3部 - 2「働くか、学ぶか」
「まず、お前はどうして奴隷競りにいた。売られたのか。さらわれたのか」
奴隷競りの様子を見ていて、違和感があった。
他の子どもたちが絶望し、泣き叫んでいる中で、リルテだけが冷静だった。
覚悟の上で、口減らしに売られたのか。
だが、あの知能と機転があれば、家に置いて働かせる方がよほど役に立つ。
では、容姿を狙われ、さらわれたのか。
だとすれば、あれほど落ち着いていられる理由が分からない。
自力で逃げ出す算段があったのかもしれない。
しかし、競りが始まり、買い手がついてからでは遅すぎる。
どの推測も、リルテの様子とは噛み合わなかった。
リルテが口を開いた。
「僕が、奴隷商の檻に入ってしまったのです」
「なに……」
ディスンは絶句した。
さすがに想定外の答えだった。
「自分からか?」
「はい。でも、奴隷になるつもりではありませんでした」
「どういうことだ」
「働き手を探しているところへ、仕事を探している人を紹介していると言われました。僕にも仕事を紹介してくれると」
「知っていた相手か」
「いいえ。初めて会いました」
「どんな仕事をすると聞いた」
「着いてから聞くものだと思っていました」
ディスンは黙った。
「……疑わなかったのか」
「はい。仕事を紹介する人だと言われたので、そうなのだと思いました。奴隷が何かも知りませんでした。檻に入ってから、人を売る商売なのだと分かりました」
「人を売る商売だと分かった後も、逃げなかったのか。お前は競りの時、錠を外していたな」
「逃げる機会は、ありました」
「なぜ逃げなかった」
リルテは口を結び、卓へ落とした視線を、再びディスンへ向けた。
「僕が逃げれば、困る人がいると思いました」
「誰かを盾に取られたのか」
「……それは答えられません」
ディスンは短く息を吸った。
「分かった。それでいい。……食べながらでいいぞ」
リルテは匙に少なめにスープを掬って、口に入れた。
湯気はとっくに消えていた。
ディスンは顎に手を当てた。
「次の質問に移ろう。どこから来た?」
「フルオスの山の西側です」
フルオスの山の西。国の西北に近い、痩せた山地だ。
――『西と北は――悲惨ね』
アンバーの声が蘇った。
報告書に並んでいた飢饉、干ばつ、空になった倉の記述が、頭の中でつながる。
ディスンは、リルテの身の上を想像した。
「仕事を探していたと言ったな。親は一緒に来なかったのか」
「はい。ひとりで来ました」
「リルテ、お前は今、何歳だ」
「十二歳になりました」
身長はあるが、痩せている。
顔立ちもやや幼い。
見た目だけなら、十くらいにも見えた。
だが、高度な数式を書き、受け答えがしっかりしているせいで歳が分からなかった。
十二歳か。
十二歳であれば働き先は見つかるだろう。
だが、この程度の年の子どもを受け入れる働き先は、ほとんどがまともではない。
「親に言われて出稼ぎに来たわけではないのだな」
「出稼ぎ?」
リルテは考える顔をした。
「いいえ」
「違うのか」
「出稼ぎとは、お金を稼いで家に持ち帰ることですよね。違います。街で暮らします。村には帰りません」
「家がないのか」
「いいえ、あります」
「親はいるのか」
「……います」
「――家出をしたのか」
リルテの視線が泳いだ。
そのまま視線は卓に落ちる。
しかし、瞬きをひとつして、ディスンを見た。
「違います。でも、帰らないのです」
まっすぐに向けられた銀色の瞳の奥を探った。
約束は破っていないようだった。
「分かった。答えなくていいと言ったのは俺だ。今の質問は、お前を家に帰せるか。それを確かめたかった」
リルテの目は少し潤んでいた。
ディスンが水を飲んでいる隙に、リルテは手の甲でこすって、顔を上げた。
「続けるぞ」
「はい」
「行くあてはなかったんだな」
「はい」
「お前は奴隷にならなかった。自由にしていいと言われたら、この後、働く先が見つかるまでは、どうするつもりだ。金は持ってきたのか」
「銀貨を四枚持っていましたが、持っていたものは、みんな取り上げられてしまったので、持っていません」
「銀貨四枚……あっても、何も買えないな」
「菜単表にあった一・五ソラスは、銀貨何枚分ですか?」
「一ソラスは銀貨十枚だ」
「ここでは、銀貨ではスープも買えないんですね」
しょんぼりと眉を下げて、はたと気が付いたように、リルテは目の前のスープを掬った。
ディスンは冷めてもスープを美味しそうに飲む様子を見て、少しだけ肩の力を抜いた。
「そうだな。寝床のことは考えたか」
リルテは、一口飲んだだけで匙を置いた。
「邪魔にならないところを探して、野宿をします」
「野宿? この街でか」
ディスンは思わず眉を上げた。
「はい。ミダスにも川はあったと記憶しています。……もしかして、身体を洗うだけの水量はないですか?」
「水量は問題じゃない。始終人通りがある。裸になって水浴びをしていたら、警邏局の人間が飛んでくる」
「では、水源を遡って人のいないところで……」
