く、穴が開いていた。

ちょうど文字が消えていた。


「なにが入るか分かるか?」


リルテは男から本を受け取り、残っている文字に目を走らせた。

数式だった。

前後の文章を読んだ。建築に関わる決まりと、それに準拠《じゅんきょ》した資材の数値を説明しているようだ。

リルテはもう一度数式を見た。


「二十二だと思います」

「……お前さん、暗算をしたのか」

「はい。紙と鉛筆を貸していただけますか」

「ん、なぜ? 答えが出たのだろう?」

「検算が必要です」


男はうなずいて、本を閉じてしまった。

きょとんとしているリルテに向かって、もう一冊の本を開いた。

同じように細く穴が開いていた。

だが、何本も穴が開いているせいで、今度は文章が半分読めなくなってしまっていた。


「これは何が入るかな」

「……わかりません。同じ本があればそれを調べ、写します。ないならば、原典《げんてん》となりそうなものを探します。埋められるようならば、それを引きますが、元と同じ書き方にはならないかもしれません」


男は、また深く頷いた。

そして、手を差し出した。

リルテは、二人の間に差し出されたそれを、首をかしげながら掴んだ。


「合格だ」

「合格?」

「お前さん、名前は?」

「リルテです。僕も、あなたのお名前を伺っていいですか?」

「おお! これは、失敬した。わしは、トートだ。求人票にも書いてあっただろう? わしがここの店主だよ。しっかりした見習いが来てくれて嬉しい」

「求人票……? あの、僕は、それを見ていないと――」

「トート! いい加減、通路に積んである本は何とかしてくれ。客が全員またいで歩けると思ったら大間違いだぞ」


リルテはその声を聞いて、はっと顔を上げた。

書棚の向こうから、大きく上がったつま先が見えた。

それが床について、生成《きな》り色の布を巻いた頭が現れた。

黄金《おうごん》の瞳がこちらを向き、突き当たりの、空っぽになった書棚を見たのがわかった。


「また落ちたのか。歪《ゆが》んだ棚板を修理しないと、いつか棚ごと倒れて大けがする……」


ディスンと目が合った。

ディスンは、瞬きをすると、トートと握手しているリルテの手に視線を移して、怪訝《けげん》な顔になった。


「忙しい忙しいと顔を出さないと思えば、来たら文句ばかりだな。だが、良いところに来た。たった今、見習いが増えた。リルテと言ったな。挨拶するといい」


トートが握っていた手を引き、腕を辿《たど》って、優しくリルテの肩を叩いた。

ディスンが大きくのけぞった。

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