↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レーテー・イストリア  作者: 鈴
第2章 ディスンの章
14/24

3部 - 1「ここでは、ディンと呼べ」

 鳥の声で目が覚めると、窓の外はすっかり明るかった。

ディスンはベッドを下りた。

顔を洗い、ひげを剃って、頭に布を巻いた。

部屋を出る。


昨夜と同じように廊下を歩き、隅の部屋の扉を叩いた。

休ませたのはずいぶん遅い時間だった。

まだ寝ているかもしれない。

そう思ったが、扉はすぐに開いて、銀色の頭がひょっこりと覗いた。


「おはようございます」

「起きていたか……眠れなかったのか」

「いいえ。眠れました」


首を振るが、ぱちぱちと瞬く大きな目の下に、隈ができていた。

声にも張りがない。

ディスンは、リルテの肌の色と呼吸を確認した。


「体調が悪くなったか」


異常は見られないが、やはり昨日のうちに医者に診《み》せるべきだったか。


「いいえ。薬をいただきましたので、喉も痛くなくなりました」

「見せろ。椅子に座れ」


扉を押さえると、リルテは部屋に入り、隅にしつらえられた机の前の椅子を引いて、窓の近くに置き、腰かけた。

目を閉じて、口を開ける。

腰を屈めて、覗き込んだ。

窓から差し込む光で、石灯がなくても喉の奥まで見えた。

確かに、炎症は治まっている。


「喉のほかに、どこかおかしいところはないか。眩暈《めまい》がしたり、頭が重かったり。何でも言え」

「はい。どこも……」


頷いたリルテの方から、獣が唸《うな》るような音が聞こえた。

あっ、という顔をして、リルテは腹を押さえた。


やっと合点がいった。


昨夜は、飯を食う時間などなかった。

腹が減っていて当然だ。

リルテは小さくなってディスンを見上げた。


「ごめん、なさい」

「何を謝る」


ディスンは腰を伸ばして、顔を赤くするリルテに首を振った。


「飯を食いに行くぞ」




 夜通し明るいミダスの街は、朝になっても賑やかだ。

道のあちらこちらに市が立ち、辻《つじ》には行商人が荷車を止めて、荷台に載せた商品を売っている。

ディスンは朝飯を出している行きつけの店を目指して、街の喧騒《けんそう》を抜けようとしたが、何度も足を止める羽目になった。

人混みは、相変わらずだ。


リルテが、来ないのだ。


行き交う人を眺め、店先の商品にくぎ付けになり、商人の呼び声に首を伸ばす。

銀色の頭がふらつきそうになるたび、名前を呼んだ。

盛大に腹の虫を鳴らしていたくせに、この子どもの中では、好奇心の虫の方が主張が強いらしい。


このままでは、朝飯が昼飯になる。

ディスンは、歩くのを諦《あきら》めて、近くの店に入ることにした。


 扉を開けると、鐘の音が鳴った。

店内にはほとんど人がいなかった。

店を外したか、と思ったが、店員と目が合っては、出るわけにもいかない。

二人だというのに、六席ある卓に案内された。

向かい合って座り、ディスンはリルテの前に菜単表《さいたんひょう》を広げた。


「好きなものを選べ」

「ありがとうございます」


リルテは上から下まで何度も目を往復させて、アヒルのスープを指さした。

ディスンは水を持ってきた店員を呼び留め、自分の朝飯とリルテのスープを注文する。

菜単表を閉じると、リルテが「あ」と声を漏らした。


「食べてから、足りないようなら追加すればいい」

「いいえ。その……もう少し読んでいてもいいですか」

「読む?」

「料理の名前の下に、食材が書いてありました。初めて見る名前を覚えたいのです。後で調べます」


リルテが赤い菜単表の表紙をじっと見つめる顔は、餌を前にした、飢えたオオカミのように、真剣だった。


「……構わないが、料理が来たらしまえ」

「はい」


ディスンが手を放すと、リルテは嬉しそうに菜単表を引き寄せて、むさぼるように読み始めた。