「いや、身体を洗う話でもない。そもそも、子どもが路上で寝ていて、朝まで無事でいられると思っているのか」
「ここは街です。獣に食べられる心配はありません」
「獣はいない。だが、人がいる」
リルテは目を瞬かせた。
「眠っている間に金を奪われる。連れ去られる。そうは考えなかったのか」
「眠っている間に……?」
「一人でいる子どもだと分かれば、それだけで手を出す人間もいる」
「村では、よく星を見ながら眠りました。獣の気配にさえ気を付ければ、誰も……」
「リルテ。ここは、街だ。たくさんの人がいる」
「……分かりました。街では、野宿はできないのですね」
そう言ったリルテの視線が、宙を彷徨った。
顔から血の気が引き、やがてその視線が卓の隅へ落ちた。
宿にも入れない。外でも眠れない。
それがどういうことか、ようやく気づいたらしい。
ディスンは指で顎をさすりながらリルテを見つめた。
ゆっくりと瞬きをしながら、息を吐く。
(……さて、どうするか)
ディスンはうつむく銀色の頭を見つめた。
家がなく、仕事のあてもない子どもなら、本来は統治局に身柄を預ける。
奴隷競りに出された他の子どもと同じく保護させ、しかるべき先へ繋ぐ。
手続きとしては、それが正しい。
競りの場で素顔を晒された。
そして、ルクスに高い価値を付けられた。
それだけであれば、ここまで迷わなかっただろう。
水に沈めれば紫の目が現れると喧伝されたことが、ディスンの判断を難しくしていた。
ミダスの統治局は、アヴァンティアの管轄だ。
ディスンは、紫の瞳の子どもを探しているのが、自分だけではないと、疑っていた。
そして、酷い最期を辿った幾人かの子どものことが、頭を過ぎった。
――やはり、統治局には、預けられない。
鐘の音が鳴って、扉が開いた。
客が二人出て行って、残っているのはディスンとリルテだけになった。
ディスンは腕を組んで、椅子に背を預けた。
「リルテ。この先のことは、働きながら考えると言ったな。お前は何になりたいと思っている」
うつむいていた頭が上がって、ディスンをまっすぐに見た。
「立派な人間になりたいです」
「……。立派な人間とはなんだ」
「誰かが困っている時に、助けられる人です」
「昨夜、お前の隣の檻の子どもを助けた女は、盗賊だ」
「!」
リルテは目を丸くした。
「盗賊になりたいか」
「……いいえ」
「盗賊だから、あの女は立派な人間じゃないか」
リルテは強く首を振った。
「いいえ。あの人は立派な人だと思います」
「お前は、俺に助けられたんだったな。俺は盗賊ではない。だが、立派な人間でもない」
リルテは、もう一度首を振った。
「いいえ。立派な人だと思います。今だって、僕のことを考えてくれています」
「いいや。立派な人間ではない」
リルテは唇を噛んで眉を下げた。
「気が付かないか」
「?」
「立派かどうかは、誰かが下す評価だ。人からでも、自分からでもな」
「!」
「お前がその評価が欲しいのか?」
リルテはかぶりを振った。
「いいえ」
「俺には、次に言ったことが、お前のなりたいものに聞こえた」
「次……」
あ、と言って、リルテの眉間がぱっと開いた。
「誰かが困っている時、助けられる人になりたいです」
ディスンはうなずいた。
「そうなるために、お前には何が足りない」
「……何もかも足りません」
「本当に?」
「僕は、誰のことも助けられませんでした」
リルテの肩が、小さく震えた。
指先に震えが移り、リルテはそれを止めようとするように、胸の前で固く握りしめた。
昨夜もリルテは涙を滲ませていた。
顎を指で撫でながら、ディスンはリルテの様子を注意深く見た。
過去が透けて見えるわけではない。
だが、ディスンは「八十秒ありました」と言ったリルテの顔を覚えていた。
リルテは助けようとしていた。計算し、状況を見て、手を伸ばしていた。
それを、自分のためだけに使ってきた子どもだとは思えなかった。
「今まで一度も、人に何かをして、感謝されたことはなかったか」
「感謝……あります。みんなが優しかったから」
「リルテ。人が優しかったことと、お前が何かをしたことは、別だ」
銀色の瞳が揺れた。
ディスンは、卓に腕を置いて、リルテをまっすぐに見た。
「確かに、お前には足りないところがある。だが、そればかりを見るな」
リルテは浅く呼吸をしていた。
ディスンはリルテの顔から目を離さなかった。
「何もかも足りないことはない。リルテ、お前も持っているものがある」
「僕も?」
「そうだ。自分で捨てるな」
「僕は何を持っていますか?」
「それは、自分で見つけろ。見つけて、選べ」
リルテがゆっくりと手をほどいた。
銀色の瞳が、ぴたりとディスンを見返し、うなずいた。
この子どもを見守るのは、本来、自分の役目ではない。
だが――。
(……いや)
ディスンは、自分の中に理由を見つけようとするのをやめた。
考えは、まとまっていた。
「リルテ、お前に足りないのは、知識だけじゃない。人の中で生きる方法を学べ」
「人の、中……」
「学校へ行け」




