4部 - 1「パンビオロンの深層」
リルテを預けた足で、ディスンはパンビオロンを訪れた。
開架書庫を通過し、警備員に許可証を見せて、奥の通路に入る。
まっすぐに進み、最奥の扉の脇に置かれた石に手を置いた。
静かに開いた扉の向こうへ身体を滑り込ませると、再び細長い廊下が続く。
開架書庫は足音が響かない設計になっている。だが、この廊下は靴音がよく反響した。
突き当たりの壁には、丸い硝子板がはめ込まれていた。
顔を近づけると、奥にディスンの金の瞳が映った。
その像が水面のように揺れ、切れ目のなかった壁に扉が現れた。
取っ手を掴んで押すと、正方形の踊り場へ出た。
踊り場の先から、螺旋階段が下へ続いている。
さらに向こう、吹き抜けの正面に、高い天井から滝が流れ落ちていた。
水は、壁を中心線にして、床に描かれた半円形の陣に吸い込まれていた。
ディスンは螺旋階段を下りた。
そして滝の前に立った。
滝の中には、見えない段に支えられるように、四冊の書が左上から右下へ斜めに並んでいた。
最も高い左端に、黒い装丁の書。
一段下に、くすんだ青の書。
さらに下に、もう一冊の黒い書。
そして一番低い右端に、金色の書があった。
ディスンは、一番低いところにある金色の装丁の書に手を伸ばした。
書の下に手を差し込むと、水が分かれ、書が手のひらの上に落ちた。
書は濡れていなかった。
隣の黒の書の下へ手を差し込めば、水だけが分かれる。
だが、指先は書の影をすり抜け、何も掴むことはできない。
くすんだ青の書も同じだった。
滝に浸かった四冊の中で、ディスンが読むことができるのは、自分の瞳と同じ色をした、金色の書だけだ。
ディスンはページをめくった。
そして、最後に現れた一文に目を走らせた。
『アレーティア国 三五六 ミダス歌劇場「カランドラ」奴隷競り潜入。競りを中止させ、出品された子ども六名を解放。フルオス領主、会場より退去。幻覚薬を吸った客による放火。カランドラ、全焼』
ディスンの目的は、書かれていない。
ただ、昨夜の行動と、その結果だけが記されている。
その前までの文章も同じだ。
ディスンが十六歳になってからの行動が、端的に記されている。
ディスンは、書を閉じて滝の中に戻した。
書は、また同じ位置で滝の水を受けて浮かんだ。
滝の左手、蔦が一面にはびこる壁際へ歩み寄った。
鳥や植物の彫りが施された木造りの机がしつらえられている。
そこだけ時間から切り離されたように清らかだった。
その中央に、真っ白い装丁の書が一冊、置かれていた。
ディスンは、その白の書を手に取り、開いた。
『アレーティア三四四 ケイゼル第五子 銀色の毛髪 紫色の瞳 出生』
ディスンは、しばらくその一行を見下ろしていた。
それ以上文字が増えていないことを確かめて、書を閉じる。
『ディスン!』
会いに行けば、明るく顔を輝かせて駆け寄ってくる王子の声が、耳の奥で蘇る。
だが、その王子の瞳を瞼の裏に映そうとしたとき、一瞬、炎と煙の中で振り返ったリルテの瞳が、頭をよぎった。
首を振って、白の書を机に戻した。
風のない部屋の中で、蔦が揺れた。
足元を見る。
蔦の根元に盛り上がっているのは、土ではない。
茶色く変色し、朽ちて崩れた書だ。
いくつかは、まだ表紙を開けるほどの形を保っている。
そこに記されているのは、出生の記録と、ただ一語。
――死亡。
蔦は、それらの書に根を張り、壁一面に深い緑色の葉を生い茂らせているのだった。
ディスンは、そこから視線を剥がし、踵を返した。