一つ一つの料理名を目で追い、材料を見ては沈思《ちんし》する。

「本があれば……」と呟き、また文字を追う。

ディスンは卓に肘をつき、手の甲に顎を載せて、リルテの百面相を眺めた。


「アヒルのスープと五目唐辛子蕎麦です……追加のご注文ですか?」

「いや、読んでいただけだ。……来たぞ」


リルテははっと顔を上げて、菜単表を閉じた。

怪訝《けげん》な顔をした店員が、大きな器をリルテの前に置いた。


「こんなに、たくさん」


リルテは目を見開き、スープを見つめた。

リルテの腹が、また、ぐぅと鳴った。

ようやく空腹を思い出したようだった。

ディスンは箸を持ち、自分の前に置かれた赤い汁から蕎麦を摘み上げる。


「早く腹の虫に飯をやれ」

「はい。いただきます」


リルテは丁寧に頭を下げ、匙《さじ》で掬《すく》ったアヒルの肉を口に頬張った。

噛んで、飲み込む。

顔がほころんだ。


「美味しいです」

「そうか」


ディスンは蕎麦をすすった。

覚悟していたほど味は悪くなかったが、感動するほどでもない。

だが、リルテは一口ごとに表情を変えながら、噛みしめ、美味そうに食べた。


 ディスンが空になった器を端に寄せた時、リルテのスープはまだ三分の一ほど残っていた。

場所を変えることも考えたが、この客数であれば、店の邪魔にはならないだろう。

幸い奥の卓で、隣も後ろも空席だ。

大声で話さなければ、周囲にまで聞こえることもない。


「食べながらでいい。この後のことを考えるにあたって訊《き》きたいことがある」


そう言うと、リルテは、スープから顔を上げた。


「いくつかお前について質問をする。尋問《じんもん》じゃない。硬くなるな」

「わかりました」


肩の力を抜いて、ディスンを見る。

リルテに構える様子は一切なかった。


「……質問を始める前に、お前は何も訊かなくていいのか?」

「何か、僕から訊くことがありますか?」


首を傾ける動きに合わせて、銀色の髪がさら、と額の前を流れた。

ディスンは少し呆れた。


「気にならないのか? 素性も明かさない相手が、お前に自分のことを話せと言っているんだぞ」


リルテの銀色の瞳が丸くなる。


「気には、なりました。机の上の本も、鞄も、とても面白そうでしたから。でも、僕から訊いてはいけないのかと思いました」

「なぜだ」

「昨夜、僕の名前を訊いた時、ご自分の名前は仰らなかったので、訊かない方が良いのかと。……訊いても良いのですか」


ディスンはうなずいた。


「躊躇《ためら》わせたなら悪かった。だが、遠慮せず訊いてみるといい。答えられないなら、相手はそう言う。理由を聞いて、お前が納得したならそれでいい。だが、相手の素性も知らずに、自分のことだけ話すな」

「分かりました。それでは、お名前を伺ってもいいですか」

「名前だけでいいか?」

「他のことも教えてくれますか?」

「いや、教えない」

「なぜですか」

「明かせば、今晩槍が降る」

「槍が!」


リルテは顔を強張らせ、天井を見上げた。


「冗談だ。だが明かせないのは本当だ。面倒が増える。名前だけは教えよう」


ほっと安堵《あんど》の息を吐いたリルテは、少しだけ身を乗り出した。

ディスンは、短く息を吐いた。


「ここでは、ディンと呼べ」

「ここでは?」

「急に遠慮がなくなったな」


リルテは小さく首を傾げた。


「別のところでは、別の呼び方があるということですか?」

「その通りだ。必要になれば教える」

「分かりました、ディンさん」

「ディンでいい」


ディスンはひとつ、深呼吸をした。


「仕切り直そう。答えられないことは答えられないと言っていい。だが、嘘は言うな」

「はい」


リルテは椅子に座り直し、姿勢を正した。

そして、しっかりとうなずいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。