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レーテー・イストリア  作者: 鈴
第2章 ディスンの章
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4部 - 2「王にならない男」

 開架書庫に続く細い廊下を戻ると、前方に、道をふさぐようにして人が立っているのが見えた。


「トート様のところに、子どもを預けたと聞いたぞ」


会話するには遠い距離から、冷えた声が飛んできた。

ディスンは肩をすくめた。


「なんだ。慰《なぐさ》めに来てくれたんじゃないのか。ハーネット」

「先に大事な話をさせろ」

「アンバーが来たんだろ。あいつ、どこで見てたんだ」

「あの盗賊の話はいい。トート様のところは託児所《たくじしょ》じゃない。あのお方がどれだけ大切なお仕事を……」

「知ってる知ってる」


ディスンは顔の脇で手を振って、ハーネットの言葉を遮《さえぎ》った。


「誤解しているようだから言っておくけどな、俺が頼んだわけじゃないぞ」

「なんだと」

「確かに、子どもは、連れて行った。だが、店の入り口で呼び止められて話し込んでいるうちに、トートがリルテを気に入っていた」

「どういうことだ」

「俺が聞きたい。あの本の山を乗り越えて入ったら『良いところに来た。ちょうど、今、見習いが増えた』と言われたんだぞ。まったく。俺の方が面食らった」


ハーネットが大きくのけぞった。

その反応は、さっきトートの店で自分がしたのと同じだ。

ディスンは、やれやれと嘆息した。


「本当にトート様のお邪魔にならないのか」

「知るか。邪魔になったら、トートは追い出すだろ」

「あのお方は、そんな無慈悲なことはなさらない」

「俺が昔、二度追い出されてる」

「二度も? 初耳だ。お前、何をした……」

「学生の時の話だ。思い出させるな」


訊きたそうな雰囲気を醸《かも》し出《だ》したまま、黙り込んだ幼馴染《おさななじみ》の顔を見上げて、ディスンは首を振った。


「ハーネット、部屋で話させてくれ」

「なんだ。もう閉館時間はとっくに過ぎている。人はいない。夜番の司書たちも、今はみな部屋に戻っている」

「昨日、仮面を見すぎたせいで、食傷気味《しょくしょうぎみ》なんだ」


ディスンは、ハーネットの額から鼻までを覆う鉄製の仮面を見た。

カランドラにひしめいていた仮面とは違い、飾り立てられてはいない。

だが、目元が隠れているだけで、どうにも印象が重なった。

ハーネットは、仮面の奥から碧色《みどりいろ》の視線を返した。


「移動しよう」


廊下は二人並んで歩くには狭い。

ディスンはハーネットの背中を見ながら歩いた。

膝裏まで届く白緑色《びゃくろくいろ》の髪が、揺れていた。


「また色が抜けたか」

「そうか? 自分では分からない」


初めて会った時には浅葱色《あさぎいろ》だった髪から、いつの間にか青みが落ちていた。

パンビオロンに長く勤める者の髪は、程度の違いこそあれ、みな緑に近づいていく。


ハーネットは瞳と同じ碧色の扉の前で止まり、胸元を探って鍵を出した。

鍵穴に差し込み、回して、扉を開く。

ディスンを部屋に通して扉を閉め、鍵をかけた。


「それで、また紫色の瞳ではなかったそうだな」


ハーネットは部屋の左奥にしつらえられた机に向かいながら言った。

アンバーは、その情報もしっかり落としていったようだ。

ディスンは真ん中に設置された応接用の革張りの椅子にどかりと座った。

背もたれに頭を預けて、高い天井を見る。


「いつまで諦めないつもりだ」

「見つかるまでだ」

「あと四年で加冠《かかん》の歳になる」


視線を巡らせると、外した仮面を机に置き、振り返ったハーネットと、目が合った。

相変わらず、彫刻かと疑いたくなるような造形美だ。


「知っている。だから、急いでいる」

「まだ、第二王妃の御子《みこ》を疑っているのか」


ハーネットは、理解できないというように眉を寄せた。


「お前の言う通り、瞳は紫色に見える。髪の色も合っている。そう多くある特徴ではないだろう」

「……」

「それに、どうやって王子ではない人間を、王子にするというんだ。生まれた日も、髪の色も、瞳の色も合う子どもなど、そう都合よく用意できるものか」


ディスンは答えなかった。


「本物だろう」

「……それなら、いい。加冠の儀の後、王に推すだけだ」


ハーネットは、わずかに目を細めた。

椅子の後ろを回り、ディスンの横に腰を下ろした。

そして、ディスンをじっと見た。


「民の声を聞け。兵士の声を聞け、ディスン。みな、お前を求めている」


ディスンは視線を受けて、口を歪めた。


「また喧嘩《けんか》をするつもりか?」

「ディスンが喧嘩にするのだろう。私は冷静に話をしている」

「冷静に、通らないことを言うからだ。俺は国王にはならない。王位継承の順位も、最下位だ」

「上位の継承者を、命を奪うことで、無理やり席からどかせて付けた順位に、何の正当性があるんだ」


ディスンはハーネットを睨みつけた。

ハーネットはその厳しい視線をものともせず、続けた。


「ご神託《しんたく》は『王威《おうい》を持つ子が現れる』と告げただけだ。王にせよとは言っていない」

「俺は、王威を持った者を、玉座に就《つ》けることを諦めない」

「王威を持っているから、必ずこの国にふさわしい王なのか。我が国を救う王になると、誰が保証する」


ハーネットが手を広げた。

制服である円錐形《えんすいけい》の外套《がいとう》が大きく広がった。


「王威をお持ちでなかった前王、ケイゼル様の治世は間違っていたか。諸国は我が国を見限ったか」

「俺は、ふさわしくない」


ディスンの短い回答に、ハーネットがかぶりを振った。


「このまま、アヴァンティア宰相の好きにさせるのか。ダーティス様も御子も、お前も、誰も王威を持っていない。少なくとも今は、誰が王になろうと、王威の差はないだろう」

「民の言い分は理解できる。兵士の声も、文官たちの思いも。だが、俺はアヴァンティアと同じ方策を取る」

「ディスン!」

「俺は切り捨てる。どんな声が聞こえていても、必要であれば、迷わず、捨てる」

「……」


ハーネットは、黙った。


「王威そのものに、統治能力があるわけではないことなど分かっている。だが、王威は命の営《いとな》みを救う力だ。それを現した人間には、手を差し伸べる力がある。そういう人間が、王になるべきだ」


王威が現れると神託で指名されたのは、前国王、ケイゼルと第二王妃の間に生まれた子どもだ。

白の書の文を思い出す。


――銀色の毛髪 紫色の瞳


『ディスン』


その王子の細い目の中心は、紫色に見えなくもない、深く沈んだ色をしていた。

生まれつき目が弱いのだと言って、定期的に点眼薬を落としていた。


ディスンは、閉じた瞼をゆっくりと開いた。


「帰る。邪魔をした」

「夕食がまだなら、準備をするが」

「惜《お》しいな、お前の用意した飯は食べたかった。が、これから執務室に行く」


ディスンは首を振った。


「二日、休んだからな。机の位置だけでも分かるようにしておきたい」

「そんなに書類が溜まっているのか」

「アヴァンティアが嫌がるやり方をした。しばらくは、執務室から出られないようにされているだろうと踏んでる」


言いながら、ディスンは、何か食べるものを持ち込んでおこうと決めた。

膝を押して、立ち上がる。


「落ち着いたら、飯に誘わせてくれ」

「待っている。――あの盗賊にはまた会うか?」

「アンバーに? 何かあったら勝手に来るが」

「会ったら伝えてくれ。窓から現れるな。正規の手続きを踏んで入口から来い。それから、仮にも年頃の女性が夜這いをするな」


眉間にしわを寄せ、渋面を作って、大真面目に正論を言う友に、ディスンは思わず笑い声をあげた。


「伝えて変わるもんか。窓があいつの出入り口だ。それから、夜這いの件は自分で言え。もう学生じゃないんだぞ。女が出てくるたび俺を魔除けに使うな」


ハーネットの象牙《ぞうげ》の肌が、さっと朱を帯びた。

職務に忠実で、常に冷静。

決して自分を見失わない強さを持っていると、幼いころから知っている。

だが、好意を向けられた時だけは、急に不器用になる。

防御壁を薄く高く伸ばすばかりで、うまく処理できなくなるこの幼馴染が、何ともかわいいと思う。

口に出せば、とんでもないことになるから、決して言わないが。


「じゃあな」


ほんの少し口を尖らせ、斜めにディスンを睨むハーネットの顔が、リルテの拗ね顔(すねがお)と重なった。

扉を出て、細い廊下を歩きながら、案外、ハーネットとリルテは、話が合うかもしれないと思った。


いや。笑っている場合ではない。

執務室に山積みになっているであろう書類のことを思い出し、ディスンは頭を振って口元を引き締めた。

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